兄弟や友達などとラインで繋がると便利な上に話の要点を短く的確に伝える術も学ぶことができる。とはいえかつての昭和の暖かさを大切にと声を聞かなければなどという電話派の人もいる。確かにたまに声を聞きたくて電話などで話すとその意味がわからないでもない。でもやっぱり現代の日常はラインでのやり取りが主流であることは否めない。そんなことを言いながら、手助けなしにはラインで友達になることができない自分のことが情けない。
僕は全く知らない若い二人連れにラインのつながり方を教えてもらったことが2度ある。一度は随分以前に弟と一緒にレストランにいる時に隣の席のカップルに手助けをしてもらったこと、それから先日は二度目、最近知り合った囲碁友達とのつながりを手助けしてもらった。丁寧に恐れ入りながら「すみません、ちょっと助けてもらえないでしょうか。ごめんね、厚かましくて」と切り出せばほぼ間違いなく色々手助けしてくれる。人はみな親切だ。年寄りは「昔は良かった」と文句が多い人もいるけれど、それは単に新しい時代に適応できなくなっただけのことなのかも。若かろうが年寄りであろうが人が避けられないものが二つある。それは“生きる“ということ、そしてもう一つはいつかはやって来る“死“である。最初の“生きる”、は、日々気楽に物事にあまりとらわれない自由な境地、融通無碍の精神で暮らしていけば人生案外面白い。昔を懐かしむ年寄りは現代に腹が立ったら100まで数え、うんと腹がったたら1000まで数えればそれで済むことだ。時代と共に楽しく生きれば自然と楽しく終われる日がやってくるのでは…