「子どもが自分の期待通り成長してくれない」と不満に感じる親御さんが多い一方、
「親や先生や環境や友だちが、自分の期待した通りに自分を満足させてくれない」という
不満を持つ子どもも、けっこういます。
ほんの少しの時間でも退屈すると、「つまらない」「こんなのいやだ」と文句を言うのです。
「何がしたいの?どんなことをして遊びたいの?」とたずねると、
「どうしてぼくが(私が)そんなこと考えなくちゃならないの?」というびっくりした表情が浮かびます。
大人に「これをしたら?」「あれをしたら?」と勧められて、
「じゃあ、する」と答えるか、
「つまんない、そんなのいや」と答えるという
パターンでしか行動したことがないようなのです。
友だちから遊びに誘われても、その遊びが気にいらなかったときに、
参加しないだけでなく、
それなら……と遊びたい子同士で遊んでいる友だちに、
「そんなのつまらない」と
クレームを言い続けます。
グループレッスンなどで、「つまらない」を連発する子がいる場合、
私は、「ここでは、つまらないと言った子はバツがあるのよ。
一回つまらないというたびに、みんなのために楽しい遊びを1つ考えてもらうわよ」と告げます。
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「子どものあるがままを認める」のが大事、
「子どもの成長について満足していることが大事」と聞くと、
「私は子どもが可愛くてたまらないし、子どもととても仲が良いから、
これでいいんだ~」と感じますよね。
もちろん、誰の子育ても、一生懸命で基本的には、それぞれ良いとも言えるのですが……
たとえ、子どもとの関係が良好で、「子どもが可愛い!」と感じていたとしても、
親が「子どもというお客さん、消費者」を満足させるために、
手を変え品を変え、喜ばそう、楽しまそう、賢くしよう~、教えてわからせようと何かを提供し、
機嫌をうかがい、その反応で一喜一憂しているとすれば、
それは子どもが不幸になるから、やはり問題があると思うのです。
不幸になるというのは、せっかく自分で望み、自分で考え、自分で決めることができる「脳」を持って生まれ、
自分で動かせる「身体」を持っているにもかかわらず、
それらを使って、
自分で自分を喜ばせる方法を、少しも学べなくなるからです。
自分で自分を満足させられないと、
どこにいても、誰といても、つまらないことだらけです。
いつでも不幸です。
「そんな態度を取る子だから、ダメな子」と子どもを評価したり、子どもの姿に不満足をしるしているわけではないのです。
子どもがそうした小さなクレーマーになっているのに気づいたときは、
「それは親が悪い」「そんな子は悪い」と、誰かを非難するのではなく、
大人が子どもの気持ちに過敏に関わりすぎている状態から
一歩退けば良いだけだと思っています。
そうした子のお母さんは、もともと気持ちが優しすぎるほど優しくて、
上手に子育てしている方なんです。
ただ「良すぎるお母さん」から「普通に良いお母さん」に調節すればいい
だけなんです。
子どもは成長し変化していく存在ですから、
親子の関係は、固定された理想の関係などありえなくて、
常に、子どもの姿を見ながら微調整していくのが
自然なあり方ですよね。
ダンスでも踊るように
気楽に微調節できればいいですよね。
web拍手を送る
「親や先生や環境や友だちが、自分の期待した通りに自分を満足させてくれない」という
不満を持つ子どもも、けっこういます。
ほんの少しの時間でも退屈すると、「つまらない」「こんなのいやだ」と文句を言うのです。
「何がしたいの?どんなことをして遊びたいの?」とたずねると、
「どうしてぼくが(私が)そんなこと考えなくちゃならないの?」というびっくりした表情が浮かびます。
大人に「これをしたら?」「あれをしたら?」と勧められて、
「じゃあ、する」と答えるか、
「つまんない、そんなのいや」と答えるという
パターンでしか行動したことがないようなのです。
友だちから遊びに誘われても、その遊びが気にいらなかったときに、
参加しないだけでなく、
それなら……と遊びたい子同士で遊んでいる友だちに、
「そんなのつまらない」と
クレームを言い続けます。
グループレッスンなどで、「つまらない」を連発する子がいる場合、
私は、「ここでは、つまらないと言った子はバツがあるのよ。
一回つまらないというたびに、みんなのために楽しい遊びを1つ考えてもらうわよ」と告げます。
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「子どものあるがままを認める」のが大事、
「子どもの成長について満足していることが大事」と聞くと、
「私は子どもが可愛くてたまらないし、子どもととても仲が良いから、
これでいいんだ~」と感じますよね。
もちろん、誰の子育ても、一生懸命で基本的には、それぞれ良いとも言えるのですが……
たとえ、子どもとの関係が良好で、「子どもが可愛い!」と感じていたとしても、
親が「子どもというお客さん、消費者」を満足させるために、
手を変え品を変え、喜ばそう、楽しまそう、賢くしよう~、教えてわからせようと何かを提供し、
機嫌をうかがい、その反応で一喜一憂しているとすれば、
それは子どもが不幸になるから、やはり問題があると思うのです。
不幸になるというのは、せっかく自分で望み、自分で考え、自分で決めることができる「脳」を持って生まれ、
自分で動かせる「身体」を持っているにもかかわらず、
それらを使って、
自分で自分を喜ばせる方法を、少しも学べなくなるからです。
自分で自分を満足させられないと、
どこにいても、誰といても、つまらないことだらけです。
いつでも不幸です。
「そんな態度を取る子だから、ダメな子」と子どもを評価したり、子どもの姿に不満足をしるしているわけではないのです。
子どもがそうした小さなクレーマーになっているのに気づいたときは、
「それは親が悪い」「そんな子は悪い」と、誰かを非難するのではなく、
大人が子どもの気持ちに過敏に関わりすぎている状態から
一歩退けば良いだけだと思っています。
そうした子のお母さんは、もともと気持ちが優しすぎるほど優しくて、
上手に子育てしている方なんです。
ただ「良すぎるお母さん」から「普通に良いお母さん」に調節すればいい
だけなんです。
子どもは成長し変化していく存在ですから、
親子の関係は、固定された理想の関係などありえなくて、
常に、子どもの姿を見ながら微調整していくのが
自然なあり方ですよね。
ダンスでも踊るように
気楽に微調節できればいいですよね。
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彼女は先生方からも批評されるとおり
「スローなマイペースな子」
ついつい、親の時間軸で行動することや
他の子供より1,2歩出遅れるペースに
イライラ。
今はこうするのよ、こうして!みんなをみて!
さぁ!しっかり!
私があと1,2歩さがってゆっくり見守らなければいけませんね。
その理由は,幼稚園でやる工作でも踊りでも「先生が決めがたことをやるのはつまらないから」
だそうです。
もっとやっていたいのに時間で強制終了するのも納得できない様子です。
これは子どもの個性ととらえるのか?あるいは,社会適応能力に欠けるのか?
悩むところです。
最近は任天堂DSが欲しくてたまらないようでしたが,とうとうあきらめて昨日から牛乳パックでDSもどきを作って自分でソフトも作って工作に熱中してました。