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猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

THE ALFEE 40年目の夏・・・1日め・7/26(土) in さいたまスーパーアリーナ

2014年08月21日 | THE ALFEE、Takamiy



行って来ました 

THE ALFEE 「40年目の夏」 さいたまスーパーアリーナ



さいアリと言えば・・・
昨年暮れ、大ちゃんの全日本選手権、フリー演技に大泣きし、女子ショートにもらい泣き、  
そして、一日目に隣り同士だったことから、Arさんとも仲良くなった、思い出の冬・・・。      

 今は夏の日差しにキラキラと輝き  (てか、アヅイんですけど・・・ ) 

今日は、アルフィーの3年ぶりの夏のイベント、  


その名もズバリ  『40年目の夏』               

私としては、アルフィー夏のイベントとしては、 人生3度目の夏 で、

人生 初のアルフィー2Days  
(タカミーソロとしては、昨年、第2期終了に伴い、初の2Days体験済みですが  
  なんやかやでUPしそびれてましてすみません。いつか、何らかの形にしたいと思いますのでご了承ください。   )


会場のある さいたま新都心 に降り立った時から、
心はワクワク、らん、らん、らん                


まず、駅の構内に、どっどぉ~ん  と大きな甲板を見つけ、テンションUP

黄金色に輝く 40thのロゴに、


この文字が、さんぜんと輝いています   

う~ん、気分エェわぁ~~~  

なんつったって 40周年  ですからねっ。  

これは、デビュー40周年を記念して 移籍前のポニーキャニオン時代に出たCDの復刻版+特別DVD の豪華セットで、9月3日に発売なのです。

どのくらい大きな看板かとゆーと・・・、



こぉ~んなに、大きいのです。   まんなかのオバチャンは小っちゃぃですけどね・笑。 



その後、さいアリ内の 「特設ブース」
(ちょうどステージの裏側になる部分です。フィギュアなどのように会場全体を使うのではなく、通常アーティストのステージだと一方をふさいで作るため後ろに未使用部分ができ、そこを一昨年の夏イベでもグッズ販売ブースとして利用していました。)

で、会場前にすでにグッズ販売をしているので、その列に並びました。


今回、2Daysということで2泊になるため、翌日早朝の高速バスで帰れば昼には着くため、
よって午後からの仕事には通常通り間に合うので、

そうすればふだん1泊二日で上京する時 (たいてい夕方5時20分新宿発の高速バスに乗るのでK到着が9時半となり、仕事は二日休むことになる) と同じで、2泊しても実質は、仕事は二日休むだけで済むので、

最終日に帰宅する際、さいアリからは近くても、新宿から遠いのでは不便だと思って、

ちょうど両方に程よく近くて、しかも駅から近い (もしかしてこれが最高条件かも!!) い~い物件があるんですぜ、ダンナ。

ぢゃなくって (笑) いいホテルを見つけたので、
最近のアルコンだと、新宿到着後にホテルに直行、チェックインの書類だけ書いて荷物を預けて、すぐにグッズ売り場に直行し、その後は買ったグッズをホテルに置きに戻って、夕方、身軽になってコンサートへ    
と、ゆー方法をとっているんですが、今回もそうしました。 (そうすると移動に便利なのは、会場に近いことよりも、駅に近いほうだったりしますよね)


特に通常のツアコンよりも多くの方が参加する夏イベは、グッズで売り切れ商品が出る可能性もあるので、売出しスタート時間も通常よりも早いし、早めに買って、ホテルに戻る頃には部屋に入れる時間になるので、
部屋で、精神的にもゆったりとした気分で? (時間的には小一時間~2時間ほどですが) 1人ゆっくり、時間があればシャワーを浴びたり、 遅いお昼を軽く食べる (たいていおにぎりを1,2個) という方法をとっています。


その昔、上京する際にはたいてい友人宅へ泊めてもらっていたので (宿泊代を浮かせたかったせいもあるが、せっかく上京するので、友達に会う楽しみも込みで行きたかったので) 一泊なり二泊の手荷物の中に、泊めてもらう子へのお土産も入ったデカバッグをさげて、午後の行事が終わってその子の家に到着するまでずぅーっと持ち歩いていて、ちょー、重くて疲れたので、

そのうち、お土産は前もって宅急便で泊めてもらう子の家に送って、少しでも荷物を減らすようにしたが、

泊めてもらう子の家庭の事情が変わってきて泊まりづらくなったり、泊めてもらう子の家まで遠かったり、バスがない時間になりタクシーを使ったため、交通費と土産代でホテルに泊まれるくらいかかっちゃったり・・・

などということが重なったので、一度ホテルを取ってみたら、会場には近いし、手荷物がなくて身軽だし、土産の心配やいくら仲が良くても礼儀として使う気遣いなどが全くなく、ちょーらくちん   だったことから、

なんでもっと早くに、こうしなかったの? みたいな・・・
まあね、昔は3,40代で若かったのでお友達と一晩中飲んでしゃべっても楽しかった(飲んでたのはほぼ私一人だが・笑)けど、もう、そんな年でもないしね。  
( いつも泊めていただいたお友達の皆様、その節はどうもお世話になりありがとうございました。楽しかったですし御恩は忘れません。もうご迷惑おかけすることもないかと思われますので、ご安心ください。すみませんでした。  )

得にアルコンの場合はグッズを買ったりすると荷物が増えるので、余計にホテルと会場を行き来できた方が便利で(翌朝宅急便で荷物を送る際にも便利だし)、
おまけに、誰にも気を使わずに自由に行動できるので、「お一人様参加」 が、ちょーらくちん   なのです。


おっと、またしてもハナシが 大ソレ (ミオ) しちゃいましたが、  



そうそう、アルフィー夏のイベントときたら、広大な場所に巨大なセットを組み、エンディングは華やかに花火が夜空を彩る、

というのが風物詩だったのですが・・・

それを体験できたのは、私の場合、野外としては “とりあえず” 最後とされた 
2009年8月8,9日の 『PERFECT BURN』(於:横浜赤レンガパーク) での2Days (ネコタは初日の8/8のみ参加) 

だけだったので、

また、このように “野外としては” 終止符を打ったのには、コンサート参加者で難聴になる人まで出てしまう (らしい) ほどの爆音ライブが、近所迷惑になる、ということらしいので・・・

もう、野外はないだろうなぁ~、と思いつつも、

実は 「夏イベ」 自体も2009年を持って 「最後」 と言われていたのに、
その後2012年に、リーダー高見沢俊彦の、おそらく “気まぐれ的に” (失礼・でも、そーゆーの大好き、大歓迎 ) 復活したので、

今後、一つ一つの節目がセレモニー化しそうな予感があるだけに、 “夏イベを野外でやる” ということが、まったく可能性ゼロではないかもなぁー、と思わないでもないが、(なっがぁ~、まわりくどっ・笑) 


「一度室内を体験」 としてしまうと、グッズを買うとき何時間も炎天下に並ぶのでは始まる前に体力消耗しちゃうとこだけど、涼しくてちょー楽ぅ~、(ネコタは、コンサート前ではなかったが、翌日、グッズだけを買うため炎天下に並んだ経験はあり)

おまけに、コンサート中もお天気の心配はないし、椅子もパイプじゃないし、涼しくて快適

ということになったのだと思う。 (あの頃20~30代だったメンバーも、10代20代だったファンの皆さんも、40年たって高齢化してきて・笑、正直、雨風にさらされたり太陽に炙られるのはしんどいと思う)


と、ゆーワケで、ちょー前置きが長かったが、40周年記念の夏のイベントは、2012年に一夜限りとして復活した夏イベの時と同じで、さいたまスーパーアリーナ、室内だったので・・・

ほんとに、グッズを買う時に並んでいても、それほどしんどくはなかったです。


あ、そういえば、その一夜限り復活した夏イベの時は、拍子抜けするくらい、グッズにだれも並んでなかったので、
今回もタカをくくってて、それでもと思って早めに直行したのに・・・

あーら、びっくり   

長蛇の列   

さすが、40周年、しかも2Daysとなると違うわぁ~、  と思ったものです。


もう一ついいのは、並んでいるときに、日陰で冷房も少しは効いて外よりは涼しい (でも、暑かったのでみなさん扇子や団扇をパタパタやってましたけどね) だけでなく、

前回同様、会場に設置されているモニター (大型スクリーン) で、過去の夏イベの映像を流していて、それを見ていたので 退屈しなかった こと。 

ちょうど、アリーナ部分でグッズ販売をしていたので、買い終わった人なのか後で買おうと思っているのか、階段部分に座って時間をつぶしたりお昼を食べている人、ビール飲んでる人とかもいて、そういうのも、お祭り気分を盛り上げます。
( おひとり様の私は、少しでも早くホテルに帰ってまったりしたかったけど・笑 )



過去の夏イベの映像、どこかでもう何度も見ている情景だけど、

タカミーが雨の横浜で滑って転んじゃって、メンバーみんな転びあって大はしゃぎ、 とか
大雨が上がった感動的な夜明けの日本平とか 、 戦闘爆撃よろしく花火の舞い上がるちょーキケンな朝霞とか 、 一本のマイクで3人が顔を寄せ合って歌ってるのとか・・・ 

何度見ても 飽きない、オモシロイ、感慨深い。 ・・・参加してなくても・笑。

タカミー、若いなぁ~、
今もとっても素敵だけど、 若いころは若いころで、もっと素敵 

なんでこんなに、 ずう~っと天使のように美しいのかしら・・・  

もちろん、参加してたら、もっと感慨深くて、思い出も蘇ってきたと思いますが・・・

参加してない分、 『40年目の夏』を 今まで以上に もっともっと素敵なものにしたいわ          

とゆー、負けず嫌い精神がゾクゾクと       あはは・・・  



そんなこんなで、グッズのお目当てのもの、まだ早かったので売り切れもなく、全てGet して、   

会場予約限定プレゼントつきの、 「当コンサートDVD(またはブルーレイ)」 二日分を予約、プレゼントも Get  し、   
 ここまでは、長蛇の列・・・    


ついでに、別のブースで春ツアーのグッズも売っていたので、もう一つ買おうと思いながら、すでに通販になってたけど買いそびれていたものを、送料がかからないのでこちらで買って、(これは予想外の出費でちょぃイタっ 

8月26日発売の、アルフィーnewシングルの、山野楽器の会場予約特典付きのものを予約し、   

この間、せっかく家で書いてきたコンサートDVD予約用紙とコンサートチケットを、うっかりホテルに置いてきてしまったので、   しかたなく会場でもう一度記入し、 
チケットに捺印してもらって一人一個交換可能な記念グッズは、再び出直してからもらうハメに・・・   


ヨレヨレ   になって、ホテルに戻りました。 

ま、でも、そこは ホテルでシャワー浴びて (何しろ暑かったので) ビール35カン一本だけ飲んで、おにぎり1個食べたら、 元気復活  100倍  になりましたけどねっ。   


夕方、いざ さいアリへと、しゅっぱぁ~~~つっ     




     * * *   * * *   * * *   * * *   * * *





さいたまスーパーアリーナ、入り口付近の看板


THE ALFEE 『40年目の夏』 ポスターは、渋い和風で、

花札の8月の20点札(光)である 「芒(すすき)に月」 と、10点札(種)の 「芒に雁(かり)」 を合わせたようなデザインで、
渡り鳥である雁をアルフィーの3人風 (全国を旅するアルフィーの象徴で、それぞれサングラス、メガネ、孔雀頭風華やかな雁) になぞらえたもの。 ※ 注


今回、会場に飾ってあったスタンドフラワーを写真に撮っていたところ、「撮らないように」 と指示がありました。
そういうことは初めて言われたので、何かあったのかな、写真撮った人が私のようにブログに載せたりして、
置き場所とか、人によっては気にしてクレームが出たりしたのかな、と思い、知らずに一部は撮っちゃった後だけど、載せません。

前回同様、会場内の写真は、始まる前のスナップ程度でしたらOKです、という指示が出たので・・・
自分の座っている場所から撮ってみました。  


200LV (2階席) の、ちょうどステージとは反対側だったので、距離的には一番遠いのですが、右寄り (タカミーサイド) で、200LVの中では前寄りだったので、そう遠く感じないかも。
しかもアリーナと違って傾斜ついてるから 「前方背高難」 の心配もなさそうだし、かえっていいかも、と思いつつ・・・ (わりあい、夏イベ関係、そう悪くない席が当たるのです。)



さいアリ、一階と2階は地続きなので、こうやって見るとアリーナよりちょっと高いだけ、みたく思えますが、実際ステージが始まってみたら、かなり遠かった・笑。

しかも、以前 TAOの舞台の時にも書いたけど、コンタクト、度数に合わせて新調したはずなのに、なぜかイマイチ見えづらくて  

双眼鏡のお世話になりっぱなしでしたが・・・  



 でもまぁ、そんなことよりも、ステージは素晴らしかったです。   

最近のアルフィー・ステージの定番、 「ドット・イメージ」 という動きのある、星や鳥が舞うように美しい照明が、
夏のイベントらしく、天井まで使った大掛かりで壮大なスケールバージョンとして登場     

目いっぱい空間を利用して上げてくれた 「ミニ花火」 には、思わず、きゃぁ~    

キラキラテープは、残念ながら取れませんでしたけど・・・ 

「でべそ」 と呼ばれる中央花道もあって、そこに来てくれるとメンバーさんたちも少しだけ近くなり、  

もう、サイコーでした。 




実は今回、ちょっとハート・ブレイク気味で参加してたので・・・      
  

もう、 『Musician2014』 のイントロを聞いた途端に涙があふれて・・・   



つらくても ギターは捨てられない・・・

ミュージシャンにあこがれ 迷いつまずきながらも・・・


思いどおりに ならない時には 他の夢求めようと 何度も思い悩んだけど

そんな時はいつだって君の  やさしい笑顔が 僕の心支えてくれた・・・

( 『Musician2014』より。作詞:高見沢俊彦 )



夢だった、ミュージシャンに対する憧れや、売れなかった頃の挫折や苦しみなどをそのまま歌にした、魂のつぶやきを、
坂崎の穏やかなアコギと優しい歌声で聞かせる、泣きの一曲。


( アルバム 「讃集詩」(1980.5.21) にて初めて発表されたのち、アルバム 「Promised Love」(1992.2.5)に収録された時に、ラストに歌詞が新たに追加された。2014バージョンでは、最後の歌詞が現在を生きるグループとしてのメッセージに再び変更されている。 )

アルフィーの最新アルバム 『Alfee Get Requests ! 2』 (2014. 6.8日) に収められているのは、その2014バージョンだが、

アルフィーファンの一人として、アルフィーが自分たちに呼びかけてくれていると思って聞けば、この2014バージョンはサイコーだが (アルバム収録のものを家で聞いた時も泣けたし)、

自分になぞらえて聞くと、ラストが

"I want to be a Musician…"  
で終わる1992年バージョンが、一番今の心境にぴったりと来て、それはそれで好きなのだが・・・。 


アルフィーの曲で、こんなに歌詞の代わる曲は珍しいかも。


聞いていて冒頭から号泣で、途中涙でぐしゃぐしゃになりそうな恐れがあったので、いったん感情を沈めてみたが、

最後にはやはり、じわぁ~んと来てしまった。


これが、本編のラスト。



 アンコール1では、 『LONG WAY TO FREEDOM』 の曲に乗って、
冒頭からいきなり、なんとタカミーが       

きゃぁ~、フライングだぁ~~~   

               

カッコいぃい~~~   ステキっ    
          


本人いわく、「50から飛ぶのをやめた」 そうだけど、私一度も見てないし、カンレキを機に、またやってくれないかなぁ~  と、ずぅ~っと思っていたんだけど、

夏イベ前にタカミーが、自身がパーソナリティーを務める 『高見沢俊彦のロックばん』 で、
「今回久しぶりに、アレをやってみようと思ってます。」 と言ってたんだけど、ソレがフライングだといいのになぁ~ と思ってはいたんですが、

まさか   当たりだったなんて         きゃーーーー      



そして、アンコール1ラストの 『SWEAT & TEARS』 では、やっぱり私たちの、大切な夏の思い出だよね、この曲は、と 涙がじわぁ~ん。 


そして、そして・・・

アンコール2のオーラスで、ついに8月26日発売の40thアニバーサリーnewシングル 『英雄の詩』 の、フルバージョンが  

この曲は、以前ウォークマンを買った時にチラッと書いたけど、

TV 『ウルトラマン列伝』  の主題歌として7月15日より放送、翌16日よりレコチョク、iチューンで、TVショートバージョンのDL可能になったと聞き、どうしても聞きたくなって、まずiチューンで試してみたんだけど、あれはiフォンとかiポットじゃないとダメらしくて、やっとその次の日(17日)にレコチョクでやってみたらできて、

その夜聞いてみたら、1番だけとはいえ、 
あまりにも自分の今の心境にドンピシャリな曲だったので
・・・号泣。
   

何度も、何度も繰り返して聞いて・・・

その翌日の18日に、たまたま松本の病院に行く日だったので、行ったついでにウォークマンを買ってしまったという・笑。  


そして、シングルの発売日を心待ちにしているのですが・・・

その前に夏イベで、きっとフルバージョンが聞かれるはず・・・   

と期待していたところ、ついに、聞けた 


そして、最初から最後まで、涙があふれて止まりませんでした。   

歌詞ははっきりと覚えていなかったけど、サビの部分が、特に感動的だったので、    

またまた、号泣     





と、ゆーワケで、最初から最後まで、終始 『なんとなく、センチメンタル』 だった一日目でしたが、  

とても感動的で、明日もコンサートがあるなんて  

明日もう一度、 『英雄の詩』 がフルで聞けるんだわ    

なんといっても、もう一度、タカミー・フライングが見られるぅ~~~     


しかも、明日の方が、たぶん今日よりは、ちょっとだけ席が近いかも    ワクワク  



と、期待し、ホテルで イベントパンフレットを一通り読んで寝ました。 





イベントパンフレット表紙。 メンバー3人を、かき氷と3羽の鳥さんに例えているんだけど・・・

鳥さんもかき氷も、タカミーは王冠をかぶり、しかもかき氷にはゴージャスなアクセサリーと花火付き  と、ゆーのが、ちょーオモロイです・笑。 


 パンフレット中身より・・・



1974年から現在まで、40年間の 総コンサート数 2473本 
全国47都道府県で行っていないところはなく 
しかも、一番本数の少ない奈良県でも5本あるので、
すべての都道府県で複数回行っている  ということですね。 

