虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

『あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則』 と 天才の話あれこれ

2011-02-16 21:31:13 | はじめに
『あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則』という話を聞いたことがあります。

何でも、次にあげる2つが重なると天才が作られるそうです
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①10000時間を費やせる努力と情熱。開始年齢はあまり関係ないらしい。

②時代と才能が一致するタイミング
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①の10000時間を費やせる努力と情熱。

と言うと、エジソンの
「天才は1%のひらめきと99%の汗」という言葉が浮かびます。

本当は、エジソン自身はピピピッとひらめくことを
重視していたらしく、

(1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならないという
ニュアンスでこの言葉を発言したらしいのですが…。)

竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても
挫折せずに努力し続けたエジソンの姿は、
英才くん、秀才くん、できるくんからすれば、「実験オタク」や、単なる「オバカ」なのかも知れません。
天才を作る時間が10000時間という話の真偽の程はどうであれ、

「何かが好きでたまらないこと」
「心底、ひとつのことに夢中になって打ち込めること」
「誰かのためにでなく、自分で自分の人生を切り開いていること」

が天才の必須条件のようです。

②の運

私はこれは、偶然の産物ではなく
宇宙とうまくシンクロできているかどうか……。
SQ(精神的知能の略)…意味や価値という問題を提起して解決する能力を
人生のなかで十分高める事ができたかどうかに関わっているのだろうと
思っています。
SQを高めて行くことが、自分を個性的な人生へと導き、天職と出会わさせるのだと感じるからです。

SQとは、
広い豊かな視野に立ち、自分の行動や人生に意味を見出す能力のことです。
数あるなかから、より意味のある行動路線や
人生の道を選ぶための能力です。

『SQ 魂の知能指数』ダナー・ゾーハー イアン・マーシャル 徳間書店
によると…

IQなら、コンピューターも高いです。
EQ(こころの知能指数)は、動物達も高いです。周囲の状況を察知する能力にたけ、過たずにそのルールに従うことができるのです。
しかし、コンピューターも動物も、
なぜそのルールがあるのかも、なぜそういう状況になっているかも
問うことがありません。

SQを持っている人間は、ルールや状況を変えることができます。
限界と遊び、識別し、道徳観を持ち、厳しいルールを理解と同情で
やわらげることができます。
同情や理解が限界に達したら、限界だと悟る事ができます。


IQは、脳内の「直列的な神経配線」にもとづいているそうです。
EQは、「連想を引き起こす神経配線」にもとづいているそうです。

SQは、脳全体のデーターを統一する神経の共振にもとづいているそうです。


「天才」という言葉から、ずいぶん脱線していますが…

SQテスト
★柔軟である能力(積極的かつ自発的に適応できる能力)
★高度な自己認識
★苦しみに立ち向かい、苦しみを利用する能力
★苦しみに立ち向かい、苦しみを乗り越える能力
★夢や価値に触発される資質
★不必要な危害を他人に加えたくないという気持ち
★多岐にわたるものごとのあいだに関連性を見る傾向
★「なぜ?」とか「もし何々だったらどうなる?」という質問をし、
★゛根源的な”答をもとめる顕著な傾向
★心理学者が、゛場独立性”と呼ぶものであること。つまり、因習に逆らう器量を持っていること。

↑のテストがたくさん当てはまるというSQの高い人は
世間の評価はどうであれ「天才」と言えるのかも知れません。


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「天才」という言葉、日本ではタブーのように扱われている部分がありますね。

「英才」や「秀才」や「できる子」は目指せるし作れるけれど、
「天才」は生まれつきのもの
誰もが目指してはいけないもの
子どもが天才であってほしいと願うなんて、ずうずうしいにもほどがある……

そんな声をたびたび耳にします。

でも、私は、英才とか秀才とかできる子って言う言葉が、
あんまり好きではないんですよね。
受験戦争や競争社会という小さな枠のなかで
勝ち抜いていけるか……ていう
大人側からの期待や願望から生まれているような気がするからです。

