虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

幼児期の子育ての大切なポイント

2011-02-17 11:41:29 | 幼児教育の基本
過去記事から幼い子向けの記事をいくつかピックアップしました。

<子どもの中の「自然」が 見えない 愛せない>

☆ちゃんは、リズムのあるゆったりした暮らしと、
広々とした自然公園で時間を忘れて遊ぶことを繰り返しながらこれまで成長してきました。
虹色教室のレッスンには、1歳代から月1回通ってくれています。

3歳になって、自分の中で「こんなことがやりたい!」「こんなものが作りたい!」とイメージし、それに必要な材料を集めて、実行していく力が
目覚しく発達しました。(仲良しで同じような遊び方をしている★ちゃんも、そうした力がすばらしくのびています)
それこそ、この企画し、想像し、準備し、実現する能力に関しては
小学生も大人もなかなかかなわないほどなのです。

とにかくエネルギーが強い子なので、
2歳のころはおともだちとの喧嘩や物の取り合いもかんしゃくもすざまじい
ものがあったのですが、
そうした成長過程のすべてをお母さんといっしょに大切に見守ってきました。

3歳を過ぎてからはそれが創造性と
強い好奇心へと変化していきました。
虹色教室で忍者の勉強をしたあと、
寝ても冷めても忍者になって暮らし、
地図を学んだあとは、自作の地図をたくさんこしらえたあとで、
ぼくらの地図旅行という小学校高学年向けの絵本を隅々まで読むほどの
熱中ぶりでした。
人の身体を学んだあと、化石と身体の話に熱中し、
じしゃくで遊んだあとは、一日中、じしゃくでつくものとつかないものを調べていました。

☆ちゃんのお母さんは、☆ちゃんのお友だちとお母さんを
自然公園に誘うと、
ショッピングセンターも物も刺激もなにもない「自然」のなかで、
何も楽しめない、
何をしたらよいのかわからない、
どこが面白いのかわからない、
自然からなにも引き出せない
という方が多い……(子どもはいつのまにか上手に遊びだします)
というお話をうかがいました。

自然のそのままのよさを見出せない、感じれない
ということは、

「自然」のひとつである「子ども」の本来の良さや面白さを感じられない
ことにもつながってきます。
ただゆっくりと子どもが幸せそうにしていることの
価値が感じられず、

子どもの心の変化や望みや考え、想像の世界、愛情、感情

が大人に伝わらず、

何かさせよう、目に見える何かをマスターさせよう、子どもの時間を有意義で刺激的で効率的なものにしようとあせってしまいます。

そのため、
2歳、3歳で生まれてくるその子の「個性の中心」「意識の中心」が、
ワガママとも見えるエネルギーの爆発を起しながら
だんだん目覚めてきて
自分らしく成長していくのを壊してしまいます。

親のちっちゃなコピーを作ろうと努力しすぎてしまうのです。

子どもは、際限なく広くて奥深くて全てを含んでいる「自然」の姿と
同じ種類のものです。
生命であって、人間だからです。
けっして、良い行為をインプットしながら大人がこしらえていく
ロボットではないのです。
結婚したとたん、お姑さんから「嫁」として、評価されたり、「良い嫁」を他の人と競わされたり、「嫁教育」という働きかけだけで、接しられると、
がんばれないし、幸せに生きられないですよね。

それぞれの人が「自分」という意識の中心を持っているのですから、
他の人にいつもいつも心をいじられていると、
自分を否定する気持ちしか持てなくなってしまうのです。

☆ちゃんは、ただただ自分のしたいことを、寝ても冷めても追いかけ続ける
自由な時間の流れの中で、
個性的で利発で、しっかりとした自分の言葉と考えを持った子へと
成長しつつあります。
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↑の記事にあった
「『大切に見守る』具体的な方法を教えてください」
という質問をいただいています。

この大切に見守る……というのは、その月齢のその時期の課題(人生の危機)を頭において、
親の心がぶれて間違った方向に暴走しないように
(自分の心を)見守る
という意味が強いかもしれません。

削除してしまった記事の話題で悪いのですが、
3~5歳の人生の危機は、自主性と罪悪感でした。

1歳は、信頼と   不信
2歳は、自律性と  羞恥と疑惑
が、エリクソンによる人生の危機とされるテーマです。

1歳のテーマの信頼と不信は、
好ましい結果として、周囲と未来への信頼を得ます。
失敗すれば、未来への恐れや疑いに結びつきます。

現代の1歳児の様子を見ていると、ベビーカーや電化製品、便利グッズ……
お母さん同士のつきあい 住宅事情で外に出にくい 早期教育 親の不安
などで、

毎日、同じような……安定して心地よくて楽しい雰囲気の刺激の少ない世界で、
いつも大事に扱われて、泣けばあやしてもらえ、いたずらしたいときは存分にできるという 
「1歳児にとって、未来が明るく感じられる」状況から、かなりずれてしまう場合もあります。

0歳児や1歳児は、

「後で貸して貰おうね」と諭しても理解(納得)出来ず大声で泣き喚き、「お友達が使っているからダメよ」と怒っても大声で泣き喚く

といった状況になっても、

それは子どもの問題ではなくて、環境側を少し整えてあげればすむ問題です。

まだ物の貸し借りを理解する成長段階に至っていないからです。
取り合いになったら、だっこして、その場から少し離れて
あやしてあげればいいですね。
教え込もうとしたり、親が子どもの様子を恥ずかしく感じたりすると、
この時期の子の心に影を落とすように感じます。
この時期、ママはひたすら守って愛してくれる存在で、
十分だからです。

