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学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

「脳」、君は賢いのかバカなのか?

2022-07-12 16:39:42 | 日記
 惨事などの同じ映像を何度も繰り返し見ることは心の健康に影響を及ぼすと新聞に載っていた。今回の報道は先日の安倍元首相暗殺の瞬間の映像のことである。以前、衝撃的な映像の心理的影響を指摘されたのはアメリカの同時多発テロのWTCビル崩壊シーンのことだったように記憶している。衝撃的な映像は確かに網膜に焼き付けられてあまり良い影響があるとは思えない。
 この種のことで僕は日頃気にしていること、それはテレビのコマーシャル。映像もさることながら音楽が耳につくのである。夜、ベットに入って寝る体勢に入ってもCMソングに頭を支配されていることに気づくことがある。キャットフードのコマーシャル、猫がぺろぺろフードを舐めている時に流れる曲が耳について離れなくなる。もっと以前には味噌のコマーシャルで出てくる“♬〇〇味噌!”のリズムが頭から離れなくて困った事もあった。もっと以前にはスーパーのバックグラウンド音楽(BGM)や店の名前を繰り返すコマーシャルの曲に悩まされたこともあった。これらは要するに繰り返しによる「洗脳」である。気付かないうちに脳に及ぼす“刻印付け”で、相対性、客観性を見失ってしまう。無意識のうちに頭に入ってくる暗示には本当に要注意だ。
 話は全く別次元だが、若い時の勉強などは繰り返しが必要なものがある。歴史や古典の一部、数学などの基本平方根の値などがある。歳をとると、脳には絶えず刺激を与えないと認知症になると脅される。外に出て歩くことを繰り返さないと、使わない筋肉は不要と脳が命令する。「脳」、君は賢明なものなのかバカなのか、教えなければすぐに騙される不思議な存在だ。

会話とは「叫び合うこと」ではない

2022-07-08 16:13:56 | 日記
 国内の新型コロナウイルスの感染拡大がまた話題になり始めた。感染拡大の原因は正確には分からないが、レストランなどで大声で話す人達が原因の一部ではないかと自分かってな推量をたてている。つまり、日本人の公衆道徳意識の低下に何らかの関係があるのではと考え始めた。別々の日に、ランチタイムを外して入った3軒のレストランでは3軒とも大声で話す騒々しい数人の人達が周りの会話の妨げになっていることに気がついた。数人の道徳意識のない人達のお陰で店内の会話の音量が高くなってくる。大声で話さないとこちらの会話が続かないのだ。
 一昔前、”TPO(time-place-occasion)”という言葉をよく耳にしたものだ。“時、場所、場合(ケース)”によって服装や言葉使いなどを使い分けるという周りに気を配る公衆のルールである。最近はこれを無視する人が増えてきているのだ。TPOを崩しているのはテレビと言っても過言ではないと僕は考えている。例えば、ファッションショーのような女性アナウンサーの服装、どうみても仕事をしている時の出立ではない。隣にはネクタイにスーツ姿の男性達。チグハグである。冬の真っ只中に夏のようなスリーブレスの若い女優さんの服装、帽子を被ったままのインタビュー番組のゲスト、それがその人の“売り”とは言え、見ていて違和感を抱く。数週間前の新聞では、「着物にスニーカーはダメなのか」などの相談記事。僕に言わせればダメに決まっている。スニーカーは運動などの時に履くもの、用途を考えなくてはいけないことを説明する必要があるのだろうか。周りで何かが崩れてきている…なんて考えるのは僕が歳をとったから?

そんなに急いでどこへ行く

2022-07-05 16:29:41 | 日記
 不要不急の外出を控えましょう、と皆がお互いに注意しあっていたのはいつの頃か。今やそんなことは忘れたように、街は大勢の人で賑わっている。先日は僕が乗る地下鉄電車に発車間際に走り込んできた若者がいた。「発車間際の駆け込み乗車はお控えください」のアナウンスはどこ吹く風、閉まるドアにぶつかりながら駆け込んで、僕の向かいの空いた席にドシンと乱暴に座り込んだ。手にはスマホが握られていて何食わぬ顔で操作を始めた。車内が一瞬嫌な雰囲気になるのを感じた。人はすんでのところで電車を乗り過ごすと、何か大きな損をしたように感じる。逆にうまく乗れた場合は大きな得をしたように。競争社会の生活の中では損得勘定がクローズアップされて何となく慌ただしい日常になってしまう。僕が歳をとって気づいたことは、とにかく約束には余裕を持って家を出ることだ。電車の一台や二台乗り過ごそうが平気で何の影響もない。
 思い出すのは『ウサギとカメ』の寓話だ。寓話(ぐうわ)とは何かの教訓や風刺を動物を擬人化して語られる物語だ。この話、“急がば回れ Slow and steady wins the race.” という教訓で知られている。競争社会では急がば回れなどと言っていたら社会から置いてきぼりにされるのがオチ、“退屈より忙しい”がまし、などと主張する人は多くいる。『ウサギとカメ』は“目標をしっかりと見すえて、それに向かって着実に歩を進める” という大切な教訓を伝えようとしている。我々の社会や人生を豊かにしてくれるものは、一見無駄に見える”ゆっく(り)リズム”だということだ。

ここにも必要「熱中症アラート」

2022-07-01 16:30:02 | 日記
 6月の後半から異常な暑さが続く。僕が子供の頃から知っている夏の気温ではない。うだるような暑さ、肌を焼く激しい太陽光線。この関連の新聞記事を拾ってみた。酷暑、電力の逼迫、熱中症アラート、紫外線リスク、などの文字が躍る。偏西風の蛇行が北海道のやや上部まで移動して、下から太平洋高気圧が張り出して日本列島を覆っている。西からはチベット高気圧なるものも張り出してきて太平洋高気圧と重なり、さらに高気圧の威力が増すとの解説もあった。
 熱中症アラートなるものが発令されるようになって、ふと考えた。昔は日射病という言葉で現在の熱中症を表していたように思う。熱射病や日射病という言葉は今も生きているらしいが熱中症が主流になってほとんど耳にすることがないようにも思う。暑い!とにかく暑い。朝にプランターの花や木に水やりのために数分庭に出ているだけで身体中に熱がこもる。これを熱中症と呼ぶらしい。大阪の富田林市で暑い部屋に2歳児が放置されて死亡したという何とも痛ましい事件の報道があった。毎年起こるこの種の事件に心が痛む。おりしも、駅前のパチンコ屋さんと合体していると思われる例のタイムズの駐車場、入り口の壁の大きな看板には“子供車内放置禁止”の大きな文字が。パチンコ店には子供連れでは入場できないらしい。車内に放置された子供を発見した場合は窓ガラスを割ったりして救出処置をとるなどの説明が付け加えられていた。ものによっては寝食を忘れ、夢中になって取り組むことは成功をもたらす。しかし、パチンコ夢中症、熱中症には“パチンコ熱中アラート”なる別の警報を考えなくては。