そして「天才」は……というと、レオナルド・ダ・ウ゛ィンチとかアインシュタインのように、
学ぶことを愛してやまず
人生を自分の思うままに生き抜いたイメージ

が、大らか~で好きなんですよ。

「天才」とは、一般常識や他人の期待に振り回されずに、
「自分」の興味と夢を満喫して生きられる人でしょうし
幸運にも「天職」と呼べる仕事と出会えた人なのでしょう。

私は周囲に認められるか、
その時代から「天才」という言葉を授けられるかは別にして、
出会う全ての子どもたちには どの子にも天才のようにいきいきと生きいって欲しいなぁと思っています。あくまでも願望ですが……。

天才という言葉に過剰反応する方を時折り見かけるのですが、
そうした方々は、
天才と呼ばれた過去の人物の型破りな生き方や、
天才であっても多くの欠点を抱えたひとりの人であった事実を、
勝手に自分のイメージで脚色しているように感じます。

キュリー夫人やヘレンケラーやライト兄弟の一生などを
自分の人生に重ねて、その簡単にあきらめないねばり強さや
どんな境遇でも学び続ける強さなどは無視して、

天才と言われる人が何したこれした~と自分より
下だと思って安心できるゴシップ的な話題ばかり集めてきて、
天才は~~と愚痴ばかりこぼすのをよく聞きますから。

天才とは、ひとつのことを伸ばすために、他の価値観を捨てていく生き方だという捉え方は、
オリンピックなどの世界で「人工的に天才を作ろう」と無理する場合に
親のエゴが生む考えを指していて、
実際の「天才」という言葉とは線引きしなくてはならないものだと思います。

私はこれまで「天才」とたたえられた人々は、『自分の境遇』

つまり能力、強み、環境などの『自分がもっているもの』を、
自分の力で(親に作ってもらうのでなく)
最大限に生かそうとし続けることができた人なのだと思っています。

例えば、みんなが良い大学を目指すことを教育の目標にしたとすると、
頭脳活動に向いた遺伝子を受け継いだ子や
コツコツがんばる学習欲を強みとする子が有利ですよね。
おまけに経済的にめぐまれていて、
他より早くから競争をはじめ、他の子よりたくさん学習し、
他の子より寄り道せず、他の子より学習だけに専念し、より有利な受験アドバイスをもらい、それに逆らわず、スムーズに受験をし終えればそれは可能なのでしょう。

でも、現実には、努力家なんだけど、考えるのが苦手とか、
頭はいいんだけど、コツコツすることができないとか、
能力は申し分ないけど経済的に恵まれないとか……だれもが
完璧な境遇ではないわけです。

そこで、途中までは、がんばったけど、勝ち組になれないから、
もういいや~って、自分を高めることも、勉強することも、
放り投げてしまうか、

それでも自分の境遇の中でベストをつくしていくか、

に分かれると思います。

これまで天才と呼ばれてきた人は、どんな境遇でも、自分の手札が最悪でも、
自分を見捨てず、あきらめず、育て続けた人です。
ヘレンケラーなんて三重苦です。
それでも自分の可能性を追求し続けたところがすばらしいのだと思います。

一般の人だと、ちょっと他より記憶力が悪いとか、
ちょっと小学校の学習でみんなより出遅れたとかで、自分をあきらめてしまいがちです。
でも天才として名を残した人は、
欠点を抱えたまま、自分の強みを追い続ける強さを持っていたのでしょう。

そうしてその人にスポットライトがあたったとき、
「天才って、ひとつの能力だけ伸ばすために、弱点を克服することを犠牲にしてきた人でしょう?」と簡単に結論づけてしまいがちです。
でも、実際には、
「もともとハンディキャップを持っていて、それにもかかわらず、自分を精一杯生かしてきた……。
けれども、やっぱりハンディーはハンディーとして
成功しても残っている」
そうしたナチュラルな人なのだろうと感じています。

