学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

甲子園の熱いおもい

2019-08-09 19:38:08 | 日記
甲子園に今年も熱い戦いを繰り広げる高校生の文字通り‘暑い熱い夏’がやって来た。甲子園には夢がある。全国高校野球大会の聖地、甲子園が生み出す人間ドラマが感動を生む。毎年、春夏の高校野球は野球好きの僕の心を躍らせる。今年もまた始まった。どんなドラマが生まれるのだろう。
過去のドラマを調べてみると、アメリカに渡った菊池勇星君、腰を痛めて「もう野球が出来なくてもよい。この仲間といたいから」という高校生頃の彼の言葉である。甲子園を目前に父を癌で亡くした氏家大輔君は兵庫県の代表だったと記憶している。彼は甲子園には不思議な力が宿ると言ってホームランを打った感想を表現した。バッターボックスで父が頭に出てきたという。確かに長い高校野球の歴史の中で、高校球児にとっての甲子園という目標が間違いなく歓喜と落胆のドラマを生むのである。
今年も8月6日(火)、開会式が挙行された。選手が行進するさまは観客に独特の感動を生打出す。「ついに来た」、「甲子園に来た」、という喜びと誇りが選手諸君に溢れているように見て取れた。Stand tall.(堂々としなさい)という英語の表現を筆頭に、Stick your chin out.(顎を突き出せ)、Pull your shoulders back.(胸を張れ)などと自分を鼓舞したりする表現はどこの国にも存在する。日本の球児には甲子園の土を踏むということが青春の情熱を注いだ誇りである。
甲子園の土と言えば、負けたチームの選手達が出場の記念に袋に入れて持ち帰るという慣習がある。試合後の汗にまみれた腕や真っ黒の手がテレビに映し出される。土を掻き出しては泣きながら袋に詰めていく敗者の姿が痛々しい。なぜ、こんな慣習をいつまでも続けているのだろうか。誰かが代表で一袋程度持ち帰ればそれで済む。現在の状況はと言えば、持ち帰った大量の土は小瓶に入れて青春の一コマとして保存され、残りの大半は庭かどこかに捨てられてしまう。高野連も運営上のことも含めてこの大会の細部の見直しをするときが来ているように思えて仕方がない。