学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

“流れに逆らって生きること“とは

2024-08-13 17:39:52 | 日記
 暑い真昼間に汗だくで懸命に働く人がいる。近くに止まったバンの宅急便の青年に話しかけた。「お盆の休みは取らないの?」と僕が聞くと「皆が休むときには働く方が得です」という答えが返ってきた。数年前に同じような考えでバイトに励む学生がいたことを思い出した。確かあの学生の場合は5月の連休には働くことを決め込んでいてデートも旅行も連休後という考え方だったように思う。ゴールデンウィークであれお盆休みであれ、日本はどこへ出かけても人だらけ、おまけに物の値段が高く設定されている。宅急便の彼も僕の住む近辺では交通量も少なくて運転もし易いことを知っていて、効率的に宅配ができてペイもいいというものだ。
 連休に「自分は自分、他人(ひと)は他人」とばかりに汗を流して働く人から学ぶことは多い。コンフォーミティ(conformity)という言葉が英語にある。社会や集団に属して、その考え方や生き方に順応することという意味である。川の流れに乗って泳ぐと体力も使わず気楽に流れていくことができる。同じように社会の流れや集団の中の一人として生きることは気が楽だ。そんな中で自分は自分、他人は他人と自分を表面に出す生き方は往々にしてあまり気楽な生き方とは言えないところは確かにある。周りの人達に変人的な見方をされることが往々にしてあるからだ。それでも歴史を紐解いてみると何か偉大な発見や発明をした人に変人と言われた人は多くいる。変な人と書きはするけれど、彼らは周りの人達に紛れてペースを同じくしている限りその人達よりは遠く先へは行けないことを知っている人達かも知れない。

道案内、昔は「角を曲がればタバコ屋が…」

2024-08-09 16:40:41 | 日記
 新聞の読み方がその日の1面の見出しによって順にページを進む時と、不思議と後ろの社会面から逆にページをめくる日がある。案外後者の方がスムースにページを進める印象が僕にはある。なんとなく横書きに慣れている事が理由だろうか。それから各面の読み方はこれもなぜそうなるのかは分からないのだが下段の小さな記事から眼を通す傾向もある。その方が身近な記事で面白いものが多いような気がするのだ。ということでページの下部に出る死亡欄を見ていると、最近は世間で指摘されている人生100歳論を裏付けるように確かに寿命は伸びているように思う。理由は90歳前後の人の死亡を伝える記事が多くなってきた気がするのだ。
 先日に発表された今年の平均寿命によると、女性が87.14歳で男性は81.09歳、女性は世界一で男性は世界5位のランク付である。勉強不足でなぜそうなのかは胸を張って語れない。同じようになぜ女性の方が男性よりも長生きなのかも知りたいと思う。生きるということを考えてみれば、人は生れる時から不思議や驚嘆の連続だ。喜びや希望、悲しみや悩みや恐怖、そして挑戦や愛などと次々と展開する人生に、生きると言う事そのものがミステリーと言えるのだ。ただただ前に向かって進むのみ、その過程で僕や仲間の年寄りが今頃になって気づいたことは、”生きるミステリー”とは歩き続けて角を曲がれば次に何が待ち受けているのか全く分からないということだ。角を曲がればワクワク感のあるものに出会う方が良い。「人生は短い。そしてまた人は完璧である必要はない」ということも学んだ。

盆踊りの陶酔:余計な悩みからの解放

2024-08-06 16:59:37 | 日記
8月6日 火 盆踊りの陶酔:余計な悩みからの解放

 夏の風物詩、盆踊りが日本全国でたけなわときく。僕は子供の頃に何度か友達と参加した事があるが大人になってからは数回見物に出かけた程度で少なくとも最近は10年以上足が全くそちらの方には向かない。なんといっても暑い事がもちろんその理由のトップに来るのだが、それ以外にもとにかく人が多く集まるところが苦手でになってきた。身体中が汗と埃にまみれて僕の体中で不快指数が最高の数値に達するように感じるからだ。
 夜空を見るために外に出ると、遠くに響く「河内音頭」の音色が耳に心地よい。本当を言うと河内生まれの河内育ち、河内人の僕は(外目にはそうは見えないらしいが――どう言う意味や?)河内音頭が大好きで、あのリズムは独特で、踊る人たちが櫓(やぐら)を何周か回るうちに陶酔状態に陥るのだ。ビールを飲みながら傍から踊る人たちを見ているだけでも同じ結果が期待できることを経験した。リズムに乗るというのはそういうことを言うのだと理解している。
 完全にリズムに乗って起こる陶酔状態とは一点集中だ。全く他のことは頭から消え去る状態のことを言う…となると、話はかなり飛躍するけれど勉強や将来に向かって精を出す若者達、面白い話がある。”impossible不可能な” と言う単語を集中して見つめていると i’m possible(*)に見えてくるという。英語としては間違ったセンテンスなのだが、ぼや~と自分(I’m)が可能性があるように(possible) に見えて来るというのは楽しい発想だ。目標への没頭、集中は成功の道案内をしてくれる。  [(*)It is possible for me to do ~. の型をとる ]

「お朔日(おついたち)」を大切に

2024-08-02 16:43:27 | 日記
 連日の35度越えの最高気温を何とか生き延びたと思っていたら、考えてみれば今日はもう8月の2日である。昨日はひと月綴りのカレンダーの7月分を破いて8月の初日、お朔日の「1」をじっと眺めている自分に気がついた。時々耳にする“お朔日"には信心深い人は前の月を平穏無事に過ごせたことを感謝して、そしてまた新しい月への同じ願いを込めて神社に参るという。確かにそう言われれば毎日毎日何事もなく過ごせていることを当たり前と考えないことは大切な心の持ちようだ。僕もよく似た感覚を心の中に持っていて、何事も始まりの時があることをとてもありがたく思っている。毎月の"ついたち"には心のリセットができるからである。
 アメリカから帰国した当初は女房がお赤飯などを用意して食べるお朔日が時々あった。彼女の実家はお朔日を大切にしていたと聞いていた。月の始まりは新しい潜在的可能性というか、何かの期待を予感させるものがある。お朔日を大切にする習慣をつけると何かいいことが起こりそうな予感を一年に12回も味わえることになる。毎月やって来る「1」という数字は新しいアイディアというか考えを生み出すきっかけになるという感覚を何度も味わったことを思い出す。読書などでも前日の続きを、次の日に新しい章から始めることが楽しみだったりすることも同じような意味合いを持っているのではないだろうか。年明けの元旦の決意は実行に移すことを忘れてしまいがちだが、月初めの決意などはうまく心と体に作用する。案外、大計画より小計画の方が現実味があって実行できる可能性が高いものだ。8月、何か良い事が……それにしても暑ッ!