虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

自分の興味あることとやりたいことを見つける力 1

2019-08-04 09:32:13 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

てっ保育士おとーちゃんの子育て日記 のブログの

おとーちゃん夫婦の「子供の主体性」を大事する子育てに共感しました。

お二人とも、子どもに「勉強しなさい」「宿題やったの?」というようなことはいっさい言わないそうです。

干渉して勉強させたとしても、

学校の勉強的な意味では短期的に短期的にうまくいったろしても、

「学ぶこと」を好むようにはならないだろうから、と。


おとーちゃんご夫婦が子供たちに望むのは、

まず第一に自分の興味ややりたいことを自分で見つける力なのだそうです。

それさえ見つかれば、人は進んで学ぶようになるはずだと。

そうしたお話の後で、

「人によっては、それは理想論だと思うかもしれませんが、

僕には子供たちがそうなるだろうというある種の確信があります。

なぜなら、それだけのものを我が子には、それこそ0歳から積み上げて来ているからです」と結ばれていました。


それを読んで、虹色教室でも、親御さんと協力しあって、

そうした積み上げをひとつひとつしてきたな、としみじみ感じていました。

教室で関わっているひとりひとりの子は、自分が面白いと思うこと、好奇心が動かされることに

敏感で、興味を持ったら全身全霊で関わるように成長していますから。

もちろん、子どもというのはどの子もそのようなものですが、

ただそんなあたり前の子どもらしい姿も、幼いころから、主体性を大事にする

ていねいな関わりを積み上げていかないと、いつのまにか失われていく時代なのではないかと

感じています。


先々月と先月のはじめ、『しろあと歴史館』に遠足に行きました。

施設そのものはこじんまりとした地味にも見える場なのですが、

教室の子たちが、自分の感性で、想像力を働かせ、いろいろなことを考えながら、心から

それらを味わう姿をうれしく感じました。

感性のどれもが個性的なのです。

小学2年生のAちゃんが下のような

大名行列のジオラマを見ながら、「てっぽうぐみ」「はさみばこもち」「うままわり」

といったそれぞれの役割についた名前を見ながら、声を

あげて笑いながら、30分以上かけて、ひとつひとつにコメントをしていました。

「てっぽうを持ってるから、てっぽうぐみでしょ。ずっとてっぽうだけ持ってるのかな?ずっと遠いのに?」と

驚いたり、「あっ、<てあき>って言うのは、手に何も持ってないってことで、

急に何かあって、誰か手伝わないといけない時に、すぐに手伝ってたのかな?」と

推理したりしていました。

こうして言葉からイメージを膨らませて、

昔の時代の人々の暮らしや考え方に想像力を働かせる姿にAちゃんの

中に育ってきたものを感じました。

 

子どもたちの中には、実際に触ってみたり、兜をかぶってみたりして、

その重さた材質などから、当時の人々について

想像して楽しんでいる子らもいました。

火縄銃は4キロもあるのです。

あまりの重さにふらふらしました。


教室の図鑑で、大名行列の絵を見ていた小2のBくんは、

幕府のそれぞれの職務の名前に関心を持っていました。

便覧で、幕府の職制の図を見ながら、

「将軍」の下に「大老」「老中」「若年寄」「寺社奉行」などがあり、

「老中」の下には、「勘定奉行」「大目付」があることに興味を持ち、

「漢字を読めるように大きくして!仕事の旗作って持たせたい!」と言いました。

すると、お友だちのCくんは、「じゃあ、ぼくは別の時代のそういうの作りたい」と言い、

室町時代や鎌倉時代の職制を調べて、そうした制度が、

時代とともに進化してきたことに気づいて、意見を言っていました。

大名行列の着物を作る

1年生の女の子たち。


メタ認知力を育てる働きかけ で 脳はそれ自身が向上する

2019-05-31 17:00:47 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 『滅びゆく思考力(J.ハーリー著/大修館書店)』では、

思考力の向上と「メタ認知力」の関わりについて、

さまざまな重要な指摘がされています。

 

『メタ認知力』のキーワードは『方略』。

新しいことを学んだり理解したりするときに、

自分自身を援助するために用いる、知的なプロセスのことです。

 

現在の環境は心の混乱を引き起こし、子どもたちの内言を失わせています。

また、子どもたちが大人たちとあまり長い時間を過ごさない家庭や、

データーの記憶を学習(知識偏重の学習法)している学校は、

メタ認知力という脳の特別な長所を無視し、

注意の持続の問題で子どもたちを危機に陥れているそうです。

 

イスラエルのルーベン・ヒューエルスタインは、

変化する環境に対して人間をより抵抗力や適応力があるようにする

「メタ認知的方略の訓練」によって、脳はそれ自身も向上するもの

と確信しています。

 

ヒューエルスタインは次のように語っています。

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脳は、個人の自己保存を可能にする構成的な方法によって

変容することができるのです。人間は自分自身を変容させることができる点に

特徴があります。

私はこれを『自動的可逆性』と呼んでいます。

しかし、学校へ通うようになる前であっても、子どもたちは意味というものを

入力する大人を必要としています。

さもなければ、子どもたちは意味を捜し求めて世界をさまようことになるのです。

 『滅びゆく思考力—子どもたちの脳が変わる(J.ハーリー著/大修館書店)P320

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ヒューエルスタインは、部屋におもちゃを置くだけで、あとは子どがそれで

遊ぶことを期待する親のもとでは、適切な思考技能が育たないと主張しています。

親も教師も子どもの理解を組み立てるように援助し、それを通して意味を教えていく

必要があるのだとか。

 

といっても、それは今の早期教育ありがちな、

一口サイズ刻んだ「思考技能」の要素を押しつけるやり方とは違います。

「思考」過剰に分割すると、創造性を犠牲にすることにつながるのです。

 

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虹色教室の年中さんと年長さんの子どもたちのレッスンの様子から

