昔、僕が成人となった頃は「成人の日」は1月15日と決まっていた。休日のその日を中心に1月の予定を立てていたのを覚えている。近頃は年によって「成人の日」が変わることには違和感を覚えてしまう。おまけに18歳の成人などと言われると、僕の時代を思い出して18歳はまだ子供という意識が頭から抜けきらない。今でも18歳の成人は大学受験に、または就職に西走奔走、お酒も飲めない成人などありえない、などという意見も頻繁に耳にする。自治体によっては成人式は20歳の人を中心に催されるとも聞く。
最近の成人式にはお酒を飲んで式場で暴れるような新成人はいなくなたのだろうか、新聞でもその種の記事を目にすることがなくなってきたように思う。大人としての責任を学ぶこと、少なくとも身につけようと努力すること、という成人することの意味に目覚めたかと一安心する。しかしそれで安心してはいけない。AIを利用して偽情報を拡散したり、単にお金の余裕が欲しいというだけで犯罪に巻き込まれる新成人がいる。そうかと思えば最近のすぐに答えを求める風潮に振り回されてことの良し悪しも考えずにAIの利用に走る若者もいる。自分で考えるということを面倒だ思う傾向にあるというのだ。自分で考え苦労して工夫して何かに挑戦する喜びを知ろうともしないのだ。そんなことを考えていると時代を背景に新成人の抱える問題も変化してきたことを痛感する。しかし、ちょっと待て僕が成人になった日、成人、大人とはなんと頼りなくてもなれるものだと感じながら、大人もまた多分不完全な存在なのだろうと薄々感じ取ったものだった。
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