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学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

「皆既月食」に人生や未来を考える

2022-11-11 16:19:44 | 日記
 パチンコは数字が並ぶと大当たりだ。昔は時々パチンコを楽しんだ時があったけれど、もう何十年もパチンコ屋さんには足を踏み入れたことがない。同じ数字が並ぶとラッキーな雰囲気があるのはこの大人の遊具のせいだろうか。今日は11月11日、1が4個並んだ幸運の日(?)だ。幸運の日と言えば日曜日の夜空の天体ショー、「皆既月食」だ。満月が徐々に地球の影に隠れていく様を秋の冷気を感じながら目撃した。テレビのニュースで大騒ぎをしているので、この現象は凄いことなのだと思っていたら、単にすごいだけではないことがわかった。月が天王星を隠す「天王食」も同時に起こって、日本では過去5,000年で一度もない現象だという。皆既月食と「惑星食」が重なったのが442年前の「土星食」、次に起こるのは322年後などと新聞は伝えていた。
 何百年単位の現象などということを耳にすると、遠い遠い夢のような時間の経過で自分の存在が小さく感じる。リニアカーだの、超スパー音速ジェットの日米間飛行時間1時間など物の数ではない。遠いどこかも知らぬ時代や社会の話で、自分には全く無関係。短い人生を感じるだけではなく、悩み、もがく日々の暮らしが馬鹿らしくなってくる。一生一代、自分の人生を大切にという思いが強くなる一方で、未来を生きる子孫が少しでも平和に楽しく生きればそれで良い。今、僕が知っている人々も100年後には多分この世にはいないだろう。直近の自分の孫の時代にさえ、自分はもうこの世には存在しないだけでなく、そこは自分の力の及ぶ空間ではない。とにかく、世の中が、社会が、地球に住む人々が共存共栄、理想とするものが何であれ、それが未来にあることを…。天体ショーで徐々に隠れていく満月を見ながら、そんなことを考えていた。

期待値は少し低い目に

2022-11-08 15:51:11 | 日記
 僕の家から歩いて5分、花園ラグビー場を中心に広がる東大阪市の花園中央公園で11月5、6日の2日にわたって「花園エキスポ」開かれた。キッチンカーや最新技術をリードする様々な企業が参加してなかなかの賑わいであった。僕はといえば、ラグビー場の観客席の下、入り口を入ったところに展示されていた「空飛ぶ車」がお目当てである。“くるま”と名付けられているからタクシーのようなもので、車体に何か空を飛べるような翼か、車付きのヘリコプターのようなものを想像していたのだが、それはドローンのでかい番。車体の下から突き出た7〜8本の太い棒に小さな回転体が取り付けられて、これはどう見てもドローン以外の何者でもない。
 それはそれでいいとして、僕らの世代は未来の話になるとどこか他人事のような距離感を感じることが多い。20年後、30年後、と言った話が新聞に掲載されるたびに、自分はその頃にはこの世にはいない、と言った感覚が頭をよぎる。空飛ぶ車と言われてもまず僕がその恩恵を受けることはないだろう。自分の年齢もさることながら、僕は高所恐怖症なのだ。この乗り物に乗れる機会は全くゼロである。運転は地上のリモコンで行われ、運転手もいない二人乗りだ。なぜかワクワク見に行って完全に興味がなくなってしまった。ワクワク感と期待は同じようなもの、期待し過ぎるとひどい目に遭うことは何度も経験してきたではないか。「期待しなければ落胆することはない」って誰が言ったっけ。“誰があなたを傷つける?あなた自身の期待感 Who hurts you? Your own expectations.” などという何ともガッカリする名言が英語にはある。

何でも「端折る(はしょる)」傾向

2022-11-04 16:16:55 | 日記
 秋と言えば、食欲の秋、読書の秋、そして紅葉。読書の秋を選ぶ人は少なくなっているのが今日この頃の傾向だ。なので、と続けようとして気がついた。何かを話題に話していて、「その結果」、「そういうことで」、「そういう理由で」、などを表現する場合に「なので」という表現を使う人がとても多い傾向がある。テレビを見ていてもコメンテーターと言われる人たちが何かにつけて「なので」を頻発する。意図はわかるが、何となく異物を飲み込んだような気分になる。まぁ感覚重視のこの頃の風潮を考えれば目くじらを立てることはない。言葉の変化と言うのは面白いと思いながらも、どこか釈然としない言葉がまかり通っているように思う。
 そういえば少し気になるもう一つの言葉に、「半端ない」という表現がある。“中途半端ではない” という意味だというが、これも何となく違和感を感じながら受け入れている言葉である。バイクのマフラーを外して近所を走る青年がいる。夕方になると決まって耳をつんざく音を辺りに撒き散らして、走り回る。その音たるや「半端ない」。巡回に来る巡査さんにその話を聞くと、なかなか(注意するために)止められないのです。彼が出没する時間がまちまちだからだという。彼らは目立ちたいだけ、本当の悪(ワル)はそんなものではない、という返事に笑って納得したようなふりをしたけれど、何となく釈然としない。些細なことを取り立てて咎めるつもりは毛頭ないのだが、何となく落ち着きが悪い言葉が流行しているように思っている。“他人の靴を履いた時の違和感” とはこんなことを言うのだろうか。

今日を良い日にする方法

2022-11-01 16:29:24 | 日記
 日曜日、久しぶりに家から歩いて6分の東大阪市の花園ラグビー場公園に足を向けた。暖かい太陽と透き通るような青空が、僕を外に駆り出した。何かのイベントが行われていて、僕たちにとっては騒々しい音楽が響き渡る一方で、日陰のここかしこに年寄りの男女がベンチに座ってそれぞれひとり時間を楽しんでいるように見える。歩き疲れてちょっと一服とベンチに腰をかけた時、横の男性が話しかけてきた。「誰も遊んでくれまへんねん…」とポツッと呟いた。僕に同意を求めているのは明らかである。「仕方がないですね。今日は特にお若い皆さんのイベントですものね」と何となくバラバラの会話。お互い顔を見合わせてニコッ笑って別れた。多分長年の会社勤めを終えた人だろう、またお会いする日はあるかもしれないけれど、この人との接点はこの一瞬だけ。退屈している年寄りのために1日を楽しいものにする方法を考えてみた。
 僕は退屈しだすと庭を掃除したり、散歩に出たり、自分のささやかな書斎を片付けたり、体を動かすことにしている。断捨離も含めて、自分の周りを整理整頓し始めるのだ。そんな作業は空白の時間を埋めてくれる。今、自分ができることに専念する。気分がさわやかになる。
 チャールズ・ディケンズが言った。“誰でもがいっぱい持っている「今の喜び、祝福」をじっくりと考えなさい Reflect on your present blessings, of which every man has many. ”と。今の喜びとはなんだろう。家族? 帰る家があること? ペットとの散歩? 今、ベンチで座って世間を見ていることだって「今の喜び」だ。英語のブレッシングとは祝福、神がくれた幸せや恵みのことである……はい、それまでよ〜♪<無責任男、植木等> 誰それ? 古っ!