遊びの中で子どもたちが思考を広げ、柔軟に考えていく姿を紹介します。


年中のAちゃんが「葉っぱ」の形をしたブロックのパーツを見つけて

「畑を作りたいわ」と言いました。

ブロックで畑を作ろうというアイデアを思いついたのはAちゃんが初めてです。

家庭菜園をしている年長のBちゃんが

すぐにそのアイデアに飛びついて、いっしょに畑作りをはじめました。

「きゅうりとかミニトマトとか植えようよ」と話しています。

ブロックの穴にさせるサイズにストローを用意してあげると、

器用な年長のCちゃんがはさみで切っていきました。

めいめいブロックの穴にストローをさしては、「ほら、伸びてきているよ。

よく育っているねぇ」と本物の植物を眺めるような感情のこもった声で

話しあっていました。

 

このグループの子たちは、それぞれ独創的なアイデアを思いついては、

さまざまな場面で工夫を凝らす子たちですが、

お友だちと協調しあって、遊びをストーリーのあるものへ作りあげていくことも

とっても上手です。

 

畑を作ったお友だちの姿を見て、畑にかける水が出てくる水道を作っているAちゃん。

ビー玉の水が透明のホースを通って飛び出します。

 

アイデアマンのAちゃん。工作材料の網を見つけると、

「魚を捕まえる網にする」と言いました。

そこで、海に魚を捕るワナを仕掛けることにしました。

ワナの中にはパンが入れられていました。

すると、BちゃんとCちゃんが、さんまとたいの人形を手にして、

誤ってワナにかかってしまうストーリーで遊びだしました。

「先生、もっと魚はいないの?」とCちゃん。

「大きいまぐろならあるけど、これは一本釣りね。」と答えると、

「まぐろも捕まえたい!」と子どもたち。

 

別グループのやんちゃな男の子たちがやっていた

まぐろの一本釣り?(天井のフックに引っかけて、吊り上げています。)

 

 

「工作したい」という子らと、「たつまき」ができるおもちゃを作りました。

 

発泡スチロールの玉やスパンコールなどをペットボトルに入れて

工作するうちに、Bちゃんが、「粘土でキャンディーとか作りたい」と言いました。

 

以前、遊んだことがあるベルトコンベアーで

食べ物を移動させたことを思いだしたAちゃんが、工場の機械を作りたがりました。

写真を撮りそびれたのですが、空き箱に画用紙を挟んで動かす形で

面白いベルトコンベアーができました。

 

年中や年長さんのおしゃべりを聞いていると、自分たちはどんなことがしたいのか、

それには何が必要で、どんなことをすればいいのか、あることからどんなことが連想され

るのか、あるものの背後にはどんな意味があるのか、非常によくわかっているし、

互いのアイデアを響かせあって遊ぶ中で、それをどんどん広げていくのがわかります。

一方で、大人との会話や一緒にする活動を通して、意味の理解を深め、

内言を育み、さまざまな思考パターンを身につけていくのを感じます。

 

↑ 算数タイムの一コマ。

 


長所に注目!短所は心に留めておく程度に

2019-05-22 22:10:54 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

今日は1歳後半の★くんと☆くんの初めてのベビーレッスンの日。

 

弟である★くんのレッスンではあるのですが、

★くんのお母さんからは、

「発達障がいはないようだけど神経質で何でも人のせいにしてキレがち」という

困ったちゃんの数歳上のお兄ちゃんについて相談をお受けしました。

 

わたしは直接会ったことはないので、お兄ちゃんについて

よくお話しをうかがうくらいしかできませんでした。

 

が、レッスンを初めて少しすると、わたしはお兄ちゃんが困ったちゃんになっている原因についても

それを改善していく方法についても

何となくわかったような気がしました。

 

どうしてそんな気がしたのかといえば、

★くんのお母さんの言動や考え方の癖のなかに

子どもを困ったちゃんにさせる要素がたくさん潜んでいるように思ったからです。

 

★くんのお母さんは礼儀正しくて人の良さそうな常識的な方です。

子どももとても可愛がっています。

 

そんなステキなお母さんではありますが、わたしがちょっと問題だな、と感じたのは、

次のような内容です。

 

★くんはまだ1歳代だとはいえ、とても集中力がある子です。

ボール転がしやボールを回転させるおもちゃで遊ぶ様子を見ていると、

何度も何度も目的を定めてスタートして、最後まで見届ける熱心さから

今後の思考力の伸びが期待できました。

 

また情緒が安定していて、集中して真剣な顔をしている時以外は

いつもニコニコして可愛らしいことこの上ないのです。

 

しっかりハイハイした後で歩きはじめたそうで

「(運動面で)少しゆっくりさん」というお母さんの弁でしたが、

椅子の上に乗ってバランスを取ろうとしたり、

重い物を持ち上げて移動しようとするなど

自ら身体を使うさまざまな活動にチャレンジしようとしていて(同時に多動っぽくもなく)

運動機能の発達も順調そのものです。

工作の活動でも、チョコンと椅子に座って

長い時間、しっかり関われていました。

わたしはこの子の目の使い方や何をするか目的を定める様子、

最後まで見届けて理解した上で再び取り組む姿、注意散漫でなくじっくりやりたいことに取り組み、それをもとにして

次の活動を選ぶ姿、他の子との関わり方などから、

「思考力」に強みを持った考えることが好きな子だろうと感じました。

そして、それをお母さんに伝えました。

 

その後、いっしょに遊んでいた☆ちゃんについても

感じたことをお母さんに伝えました。

☆ちゃんは手と目を協応させることが上手で、頭を使うことと身体を使うことを同時に行うことが

できる器用な子のように見えました。

「何をしようかな」と考えながら、右手にも左手にもボールを持っていて、

瞬時にその両方を玉を入れる口に投入したかと思うと、

次に何をしようかとそれ以外のアイテムをさっさと持ってきて

うまい具合に遊びに加えます。

「運動も勉強もどちらも得意」という子にありがちな

器用さだと感じました。

おもちゃを介してニコニコ笑いながら他人に働きかけて、

上手に遊びを作りだしていく姿

からは創造性の豊かさや社会性の高さも感じられます。

 

★くんは、ひとつのことに集中しはじめると、

いったん外への関心を遮断して、それにじっくり取り組む子です。

☆くんは、同時にいくつものことをしながら集中できて、

外のものも創造的に取り入れて遊ぶ子です。

そのどちらもそれぞれが魅力的ですばらしい個性です。

 