すごぉーーーいっ    
 
長野県 は、総コンサート数 73本。
主要大都市のある 東京、神奈川、埼玉、千葉、愛知、大阪、広島、福岡、北海道を除けば、
静岡の82本、新潟の79本に次いで、宮城の72本にわずかに上回って、
こんなに田舎の小さな県 (面積だけはデカイが・笑) なのに トップクラス入り です  
バンザァ~いっ   

しかも、ホクト文化ホール (長野県民文化会館) は45回で “北信越エリア・トップ” です    
ヤッタぁ~   


しかもこの見開きの2ページには、
1974年8月25日、山野楽器でのデビュー記念ライブに始まり、2014年7月26日、27日さいたまスーパーアリーナまでの、2473本全てのコンサートの日付と会場が載っているのです 

ただし、文字や表で隠れて見えない部分があり残念ですが・笑。  


( 写真でいうと、文字や表の背景となっている部分で、水色(一部地図の色)の地に小さな白い文字で書かれているので、虫眼鏡で見ないと・・・笑。

調べてみたところ、生まれて初めての 「アルコン・デビュー日」 である、1993.10.17長野県民文化会館-Victoryツアーと、ここからがハマッた(笑)  「アルコン復活日」 の2008.11.30-RENAISSANCEツアー、の長野県民も、ほぼ、自分の参加した会場はすべて見られました   残念だったのは、2009.8.89横浜赤レンガパーク-PERFECT BURNと、2009.11.7松本文化会館-My Truthツアーだけ、隠れて見えませんでしたが…  赤線を引いておきましたが、こうやって自分の参加会場を見つけてみるのも楽しいですね。   自分の場合、それほど多くないので・笑 )




他にも 見どころ満載 のパンフ、 隅々まで 読み応えタップリ  です。  


私なんて、さとうまゆさんの、このイラストが可愛くて、パンフレットをもう2,3冊欲しくなってしまい、困ってます。  (なんのイラストかはヒミツです )



パンフレット裏表紙。(3人仲良しさんでカワイイですよね 

※ かき氷は 「Kakigori yelo」 さんの提供だそうです。六本木みたいだから、タカミーのお気に入りかもしれませんね、かき氷とアイスが大好き (子供か?笑) みたいですから。  




  第二日目、7月27日(日)へと続きます・・・



※ 本文中のすべての作詞作曲は高見沢俊彦 
  






※ 注 《 花札解説 》
8月---この月の主題は 「去りゆく時への惜別」。

古人にとって太陽より月の方が観察しやすく、またその満ち欠けによって時の移ろいが確認できるため、「時間」は月によって表現されました。
中でも秋の月が人の心を捕えて離さなかったのは、月が代弁する 「時の移ろい」 と春の芽生えと夏の盛りを経て総てが逼塞してしまう冬を予感させる秋という季節が、 「無常」 と 「ものの哀れ」 を感じさせるからでしょう。
また、この月の10点札に描かれている 「雁」 が飛来してくるのもこの頃で、この渡り鳥に 「漂泊」 を感じたのでしょう。
この月の花は薄(すすき)です。
20点札が 「満月に薄」 でひじょうに哀愁のある図柄で、あたかも秋風が吹いているように感じさせます。
古人もそれらの秋の騒材を 「逢い難い恋の嘆き」 として歌にしています。

( 以上、 『花札12ケ月』 より。)


と、ここまであのポスターに深い意味があるわけではないかも、ですが、 

いろいろ想像してみるのも、素敵ですよね。   











THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 本編2. いよいよ聖地巡礼・その2 ~

2014年06月07日 | THE ALFEE、Takamiy
今回、自分でも ドびっくり    の、
ちょー長いっすので、本当に申し訳ございません・・・

どうぞご覚悟の上ご覧いただけましたら、幸いに存じます。  






アルフィーのジャケットやパンフなどに出てくる、明治学院のチャペルは、だいたいこの角度から撮られているので、
チャペルにはこの石段を登って行き、登りきったところにチャペルの入口があるものと思っていたのだが、


行ってみるとハテサテ 、入り口がどこにあるのかよくわからない。  

急いでるのに、もぉーーー   と、しばしその辺をぐるぐる回って、かすかに聞こえてくる音楽を頼りに、それらしいドアをそぉ~っと開けてみる。

入ってみると、もちろんもう礼拝は始まっていて、TVで見た、木でできた茶色の重厚な椅子に何人かが座って、パイプオルガンの演奏を聴いていた。みな、手にプリントされた白い紙を持っている。

空いている椅子の一つに腰を下ろして、近くの男性にコソコソっと聞いてみる。

私「その紙はどこにあるんですか?」
男性「入口のところにありましたよ」(自分の入った入口のところにはなかったと思いつつ、どうやらそれは反対側らしいと気付く。)
「持ちに行ってきてもいいでしょうかね?」
「終わってからの方がいいんじゃないですか?」

終わってからじゃ意味ないよ~ 、 と思いつつ、(礼拝の邪魔になるから)それもそうだと思ってあきらめる。


 どうやら皆さんは、パイプオルガンの方を向いて、演奏を聴いているようで、そちらの方向には、TVで見た卒業証書を授与した壇上らしきものは見当たらなかった。

座っているのは女性が4,5人と男性が一人、ほとんど終わりころになって地元民と思しき?初老の男性が入ってきた。

演奏が終わるとオルガンのパイプの下がっているあたりがバルコニーになっていて、奥のドアを開けて女性が1人出てきた。
女性は今演奏された演目(トッカータ ヘ長調BWV540)と、次に演奏される演目(コラール「おお人よ、汝の偉大なる罪を悲しめ」BWV622)の紹介をしてくださった。いずれもバッハである。

どうやら、本物のパイプオルガンを奏者の方がちゃんと演奏してくださっていたのだ。

贅沢ぅ~ と思いながら、演奏に聞き入る。

聞いていると厳かな気分になり、心が洗われていくような気持ちになる。

チャペルのクラシカルで重厚な内装の、天窓から差し込む柔らかな光までもが、まるで絵画のようで、清らかなオルガンの音色によく似合う。 


青春の多感な時期に、こういう場所で宗教音楽をいつも聞いていたとしたら、その人の人間形成にもきっと、深い影響をもたらすのだろうなぁーと、

十代の頃、この清廉で荘厳な調べを聴きながら育ったタカミーのことを想った。 

厳密にいうと現在のパイプオルガンは、パイプオルガン全盛期である17~18世紀、バッハの時代の音色を再現するというコンセプトと工法技術のもと、12年の歳月を費やして2009年に完成した (現存していたもののリニューアル) ということで、設置場所もチャペル内の反対側になったということですので、彼らが聞いていたものとは全く同じではありませんが、その前身のパイプオルガンではあるようです。

今でこそコンサートができるほどの規模の大ホールを持つ大学も珍しくないですが、あの時代にパイプオルガンがあったなんて贅沢というかお洒落ですね。 (注:1)


礼拝は、演奏が終わった時点で終了、最後にお話をしてくださった本学オルガにストの長谷川美保さんと、この日パイプオルガンを演奏してくださった池尾靖志さん(キリスト教研究所客員研究員)が出てきてお辞儀をしてくださったので、拍手のお礼をしました。 


 立ち上がって振り返ってみると、ちょうどパイプオルガンとは反対側の場所が、
TVにも映っていた、アルフィーの面々が卒業証書を受け取った講壇 (正面舞台、2006年に創設当初の姿に復元) になっていた。


ああ、こっちが正面だったのね、とわかったのと、あの時の舞台だわ   と思うと、
こげ茶色の演台も、アールがかった天井の白壁も、眩しく、神々しく見え、感激もひとしおでした。


これです!!

写真は、NHKBS 『歌のあとさき特別編』 を写真に撮らせていただいた時のものです。


この写真で、メンバーの座っている後ろの方に見えている四角いBOX型の固定椅子が、礼拝堂作り付けのもので、
メンバーも座っていて、写真ではその左横に映っているのが、一脚ずつの稼働椅子です。

私たちがパイプオルガンの演奏を聴く際に、講壇には背を向けてオルガンの方を向いて座ったのですが、
その座った椅子というのが、こちらの稼働椅子でした。

もしかして、メンバーの (タカミーの) 座った椅子かも  なぁ~んて思うだけでも嬉しかったです。 



 と、長々書きましたが、
これらのことをものの数分の間に考えて、サッと見ただけですぐにチャペルを後にし、
私の入ってきたのとは反対側の出入り口 (でも、今思うとあの時の正面になるわけだから、後方から入ってきてよかったぁ~ってカンジですが・笑) のところで、大学礼拝 (チャペルアワー) の日程が書かれている 『チャペル週報』 と、本日4月18日の演目 (曲目や内容の簡単な説明) を書いたプリントの二つをいただきました。

週間日程表を見ると、今週の月曜から木曜までの4日間が聖書と讃美歌、金曜日は 「音楽礼拝」 となっていて聖書とオルガンを聴く日だったようです。

聖書のお話を聞き、一節を一緒に朗読するのには間に合わなかったので、残念でした。

でも、途中からでもパイプオルガンの素晴らしい演奏を聴かせていただくことができたので、偶然選んだ日とはいえ、とてもラッキーでした。  

讃美歌も歌ってみたかったです。



 やはり、礼拝に参加させていただいてよかったな、チャペルの中も見られたし、 
と、感慨深く、また厳かな気分になって外へ出て、入口の所に立っていらした職員の方に聞いたトイレ (3号館という半円形のような形をした建物の中にあった) へ行きました。

トイレはとてもきれいで明るくて、なんと、トイレも手洗い水道もすべて全自動でした。   
す、すごい  さすが、明治学院。
( って、今は大学のトイレってみんなそうなのかな? おととし30年ぶりに母校の和光大学に行ったんだけど、近い人なので、その時もトイレに入ったけど、忘れてしまったわ。きれいだったことは確かでした。 )



 それから真っ先に、電話で教えていただいた、チャペルの裏手にあるという 島崎藤村の書いた 「明治学院校歌歌碑」 を見に行きました。


こちらです。  下の方に、 「1937」 と校歌碑の建設された年(昭和12年)が刻まれています。
かすかに読み取れるでしょうか?


藤村直筆によるもので、この校歌は大好きなので、拝見できてとても嬉しかったし、感動しました。(注:2)



 そのあと、3号館反対側に建っていたのですぐにわかった、文化財の 「明治学院記念館」 と 「インプリ―館」 を眺め、写真に撮らせていただきました。


左が 「インプリ―館」。1889年ころの木造建物で、学院で教える宣教師たちの住居だそうで (1964年の道路拡張によりこの地へ移築) 都内における宣教師館としては最古のもので、建築物としても日本国内で一、二位を競う古い建物だそうです。

右が 「明治学院記念館」。 小チャペル、歴史資料館、事務室が入っています。(同じく1964年にこの地に移築)

私が大好きな島崎藤村の 『桜の実の熟する時』 の中には、この建物の描写とこの中にある図書館に主人公 「捨吉」(すてきち、藤村のモデル) が足しげく通っていたことなどが書かれているそうです。

私は家に帰ってから、歴史資料館で頂いてきた 『明治学院文化財ガイドブック』 を読んで、それでこのことを知ったので
( 自分がこの小説を読んだのは高校時代なので、そのような記述があったことは既に忘れてしまっていたので )

エーン、見る前に知っていたら、そういう気持ちで見たのに・・・  ぐすん。

と思ったことです。




 写真を撮った後で、ふと振り返ってみると、チャペル入口 (TVでも卒業式の看板の立ててあったこちらが通常の出入り口のようです。私が正面だと思っていたのの反対側ということですね) のあたりに、
まだ先ほど、とても親切に礼拝の中身やトイレについて教えてくださった女性が、男性職員の方とお話しされながら立っていらっしゃるのが見えたので、

お話が終わって男性職員が立ち去るのを見届けてから、それでも、と思って尋ねてみました。
チャペル内は、やはり写真に撮ってはだめですよね?と、親切なお方だったので、つぃ聞いてしまいました。

そして、そんな事を聞いているうちに・・・、
こちらに見学に来る前に電話で問い合わせてみたのですが、個人で楽しむ程度のスナップ写真位なら撮ってもいいとのことでしたが、ブログなどには載せたらだめでしょうか、
と、電話で聞いときゃよかったなー  的なことを、つぃ成り行き?で聞くことになってしまい、
すると、

「個人でやっているものでもブログに載せるには許可というか申請書のようなものがいるんですよ。」
と言われ、

一瞬、じゃぁ写真はあきらめよぉかなぁ~  と気弱なことが頭をかすめた半素人根性むきだしの甘ちゃんな自分に、

いゃ、ここでひるんではいけない、せっかくだから写真は載せたい、
曲がりなりにも、自分は物書きの端くれ (のつもり) だよ?
こうなったら、申請書でもなんでも書きましょぉ   

と、こうなる前に電話で確かめとくべきでしょー、なことなのに、秘かに燃えました。   

( ちょっと補足しますと、ちゃんとしたものに載せる事を前提とした正式な取材でない限り、何かについて関係各位に電話等でお訊ねする時など、
自分が書いているとか言うと、何となく大袈裟になってしまい面倒なことになるため、極力何かについてお聞きする時も個人が趣味でやっているブログということにする (ホントにその通りですし) か、
たいていの場合はブログに書くということも伏せて、ただ一般的な質問だけをしたりするようにしています。
意識は別として自分はプロではないというのもあるし、手続きが面倒ということではなく、あくまで、特に必要のないことはさらりと済ませたいだけなのです。
それが今回のやり取りで、ちょっと変な感じになってしまったので、誤解されませんようにお願いできればと思います。 )



 それでは、その申請書を書いて申し込みたいのですが、と言うとそばにいた若い女性職員の方が、それなら私がご案内しますよ、とおっしゃってくださって、
職員の方について、明治学院記念館の中に。

「1階は歴史資料館になってますので、よかったら後でご覧になってくださいね。」(親切ぅ~)
「はぃ、そのつもりです。 

自分の出た小学校や高校にもあったような、支柱に丸い木の玉が付いたような、ちょっと懐かしさを覚える黒光りした古い木の階段を上っていくと、
二階に、先日電話でお話しさせていただいた 「学院長室」 が。
( キャー、ドキドキ・・・    )

と、思ったら、会議のため留守をしているという張り紙が。

仕方がないので、遠方なので帰宅したら学院長室に電話をして聞いてみて、申請書を郵送してもらって、記入して送り返すことにします、と申し出ました。


そして、ついでに 
「ベルシバ」 という名前の学食のようなものが昔あって、何か高校と大学の間みたいなところに建っていたらしいんですけど、今はもうないと聞いたんですが (総てネットや雑誌等による情報。来る前に色々調べた)、どのへんかわかりますか?
と聞いてみた。

そして、実はこちらの学校を出られたアルフィーのファンで、先日の名誉卒業式に当たらなかったので、一度学校に来てみたかったので、いい機会だからと尋ねてみたのですが、
そのベルシバという学食にメンバーがよくたむろしていたと聞いたので、せめてどの辺にあったか知りたいんです。(おずおず・・・)

「ああ、そーなんですかぁ? ニコッ。 でも、残念ながらよくわからないです・・・。」

そうですか、それは残念です。仕方ないですよね。
では、資料館見せていただいて帰りますね、とその感じのいい女性とは別れたのですが、


 歴史資料館をいろいろ見ていたら、なんと  

先ほどの女性が入ってきて、 「ベルシバ、わかりました 」 とおっしゃるではないですか。 

そうして、窓のところまで行って
「あのあたりに10号館という建物があるんですけど、ここからはちょっと見えにくいかと思いますけど、ここをこう行くとあるので、
その建物の入り口のあたりが少し広くなっていて、どうやらその辺だったのではないかということです。」

と、外を指さしながらとても親切に教えてくれるではないですか。

「うわぁ、ありがとうございます。嬉しいです、行ってみます 」  
感激で胸がいっぱいになりながらお礼を言いました。

名誉卒業式に申し込むにあたって、明学みたいな格調高い大学、私なんてとてもとても行けやしないわ 

なんて思ったりもしたけど、  

明治学院の職員さんたちみなさん、 なんて親切なんだぁ~  
                    

( さすがは、アルフィーの3人の出た大学ですね。(^_-)☆ ) 



歴史資料室には島崎藤村関連のものもある、と聞いていたように思ったのですが、
私の勘違いか見落としか、特にそれらのものがあったようには感じられなかった気がしますが、

明治学院の建物を、1890年、1950年、1985年、2008年の頃のものに再現したというミニチュアの模型が飾ってあって、それが一番面白かったです。

こちらは、持ち帰った 『明治学院 歴史資料館』 というハンドブックの中に載っていた、その模型図の載ったページを写真に撮らせていただいたものですが・・・(もちろん、実物を写真に収めてなんかいませんので念のため)


 1890年頃、島崎藤村の学んだ頃の明治学院風景だと、模型のところにも書いてあったので

 うわぁ~、これがそうなんだぁ~   と見入ってしまいました。

『桜の実の熟する時』 に描かれている、当時 “煉瓦造2階建”の建物 だったという現在、明治学院記念館となっている建物は、
おそらく写真右手の方に並んでいる、校庭の反対側手前の、緑の屋根に茶色い建物がそれっぽいです。(1950年ころから現在は二階部分は白いペンキ塗り)

まだ、校庭や中庭などが広くて、緑が多い感じですよね。

藤村がここで勉強したのだと思うと、感慨もひとしおでした。  


そして、もう一つの注目は・・・

 1985年ころの学院風景で、時代別4つの模型の中では、一番アルフィーのメンバーが通っていたころに近いものです。(高校入学の1970年~一番長いタカミーで1981年まで在籍)

かなり現在に近くなってきていますが、現在よりまだ建物が少なく、高校の校庭と思われるものがあり、中庭も広いのと、

なんといっても嬉しかったのは、「ベルシバ」 のあたりにあった、アルフィーがよくたむろしていてギターなどを弾いていたらしいというベンチのあった場所が再現されていて、屋根の隙間から学生たちが座っているところまでがわかったことです。 

うわぁ~、ベルシバだぁ~   アルフィーだぁ~      

と、勝手に、ベンチにいる人々をアルフィーのように思いこんで、ニコニコしながら何度も何度も見入ってしまいました。   

模型としても当時に一番近いので、アルフィーのころの歴史を感じるのに一番でした。


この写真で、手前の緑色の屋根 (記念館とインプリ―館) の横にある白い小さな建物、
から延びている赤い屋根と水色の屋根の、どちらかがアルフィーがたむろしていたベルシバの外ベンチを覆うように立っていたテント型の屋根だと思います。


