ここ二、三日は曇りがちの日が続いて空気は一気に秋を感じさせる。そんな折、いまにも雨を降らせそうな暗く垂れこめる黒雲が行き交う空を見ていたら、世界で見受けられる“暗雲漂う危険な状況”を写し出しているように見えてくる。残念なことだ。人間には共存するという知恵は備わっていないのかと首をかしげてしまう。
嫌なことはさておいて空を見上げているといろんなことを考えさせられる。特に秋の雲の種類は豊富で、雲を鑑賞するには最適の季節なのだろう。魚に関する雲などをひと塊にして名前を覚えたりしたこともある。鱗(ウロコ)だの、サバだの、はたまたイワシ雲だのに混じって僕の干支(干支)の羊雲もある。雲を楽しむ人は想像力がある人などと言われて見上げていると確かに雲はいろんな形に変化し続けて止まることがない。数分目を離すと犬のように見えていた雲の塊は形を変えて猫の形になっていたりする(ホンマか?)。ま、冗談はさておき、僕は時には雲の変化は人間の感情が長続きしないことの証明などと思ったりする。つまり雲は例えば考え過ぎたりすることなく、ただ広い空を漂っているだけなのだ。“悩む、考える”という行為はとにかく厄介なもので毎秒毎分変化して落ち着かないことに気がつく。いわゆる “あーでもない、こうでもない”の状態だ。行き詰まった時には空を見上げるのが一番だ。雲はどんな物でも不変のものはなく変化し続けるということを教えてくれる。抱えた悩みは雲のように、しばらく見つめていると雲散、消えてしまうのだ。世界の情勢を見ていると幸せだってボケっとしていると消えてしまうことを教えてくれる。
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