でも、★くんのお母さんは☆くんが運動も得意そうという話を聞くと、

それで頭がいっぱいになってしまって、

★くんが得意な物事にしても、

☆くんはけっして運動が苦手なのではなく自分から積極的にさまざまな

身体を使う活動に取り組んでいるという事実にしても

どこか遠いところへ行ってしまったようです。

それで、★くんの欠点であるかもしれない(とお母さんが思っている)

短所の運動を伸ばすことばかり、

「どうすればいいですか」と心配そうに相談しておられました。

 

わたしは、「どの子も長所があって、短所があります。

短所があることで、長所が守られているという面だってあります。

最初の時点では、たいていの子が長所も短所も同じような割合なんですが、

その後、親御さんが、その子の長所に注目しがちな性質でしたら、長所の割合が大きくなって

短所は底上げされて小さくなっていくでしょうし、

親御さんが短所にばかり注目して、長所はさらっと流しがちでしたら、

短所が膨らんで大きくなり、長所の割合はだんだん小さくなっていくはずです」

と伝えました。

 

子どもが困ったちゃんぶりを発揮するのには、

時期や環境や本人の問題やその他のさまざまな

理由が複雑に絡み合ってるでしょうから、

それをお母さんの言動や考え方のせいだと決めつけるのは

まちがっていますよね。

 

でも、どの子にとってもお母さんという存在は大きいですから、

お母さんが子どものどの部分にスポットライトを当てて、

どの部分を無視するかによって、

子どもの困った行動はだんだん消えていくこともあれば、

こじれにこじれて激しいものになることもあるな、と感じてもいます。

 

★くんのお母さんは心配性で

良いことと悪いことがあると、どうしても悪いことの方ばかり

考えてしまうそうです。

まだ1歳の★くんに対して、運動能力のことを気にかけてしまうのは、

★くんのお母さんが小学生の頃、

運動が苦手でいじめられている子を目撃したことが原因なのだとか。

子どもの頃に見た光景は心に深く刻まれますよね。

 

とはいえ、

子どもは「お母さんの目に自分がどのように映っているのか」「お母さんが自分のことをどのように感じているか」

を参考にしながら、自分の内面にあるものを育てていきますから、

子どもの短所にばかりに注目していると……

(★くんの場合、まだ短所にもなっていないような未知の不安要素ですが)

自分に自信が持てなくなって、短所だけが目立つようになってしまうかも

しれません。

 

幼い子たちの世界には、心配とか不安といったものは

あまりそぐわないものだと思っています。

小さな身体にそんな重荷を負わすわけにはいきませんよね。

 

子どもの長所や魅力的な点について

もっともっと知ろうという気持ちを大事にして、

短所については

心に少し留めておく程度でいいのではないでしょうか。

 

★くんとの関係作りのなかで、

子どもの性質への焦点のあて方を学んでいくと、

自然と★くんのお兄ちゃんとお母さんの関係もいいものになっていくのではないかな、

と思いました。

 

 


育てにくい子らの大きな成長

2019-05-19 08:08:40 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

(↑年中のAくんの作った絵本です。絵とストーリーはAくん。文字はお母さん)

 

この土、日、月の間に、レッスンに来ている子たちの劇的な成長を感じることが

重なりました。

そうした子の多くは、他の同年代の子に比べて、

ちょっとしたやりすぎ行き過ぎが目だっていた子なんです。

「さあ、勉強の時間です」と告げて、気持ちを切り替えさせるということに、

小学校の中学年を超えるまでかかっていた子たちです。

 

その子たちが、非常に高い知的な能力を発揮しだしただけでなく

精神的にも制御のきくしっかりした子に成長してきたことで、

親御さんたちが非常に喜んでおられました。

 

そこで親御さんたちと、何がこの子たちをこれほど成長させたのか、

という話になりました。

その子たちの出した成果に関しては、持って生まれた能力ということもある思います。

また親御さんが子どもがその子のペースで成長していく間、

自己肯定感を下げないよう教室と協力して親の心を調整してきたこともあるはずです。

でもそれとは別に、そうしたタイプの子たちのこんな一面も成長の追い風と

なったのではないかと感じています。

 

それについて書く前にちょっと脱線させてください。

私事ですが、私が物語を書いていることは何度か書かせていただきました。

実は若い頃から小説家志望だったため、自分なりに一生懸命、

章修行に励んでいたものの、

長い間、なかなか最後まで物語を書ききることができずにいました。

それが最近になってスムーズに書き進めて、自分の書きたい物語を

最後まで仕上げることができるようになってきました。

単純に力がついてきたのもあるのですが、思うように書いていけるように

なったのは、これのおかげかな、と思いあたることがひとつあるのです。

 

直観的にひらめくのは得意でもじっくりねばり強く考え抜くのは苦手な私は、

もともとは自力で難しい課題を突破できないところがあるんです。

でも、だからといって難しい局面を避けていては、

長編の小説を書くことなど不可能です。

それで、物語を書いていく時、私は今書いている原稿について、

自分の思考が行き詰まるところを目指して、考えられるところの

境界線ぎりぎりまで行って、

そこでどんなことについて自分は答えがでないで困っているのか、

自分の思考の先端までいって確認したら、それで眠るんです。

すると、朝になると、自分でも思いつかない最適な答えや

新しいアイデアが浮かぶんです。

考えを練って苦しむということはないんですが、

必ずといっていいほど、考えあぐねるよりはいい答えを得ます。

 この頃は浮かぶ解が鮮明になり、質が向上し、

気づきを得るのも早くなったと感じます。

 

こうしたイメージ世界で行き止まりまで行く作業は、

子どもの問題を相談されたり、他の生活上の問題を考えたりする時もしていて、

そこで得られた答えは、意識の中でわたしが考えあぐねて

出した方法による結果より

ずっとうまくいくと感じています。

 