こちらはチャペル (右手前の緑の屋根) の裏手、左奥に広がる 「明治学院高校」 の白い建物と中庭あたりと思います。

この中庭で、高1の学園祭の時、タカミーがド派手な格好で真っ赤なエレキをかき鳴らし、ものすごい高音で歌を歌っていたのでびっくりして、  
ゼッタイこういう奴とは友達にならないタイプだと思ったと 
同じく高校から明学に通っていたのちの桜井賢は語っています。 

その後高3の学園祭でも、アルフィーの前身であるバンド、コンフィデンスに加入したばかりの、当時都立隅田川高校に通っていた坂崎幸之助も、
明学の学園祭を見に行って (おそらく、コンフィデンスの学園祭の出し物に参加しに行ったのでしょう) 中庭でロックを演奏する高見沢を目撃しているそうです。

その時の第一印象はあまりよくわかっていません。(二度目に、二人が大学に進学してから再会?した時のことはよく聞きますが)
どんな印象を持ったか、ぜひ知りたいです。



そんなこんなで、当時の島崎藤村とアルフィーに思いを馳せ、  
「ご自由にお取りください」 と書かれた学院資料などをいただいて (ちょうど入館する時に退場される方一人と入れ違っただけで、見学者がほかになく、1人でゆっくりじっくり見られたというせいもあり)、
ホクホク顔で資料館を後にしました。   



教えていただいたので、さっそくベルシバ跡地らしき場所を訪ねてみました。

 写真右手奥にちいさく見える白い建物 (10号館) の辺が、学食(カフェ) 「ベルシバ」 のあったあたりと思われます。



その前にあるベンチ広場が、アルフィーのたむろしていたと言われるベンチ付近かなぁーと思われ、
当時は、赤いコカコーラかなんかのベンチだったそうです。

しばし感慨にふける。  

このあたりから、ちょうど奥の方の学院創設者のヘボン博士の胸像を見に行こうと思っていると、
向こうの方から戻ってきた人が一人、また、胸像を見入っている人が一人見えました。 (時間は前後するかもわかりません)

さきほど、チャペルの中で一緒に礼拝に参加していた方々で、ひょっとしたらアルフィーファンの方かもしれないと思っていた、まさにその方々でした。

タカミーのバースディ・コンサートに泊りがけで参加して、翌日に明治学院を訪ねてみよう、だなんて私と全く同じことを考えている地方の人だろうなぁーと思うと、
なんか嬉しいような、ちょっとこそばったいような気分でした。   


 1863年、明治学院の前身となる英語塾を横浜にて開校し、のちに明治学院初代総長となる J.C.ヘボン氏(学院創設者) の胸像。
3号館奥の、大学側校舎の方の中庭の正面にあります。

この辺まで来たら、大学の校舎の方は学生さんたちが大勢いる感じだったし、入りにくそうだったので、行ってみなくてもいいや、と思ってやめました。
だいたい、主だった見たいところは見られましたし。 

ここでもう一度トイレに行きたくなったので、3号館のトイレに入りましたが・・・ 


 あとで 『歌のあとさき』 の卒業式の場面をもう一度見直したら、この3号館 (こちらも大学の建物だそうですが) が写っていたので、びっくりしました。

ちょうどタカミーが3号館 (後ろの建物) の前を通って、卒業式の行われるチャペルに向かおうとしているとき、


在校生の一人がタカミーに駆け寄りサインをせがむのだが、タカミーがこれに応じてくれ、嬉しそうにしている少年と、それを少し抑制?しようといている警備員が写っていましたが (ギターを抱えているので音楽少年だと思われるが、まさか、作ってないよね?  書いたりとかしてると、何でも疑ったり深読み、裏読みするクセがついててゴメンなさい・汗)、

二人の遥か後ろの方に見えているのが、ヘボン博士の胸像のある大学前広場だったので、
なんとなく、大学を見に行ってからTVを見ると、今まで見過ごしていた箇所が、あっ、あそこだぁ~  
と思えてうれしかったです。     
 



最後に、明治学院高校の校舎と思われるところをしげしげと眺め(右手の白い建物)、
少年時代にここで学んだタカミーのことを想いました。   きらん…

左手の木立の中、街燈の後ろに見えるのが島崎藤村の校歌碑です。


当時、タカミーが学園祭で熱唱していたという中庭は、厳密にはわかりませんでしたが、このあたりなのかなぁーと思いを馳せました。


 こちらは、明治学院のサイトに載っていた学院マップをコピーし、自分で着色したものを写真に撮らせていただきました。 

小さくてわかりづらいですが、ピンク色の部分が、今回尋ねさせていただいた建物の数々で、青い部分が、旧中庭近く (左手ですが実際は先ほどの写真のように、現在はA明治学院高校前の、図でいうと窓のついた建物のたっているあたりかもしれません) と、 右手ベルシバ跡地 (E10号館あたり) の、ベンチ付近です。
図の、右手写ってない部分が、主に大学側の敷地になります。


 
 このあと、行きはタクシーで、しかも気をもんで景色見るどころではなかったので、
帰りは 「ああ、タカミーもここを歩いたんだなぁー」 と思いながら、品川駅まで歩いてみることも考えたのですが、

たぶん当時とはずいぶん面影も変わっていると思われたし、色々見たり想いを巡らせて (遅刻して大騒ぎ、大走りもしたし ) ちょっと疲れちゃったし、

ちょうど駅の方に向かう都営バスが、学校の門の真ん前に止まるらしく、学生が待っていたので、バスに乗ることに決めました。 

バスが思いのほかすぐに来たので、そういえば門のところを撮っていなかったワ  と思い出して、振り返りざまにあわててとったので、学校のプレートもよく見えず、変な写真ですが・・・ 



さらば、憧れの明治学院、聖地巡礼の旅。   
 

大学には、だいたい2時くらいまでいたでしょうか、バスの中では、このあたりをタカミーが通ったんだなぁーと
おそらくあの頃よりは、すっかり近代的な街並みとなったであろう白金を見ながら、
満足感と疲労とでぐったりとシートに座り込んでいました。   
 







【 注 】
1. この他明治学院には、ほぼ1904年制のもので大正時代の礼拝に使われていたという、2段手鍵盤と足鍵盤、19ストップの大型リードオルガンもあり、明治学院120周年を機に修復され、現在は明治学院記念会内の小チャペルにあるそうです。現在演奏できるオルガンとしては国内では最大で最古のものだそう。( 以上学院のサイト、「明治学院文化財ガイド」 参照。ガイドブックには写真付で紹介されています。)

2.島崎藤村作詞の明治学院校歌・・・これについては少し詳しく書きたいので、長くなりますので近々別の箇所に書きます。すみません。  

その他
 明治学院 「大学礼拝」(チャペルアワー)
学期中毎日 (白金キャンパス、横浜キャンパスともに) 学内チャペルにて 12:35 ~ 12:55 に行っているもので、
オルガンの前奏から始まり、聖書に基づくメッセージ (奨励) を聞いて、心を落ち着かせる時間です。
どなたでもご参加いただけます。(クリスチャンか否かは問いません)

と、明治学院大学のサイトの説明には出ています。
大学在学生及び職員などの大学関係者外の一般の方の参加ができるそうです。

アルフィーのメンバーがたむろしていたとうわわされる、学食(カフェ) 「ベルシバ」(ベール・シバ) について。
その後、大学校友センターに問い合わせたところ、名前の由来は、地名の 「芝」 ではなく、聖書の創世記に出てくるアブラハムの住んでいる地名 「ヴェール(ベール)・シバ」 から来ているようです。
ただ、キャンパス内にあったのだけど、外部の方の経営しているカフェだったので、それ以上の詳しいことはわからないとのことでした。 (なので、 「マスターの名前説」 も、ご本人のジョークとは断言できないかも・笑)
ちなみに、通称は 「ベル・シバ」 と皆さん呼んでいたようなので、 「ベル・シバ」 でいいとのことです。



【 補足 】
 明治学院訪問に関するブログ掲載について

帰宅後に学院長室にお電話にてお聞きしましたところ、先日電話に出てくださった女性職員が対応してくださって、
個人のブログ程度であれば、わざわざ申請書を書いて申し込まなくとも良いとのことでした。
写真も載せても大丈夫ということでした。

今までの自分のやり方ですと、ブログの対象になった方に内容を読んでいただいて間違ったことや書かれて困ることが書いてないかなどをチェックしていただき、申し出があれば直す、という方法を取っていましたので、明治学院様の方にもそのようなことをお願いしましたが、
沢山ある個人のブログをいちいち管理しきれないということだと思うのですが、個人のブログに関しては特に申請も検閲も意見もしないということでしたので、
あとは書いた本人の良識に任せるということだと判断させていただきました。

せっかくですのでブログのタイトルはお伝えしておきましたので、目を通していただけると嬉しいなとは思いますが、
私が心配していたような、大学の内部に関してここまで詳しく書いちゃっていいのかなぁー、みたいなことに関して、特にいいとか悪いとかの回答が得られなかった (内容に関して関知しないということ) ので、それも自己判断に任せていただけるものと解釈させていただきました。

 キャンパスマップや文化財の写真などはすべて 「明治学院のサイト」 にも載っているものですので、自分で写真に撮ったものを特に公開してはいけないものではないと思いましたので、このままブログに掲載させていただきます。

内容に関しましては、不明だった点は質問して直したので、間違った内容は書いてないと思いますし、
大好きな島崎藤村とアルフィーに関することなので、つい熱が入り詳しくなってしまったものとして、学院様、読者の皆様にはお許しいただければと思います。 






当学院歴史資料館にあり、持ち帰り可能だったので、
憧れの明治学院の資料ですので、喜んで全部いただいてきてしまいました。 


本ブログは、これらの資料 (特に「文化財ガイドブック」「歴史資料館」ガイド等) と、明治学院サイトを参考にさせていただきました。重ねてお礼申し上げます。


右の 「島崎藤村の写真入りのものは、長野県小諸市 (藤村が教員として赴任していた町で、藤村第2の故郷、こちらにも藤村記念館もあるところ) と明治学院との協働連携事業について紹介しているリーフレットです。

藤村の生まれ故郷のKよりも事業が盛んなようで、羨ましいです。


※ 写真は、全てつたない腕ながら自分で撮りました。  
TV画面や資料に掲載されていたものに関しましては、転載ではなく、資料を写真に撮るという方法を取らせていただきました。(出どころはその都度明記)




   リキ入って、自分でもビックリ   の、ものすごく長くなってしまいましたが、 
こんなにも長いものを、ここまで読んでいただきまして、どうもありがとうございました。    


また、明治学院大学にてお電話で対応してくださったり、校内で案内をしてくださった職員の方々には大変お世話になりました。
ご親切にしていただきましてとても嬉しかったです。 
この場をお借りしましてお礼申し上げます。 本当にありがとうございました。 








THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 本編2. いよいよ聖地巡礼・その1 ~

2014年06月05日 | THE ALFEE、Takamiy
なんだか、間にちょこちょこと違う記事が入っているため
(アルフィーの話題ばかりが続くと人によっては辟易するかもなぁーという配慮だけではなく、事情があり次の記事をUPするまでの間が空くなぁというときに、 「ツナギ」 で入れておく、という意味もあるのだが、姉が来たり、店の仕事が忙しかったりで、思うように進まないこと、多々あり) 
このシリーズの文章、どこまで書いたか、何が書いてあったか、書いた本人でも忘れていて、また読み直したりして、さらに遅くなっているのですが・・・  こーゆーのを “悪循環” という・笑。





さて、アルフィーの名誉卒業式ご招待に当たらなかった私だが、

当たらなかったけど、当日同じ時間に明治学院に行ってしまおうかな~、と思いつき、
大学サークルの後輩、コムに相談してみたところ、もうちょっと考えてみてね、と言われて、即刻思いとどまった、

という話を前回書いた。



その時のコムのメールに実はもう一つ書いてあったことがあって、それは

「 私たちの出た和光と違って、普通の大学は門のところに守衛さんがいて、部外者が自由に出入りしたりできないと思うの。 」

ということだった。 
( と、ここでいきなり大学名がW大からほんとの名前に変わったのだが(笑)HPにははっきりと出身大学名を書いてあるし、アルファベットと漢字の混ざった伏字にするのが、だんだん面倒になってきたからで、これからはわかり易くほんとの名前で行きます。宣伝も兼ねて。 ← なんの!?・笑 )
 

そうだ   忘れていた   

和光大学というところは、ちょっと変わった大学だと以前書いたが、その中でも特に面白いのは
・入学式、卒業式などの 式典はやらない。
・「地域に開かれた大学」 を目指しているため、校門がない。 など・・・  ※(注:後述)


そう、つまり、普通、大学 (とは限らず学校という所) には校門がある。
そして、校門には守衛さんがいて、外部の人間が簡単に学内に出入りできないようになっている。( 特に女子大などは厳しいと思う )

というのを、あまりにも和光の方針に慣れていたため、すっかり忘れていたのである。 


前回、名誉卒業式ご招待には当たらなかったけど、当日同じ時間にこっそり行っちゃおうかな、と思いたった時、

でも、「中に入れなくても外で待っているだけでもいいから、同じ時間を共有したい」 といくら自分では思っていても、
当たってもいないのに行くのは、 当選した人やスタッフに、ずうずうしい人だと白い目で見られるかも。
それよりも、当選してないんだからこんなとこにいられても困りますと、きびしく追い返されちゃったらどうしよう。  
都内とか、近場の人ならいいけど、 遠く信州のKくんだりから4時間もかけて行って追い返されたりでもしたら、時間とお金がもったいなさすぎるし、何より、悲しすぎる・・・。 


と、自分でも迷ったのだが、コムの言うのは、

そんなことより以前に、大学の敷地自体に外部の人間がそう簡単に入れないのではないか、ということであった。

「もし、学外 (校門の外) でもいいなら話は別だけど。」

 うーむ、どのくらいの広さのキャンパスかはわからないけど、せっかく行くんだから、チャペル内はあきらめても、校門の外ではちょっと悲しいよな。
せめて、学内の、チャペルのそばの外、くらいにはいたいものである。


まあ、そんなことも考えてはみたものの、結局、
大学に迷惑がかかったり、何より、もしもそのせいでアルフィーが悪く思われたりしたら嫌じゃない?

のコムのひと言で、即刻行くのを断念した私なのだが、



そのとき、名誉卒業式当日には行かれないとしても、
 
ずっといつか行きたいものだと思いながら、なかなかその機会がなかった(思い立てなかった)、
アルフィーと島崎藤村のふるさと 「明治学院大学への聖地巡礼」 には、

いい機会だから、 近いうちにゼッタイに行こう    

と、固くココロに誓ったのである。   



そうだ   名誉卒業式という、素晴らしい行事には行けなくて本当に残念だけど、

もしも 「聖地巡礼」 という目的のためだけについて考えたなら、名誉卒業式のように、時間や場所、行動範囲が限定されている (おまけに他のファンの方も大勢いる) 時よりも、

自分の好きな時に 1人(または二人) で行って、好きなだけ見たい場所を見て、好きなだけ感慨にふけってくるほうが、どんなにいいかしれない。

それだけ自分にとって思い入れの強い場所なので、
訪問するというだけで考えたら、そのほうがむしろ、いいではないか 

( そうだわ、神様は私に、単独の 「聖地巡礼」 をさせるために、私を名誉卒業式に当ててくれなかったのかもしれない。 
思い込みの激しい自分は、ついには、そんなことまで思って、この秘かな計画に燃えた・笑。  )


そして、 「学校」 というところは、
なぜか外部の人間が行くのにけっこう勇気のいる場所であると自分では思っているので、

そんな風に 「ゼッタイに聖地巡礼に行くワ 」   きらん…

と決意したものの、やっぱりちょっと勇気が出なかったので、


名誉卒業式ご招待には落選したけど、当日同じ時間に明学に行っちゃおうかなぁー、
・・・でも、やっぱしやめる。
その代り別の日に明学を訪ねて 「聖地巡礼するわ」 と落選した3月17日、その日のうちに決めて、

「ついてはコム、学校ってところに一人で行く勇気がないので、その時にはよかったら付き合ってね?」 

と、予約まで入れた。  


さすがは長年の付き合い、心得たものかコムは、 「はいはい…(^^;)」 のタイトルで、

行くときには、学内に入れるかどうか、せっかく遠くから出かけて、行ってみたら中に入れなかった、というのでは悲しいから、事前によく調べておいてね?

