学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

タピオカと長蛇の列

2019-08-13 15:27:30 | 日記
平日の午後、大阪の梅田エリアを歩いてみる。中国人を始めとする観光客も多いのだが特に目を引くのが多分夏休みに入った大学生や高校生と思われる若者達。アルバイトに精を出している人も沢山いるのだろうが、それでも町でみかける若者はデイトや買い物を楽しんでいる人が多いように見かける。特に女性が優勢である。
長蛇の列と言えばタビオカに並ぶ女性の数の多さである。列のあるところと言えば必ずといっていいほどフルーツのジュースやタピオカの入ったミルクティーの大きな写真や看板が出されている店の前である。座って楽しむというような店構えではなく、単にカウンターのような台を中心にお金と商品を受け渡しするだけの店構えだ。若者が列を作ってジュースやタピオカ入りのミルクティーを一回り大きなストローから立ち飲みを楽しんでいる。
少し離れてその列や店の動きを写真に撮ったりして観察してみた。十数人の列の後ろには狭い路地、公道を挟んで「中継地点」と手書きの看板を立てた場所がある。そこからまた後ろに20~30人が並んでいるのである。列の中にいた男性は何と6人だけであとはすべて女性だ。この暑い都会の谷間にできた長蛇の列は何を意味するのだろうか。みなさん暇なのだろうか、老人の僕が街歩きで街を観察して楽しんでいるのは、やはり暇だからだ。若い人が暇をもて遊んでいる(?)ってことがあるのだ。何とも言えない驚きだ。流行に流される今日の人々をどのように捉えればいいのだろう。ぼくの頭の中をQマーク(?)がいくつも飛び交っているのを感じていた数分の出来事だ。「若者は現在という今を熱心に生きる」という事を聞いたことがある。へえ~そうなんだ。アメリカにも若者に対して“バカをしよう。別にどってことはないよ(Be silly. There is nothing wrong with it.)”というのがあって、特に深刻に考える必要はまったくないということだろう。
タピオカとは何かと言えば南米産の芋のデンプンだという。カロリーは高いが身体には良い働きをするとも聞いた。う~ン…何が物の流行を生み出すのだろうか。

甲子園の熱いおもい

2019-08-09 19:38:08 | 日記
甲子園に今年も熱い戦いを繰り広げる高校生の文字通り‘暑い熱い夏’がやって来た。甲子園には夢がある。全国高校野球大会の聖地、甲子園が生み出す人間ドラマが感動を生む。毎年、春夏の高校野球は野球好きの僕の心を躍らせる。今年もまた始まった。どんなドラマが生まれるのだろう。
過去のドラマを調べてみると、アメリカに渡った菊池勇星君、腰を痛めて「もう野球が出来なくてもよい。この仲間といたいから」という高校生頃の彼の言葉である。甲子園を目前に父を癌で亡くした氏家大輔君は兵庫県の代表だったと記憶している。彼は甲子園には不思議な力が宿ると言ってホームランを打った感想を表現した。バッターボックスで父が頭に出てきたという。確かに長い高校野球の歴史の中で、高校球児にとっての甲子園という目標が間違いなく歓喜と落胆のドラマを生むのである。
今年も8月6日(火)、開会式が挙行された。選手が行進するさまは観客に独特の感動を生打出す。「ついに来た」、「甲子園に来た」、という喜びと誇りが選手諸君に溢れているように見て取れた。Stand tall.(堂々としなさい)という英語の表現を筆頭に、Stick your chin out.(顎を突き出せ)、Pull your shoulders back.(胸を張れ)などと自分を鼓舞したりする表現はどこの国にも存在する。日本の球児には甲子園の土を踏むということが青春の情熱を注いだ誇りである。
甲子園の土と言えば、負けたチームの選手達が出場の記念に袋に入れて持ち帰るという慣習がある。試合後の汗にまみれた腕や真っ黒の手がテレビに映し出される。土を掻き出しては泣きながら袋に詰めていく敗者の姿が痛々しい。なぜ、こんな慣習をいつまでも続けているのだろうか。誰かが代表で一袋程度持ち帰ればそれで済む。現在の状況はと言えば、持ち帰った大量の土は小瓶に入れて青春の一コマとして保存され、残りの大半は庭かどこかに捨てられてしまう。高野連も運営上のことも含めてこの大会の細部の見直しをするときが来ているように思えて仕方がない。