この話、先ほどのちょっと難しい子たちが劇的に成長していく姿と

とどこか重なるところがあります。

日常のさまざまな場面で一筋縄でいかないというのは、

それはしばしば大人の管理からのはみだし、抵抗、衝突を生んだり、

シンプルな大人がしくレールからの脱線、停滞を生み続けるタイプのことです。

そうした子らというのは、見方を変えると、

私がイメージの世界でしている「自分のできることの先端まで、

境界線のところまで行く」

という行為をいろいろな場面で試してみる子でもあるんです。

そうした子らと関わる時、わたしは自由を許し、

自由が暴走する手前で叱る、余白を作り、

余白の中で迷いや混乱に呑み込まれる前に創造の波に乗せる、

自分を外で出し切らせることで、外から伝えたいことをその子に届ける、

そうしたやりとりを続けます。

その難所で長い間、停滞するもので、周囲に余裕がなかったり

不安が強かったりすると、子どもの自己肯定感がとことんダメになるまで

追い詰めてしまいがちですが、

少し気を楽にして、他の子と同じように成長させよう、

すぐに問題を解決しよう

とせずに、子どもがさまざまな場面でぶつかる問題の前で、いっしょに

会話したり慰めたり叱ったり、ていねいに教えたりして足踏みします。

 

そして、実際にその問題を何とかしようとして手を尽くすのではなく、

ちょっと寄り道して、

また子どもの好奇心のアンテナが立った方向に、結果を気にせず行ってみる、

親子関係がよりよいものになるように調整する、ということをしていると、

ある一定の時間が経つと、不思議なほど問題が解決していることに気づくのです。

 

この子って天才だろうか、この子にこんなすごい潜在力が隠れていたのかと

目を見張るような成長があるのです。

 

 

何を書きたかったのかというと、成長過程に難しさを持つ子、

できるできないにばらつきを持ちつつ育っていく子が、

どこもかしこも四面楚歌のように、

行きついた果てで行き止まりにぶつかっているように見える時も、

それは現状の最適でないことすべての先端までいききったうえで、

それらすべてを解決するより大きな成長を成し遂げることがあるな、

ということなんです。

環境に適応しやすい子たちが、大人の求めるものを早くから発達させる傍ら、

環境への適応が難しい子たちは、経験であれ、感情であれ、

探索活動であれ、試行錯誤であれ、

想像であれ、失敗であれ、とにかくしつこく行きつくところまで行って

境界線上でちょっとした嵐を巻き起こしているんですから、

いったんそれらが収束するなり統合するなりすると、

思いがけない価値が生み出される、

とも感じているんです。

 

↑  薬の容器の中に色水を作りました。

 


『子どもの学力の基本は好奇心です』という本

2019-05-10 09:43:54 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 

『子どもの学力の基本は好奇心です』(汐見稔幸著  旬報社)という

幼児や小学生の子を育てている親御さんにお勧めしたい本があります。

読むうちに子どもの教育に関することがシンプルに整理されて、

迷いが晴れるかもしれません。

 

この本にこんな話が載っていました。要約して紹介しますね。

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東京大学の数学科の教授があるインタビューのなかで、東大の数学科の学生と

アメリカの大学の数学科の学生と、どっちが優秀かという話が出てきたそうです。

その先生は入学時点では東大の学生が優秀かもしれないが、

4年間教育すれば、ほぼ例外なく逆転すると言ったそうです。

 

なぜ東大の学生が伸びないのかといわれ、先生は

「感性が育っていないからだ」と答えていたそうです。

こういう感性とは、「なんでだろう」とかあ「フシギだなぁ」とか「こういうものを論理で

あらわせないのかなぁ」というように、

なにかに感じて、そこに問題をみつけ、こだわっていくことらしいです。

数学とは、計算が複雑になったものではなくて、さまざまな現象を論理や数式で

あらわす、たとえば美意識というものを論理化できないかとか、こういうものを美しいと思う人と思わない人と

どこがちがうかを数式であらわせないなどと考える学問。

その根っこは不思議がりおもしろがる感性です。

 

「感性をそだてるためにはどうしたらよいですか」という質問に、

その先生は、「それは簡単だ。小さいときにあまり勉強しないことだ」といったのだとか。

幼いころから受験勉強のようなことをさせられて、正しい、間違い、という紋切り型の思考をおぼえれば、

ワンパターンにしかものごとが考えられなくなり感性の芽をつんでしまうそうなのです。

 

豊かな感情をたがやし、豊かな感情をたがやすこと、「おもしろそう」「なぜだろう」「知りたい、やってみたい」

といった好奇心が学力を伸ばす原動力なのです。

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今日は2歳になったばかりの子どもたちのレッスンでした。

そんな幼い子らも、、「おもしろそう」「なぜだろう」「知りたい、やってみたい」に

突き動かされるように活動しています。

ひとりひとりの子の発しているものをどう感受するか、

どのようなフィードバックを返していくといいかを親御さんに伝えています。

 

たとえば、2歳のAくんは、お友だちのBくんがお母さんが作ってくれたトンネルに手を伸ばす度に

「だめぇ、こわれちゃう。こわしちゃだめぇ」と大騒ぎしていました。

遊びを観察していると、電車をぴったりそろえて並べて、

それはうれしそうにしていました。

「数や形やサイズがきちっと秩序だった並び方をしているのがうれしそうですね」

と言いながら、Aくん同様に秩序を好む感覚が優れている子の親御さんが

子どもにどんなブロック作品を作って遊んであげていたのか

駅の一部を作って見てもらいました。

すると合点したAくんのお母さん、下のような歩道橋つきのトンネルを作ってあげました。

Aくんは大喜びです。

「だんだん高くなってる」とか「同じ長さでそろっている」とかいった

目で感じとる美しさを実感していると、

数学的な感性も育ってきますね。

 

 

工作タイムに作った船です。

引っぱるとビーズがカラカラ動きます。

気になって透明のコップ部分をはがしてしまい、

青いポリひもを振りながら、Aくんは「雨!」と命名。

お友だちのBくんは、ハンドルを回すとボールがのぼっていく仕掛けが

面白くてたまりません。

自分で何度も回しながら、ボールをつかまえてみたり、段の途中に乗せてみたりして、

「不思議だなぁ」という表情をしながら熱心に遊んでいました。

こうしたささやかな遊びを通して、子どもの好奇心ははぐくまれていきます。


子どものきらきらした感じがなくなった? 3

2019-05-06 22:42:58 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

子どもの成長のさまざまな場面につきあっていると、

きらきらした感じがなくなったように見える時期は、

新しい価値を生み出すような変容の時なんだな、と感じます。

教室でははじけるようなやる気で、もりもりと大きなものを

創作していた女の子たちがいましたが、その子たちは、小学3年生を過ぎる頃に、

なかなかやりたいことが決まらずに、何をするかで延々と議論していたり、

試行錯誤を繰り返しては未完成で終わったりする姿がありました。

 

