学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

「もののあはれ」とはなんだろう

2024-01-12 16:42:38 | 日記
 先日の真夜中、トイレに立ってから突然眠れなくなって枕元の携帯のラジオをつけてみた。眠れない時は小さい音でNHKの「ラジオ深夜便」をつけるのが僕の眠りに戻るための方法である。(眠れなければ起きればいいなどという人もいるが僕はベットから出ると本当に起きてしまう)そんなことはどうでもいいのだが、耳にしたのは「もののあはれ」を題材にした古典文学関係の研究者(?)だろうか、失礼だが名前も覚えていないお二人の対談だ(後日内容をもう少し詳しく調べてみよう)。なにせ真夜中の自分の脳と心の葛藤中、ほとんど覚えていないのだが、小野小町だの源氏物語などに出てくる「あはれ」という言葉についてのお話であった。
 深夜に眠れず悶々としていること自体が本当に“あはれ”を感じさせるのだが、この単語は本当に厄介で一言で説明ができない言葉なのだ。日本人の持つ独特の繊細な心情を表現するにはこの”あはれ”を避けて通れない。まずは辞書などを調べてみると現代的には「哀れ」「憐れ」と表記されてしみじみとした趣、情趣や風情を想う様子であったり、人生に対する儚さ、無常であったり、懸命に生きる人々への憐憫(れんびん)の情であったりする。
 つまり、しみじみとした趣や感情に僕たちが発する「ああ」といういろんな種類の感動詞であると理解しようとした。「あ~」があれば「あ~あ」もある。「ああ」は語調を変えたり自分の気分をうわ乗せすると様々な感情を人に伝えることができる。感情の総合体のようなものが「あはれ」なのでは、などと自分を納得させることとした。まだまだ勉強不足の僕、「あぁあはれ…」

「成人の日」目覚め:大人も不完全な存在

2024-01-09 16:14:02 | 日記
 昔、僕が成人となった頃は「成人の日」は1月15日と決まっていた。休日のその日を中心に1月の予定を立てていたのを覚えている。近頃は年によって「成人の日」が変わることには違和感を覚えてしまう。おまけに18歳の成人などと言われると、僕の時代を思い出して18歳はまだ子供という意識が頭から抜けきらない。今でも18歳の成人は大学受験に、または就職に西走奔走、お酒も飲めない成人などありえない、などという意見も頻繁に耳にする。自治体によっては成人式は20歳の人を中心に催されるとも聞く。
 最近の成人式にはお酒を飲んで式場で暴れるような新成人はいなくなたのだろうか、新聞でもその種の記事を目にすることがなくなってきたように思う。大人としての責任を学ぶこと、少なくとも身につけようと努力すること、という成人することの意味に目覚めたかと一安心する。しかしそれで安心してはいけない。AIを利用して偽情報を拡散したり、単にお金の余裕が欲しいというだけで犯罪に巻き込まれる新成人がいる。そうかと思えば最近のすぐに答えを求める風潮に振り回されてことの良し悪しも考えずにAIの利用に走る若者もいる。自分で考えるということを面倒だ思う傾向にあるというのだ。自分で考え苦労して工夫して何かに挑戦する喜びを知ろうともしないのだ。そんなことを考えていると時代を背景に新成人の抱える問題も変化してきたことを痛感する。しかし、ちょっと待て僕が成人になった日、成人、大人とはなんと頼りなくてもなれるものだと感じながら、大人もまた多分不完全な存在なのだろうと薄々感じ取ったものだった。

「経験」イコール「失敗」という図式

2024-01-05 16:18:11 | 日記
 年始から石川県の地震関係を中心に気が滅入るような報道が新聞はじめテレビに続く。二日には羽田空港滑走路上での飛行機同士の追突事故。一方は民間の航空機、もう一方は海上保安庁の飛行機だ。海保の機は石川への支援物資を届けようとしていたという。民間機JALの乗客乗員はなんとか全員無事脱出、しかし海保の方は機長以外の5人が死亡という大事故だ。
 この種の事故は原因や責任の所在が問われることとなるけれど、この点に関してはまだ捜査の段階だ。(どこかの国の政治家よろしく「お答え(?)は控えさせていただきます」…)ということで事故に関することは後の捜査に任せるとして、僕の脳裏を行き交うものは「人間は大なり小なりミスを犯す動物だ」という言葉である。つまり、「完璧な人間は存在しない」という意味だ。人生の大半を教育現場で過ごしてきた僕にとっては、学生に教える重大な一言は「人はミスを起こす。失敗しない人は何も挑戦しようとしない人である」などと探究心を刺激することから始まって、「気にしないでミスを犯しなさい。成長はミスから始まる」などと展開していくことであった。過去に犯したミス、失敗を糧に学ぶことは多い。「経験」という言葉は「失敗」という言葉に置き換えることができると言っても過言ではない。今回の航空機事故も、“犯人探し”ということから事故を少しでも減らすために空港はじめ空の安全確保はどうあるべきかという方向に事故調査が進められていくことを心から祈っている。

明日の太陽に「希望」という名を

2024-01-02 17:40:10 | 日記
あけましておめでとうございます。新年にあたり皆さんのご多幸をお祈りいたします…
 新年を迎えてこの年に対する期待などを話して明けた元旦、期待や喜びで過ごした午前中が嘘のように午後4時すぎには暗転、石川県の大地震がテレビで伝えられた。と、同時に僕の住む大阪でも嫌な揺れを感じた。天井からぶら下がっている照明が大きく揺れ始めて床が滑るような気分が悪くなるような揺れである。繰り返す大小の揺れが1分近くは続いたのではないだろうか。
 日が明けて今日2日、新聞の休日に情報を求めてテレビをつけるとやはりNHKが被害状況を伝えている。倒壊した家屋と瓦の散乱、形を留めたまま横倒しになっているビル、昨夜から燃え続けている輪島の火災、大地の隆起で波打ってズタズタに亀裂が走っている道路、そして津波、惨状が目に飛び込んでくる。元旦の地震、これをどのように理解すればいいのだろうか。人は自然と共に生きているという事実が嫌が上にも意識させられる出来事だ。地球の各地で起こる自然災害に人間が戦争などして争っている場合ではないと教えられているように感じた。
 日本には地震が多い。いろいろな被害を目の当たりにしながら、僕は生きるという意味を考える。次々と起こる「想定外」や「まさか」の繰り返しにあれこれと頭をめぐらせる。「生きる」という意味。僕がまとめた人生とは…昨日に学び、今日を生き、その日は必ず終わる。明日に顔をだす太陽に希望という名を付けること。日はまたのぼる!