前にも書いたように私は自閉症について専門的に学んだ経験がありません。
でも、教室には自閉症スペクトラムの診断を受けている子たちも通っています。
(<自閉症の子 と アフォーダンス ターンテイキング の話1/a>
の続きです。)
虹色教室の活動は 、『アスペルガー症候群・高機能自閉症の人のハローワーク』という著書で
テンプル・グラディンさんらが、自閉症スペクトラムの人がその能力を十分に生かしながら適職を見つけるためのガイドラインとして力説している次の3つのことを支援しやすいものです。
★ 才能を伸ばす
★ 自分の強みをみつける
★ 一番得意なことを仕事に生かす
といっても、自閉症スペクトラムの子は、他人から学ぶことが苦手ですし、
好きなことや強みにつながりそうなこだわりも、
自由にさせていると、感覚遊びに終始してしまいがちです。
そこでさまざまな自閉症関連の本に目を通して、
「後々の問題行動につながりそうなことには慎重に接する」
「理解しやすい提示の仕方をする」といった
関わり方の指針にしています。
ただ、そうした本から得る知識だけでは、障害特性も違う、個性も違う、発達段階も環境もこれまでの経験も違う子に
対応するのはとても難しいです。
そこで私にとって、とても役に立ったのが、
「一般的な赤ちゃんが非言語の世界で身近な大人と交流しながら
言葉や知識を学んでいくプロセス」や
「赤ちゃんが身近な環境のアフォーダンスを利用する姿」
といった子育てや仕事で得た体験にもとづく知識です。
そうした私の中でとても微細な点まで体系化している
言葉のない世界の「人と人」、「人と物」の間で交わされるやりとりは、
自閉症スペクトラムの子の「できる」と「できない」の境界線を見極めて、
越えられそうな課題を用意するのに役立ちました。
たとえば、一般的な赤ちゃんは、おっぱいを飲んでいる最中に、ちょっと休憩して、
お母さんがちょっとゆすったり、愛情を込めてつっつくと、急に思いだしたようにまた飲みはじめます。
休憩ついでに、お母さんの表情をうかがったり、くるんと首をまわして、周囲の様子をうかがったりしますが、
お母さんの自然なサインで、「あっ、そうだった、そうだった。おっぱいを飲んでいるんだった」と察したかのように
再び吸いはじめます。
また、まだねんねの時期の子も、ちょっと頬や手の先などをつっつくと、
たちまち「かわりばんこごっこをしようよ」とでも言いたげな様子で、「あーあー」などの声を出して交互に反応しあうゲームに誘ってきます。
「あーあー」と応えると、手足をばたつかせて、「あーあー」と返し、
こちらも「いないないばぁ」をしたりして積極的にあやしはじめると、
体をねじらせて笑うなどします。
こうしたやりとりがターンテイキングと呼ばれることは、
最近になってしったのですが、
この名前を知らない時期も、自閉症スペクトラムの子たちは、
この交互にやりとりする形が苦手なために、能力があってもできないことが多いんだな、と気になっていました。
何か教えるにしても、理解力が弱くてつまづくのではなく、
この「人と交互に交わすやりとり」がネックになって、
学習がうまく進まないことがたびたびありましたから。
そこで、
「いったいどのあたりから苦手なんだろう」
「何ならできて、何ができないんだろう」
「教えればできそうなことは何だろう」
「どのような形ならできるようになるのだろう」とターンテイキングということを意識して
自閉症スペクトラムの子たちと接するようになりました。
「トントン」と背中などを軽く叩いて、本人のするべきことに気付かせようとすると、
感覚に過敏さや鈍感さがあるために、ビクッとして自分に攻撃をされたかのような構えになったり、
叩かれているのさえ気づかず、それまでの行動を続けていたりして、
そこで、「あっ」とこちらの伝えたい意図を察するのが難しい子が多いのです。
これって、赤ちゃんがおっぱいを飲むのを休むときに、ゆすったりつついたりすると、
「あっ、そうだった」と自分にとって今必要な行動に気づくのと同じような気づきですよね。
この相手からの小さな刺激を受け入れる時点で、
やりとりがプツンと切れてしまうのだとしたら、
自閉症スペクトラムの子たちが、いくら叱られても
「教え教えられる」という関係をうまく築くことができずに困っているのも納得しました。
でも、いっしょに過ごしていると、自閉症スペクトラムの子たちも、
「心地よいと感じて、自分からもフィードバックを返して、
それに応えると、また返ってくる」というやりとりにつながるものがいろいろとあることがわかりました。
体全体でゆっくりギューッと圧迫されて、ギューと押し返すとか、
ブランコに乗ったり、トランポリンではねたりするときには、
いっしょにいる側が、やりとりにつながるように工夫すれば、交互に楽しくやりとりがつながっていくことがあるのです。
また、段ボールの間仕切りに開けた穴を向こうとこちらで覗きこんだり、
積み木やブロックが今にもぐらぐらと倒れそうな瞬間をいっしょに感じあうときには、
あちらがこちらの意図や反応を察して返して、こちらもそれに応じて返すということが
たびたびできました。
ものすごくささいなことなんですが、
そうした小さな突破口のようなものを探し出して、
こうした非言語の世界のやりとりで息を合わせたり、同時に笑ったり、交互に何かすることが
できるようになってくると、
それまでどうしても教えることができなかったようなことが
スムーズにどんどん教えていけるようになることがあります。
会話がでなかった自閉症スペクトラムの子が、おしゃべりを覚えだしたり、
全く遊びが成り立たなかった子が、上手におしゃべりを交わしながら遊べるようになるなど、
それだけが理由で良くなっているのかわかりませんが
急に成長した実感を得たことが何度かあります。
写真は、紙飛行機をくぐらせる輪っかに的を取りつけている★くんです。
★くんは、何かを教えようにも
忙しく動き回るか、一方的にわめき続けるかで、
交互にやりとりすることが
とても難しかった子です。
交互のやりとりの型については、
最初は見えないほどの小さな進歩しかありませんでした。
本人がやりたがる糊や砂といった素材をぐちゃぐちゃ混ぜるとき、
「もっと糊を入れて!」「もっと砂!」といった要求にこちらが応えて、また要求するのを、
次第に、交互に目を見てやりとりする形に変えていき、
だんだん目的や意味のある工作へとつなげていったのです。
工作に2年あまり親しむうちに、
ようやくこちらのお手本を見て、自分でしてみて「これでいい?」とたずねて、また続きを作ると、
それに応じて見本を見ながら作ったり、
地面の下の模型を作るときに、こちらに相談しながら、計画を立てたり、
思うものがなくても癇癪を起さずに納得して、あるもので制作するようになってきました。
自閉症スペクトラムの子の就学準備というと、
字を教えたり、計算を教えたりすることを重視している親御さんもいますが、
工作やブロック制作、日常のごっこ遊び(自閉症スペクトラムの子たちも慣れるとごっこ遊びを好みます)
などの場で、
他人と交互にやりとりする形を覚えたり、相手の話を聞いて、それにフィードバックを返したり、
共同作業ができるようにして
学ぶために必要な型のようなものを身につける支援をすることは
とても大事だと感じています。
一朝一夕には上達しないのですが、
「好き」な活動を繰り返しできるようにして、
その活動のなかで、身近な大人が、知的な向上を目指すだけでなく
そこで交わされる非言語のやりとりを少しずつ向上させるように調整していくと、
子どもの困り感がかなり減ることを実感しています。
アフォーダンスとギブソンについても書かれておられたのですね。生意気なことを書きました。
東京大学情報学環の池上高志先生の joint attention
に関する論文はご存知ですか?