ちなみに、外部の人間が確実に自由に学内に入れるのは、 「学園祭」 の時と 「オープンキャンパス」 の時です。 

と、昨年、一人娘が大学受験するにあたって、何校かのオープンキャンパスに付き添ったという経験のあるコムは言った。

さすが物知りである。



さんざん経験者コムに脅され? すっかりピビリまくった自分であるが、   

いくら自由に、簡単に大学に入れるとはいっても、目的が違うので、学園祭の時だけはなんとなく嫌だと思ったので、

とりあえず今年度の 「オープンキャンパス」 の日程を明学のサイトで調べてみたが、日程的に行けそうになかったうえに、
やはり、明学を受験する人のために設けられている、説明や体験を兼ねた受験生のための行事に、自分が行くのは変だろう、と思った。


やはりここは大学の窓口に、事前に目的をきちんと伝え、学内を見学できるか聞いてみた方がいいだろう、と思った。


それで、できるだけ早いほうがいいと思ったのと、自分の場合は “上京したついで” の時になるから、

聖地巡礼の日は、タカミー・バースディコンサートの翌日、4月18日にしよう、と決めた。    



それで勇気を出して明治学院大学に電話をしてみる。  

そちらの大学に入学を希望する者でも、その保護者でもなくて普通の一般の人間だが、大学の見学などはできるのかというのを、まず総務課に聞いてみたところ、

明治学院には、礼拝堂 (チャペル)、 明治学院記念館、インプリ―館などといった歴史的建造物 (文化財) があり、それを見学したいということであれば、
都の東京文化財ウィーク期間 (毎年11月上旬) の3日間、文化財内部を一般公開 (建物内部に入れる)  しているので、その時はどうか、とおっしゃってくださったので、

実は、そちらの学校を出られたアルフィーのファンだが、先日の名誉卒業式に当たらなかったので、せめてメンバーの方が出た大学がどんなところか、前々から一度訪ねてみたかったので、
いい機会なので思い切って見学に行けたらいいと思っただけなので、文化財の建物は特に中に入れなくても、外から眺めるだけでいいので、
自分の予定する日に大学を訪ねて、キャンパス内を歩いたり、建物を見たり、写真に撮ったりなどできないでしょうか、と聞いてみる。
 
総務課でも二人の職員の方に代わったのでその都度同じようなことを説明しなくてはならなかったのだが、
そういうことならと、最終的に 「学院長室」 につないでくれ、そちらの女性の職員の方が色々と親切に対応してくださった。  

( そうか、最初からアルフィーのファンだっていえば話が早かったのかな、と今これを書いていて思ったのだが )、

その方がおっしゃるのには、明治学院では毎日12:35 ~ 12:55の時間で 「大学礼拝」 というのを行っていて、地元住民の方など一般の人間も参加でき、しかもチャペル内にも入れるので、
もし時間内にいらっしゃれるのであれば、そちらに参加されるというのもいいかと思います、とまで言ってくださった。
( 門の守衛には 「大学礼拝に来た」 と告げれば中に入れるとのことだった。 )


文化財ウィークの一般公開日ではなくて、タカミーが大好きだったという憧れの明学チャペル内にまさか入れて、
しかも 「礼拝」 も体験できる などという、こんなチャンスを逃す手はないと思ったので、  

キリスト教の 「礼拝」 って過去に一度も参加したことがないので、どんなことをするのかなぁーと、ちょっとドキドキものではあったが、

その時間帯に合わせてキャンパス見学に行こうと決め、その日を心待ちにした。  


( 学長室の職員の方には、他に当学院を卒業された小説家の島崎藤村のファンでもあるので、藤村ゆかりのものがないかも聞き、キャンパス内を写真に撮ってもいいかというのも確かめておいた。
写真は、どこかに公開するということではなく、スナップ程度のものを自分で見て楽しむ程度であれば、在校生を撮ったりしない限りは撮影してもよい (詳細は後述) とのことであった。

また平日の授業のある時間帯にお邪魔するということで、大学にご迷惑がかからないように少人数でひっそり見学させていただくということや、何日に、どのくらいの人数 (自分一人か友人との二人) で見学に行く予定であるということも、誠意をもってお伝えしたつもりです。

他に、大学礼拝時にチャペル内に入れるだけでなく、明治学院記念館の中にある 「歴史資料館」 は常時一般公開されているとのことだったので、そちらの見学も楽しみにした。

もちろん、事前に大学のサイトに行って下調べをし準備も万端、 
キャンパス内のどこに何があるかの 「キャンパスマップ」 と、大学にどうやっていくかの 「アクセス方法のページ」 をプリントアウトして、聖地巡礼の際に持っていくのも忘れなかった。  


※ 一緒に見学に行ってくれるはずだったコムは、少し前からご実家のお父さんの検査などで病院通いに付き添っていたので、無理しないでねと言っていたのだが、私が上京する前日に緊急入院されることになり、なおのこと行けないことが確定したので、けっきょく自分一人で行きました。 ) 



     
     * * *   * * *   * * *   * * *   * * * 




さてさて、そのように

4月17日に、タカミー生誕60周年記念バースディ・コンサートと、翌日にはいよいよ明治学院大学への聖地巡礼という、 二大ビッグ・イベント  にドキドキしながら上京した私ですが・・・

タカミー・バースディコンサートは、先にも書いたように素晴らしく感動的にお祝いすることができました。


次の日、
コ○○○○○○・オーシャンビュー  なお部屋から眺める、たゆとう春の海と、
左の眼下に見下ろせるパシフィコ前広場の、あそこに何時間も並んでタオルをGetしたんだなぁー、コンサート素敵だったなぁー、などと思いながら、昨日の喧騒の幻影 (祭りのあとの静けさ) とに別れを告げ、

いざ、 「聖地巡礼」へとしゅっぱぁ~~~つ 


まず、最寄りのみなとみらい駅から横浜まで出て、あとは東海道本線に乗れば学校のある品川までは1本、電車での所要時間は約30分だが、途中の移動も入れて約一時間、
品川駅からバスに乗ってもいいが、もし歩いて大学まで行くとしたら徒歩17分、とあるので30分くらい余裕をみて約一時間として、合計で約2時間もみれば余裕だろうと、

12時少し過ぎに大学に着く見当で、10時ちょい過ぎにはホテルを出たと思う。

横浜駅で東海道本線に乗り換えるとき、反対の藤沢や茅ヶ崎方面行きに乗らないようにと気を付けて、ちゃんと品川、新橋、東京行き、という方に乗ったつもりであった。

運よく座れたので 、そのうちに眠ったりしてしまったが、目が明くたびに駅名を確認しながら注意深く乗っていたつもりである。

そのうちに、相模原、橋本、という駅名を見たときは、ちょっと変だなとは思った。
八王子みなみ野を目にしたとき、さすがにヤパイっ  と思って隣りの男性に 「この電車はどこ行ですか?」 と聞いてみると、「八王子行ですよ」 という。

え゛ーーー、やっぱし ガーーーン     

つまり、東海道本線だと思って、横浜線に乗っていたのだ。

自分、大学の3,4年のころ大学 (小田急線鶴川駅) 近くの相模大野に住んでいたので、
実家に帰省する時には、それまではいつも “新宿から” 中央本線特急 「あずさ」 に乗っていたが、
隣りの町田駅から横浜線で八王子に行き、そこから 「あずさ」 に乗った方が近かったので、いわば通いなれた電車だったのだ。
途中の駅名にあれ!?変だなと思ったのはよく知っている名前だったから。


今、東海道本線と横浜線の路線図を見比べてみても、横浜駅から直通で八王子まで行く電車はないはずだが (横浜線の最寄駅は「新横浜」なので)、 
乗り換えもしないで、どう間違ったら横浜線になど乗れるのか。    
それとも、たまに直通電車があるのかな。
これを書いてて思うのは、途中の駅で八王子近くなんかじゃなくて、もっと早くに気づけよってカンジ?
でも、利用していたのは30年も前のことだからね、かなり忘れちゃってるよ~。(途中寝てたし) 


まあ、そんなことはともかく、その時は考える余裕など、もちろんなく、  
「自分では横浜から東海道本線に乗ったつもりで、遅くとも12時半少し前までに品川に着かないとならないのだ」 というと、

とにかく八王子まで出てしまって中央線で新宿まで戻り、山手線で品川まで行くしかない、と隣の人も言うので (自分より少し年配の、とても親切でジェントルマンな方だった。そして、よく眠っていたから、それもいいんじゃないですか?  とも言われたが・・・ じょぉーだんぢゃぁ、ないよぉー )


そーだよなぁ、それしかないよな、 とほっ  
せっかく、余裕で着くハズだったのにぃーーー     

エーン、自分、なぁーんでいつも、こーなるかなぁ。      


ってカンジで、あとはもぉ、ひたすら アセリ 、乗り継ぎの構内を走り 、間に合うようにと祈り 

品川駅についてみたら、なんだ、来たことあったじゃん (おととしの夏、新横浜でフレンズ・オン・アイスを見た後に品川プリンス・新館に泊まって、翌日新幹線で静岡まで行ってタカミー・ソロコンに参加したのだ。何かとタカミーがらみの品川) と思いながらタクシーを飛ばし、

乗りながら、ここ、歩いたら相当遠いじゃん 、と思いながら、
あ゛あ゛あ゛ーーー、もう、完全まにあわにゃい・・・    とココロの中で泣き、


門のとこにいた守衛さんに大急ぎで 「大学礼拝」に参加しに来ました と告げ、 
 


おおっーーー    

目の前には写真やテレビなどで何度も見た 憧れの明治学院のチャペル が、
どっ・どっ・どぉーーーん  と厳かに建っていたのでした・・・  





と、感慨にふけるマもなく、石段を駆け上り・・・  

・・・えっと、チャペルの 入り口ってどこだ      アセ、アセ・・・








 THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 本編2. いよいよ聖地巡礼・その2(最終章) ~  へと続きます。








THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 補足編・島崎藤村 と さだまさし ~

2014年05月22日 | THE ALFEE、Takamiy




さて、アルフィーの名誉卒業式ご招待に当たらなかった私だが、

当たらなかったけど、当日同じ時間に明治学院に行ってしまおうかな~、と思いつき、
大学サークルの後輩、コムに相談してみたところ、もうちょっと考えてみてね、と言われて、即刻思いとどまった、

という話を前回書いた。



それで、その代わりに、思いついた 「別のいいこと」 というのは、卒業式とは別の日に、明治学院大学に行ってみよう  

つまりは、“聖地巡礼” である。

そのことについて触れる前に、ちょっと寄り道ではあるが、自分の人生にとって大切なひと駒について書いておきたいと思う。


ちょー、ナガイです・汗。  スミマセン・・・ お覚悟を。  




前回にも書いたが、明治学院というのは THE ALFEE のメンバーだけでなく、我が郷土 「K谷」 が生んだ作家、島崎藤村の母校でもある。

島崎藤村は、K出身の作家であるというただそれだけで、子供のころから尊敬していたが (小学校の時の遠足で、今は岐阜県N市になってしまったが、M宿にある 「島崎藤村の生家=藤村記念館」 にも行ったことがある)
子どもでも読める童話や詩くらいしか読んだことがなく、

ちゃんとした小説を読んだのは、高校の現国の教科書に載っていた 『桜の実の熟する時』 が最初である。

確か、高校2年生くらいだったと思うが、とても感動して続きが読みたくなった。
その後、『春』、『新生』へと続く、藤村の自伝的小説・青春三部作を、
そして『家』、『ある女の生涯』 などK谷を舞台とした小説を、大学にかけて読んだように思う。

『桜の実の熟する時』 は、自分の藤村文学への入り口の作品でもあり、
当時、まさに伸びていこうとしてもがいている主人公の気持ちが痛いほどよくわかったので、青春の象徴であるかのような美しいタイトルとも相まって、忘れならない小説なのである。

その後、島崎藤村という作家の、私生活、血筋などを知るうちにちょっと驚いたりはするのだが、

そして、普通だと、作品が良ければ人間性や私生活は別物 (どうでもいい) という人もいる中、私はそうは思えないタチの人間なのだが (人間的にも素晴らしい人でなければ尊敬できない) 

藤村だけは、それを許そう (エラそうですみません) と思える人物である。

それだけ、作品に傾倒している (とりわけK谷のことを書いたものは身につまされる) ことや、多分にK出身、ということに対する肩入れであると思うが。



話を戻すが、その、『桜の実の熟する時』 は、
10歳で兄と郷里Kを後にし上京した藤村が、泰明小学校卒業後、三田英学校、共立学校などを経て、16歳で明治学院普通部本科(明治学院高校の前身)に入学。
同じクラスだった戸川秋骨、馬場孤蝶らとの交流や、のちに北村透谷から強く受けた刺激など、次第に文学を目指すようになって行く頃の、青春のみずみずしさに満ち溢れている。

本書には文学を志すことへの苦悩と青春の憂鬱、恋愛への憧れと挫折なども書かれているが、自分自身は読んだのが高校のころだったので、その辺のところはあまり覚えていない部分もある。




さて、アルコンに復帰し始めて間もなくの2009年、マニアから届いたアルフィーの57枚目のシングル発売 (その年の5月13日) のお知らせを見て驚いた。

タイトルが 『桜の実の熟する時』 だったのである。

アルフィーのメンバーの母校が明治学院大学であることも、高見沢が同じ明学出身の島崎藤村のことを尊敬していて好きな作家であると言っていたことも知ってはいたが、

まさかその藤村作品の中でも、最も自分が好きである 『桜の実-』 と同名の曲を作ってくれるなど夢にも思わなかったので、それを見た途端、胸がきゅうん、となった。

そして、発売を心待ちにしていたものだが、
テレビ朝日木曜ミステリー 『京都地検の女』 第5シリーズ主題歌である同曲が、だいぶ自分の思っていた 『桜の実-』 とは歌詞の雰囲気が違うような気がして、最初はちょっとがっかりした。 (きゃータカミーごめんなさい)

のちに、マニアの会報か何かで読んだのだと思うが、この曲は、高見沢がまず小説のタイトルに惹かれて、いつか曲にしたいと思っていたこと、
そして小説の中に出てくる明治学院の周りの風景などが自分にも思い当たることがあったので、それが強く印象に残っている、というようなことを語っていたと思う。

もっとも自分の読んだのは高校のころで、この中に描かれている恋愛のことなどについてはよくわかっていなかったと思うし、自分が感銘を受けた青春のみずみずしさや、延びていきたい思いなどは、曲にするのは難しいだろうと思う。

また、文学に限らないが、作品というのは読んだり見たり聞く人によって、その人の感じ方でどのようにとらえてもいいので、こうであるというものは全くない。

そう思って自分のイメージを抜きに聞いてみると、桜の花びらが舞い落ちるがごとく、一片の小説や詩の断片であるかのような歌詞が、しみじみと人生を思わせる美しい曲であり、大好きになった。

ミステリーというのは結局のところ、人間の哀しい運命を背負っているので (事情があって人を殺してしまったりするので、そこに主人公の哀しい過去を見るので) ミステリーの主題歌にも似つかわしい。


何より、自分の大好きだった青春の書と同じタイトルで、同じ小説からイメージされた曲であるということ、
タカミーも、曲にしたいほどこの小説が好きだった、ということほど嬉しいことはない。




     * * *   * * *   * * *   * * *   * * *


 

もうひとつ、高見沢の作ったというよりアレンジした曲で衝撃を受けたものについても書いておこうと思う。


2010年に、前の年2009年に行った 「Takamiyソロコンサート」 のDVDを見て、ソロTakamiyにすっかりホレ込んでしまった自分が、
2007年、2008年とさかのぼってソロコンサートのDVDを見てみたこと、
そしてついにその年の8月26日、Takamiy ソロコンサート・デビューをした、ということは以前書いたが 
( 【 百聞は一見にしかず ~ 『高見沢俊彦・Fantasia(ファンタジア)』 】 2010年08月28日 | THE ALFEE & Takamiy カテゴリー  参照 )

その、TakamiyソロDVDを見ていた時、それは起こった。


それは2008年のコンサートの時のもので、タカミーがMCで、
「映画や小説など色んなものにインスパイアされてできる曲がある。この曲は、僕が大好きな詩を “メタル” にアレンジしてみました。」

タカミーの好きな詩というと、ハイネとかリルケとか、よく知らないけど、とにかく外国の詩人のものなんだろうなー。とっさに思った。

「あの曲がこうなるのかってね、・・・もちろん、本人には許可を取ってあります・笑。」 
 ええっ   そんな詩人が、いま生きてるワケが・・・

と思っていると、


イントロを聞いて体中に電流が走った。 

だってそれは、大好きな曲だったから。
もう何年も聞いていなかったけど、イントロだけですぐにわかった。

さだまさしさんの 『まほろば』。

あとはもう、涙、なみだ。            


タカミーとさだまさしというのは、全然イメージが付かなかったので、まさか、という思いと、

さだまさしさんは、アルフィーに出逢う前、高校3年くらいから、大学にかけて大好きで、グレープ時代 (さかのぼってだが) から81年の 「うつろひ」 までの9枚、全アルバムを出るたびに買い求め、カセットに録音しては繰り返し聞くほど傾倒していたアーティストだった (特に、古典文学や漢詩を思わせるような詞の世界観が大好きだった(注:1) ので・・・
 
それほど好きだったアーティストの、その中でも上位に入るくらい好きな曲を、タカミーも大好きだったという驚きと衝撃。

そして感動にも似た喜び。



「まほろば」 は、
シンガーソングライターさだまさしのソロ4枚目のオリジナル・アルバム 『夢供養』(ゆめくよう)(1979年4月10日発表) の中に収められている。

歌の舞台は奈良の春日野で、万葉集をモチーフに男女の心のすれ違いを描いているが、
自分の当時大好きだった奈良の情景と、古典文学的な言葉の言い回し、そしてさだの詞に多く描かれている人の世のむなしさや切なさを無情なまでに見事に切り取っている世界観、曲の持つ美しさと、さだの冴えわたる月のような、また突き抜ける青空のような、澄み切った美しい声が無常観を駆り立て、圧巻の一曲。

ちなみに、猫田は大学で国文学を専攻し、日本の児童文学の自主ゼミを作り、最終的に日本の児童文学を卒論のテーマとして選んでいるが、実は 『万葉集』 ゼミにも2年間入っていた。

万葉集が大好きで、ゼミ旅行で奈良、飛鳥地方を訪ねてもいる。 

大学を選ぶとき、奈良の方の大学へ進んで、史跡を訪ねたり研究しながら4年間を過ごしてみたい、という思いもあったくらい、奈良が大好きで、その当時の歴史や古典文学にのめりこんでいた。



ついでながら、受験する大学を決める時、大好きな、あこがれのさだまさしさんが行っていた (中退で、実際はほとんど行ってなかったそうだが)、 という理由だけで 「國學院大學」 もいいなぁと思っていた。(ちなみにさだは、高校は國學院高校を卒業している。) 
大学の特色がどうだったかは忘れたが、なんとなく国文学が盛んで、日本色も強いように思えたというのもある。(字も旧仮名遣いだし)

また、「二松學舎大學」 にも似たような理由からちょっと惹かれていた。
それで、両大学の大学見学にも行ってみたことがある。

もっとも、当時は今のような入学希望者のための見学や説明会などを含めた 「オープン・キャンパス」 なんてないから、自分で勝手に行っただけで、
その時、埼玉の某女子大では、守衛さんに見学の由を告げると、学校内部を少し見せてくれたりしたが、國學院と二松學舎は、大学の建っている場所まで行って、遠目に眺めて、あれがそうなんだな、と確認しただけで帰ってきた。

大学の建っている場所があまりに都会の真ん中のビルの中 (渋谷区と千代田区) という気がして、こんなゴミゴミしたところで勉強するのはやだなぁーと思ったせいもある。 (もっとも、自分の出た大学に初めて面接に行ったとき、建っているのがあまりにも田舎で、せっかく東京に出てくるのに、こんな田舎に通うのはやだなぁーとも思ったものだが。我がまま(笑))

だが本当のことを言うと、自分は推薦入学で大学に入ろうと思っていたので、「受験」 では無理だとあきらめていたのが一番大きな理由で、これらの大学には推薦入試制度はなかった。




このように、高校から大学にかけて、島崎藤村とさだまさしさんが大好きで傾倒していた私だが、

そういえば島崎藤村が出たという理由で、明治学院大学  (当時は高校で藤村は第一期卒業生) にも憧れていて、行ってみたいなという気持ちはなくもなかった。

だが先ほども書いたように、自分はあくまでも推薦入試でしか大学には入れないとあきらめていたので (レベルがちょっと低い高校だったので、自分のようなものでもいい成績が取れた。その高校を選んだ理由は多々あったが、推薦入学も狙っての高校撰びであったし、そのため3年間勉強は、生涯の中で最高と言ってもいいくらいめちゃくちゃやっていた) 明治学院も入れるわけはないわなぁーと思っていたのと、

