虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

「親ができるのは『ほんの少しばかり』のこと」という本

2020-01-26 08:29:17 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

「親ができるのは『ほんの少しばかり』のこと」
山田太一  PHP研究所

という本を読みました。

まえがきに次のような文章が綴られていました。

「うまれて来る子の性別も選べない。容姿も頭のよさも性格も健康も、あるがままに受けとめるしかない。

その上で『親ができること』をさぐりさぐり、
なんとか一緒に生きて行く。

その一緒の歳月では無論、親は子供に影響をあたえるけれど、その影響の大半は意識的な『子育て』によるものではなく、親の『存在』が避けようもなく
あたえてしまう影響だというように思います。

いくら『教育方針』などというものを持って教育に励んでも、結局その親の器量以上のものを、子供に伝えることはできない。

ほうっておく親とそれほど大差はないどころか、ほうっておいた親の方が
『よき影響』をあたえてしまうというようなことが、
いくらでもあるのが子供と親との関係だと感じています。」


「うまれて来たときから、子供は他ならない『その子』です。
他の子と交換可能な個性のない存在ではありません。(略)

親ができることは『ほんの少しばかりのこと』です。親の力の限界を知り、
その中でどう生きるかというのが、子供との関係の基本だと思います。」


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子供は個性をもってうまれてくる存在だから、
どこまで行っても、その子はその子。

子供には親の持っている以上のものを伝えることはできない。

そうした言葉を目にすると、
がっくりして、子育てに励む気力が失せる方がいるかもしれません。
一方で、「そんなネガティブな意見は信じない、親の努力次第で子供の将来は豊かになっていくはずだ」と憤慨する方がいるかもしれません。

私は、たくさんの子供に会えば会うほど、
「確かに子供は、交換可能な個性のない存在ではないな」と感じています。

0歳児でも、はっきりとした
どの子とも交換することができない個性を放っていますから。

それなら、「いくら『教育方針』などというものを持って教育に励んでも、結局その親の器量以上のものを、子供に伝えることはできない。」という
考えに対してどんな思いを抱いたのかというと、
「それは真実なのだろうな。
子供をこれこれこういう風に育てたいと思ってがんばっても、
何もしない方が良い結果が待っているのかもしれない。

でも、親が子供との関わりの中で、自分の視野を広げ、
人への理解を深めて、学ぶことへの愛情に目覚めていくなら……
そうして自分自身の器量を大きく育てていくなら、
自分があたえることができる最上のものを伝えていくことができるだろう」
というものでした。


虹色教室で期待通りに成長してくれない子にやきもきして、
悩んだり、叱ったり、あれもこれもといろいろなことを試したり、
イライラしたり、愚痴をこぼしたりしていた親御さんが……

(たいていの場合、親御さんが困惑するのも、ごもっとも……と思われる
子供のやる気のなさや頑固さや困ったちゃんぶりがあるものですが)

この子は、こういう子なんだなとあるがままに納得するときがあります。


その上で、「気持ちが優しいし、素直な性格だ」「こういうときは、きちんとしている」「ユーモアがあって、明るい」などと、子どもの良い面を見つけて、
自立をうながしながら、適度に手助けしはじめる方がいるのです。

すると、それまでダラダラ~グタグタ~していた子が、突然、意欲的にがんばりだすことがあります。

いきなり良い成績を取り出すまでにはならなくても、
その子の個性的なすばらしさが輝き出して、子供のグループの中でも
一目置かれる存在になりはじめることがあるのです。


「親ができるのは『ほんの少しばかり』のこと」の中で
山田太一氏が、次のように書いておられました。

「歩き出したら、片時も目をはなせない。そんな厄介な存在と暮らして
幸福感があるのが不思議でした。
勿論、うんざりして、いなくなってくれないかな、と願ったことも
何十回かはありましたが、何十回ぐらいですんだのは、
子供の可愛さでした。
子供の可愛いのには、何千回も感嘆しました。
すべてが小さくて、しかしぜんぶそなわっていて、無力すぎる故に
抗しがたくて、
ほんとうに生物というものはよくできている、
ちゃんと親の苦労にむくいるように
子供をこんなに可愛くつくってあるんだ、と見惚れました。」

子供って、生きているだけで、
そこにいるだけで感嘆するほど可愛いものです。
でも、子供に、今この場で、いろんなものを求めてしまったり、
自分の子育てに自信が持てなかったり、
親が自分自身の価値を認めて、自分を大切に扱えないときには
子供を可愛く感じられなくなるかもしれません。


でも、そういうときは、「子供がこんな風にしてくれたら……」とか、
「子供がこんな子だったら……」と思うのでなく、
まず子供を可愛く思えない自分の気持ちを認めて
自分をいたわってあげるといいのかもしれません。

そうして自分に素直に向き合えば、
自分の器量が少しだけ大きくなりますよね。
そうすれば、少し大きくなった器量で、
子供に接することができるでしょうから。

私は前にも書きましたが、ADDの特徴をたくさん持っているので、
調子が良いときに限って、自分でも信じられないようなミスをしがちです。
私が調子が良いときというのは、いろんなことを抱えすぎて、
頭の中がいっぱいいっぱいになっているときでもありますから。

そうしたミスをするたびに、
自分で自分に裏切られたような気持ちになるし、
何をしても無意味だという気持ちに飲み込まれそうにもなります。
でも、私は自分がそういう特徴を持っていなかったら、
もっと子育てで間違った方向に進んでたんじゃないかな
とも感じているんです。
うちの子たちも、遺伝なんでしょうけど、同じような失敗が多い子なので、
小学生くらいの頃は、
「何度言ったらわかるの?」「何回ミスすれば気がすむの?」
と喉元までそんな言葉が上ってくるような失敗をたくさんしていました。

でも、私は責める代わりに、
失敗が続いたとき、「どうしたら自分はダメな人間だとやけを起しそうになるときにも、正直に自分の欠点を見つめて前向きにがんばれるのか」
「どうしたら、何度失敗してもチャレンジし続ける勇気が持てるのか」
を伝えるようにしてきました。

それは私がADDの特徴があるからこそ、何度も何度も、
自分の能力に絶望しながら、
その度に、
何とか気持ちを立て直して、自分にとっての最善をつくす方向に
一歩踏み出そうとしてきたからなのです。
それがどんなに苦しいことが、よくわかっているので、
わが子がつまずいたときには、
子供が自分で問題を見つめて、欠点を乗り越えていくまで
大らかに待ってあげることができました。

それで、私の子にすれば、同じ年齢のころの私よりずいぶんしっかりしているし、それぞれの子が何にひるむことなく
自分の可能性を広げ続けることに一生懸命なので、
うれしく感じています。


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1 コメント

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Unknown (ぽん)
2020-03-14 15:51:33
先生、いつも素敵な記事をありがとうございます。
私は約7~8年前の夏、子供が3歳の時に新大阪のユースホステルレッスンに参加させて頂いたものです。
今回の記事に0歳児でも個性があるとのくだり、身に染みます。
子供が丁度自閉症の診断を受け、将来一人で歩けるようにするためにともがいていた時期にこのブログに出会い、レッスンを受けれる幸運に恵まれ、直にアドバイス頂いたことが子供の今を作って下さったと感謝の気持ちでいっぱいです。
先生のアドバイスのお陰で周りから「しっかりした子」などと言われることが多く、診断を受けたなど誰も気付かないレベルになりました。
本当にありがとうございました。
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