学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

いつか来た道行く道

2021-03-23 19:26:57 | 日記
先週の土曜日は1日中大雨の予想だった天気予報、見事に外れて快晴の下、お彼岸の墓参りを済ませた。時々見かける子供連れの家族の墓参の様子が親の子供への躾のあり方を考えさせてくれる。墓石の間を走り回る子供が必ずいる中で、「お墓は隠れんぼをする場所ではない」と注意する親がいるかと思えば頭ごなしに「コラ!アホ」を連発して走り回ってはいけない理由も言わずに怒鳴っている親を見かけることもあった。そういえば、ノロノロと墓地へのアプローチの道をいく老人に迷惑そうに舌打ちをして横をすり抜けていく人も見たこともある。急いでいるのだろうが思いやりがない態度をもろに出す人もいる。お墓参りに限らず街中至る所で見かける光景だ。僕がいつも思い出す慣用句は「子供叱るな来た道だ。年寄り笑うな行く道だ」というものだ。子供や年寄りへの対応はちょっと一呼吸をすることで相手も自分も傷つけずに済ますことができる。最近はあまり耳にすることがなくなったTPO(time-place-occation)という言葉、時と場所、そして状況や機会に注意することで社会生活はずいぶんと円滑に流れるようになる。子供にはそんなことを考えながら教えていくことが大切だ。お年寄りにはちょっとした思いやりでことが済む。僕自身も年寄りのカテゴリーに入っているのに、自分ではその意識が全くない。僕の中では年寄りとは85歳を超えた人(?)などと考えるとまだまだ先があると思えるからか。
ところで墓参りの目的とはなんだろう。僕は自分の存在を可能にしたご先祖のことに思いを馳せながら僕の家族の報告ついでに少々お願いをしたりすることにしている。ものの本によればご先祖の成仏と家族の状況報告が主目的で、お願いをすることは本来の墓参の意味ではない、などと記されている。堅苦しいことは言わずに自分流に自分の心の浄化を図れば良いと僕は考えたりしている。家に帰って仏壇に花を添え手を合わせ一息ついて「最初の呼吸が死の始まりなり」などと昔読んだ本のことをふと思い出してはまた余計なことに思いを巡らせていた。煩悩に満ちた頭を無にするのはなかなかできないことだなぁ。

コメントを投稿