2歳の自律性と 羞恥と疑惑 の時期に

好ましい結果を得ると、
自分を制する能力と、自分で選ぶ能力。
強い意志、自尊心。自己管理意識。自己評価の意識
を得るといわれています。

好ましくない結果になると、
自己管理意識の欠如。外からの過剰な管理。
その結果、何かしたいと思うことも実行することも恥ずかしく思い、
自分には何もできないと思う傾向がでてくるようです。

私がよく「大切に見守る」という言葉を使っているのは、
この時期のテーマを良い方向に導くためのコツといえます。

エリクソンによると、人間は途中で出会う障害を乗り越えて成長するそうです。
成長の段階ごとにある障害をうまく乗り越えることができたら、
さらに強くなって次の段階にすすめ、乗り越えられないと、未解決のままその問題にとりつかれて
発達がとまるのだとか……。

教室で様々な子どもと会うとき、
2歳の段階の『自律性と 羞恥と疑惑』の問題にとりつかれて、
ある部分の成長がとまっているかのように
見える4歳、5歳の子がいます。

この問題は、発達障がいの子に ともなうことというより
優秀に見える大人から見た「良い子」や、ごくごく一般的な子にも
よくあります。

特徴としては、
何かしたいと思うことが極端に少ない、できるはずのこともする前からできないと思う、ぐずぐずくねくねして何かするのをためらう、
自分のことなのに、どこか他人事のよう、
すぐに「お母さんが……」と言う。

先ほどの繰り返しになりますが、
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2歳の自律性と 羞恥と疑惑 の時期に

好ましい結果を得ると、
自分を制する能力と、自分で選ぶ能力。
強い意志、自尊心。自己管理意識。自己評価の意識
を得るといわれています。

好ましくない結果になると、
自己管理意識の欠如。外からの過剰な管理。
その結果、何かしたいと思うことも実行することも恥ずかしく思い、
自分には何もできないと思う傾向がでてきます。
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この時期に、きちんと障害を乗り越えてすすむには
どうすればよいのでしょうか?

夢のようにぼんやりしていた赤ちゃん時期の意識の状態から、
自分の自我が芽生え、
意識の新しい中心が自分のなかに生まれはじめる時期。
表現できないような激しい感情の体験や
自分でも何が起こっているのかわからない混乱が
毎日続きます。

親の仕事は、この変わり目がどんなに大変で、
いかにイライラするものかわかってあげる必要があります。
また、大人に反抗したり、何かにこだわったりすることで、
子どもは自分をさまざまなものから遠ざけ隔てなくてはなりません。
それがこの時期のお仕事です。

自分のアイデンティテーを見つけるために、
いつでもママの言うことに「はい」としたがっていると
ダメだからです。
自意識の発達の上で、非常に大切な時期が、2歳後半~3歳~で、
この時期の子の、はじめての全身でがんばるお仕事を
見守ってあげなくてはなりません。

言いなりになるのでもなく、困り果てるのでもなく、
この時期の子を陰で支援しながら、一方できちんと向き合っていく
そうした地に足のついた親の姿が求められます。


専門家は、
早期教育や高価な運動器具が無駄や失敗に終わる理由として、
子ども本人より、大人が子どもが何をすべきで、何を学ぶべきで、筋肉のどこを動かせば発達するのか知っているかのような
『錯覚』を起すからだ、
と指摘しています。
子どもは自然なもっとも効率的な内部のプログラミングのもとで、
成長していきます。
親の仕事は、それをじゃませず、
そうした仕事がおこないやすいように環境をととのえてあげることなのです。

写真は、1歳から虹色教室に通ってくれている男の子と女の子のふたごちゃんです。
男の子はおっとりしておとなしく、絵本を見たり、教具で遊ぶことが好きです。
女の子は活発で、よく笑い、よく怒り、男の子のおもちゃをすぐに取り上げたり、
かんしゃくを爆発させる姿が目立ちました。

親御さんと、ひとりひとりの性質をとてもよいもの、
大事なものとして理解し、
ものの取り合いなどに発展しても、
片方を悪い子と決め付けるようなことがないように、
また、極端にトラブルを避けてしまうこともないように接してきました。
また、子どもの気持ちに配慮して、良い悪いを決め付ける
ないようにしてきました。
すると、2歳9ヶ月になったレッスン日、
男の子が読んでいる歌が流れる絵本が欲しくて
「ちょうだい!」と地団駄をふみかけた女の子が、こぶしをにぎりつつも、
自分で自分の荒くなった呼吸をしずめて、
「かしてね」と言って長い時間待っていました。
かさない!という強いかまえだった男の子も、女の子がしずまるにつれて、
少し遊んで「はい、どうぞ」と本を差し出しました。

これまで、「かしてあげなさい!」「取っちゃダメ」といった大人の指示で
この子たちを動かさないようにしてきました。

自分の気持ちが確かめられるまで
ゆっくり待ってあげていたのです。
そのときの答えが「かせない」なら、「かしたくないんだって……」と説明して、かしてもらいたかった悲しい気持ちにゆっくり寄り添うようにしてきました。
見守るとは、子どもが自分で自分の感情を味わったり、判断するのを
時間がかかっても待ってあげることです。
すぐに、その日に良い結果を出そうとあせらないことです。

そのため、片方の子がいつも損しているようにも
見えたのですが……
時期がくると、お互いにもっとも良い関係に
自ら気づくことができるのですね。

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