過去記事を紹介します。
「頭もいいし、集団行動はとれるし、聞き分けはいいし……」と
申し分のない良い子だった子たちが、
小学校の2、3年生になると、度を過ぎたおふざけをしたり、
2,3歳児のようなわがままを言ったり、口が悪くなったり、
友だちと言い争うようになったりするときがあります。
しょっちゅう感情を爆発させたり、指示に従わずにぐずぐずするようになることも
あります。
2、3歳の頃に反抗することがなかった女の子に多いように思います。
厳しく叱ったほうがいいのか、ストレスだろうと大目に見たほうがいいのか、
放っておくとエスカレートするのか、わかるまで言い聞かせたらよいのか
親御さんは迷うところだと思います。
身近にいるお友だちの影響かと心配になるかもしれません。
幼児期に「いやだ、私はこうしたい」とか「私はそっちじゃなくて、こっちが好き」
「お母さんが決めないで!お父さんが決めないで」「私のだから貸したくない」
「弟(妹)みたいに甘えたい。わがままが言いたい。弟(妹)ばかりずるい」
「腹が立つから誰かに当たりたい」「今日は、それがしたくない」
といった気持ちを感じても、とてもおりこうで従順で、
無意識のうちに大人の意のままに動いて自分の感情を表現しそびれてきた子に
よく起こるようです。
そうした突然プチ反抗をしはじめる良い子たちと接していて思うのは、
親御さんが愛情深くて、共感的で、親として心が安定していて、
子どもが「自分の負の面を表現して、幼児期にやり残した仕事をしても大丈夫だ」
と安心できている場合、
小学生のこの時期に困ったちゃんになっているなということです。
幼い頃から親の手をわずらわせてきた育てにくい子たちは、
小学2、3年生になる時期にずいぶん落ち着いてきます。
(叱られたり、責められたりして2次障害を起している子は別です)
また、親が精神的に不安定で、
子どもに過剰な期待をかけてがんじがらめにしていたり、
家族の仲が悪くて子どもが良い子でなければ家庭が壊れてしまうような
雰囲気だったりすれば、
子どもはそれまでやり残した問題を思春期や青年期に先送りして、
小学生の間、ずっと良い子を続けるかもしれません。
親が優しく接しているのに、子どもが度を越したわがままやおふざけを繰り返すとき、
「甘やかしているからこんな行動にでるのだろうか?
厳しくした方がいいのか……無視して、わからせた方がいいのか……。」と悩んだり、
「このまま、どんどん悪さがエスカレートしたらどうしよう?」
という不安に囚われるかもしれません。
でも、人間は、小学生の1時期の行動を、高圧的に修正しておかなかったから、
それがずっと続く……などという単純な生き物じゃありません。
特に、それまで親に反抗らしい反抗をしなかったような良い子が一時期、
別の一面を表現してみたところで、少しすれば、
「極端に他人に合わせたり、顔色をうかがう癖を手放しただけの成長した良い子」
になるだけです。
おろおろして言いなりになったり、叱らずに放っておいたりしてはいけませんが、
頭ごなしに押さえつけたり、冷たい言葉を投げつけたり、
ルールが厳しい子どもの反抗を受け付けないような塾や習い事の力を借りたり
するのは、ご法度だと感じています。
良い子だった子が困った行動をくりかえす時、
それは確かに「度を越している」などの理由で、
その場にそぐわないことではあっても、
その子のそれまで表現してこなかった魅力的な一面を含んでいる場合がよくあります。
口答えからは、勇気があって自己主張がしっかりできる自立した性質が
顔をのぞかせているかもしれませんし、
おふざけからは、ユーモアがあって周りを楽しませる社交的な一面が見えるかも
しれません。
ぐずぐずするのは、自由に自分の心や身体を休めたり、
想像力を羽ばたかせたりする時間の大切さがわかっているからともいえます。
それまで表現しなかっただけに、
幼稚なわがままに見える表現方法にはなっているけれど、
外に出しながら洗練させていけば、
かけがえのないその子の魅力となっていく可能性が大きいのです。
ですから、叱るときは叱り、きちんと限界を設けながらも、むやみに心を傷つけたり、