長距離トラックのドライバーに学ぶ

2019-08-06 17:44:47 | 日記
日曜日の読売テレビの『地球便』を見るのが大好きである。海外で活躍している息子や娘に日本の親からの手紙や贈り物を届けるという番組である。8月4日の主人公は日本女性の長距離トラックドライバーの物語。日本では想像もつかないような広大なアメリカ大陸を東から西へ、西から東へと巨大なトレーラーを引っ張って文字通りアメリカ大陸を縦横無尽に走り回っている。日本人女性の身体的サイズとトレーラートラックの巨大さは何ともいえない不思議なアンバランスの魅力を引き出していた。運転席の後ろにある寝床は彼女とトラックが一体感をもつ相棒関係であることを見る人に伝えてくれる。
二十歳頃には何度かヒッチハイクをして、トラックドライバーにいろんな所に連れて行ってもらった。僕の将来の夢やドライバーの身の上話や家族の話し、尽きることのない楽しい会話が思い出される。トラックドライバーは皆まじめに働く人達だった。毎日が窓の外の景色との会話というかつぶやき、ひたすら続く道路との一体感、そんな生活が2~3週間は続いて家には帰れない運転人生だ。シカゴ、ニューヨーク、カンサス州などに同乗させてもらったことを思い出す。
僕自身も若い時にはレンタカーを駆ってアメリカ西部を走り回ったものだ。赤茶けた岩や渓谷、そしてその間行く河の流れなど、風景の雄大さに感銘した頃を懐かしく思い出す。今でもレンタカーを借りてアメリカ西部の小さい町に立ち寄って写真を撮ったりその土地の人達と食堂で話したりする旅を死ぬまでにもう一度してみたいと思っている。
数時間の運転で疲れて眠気に襲われてくると「この丘さえ越えれば何かすばらしいものがあるかも」(Climb up just this hill, something wonderful may await you.)なんてことを呟きながらどこまでも続く広大なアメリカを楽しんだものだ。勉強も仕事もこの‘あとひと踏ん張り’の精神で乗り越えようと頑張ってきたように思う。僕がかつてお世話になったトラックドライバー達から教えられたひと言だ。

真夏の汗に思うこと

2019-08-02 16:33:59 | 日記
いよいよ本格的に夏の到来だ。ここ数日のなんと暑い日が続くことか。つい先日まで梅雨だの大雨だのと騒いでいたのがウソのように、今度は蒸し暑さと熱中症を心配しなければならない。水分をしっかり摂取して冷房をうまく利用しながらこの暑さを乗り切ってください、とテレビの天気予報が言っていた。35度を超えるような温度を示されると、日本の気候帯は熱帯なの(?)、などという冗談が盛んにささやかれて笑いを誘う。体温を超えた温度になると“身体に危険な温度”というらしい。とにかく庭に出て花に水をやるというような簡単な作業ですら動けば身体中に汗が噴き出す。一般に汗とは肉体的なものを主としてなんらかの労力費やすことを意味している。今日この頃の温度は汗に濡れた洗濯物が瞬く間に増えていくという環境だ。
汗と言えば「手に汗握る (緊張や興奮ではらはらすること)」や「汗の結晶 (苦労した結果、手に入れた成果)」などと使われる。人生、いろんなことに挑戦する人は、文字通り手に汗握る経験をすることが一度や二度は必ずある。僕も歳をとって昔の‘文無し’アメリカ留学時などを思い出すと、よくまぁ無謀なことをしたものだと今さら冷や汗をかくことがある。そうかとおもえば苦労や汗の結晶として手に入れたアメリカの大学卒業リング、金色に輝くこの重いリングはぼくの誇りである。勉強と仕事に明け暮れた大学時代を思い出す。いまではぼくの指が太くなって長く机の引き出しに大切に保管されている。(おなかもメタボ、少しはやせなければ…。弁明:そんなに無茶太りではない)。
挑戦と汗、人生には切り離すことのできない二語、そしてまた人生を生き抜くには楽観主義でものを捉える姿勢を大切にしたい。でも、それには無謀な楽観主義だけではなく用心や慎重さも同時に持ち合わせていなければならないものである。“楽観主義者が飛行機を発明して、悲観主義者がパラシュートを発明するThe optimist invents the airplane and the pessimist the parachute.”と言った人がいた。僕が大好きな人生を表す一言だ。僕がまだアメリカに住んでいる時に亡くなったGB スターン(Gladys Bronwyn Stern短編小説、劇作家、文学評論など)という英国女性の言葉である。