自分、國學院とか明治学院、青山学院とかの 「学院」 という響きへの憧れや、ミッションスクールに対する憧れが全くなかったわけではなかったが、

どちらかというと、仏教や神道の方に興味があって、仏教系や神道の大学もいいなぁーと思っていた (注:2) ので、キリスト教にはほとんど興味がなかった。

国文学、古典、日本史、漢詩、仏教、神道などの日本的なものが好きだったのである。


ちなみに、当時は尊敬する島崎藤村の母校だったので明治学院というものに興味をひかれたが、
せっかくアルフィーが自分が中学2年のころデビューしていたのに、大学受験のころはまだ存在を知らなかったので、アルフィーの母校だから明学に興味があった、ということは全然なかったのが、今思うと非常に残念である。



余談ついでに、最近知った新事実  で、タカミーがNHK・FMラジオ 『終わらない夢』 で桜井さんと、なぜ明治学院高校を選んだかについて話したことがあって、

タカミーが中学の部活で夢中になってやり、そうとう入れ込んでいた 「バスケットボール」 で、中3の時の大会で大きな挫折を味わい、
その後の人生を大きく変えたことは、メンバーやファンならだれでも知っていてつとに有名なことだが(後述)

その挫折があったからこそ、高校で音楽にのめりこんだというのと、
もうバスケットはやらない、高校は、自分がバスケットをやっていたことなど誰も知らない、どこか遠くへ行こう、と決め、

「実は國學院にも興味があったんだよ、国語が好きだったから。でも、子供だったんだよね。 (高校のあったのが) 品川だったから、家 (埼玉県蕨市) から、できるだけ遠くへ行きたかったんだ。」
( のちに、さだまさしさんとの対談で、國學院高校を受験し合格していた、とまでおっしゃってましたので、ホントの話だったんだぁ~とビックリしましたっけ・笑。 )

と、明治学院を選択したということだった。


ここでまた、びっくり。    


大学ではなく高校ではあるが、タカミーも國學院がいいと思っていたなんて、初耳であった。

そして、自分が強く行きたいと思ったことのある学校にタカミーも行きたかっただなんて、何だか妙に嬉しかったものである。  
(まさかタカミーも “学院” てつくのに憧れてたりしてね・笑)



が、しかし、日本史が大好きで国語も好きだった (本人弁。ちなみに中学の校長だったタカミーのお父様は国語の先生で 『万葉集』 をこよなく愛していたという。なので家には難しい本や辞書などが沢山あり、幼少より本好きだった高見沢の将来の夢は、父親と同じ教師か作家や漫画家であったともいう ← ここでまた、共通の箇所を多々発見して喜ぶ自分・笑) というのに、

タカミーよ、ナゼに大学で英文科を選ぶか    

  のちに知ったことであるが、明学の文学部は、英文とフランス文学だけで、 「国文科」 というものがなかったのだった。   びっきゅり 
文学部に国文ないトコがあるなんてね、国文(日文)なんて、どこでも必ずあると思ってたよ。さすがはミッションスクール


ま、タカミーは高校時代ロックに傾倒していたので、当然のことイギリスやアメリカに対する憧れはあったと思うし、

中、高とあまり英語は好きでなかった自分でさえも、当時好きだった映画音楽やレターメンというグループの歌う曲の歌詞などをノートに書き写しては、辞書を引きひき、一生懸命日本語訳を自分なりに書いてみたりしたくらいだから、

大好きな曲の意味を知りたい、というのは誰にでもあるかもしれないし、

また当時は英米文化に対する憧れというものが、国民全体的に流れていたと思うので、そんなこともあってかもしれない。

 と、ゆーのは、あくまでこの記事を最初に書いた当時、私が勝手に想像していたことで、
のちにご本人がラジオで語っていたところによると、自分は英語がちょっと得意だったということ、それから当時はまだ珍しかった社会学部の社会福祉科というのにも興味が引かれたが、進路指導か何かの先生に、もしも将来教師になるのなら、英文科の方がいいぞ、(社会福祉科では)つぶしがきかないぞと言われ英文科に決めたと言ってました。
なんだ、意外とフツーの理由・笑。


それでも面白いのは、作詞家としてのデビューがアルフィーに提供した曲だった (1981.10.21 『言葉にしたくない天気』) ことから、それ以来の付き合いだという、今を時めく作詞家の秋元康いわく、
「高見沢さんはロッカーなのに厄落としに神社に行くような可愛いところがある・笑。」 らしい。


キリスト教も含めた西洋音楽と西洋文化に強い憧れと興味を持っている (ゆえに、知識もすごい) のに、日本史や仏像も大好きだ (中でも大好きな 「阿修羅像」 を歌った曲も作っているほど)、

西洋も日本古来のものもどちらも大好きで、どちらも似合う、という面白さを持っているのが高見沢俊彦であると思う。


ちなみに、私に至っては、日本の文化、歴史、言葉、仏教、名所などは大好きだが、
西洋のものは、ごく幼少期を除いては、言葉も文化も宗教も場所も、ほぼ今も昔も興味がほとんどない・笑。 
( 高校のころは、将来は社会科の先生になりたいと思うほど、実は国語よりも社会科全般の方が好きだったので、世界史も世界の地理も、そして倫社に出てくる西洋の思想も好きではあったが、興味があったのはその当時だけだったようだ。今では、語学が堪能になりたいとか、外国旅行に行ってみたいなどという興味がほぼ皆無である。 )



なんだか話がまとまらなくなってきたが (アンタの興味のことなんてどーでもいいってか!? ごもっともで・笑 

話のついでに、自分、高校の時に将来なりたい職業が二つあり、一つは高校の日本史を主に教える社会科の先生と、童話作家であった。
なので、受験する大学を決めるときに、史学部にするか文学部にするか、相当悩んだ。( 受験する時には、何学部の何学科まで決めて受験しないとならないため。大学によっては専攻まで決めるのかどうかわからないが、自分の出たW大は専攻は入学後に決めていい仕組みになっていた。 )

それで、やはり子供のころからの夢だった 「物を書く人になりたい」 という方が大変不確かな夢ながら勝ったので、文学部の方を選んだ (厳密にいうとW大は人文学部) のである。


もしも、先に書いた大好きな奈良の大学の史学部を選んでいたら、自分の人生は全く違うものになっていたかもなぁーと思う。

でも、東京にも憧れが強かった (といってもファッションや流行や遊びという方ではなく、
東京は日本の学術文化が最も高い水準にある  と信じていたからで、そういうところで勉強がしたかったのだ、
と大卒後だいぶ経ってから、当時を振り返って言ったら、東京生まれの文学仲間にそれ は言いすぎだと思うなー、と笑われたが、この田舎者の気持ち、東京の人にはわからないと思う) ので、
結局最後には東京が勝ったのだ・笑。




というわけで、いささか余談が過ぎたが、私が島崎藤村とさだまさしさんにいかに傾倒していたか、

また、現在最も尊敬していて大好きなタカミーとの共通点を、単に色々と揚げてみたかっただけであるが、 


そういう下地を踏まえておいていただいて・・・、
次回はいょいょ、聖地巡礼、いざ出発編です。    

きゃー、 ここまで来るのに、ちょー長すぎるワ          






【 補足 】

というより、蛇足  (上の「注:1、2」をまとめて書きます)


 自分が仏教に興味があったのは、幼稚園がお寺の経営するところだったので、通った3年間、毎日お弁当の前に 『延命十句観音経(えんめいじっくかんのんきょう)』 をみんなで唱え、合掌して 「いただきます」 と言っていたことや、お釈迦様の誕生日の花祭り (4月8日) を祝うなどして、仏教が身近であったこと (園長先生もそのお寺の住職さんだったし)、

確か幼稚園の頃だったと思うが、家に 広隆寺の『弥勒菩薩』の仏頭(お顔の部分)像が来て、以来2階の自分の部屋の隣の柱にずっと飾ってあったので、 「広隆寺の弥勒菩薩さま」 をいつか見に行きたいものだ、とずっと思って育ったというのもある。
長くなるので、別項目にていつか詳しく書きますが、知り合いの美術教師が作った? ものを譲り受けたということだったので、親がほんとに欲しくて手に入れたものかどうかはわかりませんが、身近に仏像があり眺めて育ったというのは大きいかも。

それから中学の時、K郡内の禅宗のお寺が主催している 『少年禅道会』 という、夏休みに2泊3日でお寺に寝泊まりして、座禅を組んだり写経をしたり、お経を読んだり説法を聞いたり、禅にのっとった食事をしたりする行事に、
最初は母の 「あんたは怒りっぽくて修行が足りんから、禅道会でも行って修行してきなさい。」 という勧めに、それは言えてるかも、と割と素直に行く気になったのだけど (ちょっとおもしろそうだったし)、
参加してみたら、3日目の最後に “3年間皆勤で出席すると座禅の時に肩や背中を打つのに使う 「警策(けいさく)」 という棒のミニチュアがご褒美にもらえる” らしいとわかり、それ欲しさに頑張って3年間通ったこと、

あとは、中学、高校の修学旅行で仏像について勉強し、実際にお寺を見て周りながら仏像に触れ、寺や仏像が一層好きになったこと、などの理由による。

また、中学3年からNHKの大河ドラマにのめりこんだことから日本史好きになり、日本史と仏教やお寺は深くかかわっていたことにもよると思う。

その後社会人になってから、全くの偶然であるが、知り合いの児童文学評論家で、全国同人誌連絡会事務局を兼ねていた大岡秀明さん(故人)がたまたま寺の住職で、彼の家であるお寺の寺務員 (早く言えばお手伝いのようなもの) として、家業を除く自分の過去の勤務史上最も長い4年間、そのお寺に勤務していたこともあるので、縁というものは不思議なものである。



 神道に興味を持ったのは、高1の時の大河ドラマ 『花神(かしん)』(司馬良太郎作 『花神』、『世に棲(す)む日々』 などの5作品が原作) の影響で、吉田松陰に傾倒するあまりに、意味もよく理解しないままに 「尊王攘夷」(そんのうじょうい・天皇を敬い外国を俳する) の思想にかぶれたため、天皇は神であると一時期本気で信じたことがあったため。 (あー、不覚だわ)
それが大学で全く逆の思想に影響されることとなるので、今思うと、この、何でものめりこむタチというのは、空恐ろしい。
当時は、神道を学ぶ大学というのは神主の子息が行く、神主を育てるための大学であることさえも、よくは知らなかった。
 



 タカミーが、実はさだまさし好きだっという話は、2013年3月のNHKテレビの 『今夜も生でさだまさしスペシャル~朝まで生で音楽会』 という、さだまさしさんの取り仕切る、深夜から明け方にかけての5時間にも及ぶ超ロング・トーク音楽会にアルフィーがゲストで出たときに言っていた。

それまでもアルフィーとさだとの交流は深かったが、
『まほろば』 をメタルアレンジにしてTakamiyソロコンサートで単独演奏したり (2008年8月17日、私がDVDで見たもの)、
さだまさしのデビュー35周年を記念して製作されたトリビュート・アルバム 『さだまさしトリビュート さだのうた』(2008年10月22日、ユーキャン、販売はユニバーサルミュージック) に、 「まほろば」 を高見沢アレンジ、歌 THE ALFEE として参加しているなどしていたことから、

アルフィーのメンバーたちより2年先輩で、2012年4月10日に60歳を迎えた、さだまさしの誕生日を祝う記念コンサート 「60人のまさしくんWORLD」(於:さいたまスーパーアリーナ) 第一部のトリとして、高見沢が 「高まさし」 としてゲスト出演、さだと 『まほろば』 をセッションしている。 

この年はさだまさしの還暦でもありデビュー40周年でもあった (あらまぁ、どっかのグループとおんなじ・笑) ので、2012年6月に長崎ブリックホールから始まり、2013年1月28,29日の東京国際フォーラムでの追加公演を含む 『さだまさし デビュー40周年記念コンサート・ツアー さだまつり 』(東京国際フォーラム、ホールAでのファイナルは、なんと歌わずにほぼしゃべってるだけの 「しゃべるDAY=前夜祭」 と 「うたうDAY=後夜祭」 とがあったという、前代未聞のさだまさしらしいコンサート企画である) も行ったというので、ぶったまげるのだが (本人いわく、大変だからもう二度とやらないコンサートと言っているらしいが、そりゃそうだ・笑)

そんなこんなで、その直後の 通称 『生さだ』 にアルフィーが生出演した際、「まほろば」 をさだとアルフィーとでセッションした。

その時のトークで、さだが、タカミーのことを彼のニックネームの王子と呼び、
さだ 「王子は、なんかこの曲を気に入ってソロコンサートでやってくれたんだよね。」(中略)
高 「・・・レッドツェッペリンの次に聞いていたのがさださんです。」
坂崎 「ほんとですよ。ツェッペリン、ディープパープル、クリムゾンのレコードに混じって、さだまさし 『帰去来(ききょらい)』 があったもん。」

などと言って半分笑いを取っていたが、
このとき高見沢は、 「まほろばの詞は尋常じゃあないです。」 と感心し褒め称えていた。

( このときも、かつて大好きで尊敬していた人と、たった今大好きで尊敬している人とがお互いをリスペクトしあいながらセッションしているのだと思うと、曲自体が好きなだけでなく、心から感動して、泣けて泣けて仕方がなかった。 )


実は 「60人のまさしくんWORLD」 の出演を終え楽屋に戻ってきた高見沢のもとに、8つ年上の実の兄から 「お前が出てるなんて知らなかったよ、しかも第一部のトリじゃないか。びっくりしたよー。」 とメールが入り、 「えー、兄貴が見に来てたなんて知らなかったよー」 とこちらもびっくりして返信したタカミーだったらしいが (ラジオ 「高見沢俊彦のロックばん」談)、
60周年バースディコンサートに来るくらいなので、兄は相当さだまさしファンなのではないかと思う。

さだまさし好きというのは、かつての兄の影響だったのではあるまいか。

そして、幼い頃からずっと背中を追いかけてきた、8つも上で優秀だった憧れであり自慢の兄が、自分のことを驚いて感心してくれたのは、
高見沢にとってもちょっと鼻が高く、くすぐったくもあり嬉しかったに違いない。



ちなみに、ネコタがさだまさしさんを好きになったのは、
高2の時、所属していた体操部の一つ上の先輩が大ファンだったらしく、部室で着替えながら、 
「この間さださんが松本に来てくれて、コンサート聞きに行ったんだけど、もー、さださん、すごい素敵だったぁ~!!」 などと興奮してしゃべっているのを聞くともなしに聞いていて、
大変失礼ながら、えー、あんなうらなりびょうたんみたいな人のどこがいいのかしら? などと思って注目しているうちに、気づいたら自分が好きになっていてびっくりした。 

初めは友人などが、もしかして好きなのかなぁー、あんな人のどこがいいのかしら、と不思議に思って観察しているうちに、気が付いたら自分が好きになっちゃっててびっくりした、という人は今までの人生の中で実は3回もあって、小6の時2つ上の合唱団の先輩であり団長さんだった人、さだまさしさん、そして何を隠そう現在夫になっている人物である。

さださんも、はじめは青白くて病弱で神経質そうで暗い人、と思っていたのが、
もともとワイルダーな方よりも、色白でナイーブな文学青年タイプ、お坊ちゃんタイプ (何しろ彼はデビューの時ヴァイオリンを弾いていたのだから! そして当時の歌謡界でそんな人はいなかったので相当なお坊ちゃんに見えた) の方のほうがどちらかというと好きだったので、

さださんも好きになってみたら、ちょっと憂いを含んだ繊細そうな文学青年みたい、素敵!   
になったのだから、面白い。 
( でも、実際は高校で 「落研」 (おちけん、落語研究会のこと) に入るほど明るくて面白い人だったというのが、彼の作る “面白い方の曲” や、明るく楽しいトークからもよくわかるのですが・笑 )

さださん、今でこそ少し貫禄が出られましたけど、若いころはそりゃあ素敵でした。
何年か前、さださんの実息である佐田大陸くん(さだ・たいりく、クラッシックユニットTUKEMENメンバー、ヴァイオリニスト) をテレビで初めて見たとき、ちょっとドキッとしましたね。
だって、若いころのお父さんそっくりだったから。

( もちろん、一番好きだったのは御本人の外見とかよりも、曲の素晴らしさ、特に詞の持つ世界観に強く惹かれて、そして、声の美しさに、ですけどね。 )


ちなみに、タカミーも、今でこそあんなに派手派手で、TV『新堂本兄弟』 とか見てると、明るくて面白いというかお茶目な可愛らしい感じで、そしてそんなお姿がとっても大好きですけど (すごく、いい風に年を重ねられて、変化された、または自然に自分を出せるようになった感じと言ったら生意気でしょうか)、

存在を知った頃は、TVではあまりしゃべらなかったし、もっとおとなしそうで地味?な感じでした。
でも、まるで少女漫画から抜け出してきたかのような美しくてカッコいいルックスに一目惚れ、
ちょっと憂いを含んだ繊細そうな文学青年風な、ちょっと暗い?というか、とんがってる感じのところまで素敵だと思いました。
( 自分でも若い頃は決して明るいタイプではなかったので、明るくておしゃべりでひょうきんな人より、無口で繊細な感じの人の方がどちらかというと好きだったので )



さだまさしさん、今ではすっかり聞かなくなってしまいましたが、当時の曲は今でも好きです。

当時は 「精霊流し」、 「追伸」 や 「パンプキンパイとシナモンティー」 「関白宣言」 などという言葉が社会現象になるほど一世を風靡してましたが、私は世間的に流行った曲よりも、どちらかというとマイナーな方が好きでした。

線香花火、胡桃の日、つゆのあとさき、晩鐘、風の篝火(かがりび)、まほろば、空蝉(うつせみ)、鳥辺野(とりべの)、邪馬臺(やまたい)など、漢字を多用するタイトルや歌詞、小説と同名の曲や古典文学的な詩、文学的な世界観などが大好きでした。

ちょっと流行った曲では、無縁坂、飛梅(とびうめ)、檸檬(れもん)、主人公なども好きでした。

とりわけ 「歌詞」 にこだわり、自分の書くのは 「詞」 ではなく 「詩」 であると言ったり、
小説も書けるさだまさしさんは、言葉の天才だと思います。







 THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 本編2. いよいよ聖地巡礼・その1 ~ へと続く。












THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 本編1. 名誉卒業式~

2014年05月16日 | THE ALFEE、Takamiy



THE ALFEE の40年越しの名誉卒業式。

出席できるものと信じて当選連絡の電話を待っていた私ですが、ついに電話のベルはなりませんでした。  

悲しい。 

あきらめがつかなかった私は、その日の夕方、とっさに “あること” を思いついたのです。


それは、名誉卒業式には参加できないけど、明治学院大学に同じ時間にこっそり行ってしまおうか、ということ。


アルフィー最後の夏の野外イベントとなった2009年8月8、9日の赤レンガパーク、
私は8日のみの参加で、翌日は場外でも購入できた夏イベのグッズを買って、夕方新宿発のバスで帰郷したのだが

あとからその時の様子を 「完全収録DVD」 で見たところ (2日目も参加したかったなぁーと思ったのはもちろんだけど) 
場内に入り切れなかったファンが、港に屋形船を出したり、場外の塀の外でずっとコンサートの様子を聞きながら一緒になって応援しているのが写っていた。

そしてそれを、タカミーが気遣って 「会場に入りきれなくて外にいるみんな~、どうもありがとう 」 と声をかけてくれたのだ。


それと同じような感じで、卒業式に参加できなくても、
同じ時間に、チャペルの外でもいいから、今この建物の中では、アルフィーの名誉卒業式が行われているのだ、と思いながら、

一緒の時を過ごしたい。 共にお祝いがしたい・・・。  


応募要項には書かれていなかったが、卒業式の場所はたぶん、というか絶対に明学のチャペルなのだ。  

というのもタカミーが、たぶん収録と放送の時間をうっかり間違えたのだろう。

その週初めの日曜のラジオ 「ロックぱん」 で、まだ火曜日に執り行われるから終わっていないはずの卒業式のことを、

「卒業式は明学のチャペルでちゃんとやったんですけどね、緊張しました。」 と言っていたのだ。

ロックばん、火、水、土曜日放送のところもあるらしいので、それにも合うようにかもしれないけど、
日曜日に聞く人にとっては      


でも、これで場所はわかった。   

もしかしたらタカミーが、場所を教えてくれたのかもしれない。  あくまで自分でいいように解釈。 


外で大切な時間を共有し、運が良ければ、チャペル内でもしも歌ってくれたら外にも聞こえるかもしれないし、
もっと運が良ければ、チャペルに出入りするメンバーをチラ見できたりしちゃうかも。 


でもなー、当たってもいないのに行くのは、ずーずーしいよなー。 

当選した人やスタッフに、白い目で見られるかも。

しかも、きびしく追い返されちゃったらどうしよう。  

都内とか、近場の人ならいいよ、
遠く信州のKくんだりから4時間もかけて行って追い返されたりでもしたら、時間とお金がもったいなさすぎる。
というより、悲しすぎる・・・。 

と、やや心配になりつつも、でも行きたいなぁー、ゼッタイ行こう  

と思って、またまたコムにメールで相談してみる。( コマッタ時のコム頼み。どっちが後輩なんだか・汗 )


あぁん、今回はメール削除されていて、原文はないのだけど、
およそまとめると、


う~ん、気持はわかるけど・・・(^^;)
私も、コンサートだったらチケットがなくても行くかもしれないけど、
卒業式はもし、大学に迷惑がかかったり、何より、ファンだけじゃなくて
もしもアルフィーが悪く思われたりしたら嫌じゃない?

・・・遠いところから行くのだし、 もう一度よく考えてみてね?  


そうか、もしもアルフィーの評判が落ちたりでもしたら・・・     

そうね、やめよう。      即決   


( その代り・・・またしても別の いいこと を思いついたワ・タ・シ    ピカーン  )
 



さて、
それでも、卒業式、行きたかったなぁー、チャペルじゃなくて講堂のような広いところでやれば、もっと大人数の人が参加できたのに・・・、 
などとと思いながら、メデタイというよりはなんとなく残念な気持ちで過ごした、翌3月18日でしたが・・・


40年も続いて、なおかつ現役で走り続けているバンド・メンバーの 「名誉卒業式」 というのは、大きなニュースだったのだろう。

その日の深夜にはネットニュースが上がり、内容を詳しく知ることができました。  
ヤッタァ~    ばんざぁーーーいっ   



( 以下、下の写真6枚は、NHK・BS1 『歌のあとさき:特別編』※ 3月26日放送分より、TV画面を写真に撮らせていただきました。  
記事は、ネットに掲載されたニュースより抜粋、加筆させていただいております。 )



卒業式は、明治学院内のチャペルにて執り行われました。

普通の大学だと、講堂などの広いところで一斉に執り行われるが、ミッションスクールでは、式典はチャペルに於いて執り行われるしきたりなのだろう。
学部ごとに卒業式の日が違うのは、チャペル内に入場できる人数を考慮してのことであるとわかった。


抽選で招待されたファン100人、THE ALFEEの後輩となる明治学院大学 在校生100人が待つチャペルに通常の卒業生と同じようにTHE ALFEEの3人が揃って入場。


キリスト教に則った明治学院大学の伝統的な式が執り行なわれ、名誉学士授与式が無事終了したところで、
THE ALFEEの3人が壇上に登って感謝の言葉を述べました。


坂崎:「この2人に出会えたのが一番の思い出であり、一番の宝物です」
桜井:「この学校はTHE ALFEEが出来た場所で、実家、故郷のようなもの。今は嬉しい気持ちが一番です」

最後に高見沢が 「自分の作る歌に明学を匂わせるテーマのある曲が多いと言われ、今思えば青春はこの場所にあり、自然と自分の中で曲作りのポイントとしてあったのかもしれません。
これからも学院で学んだことを誇りに思い、3人で頑張っていきます」 と締めくくった。


その後、自分たちはミュージシャンなので、感謝の気持ちは歌で返したいと、
サプライズで 讃美歌539番 『 あめつちこぞりて 』(いつもクリスマスコンサートで歌ってくれる讃美歌と思います) をアカペラで、
THE ALFEEにとって青春の一コマであり、今でも原点を忘れないために時々コンサートでも歌うという 『 明日なき暴走の果てに 』(1980年) をマイクなしのアコースティックギター演奏のみで披露。 (やっぱし。予想どうり   


桜井:「マイク無しは大学時代に練習していたそのままの形」、
高見沢:「響きの良い所を探しては、よく叱られましたね。今日のライブは武道館より緊張した」。
でも、チャペル内に響く、エコーがかかった感じが歌っていても心地よかった。



明治学院大学の歴史で初めての名誉学士の称号授与式は、こうして厳かに幕を閉じました。




こちらは、3月19日付 「スホーツニッポン」 の記事。

以下は、自分では撮り損ねたので、コムに泣きついたところ、 
KinKi Kids のニュースを逃さないために、毎朝いくつかの芸能ニュースを録画している (スゴイッ、エライッ ) ので、チェックしたら一つだけあったよ~、とダビングしてくれた、 「めざましテレビ」 より TV画面を撮影させていただきました。 


THE ALFEEの3人が出会い結成し、デビューへの道のりを語るには絶対に欠かせない明治学院大学を、約40年たった今卒業できたメンバーは心から喜んでいた。


この日タカミーの着ていたお洋服が、正装なのだが所々自分らしさを出したベストやタイ、アクセサリーなどを身に着けていて、とてもお洒落なんだけど、中でもスコットランドの民族衣装キルト (巻きスカート風のもの) のようなのをアレンジしてまとっているのが一段とお洒落で 超カックイィ です。 





高見沢は、 「自らの卒業式をこの年齢でできるのは、今日こそTHE ALFEEをやっていてよかったなと思える日はない」 と感無量。
桜井も 「大人になってから卒業させてもらったことで感激が大きい。色んな思い出が詰まっているので、すごくこみ上げてくる感じがする」 としみじみ語った。



高見沢はさらに、 「プロフィールに大学中退と書いてある。両親が学校の教師なのでずっと申し訳なかった」 とコンプレックスを告白し、
「やっとプロフィールから『中退』を外せる。これをもって、バンド名を 『THE ALFEE(大卒)』 に改名したい。やっと親孝行ができた」 
と微笑み、報道陣を笑わせては、終始ご機嫌だったという。



うふっ、やっぱり。・・・   

タカミーにとって卒業とは、心のひだに触れるとかって、大袈裟ってゆーか、考えすぎだよね。  

素直に、無邪気に喜んでいるタカミーって、カワイイ。  

 案ずるより産むが易し  Part2. 
( Partt1は、百聞は一見にしかず ~ 『高見沢俊彦・Fantasia(ファンタジア)』2010年08月28日 | THE ALFEE & Takamiy カテゴリー参照 ) 

ですよね。 


THE ALFEE(大卒) の皆さま、
改めまして、40年越しの大学ご卒業、心よりおめでとうございました。 







【 明治学院大学 THE ALFEE 名誉卒業について 】 (以下、大学側のコメント)

本年度、明治学院は創立150周年を迎えました。
この期間中の記念行事として、昨年10月30日に本学の校歌を特集した企画を行ないました。
明治学院校歌は卒業生の島崎藤村が作詞しておりますが、この校歌をTHE ALFEEが1997年にアレンジして歌っております。このため当該イベントのトークゲストとして出演していただきました。
THE ALFEEと本学はこれまでも多くの関わりがあり、都度、明治学院を前面に出してくれております。
一方、THE ALFEEのこれまでの活動実績は音楽界に大きな影響を与えておりその功績は大きいものと考えております。
明治学院大学としては、これまでの功績を評価して、この度名誉学士の称号を授与し、名誉卒業とさせていただくことになりました。


< THE ALFEEメンバーの明治学院大学在籍期間 >

高見沢俊彦:1973年4月、明治学院大学文学部英文科入学~1981年、中退
坂崎幸之助:1973年4月、明治学院大学文学部英文科入学~1974年、除籍
桜井賢:1973年4月、明治学院大学法学部入学~1978年、除籍

なお今回の学位授与の正式な呼び名は「名誉学士称号授与(名誉卒業)」となる。
通常の大学卒業は「学士」の学位授与だが、THE ALFEEの場合は明治学院大学独自の定めによるもので、法令上の卒業ではないという。



【 THE ALFEEと明治学院とのかかわり 】

高見沢俊彦と桜井賢は、明治学院に高校から入学(1970年~)、同時期の3年間を別々のクラスであったが過ごした。
このころはフォークの盛んなクラスだった桜井と、ロックの盛んだったクラスの高見沢とは、お互いに存在を知りつつもライバル関係にあり、たまに帰宅時の駅までの道のりが一緒になっても、かわす言葉はぎこちなかったという。

高3当時、都立高校に在籍していた坂崎幸之助は、コンテストを通じて、桜井がクラスで作っていた 「コンフィデンス」 という3人組のグループ(メンバーは「ドリ・ジェネ」では桜井の他に南君と呼ばれる人と仮にA君) と仲良くなり、コンテストの助っ人などをするうちにグループに加入。
その年の明学の学園祭で、ロックを演奏する高見沢の姿を目撃している。(のちの情報によると、このとき二人は2、3言葉を交わしあったようである。)

高見沢と桜井は、その後1973年に明治学院大学に進学。坂崎はコンフィデンスのみんなが行くなら、というので明治学院大学を受験して入学。
学食で高見沢に声をかけたことから意気投合。高見沢もメンバーの一人(A君)が抜けたコンフィデンスのコンサートに助っ人で加わることとなり、のちにグループの一員となる。
高見沢と坂崎の出逢いは、意外にも好きな音楽が似ていて話が合ったことや、お互いにないものを補い合うような新しい発見や刺激、またあるときは安らぎに満ち溢れていたようで、人間的に惹かれあっていったようである。

面白いのは、前出のマンガ、ドリ・ジェネなどにも見るように、3人の出逢いは、高校や大学の青年らしい軽いノリ、仲間意識に彩られており、ごく自然というか、肩ひじを張らない関係であったこと。
音楽を楽しんで演奏しているうちに、夢だった音楽が、次第にプロとしてやっていく意識へと変わって行ったというところである。
( このあたりのことはドリ・ジェネにおいて、メンバー間のやり取りが実に楽しそうに描かれている。 )

その後、グループはプロデビューに当たり、名前を事務所に言われるまま 「ALFIE(アルフィー)」 に改名。
デビューから約1年後にメンバーの一人(南君)が脱退するも、以降ずっと、桜井、坂崎、高見沢の3人は変わることなく、 THE ALFEE として走り続けている。


高見沢は当時から明治学院のチャペルがお気に入りで、曲にも多く登場するほか、3人とも明治学院で出逢ったことや、その中で生まれた友達バンドであることなどを事あるごとに語っており、
在学中にデビューが決まり、中退や除籍等、正式には卒業することができなかったが、
11年間を在籍した高見沢などは特に、この学校で学んだことを誇りに思い、その後も島崎藤村作詞の校歌のアレンジをして歌ったり、学園祭に出演したり、重要文化財である記念館の修復に貢献するなど、メンバーの母校愛は誰よりも強かった。

大学側が、学院創設150周年記念事業の一環としてメンバーの名誉卒業を決めてくださったのも、そのことへの感謝や、お礼みたいなものだと思う。

ありがとうございます。

と、メンバーに代わって私からも感謝の気持ちを。     




※ 『歌のあとさき』(NHK:BS1) は、1組のアーティストの歴史をひもとく15分、というシリーズもので、THE ALFEEは、2014年2月7日(金)より、4週連続で放送されました。
15分のうち、昨年11月13日に発売されたシングルで、8分にも及ぶ大作であり名曲の 『 GLORIOUS 』 を含む “フルサイズ” の曲が2曲も演奏されるという豪華番組でした。
同年3月26日に放送された 『特別編』 は、約1時間にわたって放送された、それまでの総集編で、3月18日に行われた 『名誉卒業式』 の様子も放送され、内容としても見事な仕上がりになっていたと思います。






 THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 補足編・島崎藤村 と さだまさし ~ へと続く。













THE ALFEE名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~導入編~ (^^;)

2014年05月12日 | THE ALFEE、Takamiy



そのニュースは、

前日にタカミーが初の音楽監督を務める 『 ウルトラマン ROCK DAY 5 ―ギンガ伝説― 』(高見沢俊彦、つるの剛士、宮野真守ら、ウルトラマンシリーズゆかりのアーティストが、渋谷公会堂に集結した音楽ライブで、いつか書きます) を見に行ってきて、今年の初タカミーを拝み、
昨年をもっていったん休止活動に入った “ソロ・タカミー” を存分に堪能し、幸せの余韻に浸っていた 

3月10日の夕刻、衝撃的に飛び込んできた。 


もう、終わったものなのでよいと思って載せるのだが・・・

アルフィー・マニア・サイトの左隅に、『アルフィーマニア会員の皆さんへ』 という、マニア会員だけが見ることのできるページを発見。 (サイトはだれでも閲覧できるため、会員限定のニュース等は会員専用のログインをしないと見れないことになっている。)

なんだろう? と、ドキドキしながらクリックしてみたところ、



『 THE ALFEE 明治学院大学名誉卒業式 アルフィーマニア会員ご招待 』 に関する応募要項をプリントしたもの。

こぉ~んなご案内が目に飛び込んできたのだ。     


これまで、母校である明治学院大学を中退していたアルフィーのメンバーが、大学を卒業する (した) らしいというニュースは、昨年2013 年11月13日に発売されたシングル  『 GLORIOUS 』(グロリアス) の応募特典に当たれば参加できる 「ファン・ミーティング」(今年2月22日に都内にて開催) において発表されたらしい、というのは聞いていた。

ただ、この特典には自分は当たらなかったので、そのニュースを聞いた時、メンバー全員というよりも、タカミーが大卒の資格を得たのかなと思ったので (その時は卒業したのが母校の明学かどうかもわからなかったし、通信教育とかで本当に「卒業資格を取得した」のかしらと思ったので、これだけの地位も名誉もある人が、今さら大卒の肩書がほしいものだろうか?) と、ちょっと不思議に思ったものである。

そして、本当かな? というのも、少し思った。 ( いつも冗談ばかり言っているアルフィーの場合、冗談とほんとの区別がつきにくいので、先に書いた今年7月の夏イベ発表も、8月の記念セレモニーと日にちも近かったため勘違いし、最初ホントのことだとすぐに思えなかったほど。  )



なので、きゃー、ホントだったんだぁ~。 

そしてすぐに、 参加したい    

と、強く思った。 

( 同時に、タカミーだけが通信教育などで大学卒業資格を本当に取得したのではなく、3人そろっての 「名誉卒業」 であるというのに、それがどんなものであるかよくわからないなりにも、そのほうが理にかなっている気がして、なぜだかほっとしたものである。  )


しかし、
自分、ウルトラ・ロックデイで上京したばかりである。  開催時間が早かったのと、アルコンよりはコンサート時間が短いと予測して、最終の 「あずさ」 に間に合うと判断、塩尻まで夫に迎えに来てもらうことにして (最終だとその先の中央西線はすでに走っていないため) 日帰りを強行。

卒業式のあるのは、来週の3月18日であるから、本来なら到底いかれないスケジュールである。  ここ数年の上京回数と、その理由、そして老いた両親に店番をさせ、店の売り上げだって落ちているのに、ホテルに泊まったり電車や舞台に使うお金なんてないはずで、そんな悠長な身分ではない、という理由から
「今年は、コンサートやお芝居を見るために東京に行くのは4回だけにしなさい。」 と母からきつく言い渡されている。

( 以前にも言ったが、事業主である母からお給料をいただいているので、母は母以上の存在なのである。 )

一応、同級会とか他の用事の場合はこれには含まないということなので、2月にくれよん同期会で上京した際に、こっそり? 「TAO」 の公演を見たり←UPしそびれてますが今度書きます、
ロックデイズに至っては、長野に行くと言ってある。
昨年11月に新宿でタカミーの映画を見たときには、なんと松本に行ったことになっている。 → 53歳にもなって親に嘘を言ってまで、と思われそうだが、 「ウソも方便」。

最初は後ろめたかったものだが、気持ちよく出してもらえるので、お互いにとって望ましいことなのであるとわかった。人を殺すのは嫌なので、方便の材料にしている文学の勉強会さんなど、ゴメンなさい。    

ちなみに、夫には本当のことを言ってあるので、 「母゛に密告しよ 」 と脅されている。
( まぁ、トーキョじゃなくて松本とかでも、コンサートや映画というのをわざわざは言わずに出かけることもあるくらいなので、この苦労、多少はわかってほしいものです。 )


今度は、どんな方便を考えようか。

そして、日帰りは可能だろうか。

応募要項の 「注意事項」 に、卒業式にふさわしい格好で、とあるが、改まった服をあまり持っていない自分、何を着ていけばいいのか。  着れる服がなかったので、その日からダイエットを始める。 


すっかり行く気になって、それに伴う色んなことを考えた。  



自分、コンサートには一人で行かれるが、名誉卒業式だなんて、1人じゃ、ムリムリ。 

こういう時に真っ先に浮かぶ助け舟、後輩のコムにメールする。

が、残念ながらその日は、今年最後の 堂本光一の 『 SHOCK 』(ショック・彼女、毎年3回くらい見てるので) の昼公演を見に行くのでダメだという。

それに加えて、
招待が、会員外の同伴者も含めて100人にしか当たらない (会員は一人につき1名の同伴が可能で同伴者は会員外でも良い) としたら、私の分を本当にファンの人に行かせてあげたい、
それに一人の方が当たりやすいのでは?
という。

うーむ、言われてみればもっともだ。  

よしっ、1人でも行こう。       既に行く気になっている。 

( それでも、念のためやっちゃんにも、ダメモトで 「卒業式への出席なんて二度とない名誉なことだし、多分1、2曲歌ってくれると思う。伊那経由の高速バスを使えば日帰りできるよ。」 と誘ってみるが、
「面白そうだし興味はあるけど、今、息子の中学の卒業式がちょうどそのころで、しかも謝恩会担当で頭がそれどころではないの、ごめんねー。」 とのことで、やっぱり駄目でした。 )




ところが、翌日になって又考えたことは・・・

自分は、一応、あんな?大学とはいえ、大学は卒業している。
なので、“現段階” においては、こんなことを言ってはなんであるが自分の方が 「格上」? である。

なんら引け目を感じることはない。

だが、相手は 「明治学院」 である。W大よりも、数段も格上である。(レベルや歴史、建っている場所、学風などすべて)

しかも東京のハイカラ地区、“シロガネーゼ”(注)のいらっしゃる白金なんざにあるミッション系の坊ちゃん大学に、

こんなKのような田舎からノコノコと出かけてもいいいのだろうか。(しょっちゅうトーキョ行ってるクセに・笑)

はずかしい・・・


応募要項には、大学のご好意での招待なので、くれぐれも迷惑にならないように、式典にふさわしい格好で、と書いてあるが、

そんな態度によっては迷惑がかかるかもしれないような、格調高い場所に行ってもいいのか? 