だいたい、秀才を育てるとか、英才を育てるとか、天才を育てるとか、
まるで、ロボットの人工知能を操作するように
大人が子どもを自分の思う何かに作り上げようとすること自体に
疑問があるのです。

天才の話にしても、生きた先輩たちの道から、
大人も子どもも気づきや感動を得るなら良いのですが、
それを勝手にメソッドにして、「天才作り」を目指しちゃうと
間違った方向に行ってしまうのでしょうね。

「天才」の話ついでに……
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『アインシュタインファクター』
ウィン・ウェインガー リチャード・ポー共著
                          きこ書房
の中にこんな話が載っていました。
精神科医のアーネスト・ハートマンは、
「怖い夢」を見やすい人がいる原因に興味を持ちました。
そうした100名を調査したところ、
共通の特徴があることがわかりました。
それは非常に現実味を帯びた夢を見る人は、見た夢をはるかによく覚えているということです。
また『自由でコースをはずれた』と見える思考モードを使い、
2,3歳の頃のことをはっきり記憶しており、ほとんどが、
ミュージシャンや画家、作家などクリエイティブな職業についていたそうです。

ハートマンは1992年に書いた著書の中で、
悪夢を見がちな人は『薄い境界線』をもっている。
つまり人間関係や外的な刺激に対して、並外れた敏感さをもっているという結論をくだしています。


この話を読んで、教室の数名の生徒の姿が浮かびました。怖い夢を見るかはさだかでないけれど、
ショッキングな画像や話に強い拒絶反応をしるす子ら
(地震や忍者の武器程度の絵本の場面でも嫌がるので見せていません)が、
同時に、水彩絵の具で絵を描くことや、
質の良い積み木で製作することに
強い興味をしるすことが多いのです。

子どもは大人よりも感受性が強いです。
臆病で傷付きやすい反面、
美しさや不思議さを敏感にキャッチする感性ももっているのです。
こうした子どもの感受性は、美や知識に対するオープンな態度と、
ときに並外れた学習効果を達成する要因なのだそうです。

フロイトは『自我境界線』という言葉を最初に提唱しました。
外部からの脅迫や抑制された記憶から壊れやすいセルフイメージを守る精神的バリヤーを意味します。

この心の境界線は、適切な部分ごとにいろいろな機能をロックすることで、
脳本来の正常な働きを保護していると
フロイトは信じています。
このような境界線がないと、コンピューターのパワーサージ状態のように
パンクしてしまうかもしれないのです。

ハートマンによると、子どものころは誰でも、程度の差こそあれ、薄い境界線をもっているそうです。年を重ねるにつれて、自分を傷つける刺激から守ろうと、境界線は厚くなっていきます。

成人の境界線のほとんどは、敏感でも無感覚でもなく、中間の社会に適応するのに理想的な状態であると言えるそうです。
一方、それはアイデアを素直に吸収したり、
加速学習をするにおいては、あまり好ましくありません。

一般的に薄い境界線を持つ人は、
突然、自分の中から湧き上がる鋭い洞察や
潜在意識からのメッセージを素直にキャッチしやすいようです。
痛みや混乱から守ってくれる回路ブレーカーは、
すばらしい想像力の流れを止めてしまいます。

つまり、かなり薄くて浸透性のある境界線こそが、
天才を作り上げる重要な要因と言えるそうです。
なぜなら、天才的能力というものは視覚や聴覚、考えや記憶などあらゆる知覚を同時に働かすことから生まれるからです。
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少し前の記事で紹介した『ハイコンセプト』の著書に、
自分が「左脳型」なら突拍子もない発想をする右脳型の人と対話し、「右脳型」なら、論理的で分析的な「左脳型」の人と会話を繰り返すことの大切さが力説してありました。
自分の脳にそうして常に刺激を与える癖をつけることが、これからの世の中で成功を勝ち取るためのカギとなるそうです。

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