それまでのやり方で満足できず、かといって、自分たちが新たに価値を感じる外の世界の

さまざまな物事は、やってみてすぐにうまくいくわけでなく、

そうしたもやもやを言語化して、互いの意見をぶつけあったり、妥協して受け入れたり、

創造的に解決したりしていました。

外から見ると、きらきらからはほど遠く、有意義な時間を過ごしているようには見えないのです。

ぐたぐたぐずぐず時間を浪費しているように見えます。

そうした時期を経て、その子たちが創作に向けていた

集中力やエネルギ―は、その後、旺盛な読書量や読書の幅の広さとか、

自発的な勉強などに向けられるようになりました。

 

物作りが大好きで、もりもりと大がかりなものを作っていた

男の子の3人グループでも、ちょうど2年生にあがったころに、

外から見ると、あれ?っいう変化の

時期がありました。

そのうちのひとりAくんは、車の内部のエンジンや船をそっくりに作ったりして、

どんどん作るものの幅を広げ、完成度を上げていきました。

が、自信に満ちた様子で、思い描く完成図に向けて黙々と作業していたAくんが、

ある時期から、「うまくいかないな」「これ、どうすればいんだろう」と悩んで手が進まない

日が増えてきました。

物の形を観察して、その通りに形作るのが得意なAくんは、

それまではいかに見た目通りに仕上げるかに力を注いできており、どんどん上手になっていました。

が、Aくんがため息をつきながら、少し作っては、壊してやりなおすことが

増えた理由は、「ユーフォ―キャッチャーのつかむ部分がこんな風に動くように作りたい」

とか、「ちゃんとおつりが出てくる自動販売機が作りたい」といった

自分で動く仕組みの部分を考えたいと思うようになったからでした。

そこで安易に私から動かし方のコツを教わって

作るのでは満足できない「自分のアイデアを試したい」という気持ちの高まりが

背後にあったのです。

またAくんはこの時期、それまで興味がなかった複雑なルールのボードゲームで

喜んで遊ぶようになりました。また物作りの内容も,カードゲームやボードゲーム

とそのルールとか、調べ学習の資料作りや雑誌や本作りといったものに広がっていました。

下の写真はもやもやした時期を経たAくんが自動券売機を作っているところです。

 

タッチパネルを光らせたかったため、懐中電灯を機械の中に入れて、

外からスイッチの操作ができるよう試行錯誤していました。

 

同じ時期、この男の子グループのBくんにも同じような変化がありました。

Bくんは、ワシやトラといった鳥や動物を色画用紙で作るのが大好きで、

曲線のある体部分も上手に作るようになっていました。

が、ある時期から、地下の工事現場の様子を

動く状態で再現したいとか、忍者屋敷の中にたくさんのしかけを

つけたいと思うようになり、

試行錯誤するもののうまくいかず、未完成で終わることが増えました。

針金とか石といった特殊な材料を試すようになったのも

失敗が続いた原因でした。

そうした時期を経て、Bくんは算数で高い力を発揮するようになってきました。

 

このグループのCくんは、かなり後から参加した子です。

グループに入ったばかりの頃は、ブロックで物を作るのは上手だけど、工作となると

何をすればいいかわからない様子でした。

他のふたりが工作好きなので、工作に付き合いはするものの

少しすると、ブロックを使った創作をしていました。

 

が、ある期間、紙を切って作ろうとするけど、うまくいかず、

何もできあがらないまま終わるけれど、何かつくりたくて

もやもやしている姿が続いていました。

そんなとき、私といっしょに作ったお城の石垣部分を作ったのがきっかけで、

それから、段ボールや色画用紙を使って

上手に城を作るようになり、今は工作に熱中しています。

でも、きっとまた、そうした姿も変化の時を迎えるのだと思います。

 

こんな風に子どもって、いろんな時期を経て育っていきます。

身近な大人が、子どもに常にきらきらしていることを求めず、

子どもが思う存分、足踏みする時期を認めるなら、

子どもは勇気を出して、自分がそれまで蓄積してきた力を

新たな理想や願望や関心のために使おうとするのだな、と感じました。

 

 

 

 

話の途中ですが、次回に続きます。


子どものきらきらした感じがなくなった? 2

2019-05-01 22:25:36 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回の2年生の女の子たちが

算数を学んでいる時、こんなことがありました。

 

2年生になったので、長さの単位について少し学んでから、

「まわりの長さ」を

問う問題をいくつか出しました。

子どもたちはすぐに理解して、「解きたい!」「解きたい!」と手を挙げて、

夢中になっていました。

 

そこで、ちょっとレベルを上げて、下のような問題を出しました。

この問題は、一つ一つの辺が何センチなのかとバラバラに考えていると

答えにいきつかないのです。

 

3つの値のわからない辺をセットにして、それが13センチと同じだということに

気づく必要があります。

案の定、みんな悩んでいました。

そこで、「さっき、ハンバーガー作るゲームで、チーズバーガーとかのセットを作ったよね」と言うと、

「そうそう!作った。わかった、こことこことここで、13センチってこと?」と

Aちゃんが気づき、他の子らも、「わかった」「わかった」と言って、

同じように辺をセットにして考えなくては解けない問題も解いていました。

 

こうしたことに気づく頭の柔軟性は、

少し前、このグループの子たちが、紙やストローを使って自在に形を作る力がついているのに、

「粘土!粘土!」と粘土をこねまわすのを楽しんでいた時期に

身についたのかもしれません。

 

