(↑年中のAくんの作った絵本です。絵とストーリーはAくん。文字はお母さん)
この土、日、月の間に、レッスンに来ている子たちの劇的な成長を感じることが
重なりました。
そうした子の多くは、他の同年代の子に比べて、
ちょっとしたやりすぎ行き過ぎが目だっていた子なんです。
「さあ、勉強の時間です」と告げて、気持ちを切り替えさせるということに、
小学校の中学年を超えるまでかかっていた子たちです。
その子たちが、非常に高い知的な能力を発揮しだしただけでなく
精神的にも制御のきくしっかりした子に成長してきたことで、
親御さんたちが非常に喜んでおられました。
そこで親御さんたちと、何がこの子たちをこれほど成長させたのか、
という話になりました。
その子たちの出した成果に関しては、持って生まれた能力ということもある思います。
また親御さんが子どもがその子のペースで成長していく間、
自己肯定感を下げないよう教室と協力して親の心を調整してきたこともあるはずです。
でもそれとは別に、そうしたタイプの子たちのこんな一面も成長の追い風と
なったのではないかと感じています。
それについて書く前にちょっと脱線させてください。
私事ですが、私が物語を書いていることは何度か書かせていただきました。
実は若い頃から小説家志望だったため、自分なりに一生懸命、
章修行に励んでいたものの、
長い間、なかなか最後まで物語を書ききることができずにいました。
それが最近になってスムーズに書き進めて、自分の書きたい物語を
最後まで仕上げることができるようになってきました。
単純に力がついてきたのもあるのですが、思うように書いていけるように
なったのは、これのおかげかな、と思いあたることがひとつあるのです。
直観的にひらめくのは得意でもじっくりねばり強く考え抜くのは苦手な私は、
もともとは自力で難しい課題を突破できないところがあるんです。
でも、だからといって難しい局面を避けていては、
長編の小説を書くことなど不可能です。
それで、物語を書いていく時、私は今書いている原稿について、
自分の思考が行き詰まるところを目指して、考えられるところの
境界線ぎりぎりまで行って、
そこでどんなことについて自分は答えがでないで困っているのか、
自分の思考の先端までいって確認したら、それで眠るんです。
すると、朝になると、自分でも思いつかない最適な答えや
新しいアイデアが浮かぶんです。
考えを練って苦しむということはないんですが、
必ずといっていいほど、考えあぐねるよりはいい答えを得ます。
この頃は浮かぶ解が鮮明になり、質が向上し、
気づきを得るのも早くなったと感じます。
こうしたイメージ世界で行き止まりまで行く作業は、
子どもの問題を相談されたり、他の生活上の問題を考えたりする時もしていて、
そこで得られた答えは、意識の中でわたしが考えあぐねて
出した方法による結果より
ずっとうまくいくと感じています。
この話、先ほどのちょっと難しい子たちが劇的に成長していく姿と
とどこか重なるところがあります。
日常のさまざまな場面で一筋縄でいかないというのは、
それはしばしば大人の管理からのはみだし、抵抗、衝突を生んだり、
シンプルな大人がしくレールからの脱線、停滞を生み続けるタイプのことです。
そうした子らというのは、見方を変えると、
私がイメージの世界でしている「自分のできることの先端まで、
境界線のところまで行く」
という行為をいろいろな場面で試してみる子でもあるんです。
そうした子らと関わる時、わたしは自由を許し、
自由が暴走する手前で叱る、余白を作り、
余白の中で迷いや混乱に呑み込まれる前に創造の波に乗せる、
自分を外で出し切らせることで、外から伝えたいことをその子に届ける、
そうしたやりとりを続けます。
その難所で長い間、停滞するもので、周囲に余裕がなかったり
不安が強かったりすると、子どもの自己肯定感がとことんダメになるまで
追い詰めてしまいがちですが、
少し気を楽にして、他の子と同じように成長させよう、
すぐに問題を解決しよう
とせずに、子どもがさまざまな場面でぶつかる問題の前で、いっしょに
会話したり慰めたり叱ったり、ていねいに教えたりして足踏みします。
そして、実際にその問題を何とかしようとして手を尽くすのではなく、
ちょっと寄り道して、
また子どもの好奇心のアンテナが立った方向に、結果を気にせず行ってみる、
親子関係がよりよいものになるように調整する、ということをしていると、
ある一定の時間が経つと、不思議なほど問題が解決していることに気づくのです。
この子って天才だろうか、この子にこんなすごい潜在力が隠れていたのかと
目を見張るような成長があるのです。
何を書きたかったのかというと、成長過程に難しさを持つ子、
できるできないにばらつきを持ちつつ育っていく子が、
どこもかしこも四面楚歌のように、
行きついた果てで行き止まりにぶつかっているように見える時も、
それは現状の最適でないことすべての先端までいききったうえで、
それらすべてを解決するより大きな成長を成し遂げることがあるな、
ということなんです。
環境に適応しやすい子たちが、大人の求めるものを早くから発達させる傍ら、
環境への適応が難しい子たちは、経験であれ、感情であれ、
探索活動であれ、試行錯誤であれ、
想像であれ、失敗であれ、とにかくしつこく行きつくところまで行って
境界線上でちょっとした嵐を巻き起こしているんですから、
いったんそれらが収束するなり統合するなりすると、
思いがけない価値が生み出される、
とも感じているんです。
↑ 薬の容器の中に色水を作りました。