将来を不安がったりする必要は全くないと思います。
医学博士のディーパック・チョプラ
(『タイム』誌の今世紀を代表する100人に選ばれた人物)と、
シャドウを研究した第一人者で、世界的賞賛を受けているティーチャーの
デビー・フォードと、
マリアンウィリアムソン(『ニューズウィーク』誌の最も大きな影響力を持つ
ベビーブーム世代50人に選ばれた人物)が、
『シャドウ・エフェクト』というとても興味深い共著を出版ています。
その著書の中に、次のような一文があります。
「論理的思考がまだ十分に育っておらず、両親や祖父母から受け取ったメッセージを
自分のフィルターにかけられない幼児期に、シャドウという人の影の部分が生まれる」
自我が確立されていない子どもは、
「おまえは、ここが悪い、あそこがよくない」というメッセージを受け取り、
罪悪感や恥辱感を覚えたり、
「大声で騒ぐな」などの注意を受けた場合、
「恥ずかしがりもせずに、自己表現するのは悪いことだ。」と解釈したり、
小学校で、発表して同級生に笑われた場合、「馬鹿にされた。二度と、積極的に
出るのはやめよう」と受け取ってしまうことがあるのです。
否定的なメッセージは、自分自身に対する考え方を変え、
「これは絶対に受け入れられないだろう」と思う、自らの個性の一部を完全に隠して
しまうことになるそうです。
『シャドウ・エフェクト』 (VOICE)の一部を紹介します。
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……ひとたびシャドウが生まれると、私たちの自己表現は押し殺され、
他人の目を意識したいびつなものになってしまいます。
それは大きくなるにつてて、両親や教師、友人、そして社会から
「愛と承認を勝ち取るためには、すでに用意された脚本にしたがわなければ
ならない」と教えられるからです。
さらに学校へ通う年頃になると、私たちは「こういう行動をとれば嫌われる」
「批判される」「拒絶される」「悪者扱いされる」というパターンを学ぶ一方、
「こういう行動をとれば褒められる」「賞賛される」「注目を浴びる」という
パターンも会得していきます。
この時点から、もし自分の中に社会基準や自らのエゴの理想と合わない部分があった場合、
私たちはその部分を切り離すようになってきます。
「こうするとと目立ちすぎるから」「愚かだと思われるから」など
あらゆる理由をつけて、自分自身の受け入れがたい側面をことごとく否定するように
なるのです。(略)
私たちがこのアイデンティティを創り出してしまうのは、
自分の不充分さを補う場合もあれば、周囲(両親や友人など)の期待に応えるための
場合もあります。
そのどちらであれ、もしエゴの望みどおりの役割を果たし、本来の役割を排除すれば、
人生は冒険や楽しさとは無縁の、無味乾燥なものになってしまうのです。
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この著書のタイトルである「シャドウ・エフェクト」とは、
人が自らの中に押さえ込んだ影の部分(シャドウ)が、
その人の人生の主導権を握って悪い影響を与えることです。
シャドウは、人を臆病にして、成功の邪魔をするだけでなく、
悪癖や無駄なくりかえしに没頭したりたり、
成功しかけたときに、自己破壊的な言動をとったりするように仕向けます。
もとをたどると、シャドウは決して悪いものではなく
その人の一部であって、才能や能力やユーモアや成功や勇気が隠れている場所です。
長男(小2)は「僕、わかったんだよ!
お母さんが僕に注意したりする事は、大体は大した事じゃないって。だから、もう言わなくていいよ!もうわかってるから」とか
今までは友達との約束やゲームをする時など
「~していい?」とたずねて来ていましたが最近は「~するよ」決断した後の報告のみ。
習い事もグズグズして行かない日が有ったり
今までは私の顔色うかがってたんですね。
急に手元を離れてしまったようで淋しくなってしまう母ですが、よい変化だと信じ、一歩引いた立場で息子を見守って行きたいと思います。
いつもありがとうございます。