第一、自分、そんな式典にふさわしい様な洋服は、ふだん用がないため喪服くらいしか持っていない。
持っているワンピースにジャケットでは失礼だろうか?


それに、3月18日と言えば、本当の卒業式のある頃ではないか?

いくら大学側のご厚意で開いてくださるのだ (と、応募要項には書いてあった) としても、アルフィーのためだけに卒業式をするのは大変だろう。

もしかしたら、本当の大学生の卒業式と合わせて、その “ついで” にやってくれるのではないだろうか?

場所は 「都内某所」 となっているが、おそらく学内のどこかだろう。

広い講堂で、ほんとの大学の卒業式と一緒にやるとしたら、現役のきゃぴきゃぴのしかも洒落た大学生が、わんさといるかもしれない。

そんなとこへ、50の垢抜けない田舎のオバサンが行くのは恥ずかしすぎる。


で、ためしに明学のサイトに行って本年度の卒業式日程を調べてみる。

果たして、3月18日は、どこどこの学部の卒業式とある。(なぜ一斉にではなく、学部によって卒業の日が違うのか疑問に抱きつつも)



それと、もう一つの不安は、最初の方で、アルフィーのように地位も名誉もある人たちが 今さら 「大卒」 の肩書がほしいものだろうか? と書いたが、

本当のところ、メンバー3人のうちで、最も大学に長く残っていたタカミーだけは、おそらく大学は、できれば卒業したかったのだ。

その心情と葛藤がとてもよくわかる一節が、 “ほぼ90%が真実” とメンバーに言わしめた
アルフィーマンガ 『ドリーム・ジェネレーション』( 吉岡つとむ作:1992年少年画報社、ブログでは 「THE ALFEEカテゴリー」 2009年10月26日記事参照 ) 
第9巻(最終巻) に載っている。


タカミーにとって、これまでの人生でもしも悔いていることがあるのだとしたら、

愛する女性を幸せにできなかったこと、メンバーの一人が結成1年ほどで脱退してしまったこと、そして8年間大学に通ったのについに卒業できなかったこと、の3つではないかなぁーと勝手に思っているので・・・

そのようなタカミーの人生において大きな意味を持つ 「大学卒業 (正式には「名誉卒業」だが)」 の卒業式に行くなんて、

そんな心のひだに触れるようなことを、自分がしてしまってよいのだろうか?

なんだか、こわい。  






「ドリジェネ」 の中の一コマ。 
大学を6年で中退した桜井が、中々卒業も中退もしない、どっちつかずの高見沢にイライラして説教をする、というくだり。 → もっともこれはあまりにシリアスで “らしくない” と、先のページにおいてパロディーぽく描き直されてはいるが・笑。 

 
THE ALFEE の仕事が忙しく大学どころではないので、いっそのこと 「休学」 すれば、またいずれ復学して卒業することも可能だと聞かされ、「休学届」 を出そうかと迷うのだが・・・

夢を追い、大学をやめて渡米する決意をした後輩に刺激を受け、



自分も、「卒業」 をあきらめ、THE ALFEE という 大きな夢に向かって歩き続ける覚悟をする。


という、大変希望のある終わり方をしているのですが、この刊は、ほぼ一冊タカミーの卒業への葛藤がつづられていて、けっこう胸が詰まる思いで読んだものである。



と、ゆーよーな私自身の迷いをコムにメールで相談してみると・・・

タカミーが大学卒業に対して抱いているかもしれないことへの不安は、たぶんコムにはよくわからないと思ったのだろう、その件に関してはノーコメントだったが、
(以下、原文ママ。すいません、掲載許可なく乗せちゃぃまシタ(^^;ゞ)

>私の感覚からすると、明学くらいは割りと普通の大学で、それほど格式高いというイメージはないのだけれど…(失礼かな^^;)
>卒業式は今は親がみんな出席する時代で、みんな私たちくらいの年代でしょ?
>まぁ、とりあえずスーツくらいは着てる人が多いとは思うけど、正装とは言えない人も中には…色々です。あまり構えて考えなくてもいいのでは?
>わざわざ、式典出席を募集するんだから、良識ある態度・服装であれば大丈夫なんじゃないかな?

倍率も高そうだし、当たってから考えたら?(^^ゞ


だってさ。   ナルホド。もっともだ・苦笑

( ちなみに、コムは娘さんが都内の大学に入っているため、 「今現在の大学」 に対しての恐怖感が私より全然ないと思われる。
何しろさぁ、母校のW大だって一昨年、卒業以来初めて一人で尋ねてみた際は、平日で現役の在校生もいたから、ちょっとドキドキもんだったわさ。 ← こちらも写真も色々撮って人物に掲載許可まで取りながらUPしそびれてますが・笑 )



ついでに、アルフィー・マニアにも電話で自分の不安に対する質問? (現役卒業生も一緒の式なのか、良識ある態度、服装とはどんな感じか、そんな格調高い場所へ自分なんかが応募してもいいものか不安で迷っている、など。もちろん上記のような詳しいことを細かく言ったりはしなかったが  ) を問い合わせてみたが、
私が期待するような明確なことはわからなかった。

まぁ、 聞かれても困るわよなぁ~。

( 面白かったのは、マニア会員外に情報が漏れることを避けるためだろう、本件に関して質問をするにあたっても会員番号と名前を聞かれ、私が会員であることを確認してからの受け答えだったこと。これまでマニアに電話してみたことは何度かあるが、こんなことは初めてだったので、なるほど~と思った。 )




散々迷って、1,2日後くらいになって・・・、

でも、やっぱり行こう     

「名誉卒業式」 に出席だなんて、こんな名誉なことはないし、一生に一度のことだから、普通のファンミとかより、よほど思い出に残るに違いない。

私は、アルフィーの大ファンで、タカミーのことを誰よりも深いところで理解しているつもりである。  と、今までの迷いはどこへやら、気持ちが昂って、つぃ強気なことを思う。 ( おそらく、ファンのだれもが思っていることであるが、ある意味そう思っていないと書けない、というのもある。 )

タカミーが長い間望んでいた、大学をちゃんと卒業する、という大切な二度とない瞬間に、ぜひとも立ち会って、感動を共有したい。    


それに、明治学院大学と言えば、アルフィーの3人の母校でもあるが、尊敬するK出身の作家、島崎藤村の母校でもあるのだ。

そういう意味でも、長い間ずっと憧れていた学校であり、いつか尋ねてみたいと思っていた場所である。 (聖地巡礼)  




アルフィーファンで、島崎藤村とさだまさしさんのファンでもある人なら結構いるかもしれないが (なぜなら、タカミーが二人のことを尊敬していて大好きだと言っているので)

アルフィーとさだまさしのファンで、島崎藤村を尊敬していて、なおかつ、藤村の出身地に住んでいる人なんて、たぶん私だけである。     (長野アルコンの時電車で帰った時、塩尻以南に帰る人は一人もいなかったのがいい例である。
※ このあたりの詳しい説明は「本編」で。)

私が出席しなくて、誰がするのか 

お・おーーー          なんとまぁ、思い込みの極端な人よ。  



と、ゆーワケで、迷っている間にかなり日数がたってしまったけど、自分メールだととんでもなく長くなってしまう恐れがあるのと、審査員の興味を引くようにイラストも入れたかったので、

葉書にして、なおかつちゃんと間に合うように 「速達」 にして申し込んだ、1人だけで。




さて、着ていく洋服も決まった。  (初めてのピアノ発表会の時に着たグレーのワンピースに、出版祝と姪の結婚式の時に来たワンピーススーツのジャケット)

ダイエットは、まだ全然だめだけど、とりあえず1週間で3キロ落として、ワンピースは入った。

靴もバッグも、黒真珠のネックレス、コサージュも決定した。

伊那経由の高速バスを使えば、日帰りも可能である。

あとは、親向けのウソを考えて・・・   



卒業式前日の3月17日、自分で指定できる当選連絡希望時間の1時から1時30分くらいを、ワンピースにアイロンをかけつつ、そわそわしながら待っていた。   

・・・・・・・・・・

が、上記の、 「申し込みを決意した理由」 と同じようなコトを考えていたファンが山ほどいたのよねぇ~。 
( てか、ここまでゴチャゴチャ考えてなくて、皆さんもっと単純に参加してみたいな、生メンバーを近くで見たいな、なんてそれだけかもしれませんが、とにかく倍率は高かったと思います。)


絶対に行かれるものと信じて待っていたのに、

ついに当選電話はかかってきませんでした。         





  THE ALFEE 名誉卒業と聖地巡礼の旅 ~ 本編1. 名誉卒業式~ へとつづく・・・







注【 シロガネーゼ 】

シロガネーゼとは、東京都港区白金および白金台に居住する専業主婦、または近隣エリアに居住し白金および白金台でショッピング、食事などを楽しむとされる女性のこと。

なお、名の由来となった地名である「白金」は「しろかね」と読み、濁音は付かない。

シロガネーゼとは光文社発行の女性向け月刊誌「VERY」の編集者であった相沢正人が1998年に作った造語である。
バブル景気後半頃よりマスコミや不動産業者などが仕掛け人となって白金・白金台の高級住宅地化が促進されたこともあり、その後ファッション誌やワイドショーを中心にマスメディアで頻繁に取り上げられることとなった。

基本的に「白金やその隣接エリアで生まれ育ち、高収入の夫を持つ、あるいは高収入の仕事を持つ」とされているが、実態を伴った用語かは定かではない。
古くからの住民は、女性誌によって作り出された「シロガネーゼ」に対して冷ややかな見方をしている人も多いという。
(以上、ウィキペディアより)


要するに、明治学院というのは、そのようなブルジョワ地区に建っているということです。







高見沢俊彦☆還暦記念☆コンサート!! inパシフィコ横浜・本編 2

2014年04月29日 | THE ALFEE、Takamiy



タカミー還暦記念コンサート、続きです。  ( 今回のは、さらにワをかけてナガイ ぞぉーーーっ     )


 第二部 (アンコール1 といいますが) を 「ラジカル・ティーンエイジャー」 で感動的に締めくくったわけですが、


 第三部 (アンコール2) は、

・過ぎ去りし日々 (1979年1月21日発売の再デビューシングル 『ラブレター』 のカップリングであり、同年8月21日発売の再デビューアルバム 『TIME AND TIDE』 収録の思い出深い曲で、まさか聞かれると思わず、感動。)

・シュプレヒコールに耳を塞いで

と続き、追憶の日々が遠く蘇ります。


 「シュプレヒコール - 」
この曲の中で歌われている 1969年 という年は、
実際には高見沢は中学3年生で、ネコタは小学校3年生 (ちなみに、自分が青春のバイブルだと思っている小説 『69(シックスティーナイン)』 を著した村上龍は高校3年生) なのですが、
個人的に非常に思い入れの強い年であり(まだ幼少だったので、言葉に込められた思いを象徴させているだけかもしれませんが)、
たぶん、高見沢にとっても別の意味でそれは同じで、自作の中に1969年というフレーズの出てくる曲は気づいてみるだけで4曲もあります。
( 83年:ジェネレーション・ダイナマイト、86年:ROCKDOM -風に吹かれて-、92年:本作、95年:幻夜祭 )

高見沢と、そして桜井賢も通っていた明治学院高校は、同じ敷地内に大学もあったので、
高校時代、学生運動に沸く学内を目の当たりにして、自分も大学に入ったら何かしなくては、という焦燥感に駆られていた。
ところが、高見沢が大学に入学した1973年ころには、学生運動は跡形もなく消え去っていた、ということが、渡辺芳子著 『夢さがし-アルフィー高見沢俊彦物語-』(1983.ソニー出版) に書かれているが、

そのときの甘い追憶とかすかな絶望、夢の名残を曲にしたのが 「ロンサム・シティー」 である。(自分でもすごく好きである)


ネコタは1960年生まれで、高見沢俊彦より6つ下、アルフィーがデビューした1974年 (実は当時は存在を知らなかったのだが ← 『ぎんざNOW』 という音楽バラエティー番組に毎週のように出ていたようだが、TBS系列の信越放送だったので田舎では入らなかったかもしれないし、子どもの頃親にTVをあまり見せてもらえなかったので放送されていたとしても見ていない) は、中学2年生であった。

ここで自分のことを出すのもなんであるが、1970年代の片田舎で母が元教師という若干厳しい家庭に育ったこと、それから自身の性格にもよるのかもしれないが、
たぶん、同世代の子どもよりも自分は晩生であり、年した両親に育てられたため古臭いと思う。

それでもまあそれなりに、多感な高校時代を過ごし、1979年に東京のはずれにあるW大学というところに入学するのであるが、
この大学がちょっと変わっていて、その当時でも、なんと学生運動がまだ盛んに残っていたのだった。

といっても、自分が小学生だった1960年代終わりから70年代初めにTVのニュースで見ていた、ゲバ棒、火炎瓶、バリケード封鎖、機動隊、とか、そういう激しい紛争ではもちろんなく、
学生が主義主張を掲げて、社会のあるべき理想に向かってサークル活動や学生会議、大会などを行う (議論したり実践する) にすぎなかったが、
自分は確かに、サークル活動を通して “学生運動” なるものをしていたのだなぁーと思っているし、 (同じサークル内には、そういうつもりは全くなかったと言っている者もいるのだが、意識感の違いなので、あえて自分はそう言うことをご容赦いただきたいと思う)

また、あの時代にあってそういうことをしていた学風であったことを、ちょっと誇りにすら思っている。(例え自分が闘士ほどにはなれなかったにせよ。このあたりのことは書くと長いので、いづれ、また。)

サークル活動とフォークソングに明け暮れた日々。
( サークルでは事あるごとにフォークソング=振り付、を歌っていて、それが楽しかった。いわゆる歌謡っぽいものではなく、スタンダードなもの、労働、反戦平和のようなのです。)

自分でいうのも変であるが、純粋だったので、熱心に活動するあまり傾倒していったのだと思う。


大学の学風として誇りに思うといったことと矛盾するかもしれないが、振り返ったとき、「シュプレヒコールに耳を塞いで」 の世界は、 「ロンサム・シティー」 同様、私にとって懐かしいというよりは、かすかな胸の痛みを伴う曲であり、その感覚は同世代の若者としては、ちょっと珍しいのではないかと思う。

( 高見沢は実体験というよりはおそらく、幼少期に読み感銘を受けたという学生運動を題材にした柴田翔の小説 『されど我らが日々』(1964年) をモチーフにしているようなことを語っていた覚えがある。 )
 

だが共通して言えるのは、そういうことに対する実体験があるかないか、ということではなく、

高見沢の作る多くの楽曲の中に貫かれている “反骨精神” への共鳴、原点への回帰である。 



 そしてラスト、
・ROCKDOM -風に吹かれて-

この曲も、1969年をモチーフに描かれた作品であるが、

曲自体は、東京ベイエリア(当時は13号埋立地)での10万人コンサート(1986年) のラストで歌われたもので、
その日が初公開であったのにもかかわらず、最後には会場で、サビの部分の10万人の大合唱が起こった  ということで、   
ファンだけでなく、アルフィーのメンバー全員も感動して記憶に残る出来事として今でも語り草となっている曲。      

なお、【 ROCKDOM 】 というのは、「ROCK(ロック)」 と、自由という意味の 「Freedom」 とを掛け合わせた高見沢の造語であると、4月13日放送の 『新堂本兄弟』 にて同曲を高見沢が演奏した際、テロップで流れた。
( ひゃー、ファン歴30年にして初めて知ったよ~。 )


反骨と原点回帰へのスピリット、
流されることなく、初心を貫いて生きていくことを力強く宣言する、高見沢俊彦の生き方 (ロックであり自由であること) そのものであるこの曲は、

まだ未開の地だったお台場を埋め尽くした10万人の歌声と共に、永遠にメンバーやファンの心の中に鳴り響き、 

40年の新たなる旅立ちに、最もふさわしい曲と思われます。  




 デビュー40周年となる2014年の今年4月、メンバーのうち坂崎幸之助と高見沢俊彦がめでたく還暦を迎え、

そしてそれに先立ち、3月18日には、3人そろって母校の明治学院大学を、これまためでたく名誉卒業した。 


   GENESIS・・・
 

新たなる旅立ちを彩る春ツアーと、高見沢俊彦の還暦バースデーコンサートは、

青春の美しくも儚い、夢の記憶を辿ることでもあった。     



と、ゆーワケで、お次はその、明治学院大学での 「名誉卒業式」 関連の記事へと続きます。 
 ( 記念年特大号にて、記事全体がシリーズ化、ちょーナガイぞぉーーー   )