紙や棒ではイメージしにくい概念を、上手にできるようになったことからいったん離れて、

ただただ素材と遊ぶ時間の中で、それまでやっていた活動の中でできてしまった思い込みを

をほぐして、バラバラにして、再構成しなおして、

いろんな角度から物事を眺めて気づくという姿がありましたから。

ただ、ここで、気をつけなくてはならないのは、だったら粘土で遊ばせたら、そうした力がつくのか

というと、そうではないことです。

 

子ども発で「やってみたい」と思うことや、自然と夢中になっていること、心底楽しいと

感じていること、真剣な顔で取り組んでいること、という旬のテーマに

じっくり関わる中で、おのずと獲得していくものだからです。

 

この日の子どもたちは、下のような問題も、単位を変換させることも

すぐにピンときて、答えを出していました。(ひとりだけ単位の変換にとまど

っている子がいましたが、ちゃんとできるようになっていました)

 

 算数を学ぶ時間はいつも、「もっとやりたい!」と余裕で解いているものから、

その時々の頭をフル回転させて考え抜かないと解けないものまで

解いています。そこで、今回、教室の年上の子用に用意していた

立体図形に垂直に穴をあける問題を出すと、みんな面白がって解いていました。

 

<問題>

下の図は27この同じ立方体を積み重ねて作った立方体です。

この立方体の●印をつけた面から向かい側まで垂直に6つの穴を

あけました。

この時、穴があいていない積み木はいくつありますか?

こうした問題を競いあうように解く姿は、大人の期待に応えようとして

がんばっているように

見えるかもしれません。

でもこのグループの子たちはみな自分の気持ちに正直で、

そうした心配をする必要は、あまりないように感じました。

手指を使ったこともいろいろ試してみたいけれど、

推理力や洞察力を働かせるといった頭を使う活動も

全力投球してみたいという意気込みがありましたから。

 

「その子のやりのこしてきたことに本能的に関わる時期や

個性の質が変化して、外からは見えにくいものに変わる時期」について、

もう少し書き足しておこうと思います。

教室には、幼児期を通して、手指を使った物づくりにはあまり興味を示さず、

ゲームや頭脳パズルばかりやりたがる子がいます。

そうした子たちが、ちょうど小学2年生になる頃、「工作したい!工作したい!」と言い出して、

色画用紙を使って、平面から立体を作っていく工作に夢中になる姿も

よく見ます。水筒の形を再現しようとして、注ぎ口の部分の形はどうやったら作れるのか試行錯誤したり、

折り紙の本を見ながら、見本を見るだけではわかりづらい部分をああではないか、こうではないかと試行錯誤し

たりするのです。

そうした活動は、「外から見ると、30分も40分もかけて、折り紙作品をひとつ折っただけ?」と

旺盛な意欲で頭脳パズルの最終問題あたりまで解いていった姿を思うと、

拍子抜けするかもしれないんです。

 でも、身近でその子の成長を追っていると、「30分も40分もかけて、折り紙作品をひとつ折ることに熱中する」

という活動の中で、その子らしい新たな成長を感じるのです。

頭脳パズルは、言葉がない状態で、

どんどん難しいレベルに挑戦していけるものがほとんどです。

それが、折り紙の解説書を見ながら折っていく場合、

つまずいた時に、「どういう意味だろう?」と書かれていることや記号について

著者の意図していることを読み取っていく努力がいるのです。

そういう時間は地味だし、目に見えるものは何も残りません。

でも、もともとパズル好きの子にすると、解説を根気よく読み解きながら

物事をやりとげようという姿勢が身につけたら、

百人力なんです。

直感だけですいすい問題を解くのでなく、条件をていねいに把握して

考えていくようになりますから。

できたのが、手のひらに乗るような折り紙作品でも、

「辺ABが点Dを通るように折る」という言葉について、

「これってこういう意味かな?それともこういうことかな?」と

意味について深く考えるのを面白がる姿がある場合、

外からは見えにくい劇的な成長が子どもの中で起こっているのだろうと感じています。

一見、足踏みしているように見える時期を経て、

それまで蓄積した力を別の場面で、

発揮できるようになるのです。

 

ですから、子どもの「こんなことがやりたい」「これ面白そう」という気持ちが見られたら、

大人の評価をさしはさまずに、つきあって支えていくようにしています。

そうして子どものそばにいる大人もいっしょにそこから学び成長していけたらいいな、と

思っています。

 

 


子どものきらきらした感じがなくなった? 1

2019-04-30 07:30:30 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

先日、小学2年生の女の子たちのグループレッスンでこんなことがありました。

その中にひとり、長い間お休みしていた女の子の親御さんから、

久しぶりのレッスンの後で、

(子どもたちがコンパスで作図する工作をしていた姿を見て)

「虹色のパワー、きらきらした感じが以前となんか違う?という感じがしました。

2年なりたてのチームは、きらきら個性があったほうが好きです。

子供発信というより大人の希望が色濃く出ている感じがしました。」といった意見を

いただきました。

こうした意見、グループレッスンをしていた子どもたちが2年生になる頃や

3年生の半ば頃に耳にすることがあり、

その背後にあることをきちんと言葉にして伝えておく必要を感じました。

 

この小学2年生の女の子グループの4人は、どの子も創造力と知能の高い子たちです。

3歳からいっしょにレッスンしていますが、

幼児期を通して自由にパワフルに大人が圧倒するような工作作品を作ってきました。

それぞれが自分が経験したことや目にしたもの、興味を持ったもの、試してみたいものなどを

自分のやり方でどんどん作り、常にやりたいことがあふれ出すようでした。

自分で外の世界にアンテナを張っていて、

さまざまなことに興味関心があり、調べたり、学んだりすることに

積極的でした。

算数も大好きでいきいきと学んでいました。

 

今回のレッスンで、親御さんのひとりが、そんな子らの

子どもらしい個性のほとばしりのようなものを感じ取れなかったとコメントした理由は、

ひとりひとりの子どもの発達のプロセスが理由のひとつにあるように思いました。

 

子どもたちと2,3歳の頃から関わっていると、想像力があって

自由にのびのびと独創的な工作作品を作る子たちは、

幼い子たちのほとんどが熱中する

繰り返しの多い敏感期の活動にあまり熱心でないところがあります。

 

