学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

花の命は短くて…

2021-04-06 16:19:19 | 日記
コロナの自粛などどこ吹く風、人々がそれぞれ出かけることに対する後ろめたさとその弁解を用意しながら桜の花見に出かけている様子をテレビが盛んに映している。花見客に突き出されたマイクに「オープンな自然の中なら大丈夫かなと思って」とあるカップルが言えば、「こんなに人出があるとは思わなくって」と子連れの夫婦が弁解している。テレビは桜の満開を放映して人々を刺激する一方で、まるで花見客を批判しているかのようなインタビューで人々の行動を伝えている。
さて僕はと言えば今年はとうとうブラッと花見にすら出向かなかったことを心のどこかで後悔している節がある。家から5分も歩けば東大阪市花園ラグビー場と広大な公園があり、その周りに沢山の桜が植えられているのに。ここ数日は庭にどこからか飛んでくる桜の花びらが数枚車の窓ガラスにへばりつくようになってきた。日曜日の激しい雨と風に桜の花が気になって車で周辺を回ってみたら、ものの見事に花はなくなって葉桜の状態だ。桜の満開の時期は場所によって異なるけれど、今年は例年より早かったことは知っていたけれど、本当に桜の花の命は短いのだなぁと感心した。いつ咲くかいつ散るかと人々に気を揉ませるのが桜の花だ。毎年のように日本人の心はやはり桜と共にあることをこの時節には再確認させられる。『世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』と歌った在原業平の短歌は昔の人も現代の我々も桜に対する心情は変わらず同じであることを教えてくれる。業平の歌のとおり、この世に桜がなかったら咲いた散ったで気を揉むことなくのんびりと春を過ごせるのに。そう言えば紀貫之もよく似た短歌『ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ』と歌った。春の心地よい陽光の中でゆっくりする間もなく桜の花は散っていく。今年もまた桜の花に翻弄されて、気がつけばまた歳を取ったように感じる。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」来年こそはもっと活気のある桜の花見とほろ酔い気分を味わいたいものだ。