そうした活動をしていても、すぐに自分の扱っているものを何かに見立てて、自分のイメージした作品作りに

移っていくので、自分で動きや形を作りだす一方で、

巧緻性は二の次というところがあります。

イメージするのが上手で、観察力もあるので、

「こんな風に作りたい」と思うものを目指して作っていき、

やや乱雑に切り貼りしているところがあっても、完成度の高いものが

できあがります。

また、自分の頭で考えるのが好きなので、大人の教える通りに何かを作るという

ことにあまり興味がありません。

自分の考えを追っていくのが好きなので、大人の説明を理解しよう

という気持ちが薄い場合もあります

そうした子たちは小学1年生の半ばくらいまで、どんどん作りたいものの幅を広げ、

旺盛な創作意欲を見せます。作るもののサイズがどんどん大きくなっていくことも

多々あります。

でも、1年生の半ばくらいから、粘土をこねまわして、未完成なまま

作品を仕上げたり、「昆虫を捕まえるわなが作りたい」といった

動きを作りだす試行錯誤に作品作りが終始したりする時期を経て、

2年生になる頃、大人の教える見本通りの作品を作りたがることもよくあるのです。

 

外らパッと見て判断するだけだと、自分で完成形をイメージして、もりもりと物を作っていた子が、

大人に作り方を教えてもらって見本通りのものを作る姿は

個性の輝きが失われたようにも見えます。

でも、ひとりひとりの子どものそばで、その成長をつぶさに見守ってきた身からすると、

その一瞬、一瞬に、その子の個性が新たな段階を迎えて輝いているように見えるのです。

 

自分のアイデアで自分の頭を使って自発的に行動していた子たちは、

それをとことん突き詰めると、自分でできることの限界にぶつかります。

 

ちょうどその頃、遅ればせながらきた敏感期のような

作業そのものが目的であるような活動にはまったり、

大人の示す見本通りに真似たりする姿があります。

 

これまでは、ちゃっちゃと思いを形にするのが優先で、ていねいに作業することなど

気にもしなかった子が、技を習得したり、道具を使いこなしたりできるまで、

地味な繰り返しに根気よく耐える様子があるのです。

 

得意なことや、手慣れたことなら、どんどんチャレンジし、賞賛されもするんです。

でも、苦手なことや、初めてすることは、やってみることに抵抗があるし、がんばっても

うまくいかないです。

そうしたそれまでの成長でやりのこしてきたことに自ら関わっていこうとする姿が

子どもにはあるんです。

だから、何かの価値を認めるなら、その正反対の価値も、やっぱり大事にしていかなきゃ

いけないな、と感じています。

 

子どもたちが2年生になる頃や3年生の半ば頃の子が、

それまできらきらしていた個性が見えにくくなるのには別の理由もあります。

というのは、外に見える活動から、活動にある意味に気づくこと、理解を深めること、すでに知っている

バラバラの知識を統合していくことといった内面での活動の中に個性がより濃く

表れるようになるからです。

下の写真のようなものをコンパスで作っていく際にも、

もりもり物を作っていた子は、コンパスで描く線がどうしてこんなきれいな曲線を

作りだすのか、その理由に気づいて面白がっていました。

「作図の仕方は難しいけどコンパスで五角形も作れるよ」と言うと、

「サッカーボールを作りたい!」と面を組み合わせてできる立体に関心を

寄せる子もいました。

そうした気づきの世界、理解の世界、興味の広げ方の世界に

個性の輝きが見えるのです。

 

 

子どものきらきらした個性が見えにくいという時、

こんな風に、その子のやりのこしてきたことに本能的に関わる時期であったり、

個性の質が変化して、外からは見えにくいものに変わる時期であったり

するのです。

 


 

 


子どもの感受性に感動した話

2019-04-21 22:41:49 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

小1のAちゃんのレッスン中、こんなことがありました。

デジタル顕微鏡でくじゃくの羽根を見ていたAちゃんが、

「くじゃくの羽根が天の川みたい!」と言いました。

拡大された映像を見ると、確かに玉虫色の川のように見えました。

Aちゃんは、くじゃくの羽根に触れながら、「真ん中らへんがつやつやしていて

かたい」と言いました。

自分が見たり感じたりしたことをていねいに表現する

Aちゃんの言葉がすてきだったので、紙に書きとっておきました。

「Aちゃんの言葉、すてきだね。横に絵を描いて本にする?」と

たずねると、大乗り気で本を作っていました。

色を選ぶ時に、「黒っぽい青色と、薄い紫、オレンジのような黄色~」と自分の

目で感じ取っている色を口にしながら選んでいました。

そして、「私ね、大人になったら、本屋さんのお仕事がしたいの」と

教えてくれました。

 


少し難しくなるとやりたがらない子、難しそうだと思うと最初からやらない子にどう接したらいい?

2019-04-11 20:44:39 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

 

不定期の算数クラブの様子です。

遠方から来た女の子が暑さにまいって半べそをかいて教室に着いたのに

帰る時は満面の笑顔で、「このまま、ここに泊っていきたい」と言っていました。

 

自由に活動を選ぶ時間に、午前の部の男の子たちはブロックで海賊船を作ったり、

ロジックパズルや科学手品をしたりして遊びました。

 

「長くて大きな海賊船が作りたい」「宝がたくさんいる」「島を作らないと……」

「ガイコツの絵が描いてある布(帆)みたいなのがいるよ」と意見がアイデアが

出るたびにだんだん大掛かりな作品になりました。

 

<「大きい、中くらい、小さい」の3つのサイズの帆の簡単な作り方>

紙を半分に折って切ります。

一方の紙を片側が大きくなるように折って切ります。


このように切ると、2回折って切るだけで、<2分の1、2分の1よりも小さく

最も小さいサイズよりも大きい、最も小さいサイズ>の3つのサイズの紙ができます。

子どもたちにとって帆をブロックで作った棒に挟む作業は、

ちょっと難しくて楽しいものだったようです。

 

28+□の繰り上がりのある計算を瞬時に言う練習をしています。

どの子もコツをつかんで、上手に答えることができていました。

午前、午後どちらのレッスンの子らも、

『きらめき算数脳』の文章題に意欲的に取り組んでいました。

目新しいおもちゃで遊ぶ時と同じくらい夢中になって、

「次はぼくが解きたい」「わたしが解きたい」と手を挙げていました。

 

算数の課題をする時、「やってみたい子?」とたずねると、

ハイ、ハイと調子よく手を挙げる子らと、「できなかったらどうしよう」という表情で

尻込みしている子がいました。また、問題がどんどん難しくなっていっても、

「やりたい」と手を挙げ続ける子と、それまでミスもなく正解していたけれど

他の子の解く様子を見て、「これは難しそうだから、もうやめておく」と

告げた子がいました。

 

レッスン後、子どもたちの学習の様子を見ていた

親御さんたちから、「家でもきらめき算数脳のような問題を進んでやりたがるものの

少し難しそうな問題にぶつかると、今日のように、難しそうだからやめておく……と

言うのですが、どう対応したらいいでしょう?」とか、

「のんびりしたタイプなので、つい先まわりしてあれこれ言い過ぎてしまうためか、

自分で考えようとしません。難しそうだと思うと最初からやろうとしないところも

あります。どのような声かけをしたらいいのでしょう?}

といった相談をいただきました。

 

ひっぱりますが次回に続きます。

 

 少し難しそうな問題にぶつかると、難しそうだからやめておく……と言う子に

どのように対応すればいいのでしょう?

 

毎度、同じような答えで悪いのですが、子どもの気がかりについての問いの答えに

「これ」という正解はなくて、子どもの性質、能力、発達段階などによって

一人ひとり異なるのではないか、と考えています。

 

この日、相談をいただいたAちゃんの場合、子どもの発言が大人の意向と違っても、

その子の言葉を言葉通りに信頼してあげるといいのではないかと感じました。

つまり、本人が「やめておく」と言うのなら、

今は「やめておくことが賢明な判断なんだろう」と受け止めるということです。

 

算数の学習の前、『LASER MAZE』という頭脳パズルで遊んでいた時のこと、

どの子もはじめて触れる問題でわけがわからないようでした。

が、あちこち課題の鏡を置いてみるうちに、たまたま置いた位置が正解でした。

すると、Aちゃんの表情が、「あっ、そうか」と納得したように輝きました。

そして、次の問題を解く時は、わかったことを利用して丁寧に推理する姿がありました。

また他の子らが解いている時も、ただ眺めているだけでなく

自分の頭でも一生懸命に考えていたようで、

「どうしてうまくいかないんだと思う?」とたずねると、

Aちゃんは、毎回手を挙げて、的確な答えを言っていました。

 

 

工作でカゴを作っている時、

こんなことがありました。Bちゃんがカゴを飾るリボンを貼ってみると、

長さが少し足りませんでした。

子どもたちに、「Bちゃんは、ちゃんとこんな風にリボンをカゴに巻いて

ちょうどいい長さになるように測って切ったのに……貼ってみると

長さが足りなくなったの。どうしてだと思う?」

とたずねました。するとAちゃんが手を挙げて、

「カップの真ん中らへんの周りの長さの方が上の方の

まわりよりも短いからでしょう?」と答えました。

 他の遊びの場面でも、わたしが、「どうしてだと思う?」と問いかけると、

Aちゃんがすかさず手を挙げて、「○○だから?」と真剣な顔で答えていました。

 

そうしたAちゃんの態度と言葉から、Aちゃんが

何をする時も、自分の頭と心をしっかり働かせている子で、

理解したことを言葉にしたり推測したり分析したりするのが好きな子であるのが

よくわかりました。

また知的好奇心が強くて、積極的に考える活動に参加しようとする子でもありました。

ただその一方で、一番になって目立ちたいという気持ちや競争心は薄く、

自分にそれができそうか、本当にやりたいのか、慎重に判断してから

するかしないか決めていました。

 

 

Aちゃんのお母さんは、Aちゃんが洞察力が優れた知的好奇心の強い子であるのを

理解しつつも、じっくり考えていく持久力が足りないのではないか、と気にかけている

ようでした。

こんな場合、成長を見守るべきか、適度にプッシュすべきか迷うところですよね。

 

Aちゃんのお母さんは取りあえず参考に……とわたしの考えをたずねはするものの、

子どもとどう関わるか、自分自身でちょうどいい加減をわかっている方のようでした。

ですから、この質問をわざわざブログで取り上げなくてもよかったのですが……。

でも、Aちゃんという個別のケースについて、

どんな点に注意を向けて、どう判断したのか書くことは、

「こういう子にはこのように対応します」とひとつの一般的な正解を示すより、

別のさまざまなケースについて思いを巡らすのに役立つんじゃないかな、と

考えています。

 

この日、いっしょにレッスンしていたCちゃんは、

難しい問題になってもどんどんチャレンジする意欲的な子でした。

ただ取り組む前に推理したり分析したりすることはないようで、

とにかくやってみて失敗してから、どこがまずかったのか気づいて、

それから正しい方法で解いていました。

失敗にはとても強くて、間違えると、何とか克服しようとやる気が増すようでしたし、

失敗した後に集中して考える姿がありました。

 

それに対して先に記事にしていたAちゃんは、取り組む前に慎重によく考えていて、

何もしていない時も気になることをあれこれ考えているようでした。

そのせいで「難しそうだからやめておく」ということになるのですが、

だからといって、AちゃんとCちゃんのどちらのやり方がいいというわけではなく、

それぞれに一長一短がある個性の問題と捉えるべきなのでしょう。

 

Aちゃんの場合、「やめておく」と言っていったん問題から離れても、

時間が経つと、自分から「あの問題をやってみたい」と言うタイプでした。

そうして自分のペースで難しいものにチャレンジしていく気持ちを

後押しするのは、信頼されることと、新しい知的好奇心を刺激するひらめきを得ること

だと思います。

 

「難しそうだからやめておく」という子はAちゃんのように

考えることを苦としない子もいますが、

考えることをめんどくさがったり考えるのが苦手だったりする子もいますよね。

そうした子には、ただ成長を待って見守るだけでは

ダメかな、と思っています。Aちゃんにしたように、「やめておく」という言葉を

言葉通りに受け止めるのも、ちょっとまずいかもしれません。