 



  《 おまけ 》


 




会場に届けられていた、お祝いのお花の数々。

写真一番上、中央に大きな看板が掲げられている 『音組』 というのは、フジテレビの きくち伸プロデューサー率いる番組スタッフ集団で、
タカミーレギュラーの 『新堂本兄弟』や、『ミュージック・フェアー』、『僕らの音楽』、『FNS歌謡祭』 などの番組を製作しています。
きくち さんは自他ともに認める音楽好き、大の本好きでも知られ、流行に左右されない、良質のいい番組を作っていると思います。

( 本編①終わりの部分に、初代リストバンド関連の記事を書き加えたため、お花の写真を本編②の方へ移しました。加筆訂正した「本編①」 の方もご覧いただけると幸いに存じます。  )




 《 朗報  》

この日会場にて、
既に決定しているデビューの日である8月25日に武道館にて行われる、40周年プレミアム会員だけが参加できる 「記念セレモニー」 のほかに、

7月26、27日の両日に さいたまスーパーアリーナ にて、 『40年目の夏』 と題した夏のイベントを開催することが発表され、会場が大いに沸きかえった。        
( ちょうど2年前、2012年に参加した相模大野コンサートで、一夜限りの夏のイベント決定ニュースを聞いた時のような衝撃と感動     )


写真上のピンク色のチラシが、コンサート終了後に、会場を出たところで配られていた速報。
カラーのものが、後日アルフィー・マニア会員に送られてきた、会員限定のどこよりも早い先行予約案内。

実は会場でタカミーが 「夏イベ開催宣言 」 をしてくれた直後には、興奮状態で状況をしっかりと把握できてなかったので、改めて場外でチラシを受け取ってみて、
8月にセレモニーで上京するので、夏の暑くて忙しいさなかに7月にも、しかも2日間もだなんてどうしよう、
と喜びと同時に正直困惑もしたのだが、     

なんとか (なるでしょ、してやろうじゃないの) ガンバロー      
と思って (だって40年目の夏は二度と来ないのだから。そして、コンサート参加に関して、もう二度と後悔したくないから)

いつものように、発売初日に両日分、振込しました。  

8月の記念セレモニーと違って、どんな内容になるのか、(記念セレモニー自体、一体どんな内容なのか ) 非常に楽しみである。

てか、この時期3日間もアルフィーコンサートに行かれるなんて、 サイコー     




 《 グッズなど 》


『 GENESIS 』 ツアー・パンフレットより。 
毎回好評の、付録のメンバートークCD(写真左)、なんと 前回秋ツアーのものは完売したそうですが

いつもは聞き取りにくかったり注意散漫になると嫌なので、寝る前に、ヘッドフォンでじっくり聞くのですが、
今回はめずらしく車の中で聞いてみたら、もーサイコーに面白くて、 
何度もクスクス、ニコニコしちゃって   元気が出るので  聞き逃しを聞くためも含めて、繰り返し聞いてます。  

今回はデビュー当時の話が主なのですが・・・三人がとても仲がいいだけでなく、三人そろっての会話のリズム、同じところで面白がるなど考えが似ているところ (ツボるところ、感覚が同じ) が、打てば響くようにつながっていく感じで、聞いていて非常に心地いいです。

好きなことをしゃべって、相手の揚げ足を取りながら相手のことを面白がっているだけなのに、それが本当に楽しそうで、これだけで聞く人までをも楽しくさせるというのは、ある意味 ものすごい才能。 
(もちろんその根底に流れているのは、お互いのことが大好きで愛がある、という大前提ゆえ、なのですが 

THE ALFEE は 奇跡の集合体  なのです。




40周年記念モチーフである 高見沢がおそらく自分の誕生石、ダイヤの次に好きな宝石であると思われる 『ルビーの指輪』、『羽』、『A』 ギターなどをあしらった、カッコよくて洒落ている

左より、キーチェーン、モバイルストラップの「指輪」、同「羽」バージョン。

( ルビーの指輪は、ポスターデザインの鷲がはめているのもユニーク )

可愛くておしゃれなキーチェーンは、意外にも さとうまゆ さんのデザインでした。

よく見ると、『40th ANNIVERSARY』『THE ALFEE』『GENESIS』の文字と、メンバーそれぞれのギターをつなげて、指輪のリング部分にしてあって、
そこが切れ目がない形状のため、 「永遠性と生命の循環の意味を持つ」 ことから、
アルフィーとファンとが、「金色に輝き、赤くエネルギッシュに燃え続け、今後益々活躍されること」 を願ってデザインした、と さとうさんのブログに書いてありました。 
( 勝手に拝借、要約させていただいて申し訳ありません。  
グッズなどが出て、さとうさんのデザイン?と思うと、必ず さとうさんのブログにお邪魔して裏話などを読ませていただくのが大好きです。 
また、他のデザイナーの方が手がけられた場合で名前がわかる時にも、その方のHPなどをチェックさせていただいてます。 )

そうやってデザインの背景を知ると、増々愛着が出てきますよね。 (^_-)☆



今回、Tシャツ以外のグッズがすべて欲しくて、おまけにソログッズ、記念タオルなどの購入もあったので、残りの品は次のコンサートで購入するつもりで、今回はここまでにしておきました。

が、この3品はとても素敵なので、使用するものと保存 (ディスプレイ) 用ともう一セット欲しくなってしまい・・・どーしよぉ    


あと、お菓子は欠かせませんね。( 中に入っているトレカがほしいので、次の会場でも買うつもり。でも、荷物になるのも、だけど、並ぶのがヤなんだよね~。  )



おなじみ、さとうまゆさん デザインの三人を模したイラストがちょーカワイイ、ふんわりミルフィーユ 『ミルフィー』


タカミーが白馬に乗った王子 (ツアーパンフはモロにそれ・笑) になっていたり、3人のキャラ設定がバツグンにユニークかつ可愛い。 



スパイシーおかき 『KMB!!』(からしマヨネーズ、めんたいこ、ブラックぺッパーの頭文字だそうだが、しかし、前回の「誠」- まさる、こうのすけ、としひこの頭文字のおかきといい、毎回よく考えるよなぁー・笑)

お味は、どちらもまあまあ、そこそこにおいしいです・笑。
 
だって、ミルフィーユとかデニッシュなどのパイ生地、大好きなんだもん、ハードル高いよ。 

パッケージデザインが可愛いのと、トレカがほしいので、毎回必ず Get です。
箱はディスプレイ用にとっておいたり、何かの入れ物に使ったり、包み紙でマグネットなどの小物を作るのが好き。 




 《 もうひとつ、おまけ 》― 本編①で後述と言っていたものです、今頃スミマセン・笑    



今回、公演に先立って (開場してから公演がスタートするまでの待ち時間の、間際の15~20分くらいを使って)、 「ポカスカジャン」 という音楽物まね?グループ の 替え歌の 「前座」 がありました。

自分は、『新堂本兄弟』 の公開録画の時 (2012.4/30 THE ALFEEカテゴリー記事) に初めて観させていただいて、涙を流して大笑いしたのですが・・・ 

今回、2回目だったからなのか、タカミー・バースディコンサートに向けて緊張していたせいか、前回ほどではなかったですが (スミマセン… ) 楽しめました。  



また、コンサート途中にも、自身のCD、
高見沢俊彦作詞作曲、アレンジ、プロデュース 『 酒のチカラ 』 (写真上、2014年3月19日発売) を披露してくれました。


同曲は、タカミーとポカスカジャンが同じ衣装デザイナーである事をきっかけに、後輩のポカスカジャンへの応援歌として創ったもので、
タカミーが高くてかわいいコーラスと 、 お得意のギュインギュイン   なギターでも参加しているので、ファンには必見のCDです 

タカミーが、ポカスカジャンの音楽の力を認め、また、コントも何度聞いてもオモシロイ  と太鼓判を押していることから、自身のラジオ 『高見沢俊彦のロックばん』 に招待し、

そのときに、
「自分たちにとっての“メリー・アン”(ヒットのこと) はいつくるのか、きてほしい」 とのポカスカジャンの言葉を受け、

「ぜひブレイクしてほしいよー、僕にできることなら何でも協力するから、言って。 
曲? いいよ、作ってあげるよー 」 と (思わず!?) タカミーが言ったのだが、 (タカミー、いい人だなぁ~ )

それが本当に実現した (本人いわく「約束を守る男、高見沢・笑」) 心温まるいわくつきのCDなのです。
うらやますぃーーーいっ        
( 他にも、梨の妖精“ふなっしー”との心温まる約束もアリ。だいぶたっちゃったけど、いつかご紹介させていただきますね。 )


軽快なメロディーにのり、ちょっと面白おかしい歌詞も楽しめ、みんなで大騒ぎしながら歌える、宴会にもピッタリの曲。   

それでいて、終盤では グッとくるフレーズが入っていて   
よし、負けずに頑張るぞぉ―   

と勇気や元気ももらえる、タカミーお得意の、全国の働く男女にささげる メッセージ・ソング でもあります。 

後輩思いのタカミーが愛を込めて贈ったこの歌が、ヒットするといいなぁーって思います。  
 

みなさんも、ぜひ聞いて、元気になってくださいね。  







高見沢俊彦☆還暦記念☆コンサート!! inパシフィコ横浜・本編 1

2014年04月27日 | THE ALFEE、Takamiy

 一部ネタバレを含みます。ご注意ください。     あと、ちょーナガイ・笑 です。  お覚悟ぉ~ 



 2014年は、アルフィーデビュー40周年の年になります。    

メンバー3人が明治学院大学内のキャンパスで出逢い、バンドを結成したのが1973年、
翌1974年、大学2年の、坂崎と高見沢の二人が二十歳の時(早生まれの桜井だけはまだ19歳)にビクターよりレコードデビューします。

そこから数えて、ちょうど二人が60歳の還暦を迎える年に、デビュー40周年を迎えるという、
数学の不得意な私にもとても数えやすい状態で、ウレシイです。 



今年、デビュー40周年を迎える THE ALFEE の春ツアータイトルは 『GENESIS』 (ジェネシス・創世記という意味)


『還暦』 というのは、干支(十二支)が一巡し、起算点となった年の干支に戻ることで本卦還り(ほんけがえり)ともいい、60年たって干支が一周するので、生まれた時に帰るという意味で、魔除けとして産着に使われていた、赤色の衣服を贈る慣習がある。

と、いうことらしいですが・・・

メンバーが “ 結成40周年の年に還暦を迎える ” という意味も込めて、

40周年の年から新たにスタートする、という意味の 『 GENESIS 』 です。

ひょ、えぇーーー   

ここからまた40年、やっちゃいますか       

うっ・れっ・しぃぃーーー !!!!!      


命ある限り、ついていきまぁ~すっ       




さて、THE ALFEE 40周年の記念ロゴは、
右側の、羽と王冠をまとった ALFEEの頭文字 「A」 に 「40th」 を組み合わせたものですが・・・

それが、タカミー・バースディ・バージョンでは、下のタオルデザインと同じで

「40th」 のところが 「60th」 に。そして、 「A」 にかかる帯が通常は 「THE ALFEE」 のところ 「TAKAMIZAWA」 になっています。

ツアー・ポスターと同じデザインのイラストに、コンサート会場名と日付とが入った 「メモリアルチケット」 (上の写真、左・コンビニやイベンター発行のコンピューターで印刷された味気のないチケットの他に、会場で手渡される、または持ってきた発券と交換でもらえる場合も)

の、下の部分 (半券) が、還暦の赤い色になっていて、バースディ・デザイン・ロゴが押されているという (ちょっと見えづらいですが)、 ちょーメモリアルな、ニクイ心配り。  


その他に、私は席が遠かったので当然Getはできなかったけど
いつもコンサートの中盤で、会場内に発射されて天井から舞い落ちる、ツアータイトル入りのキラキラテープが、この春は全部で5色くらいのカラーであるらしいのだけど、

4/15日の幸ちゃんバースディと、4/17日タカミーバースデイでは、ツアータイトルのほかにそれぞれの日付と、
「Happy Biyrthday Kohchan(Takamiy)」 というフレーズと、「60th」 のロゴ入りの、
なんと還暦に合わせた真っ赤なテープが用意されて、会場に舞い散ったらしいです。

あーぁ、ほしかったなぁー。 

でも、そういう遊び心というか、ニクイ心配り、演出効果は嬉しいものですよね。    




と、またまた前置きが長くなっちゃぃまシタが、  

 Takamiy 還暦記念 Birthdayコンサート!!

中身もとっても素敵、でしたよぉーーーっ       
 
まず、THE ALFEE 40年の軌跡を象徴するかのような 『トラベリング・バンド』、
大好きな 『GET YOUR CHANCE』、『THE AGES』

タカミー・ボーカルで盛り上がる 『二人のSEASON』、
注目の 「耳元で囁く」 のあとの魅惑の囁き台詞は、なんと 「オレ、還暦 」   きゃー。  (大爆笑、大ウケ)


そして、40周年記念ということで、青春のみずみずしさ、危うさ、不確かさを謳った、美しい歌詞の曲が多かったような気がします。もちろん、大好き。  

・悲しみの雨が降る (メロディーとコーラスがめちゃめちゃステキ)
・悲しみが消える時-you are the rock-
・春の嵐 (一遍の詩、または映画か小説のワン・シーンのような美しい歌詞がサイコー!!)
・・・など。

そしてなんといっても衝撃だったのは、
・君が通り過ぎた後に- DON'T PASS ME BY-   が聞けたことでした。

アルフィーの曲って、曲や歌詞が似ているもの、イントロに自分的にですが特徴のないもの、など、とにかく曲が多いので、イントロだけではわからないもの、始まってみたものの曲名の思い出せないものなど多々あるのですが、

これはもう、イントロで一発でわかります。(大好きなのと、特徴があるので。)
一昨年のピアノ発表会に選んだ曲なのですが、最近ではとんと弾くこともなく・・・ 
大好きなので、そして中々コンサートで聞くことがないので、いつか聞かれるといいなぁと願っていたのですが、
まさかこの日聞けるとは思ってなかったので、しみじみと感慨深く、本当に嬉しかったです。 

恋の始まりの危うさ切なさ、儚さを見事に歌い上げた、本当に美しい歌詞の曲です。

感慨深く聞いていたことですが、美しい間奏部分で、ああ、ここでうまく弾けなくて苦労したんだよなぁーと思うと、涙が出てしまいました。 

あとはもう、自分の弾いた思い出と、この曲の持つ世界観の美しさに涙、涙。  

普通泣くような曲ではないと思うのでちょっと恥ずかしかったですが、
この曲を選んでくださって、タカミー、ありがとう    です。

( 他の会場では、この曲の代わりにたぶんですが、広島とびわ湖、両2Daysのどちらか一方以外は 『桜の実の熟する時』 だったようです。 
この曲も自分としては非常に思い入れが強いので、 春ツアーは、あと2回コンサートに参加できるので、どちらかで聞かれるといいなぁと思います。 )


そして、青春の憂い、苦悩、揺れ動く心情や心の叫び (そのままタカミーの生き方、曲作りのコンセプト、“核” にもなっている) を見事に歌い上げた

・ジェネレーション・ダイナマイト
・SWINGING GENERATION (2003)
・終わりなきメッセージ - この曲も大好き。メッセージ性が強いだけでなく、この歌をハンドマイクで歌っているときのタカミーのカリスマ性が、ちょーカッコよくて、たまらんのですワ。 

とつづき、第一部が終了。



 第二部は、
3月18日に、アルフィーのメンバーがそろって母校の明治学院大学を 「名誉卒業」 (それまでは、除籍または中退、後述) したことにちなんで、

「明治学院校歌」 (作詞:島崎藤村 作曲:前田久八) の THE ALFEEアレンジ、歌・バージョン (大好きなので聞けてうれしかった。) が流れる中、
アカデミックドレス (大学の卒業式でよく見る、黒マント風の丈の長いガウンに房の付いた角帽) に身を包んだ3人が登場。 ← こういう出で立ちが、タカミーは最高 に似合うのです。  

第二部におなじみのコント、グッズ紹介などをして引っ込んだところに、つなぎで 音楽グループ:ポカスカジャン (後述) が登場。

その後、誕生日の出し物として、タカミーが、今日は自分が主役なのに、
幸ちゃんのバースデーを盛り上げるために考えて大ウケしたので、大サービスで再登場  の、 今年は “巫女姿”(ヒミヒコ)  が登場。

まさかのツインテールで、これで60歳のしかも男性とは思えないほどの、カワイサ。  

最近アルコンには必ず双眼鏡持参なのでバッチリ見えたし、 
今年はこの姿でお払いをしたりおみくじを引いたりして長くいてくれたので、大変うれしかったです。

そして、着替えてきたタカミーが着てきたものは、

なんと、真っ赤なジャケット・スーツ電飾付き         

電飾は、昨年の第2期・集大成のソロコンサートで初めて見て (ごめんなさい、色々でUPしそびれてます )
衝撃的なカッコ良さに完全にノック・ダウンして、大好きになり、
今でもタカミーがそれを身に着けて歌った曲を聴くと、その時の情景が浮かんでドキドキするほどなのだが、  

今回もそれを彷彿とするカッコ良さ。  

バースデー・コンサートに先立ち、タカミーがレギュラーを務めるTV 『新・堂本兄弟』 にて、赤いちゃんちゃんこと誕生日プレゼントとしてもらった 「ウルトラ兄弟だけが身に着けることを許されるウルトラ・マント=偶然にも赤」 を披露したタカミーだが、

バースデー・ライブではそれを着るのかなぁ(ウルトラ・マントはオープニングで披露してくれました。タカミーが舞台上でくるくる回るたびにマントが広がって、それはカッコ良くて綺麗でした )、 
それとも、タカミーのことだから、羽やフリルなどが付いた超ゴージャスな洋風赤ガウンなどを身にまとうのかしら?

などと想像していたのですが、その、どれでもなかったので、度肝を抜かれた のと、 

タカミーにしか着れなくて、一番タカミーらしくて、カッコ良くて、私も大好き  な出で立ちなので、 すっごく嬉しかった です。    

そして、その衣装で歌った 『真っ赤なウソ』 と 『Stand Up,Baby -愛こそすべて- 』(大好き) は、ちょーカッコ良かったです。



このときタカミーが、例の還暦記念マフラータオルを振り回しながら、ステージを所狭しと駆け巡ったので、
私たちもここぞとばかり、でも、タカミーのように端を持って長いままで回すと隣席に当たったりして迷惑なので、折りたたんで、こぶしを上げる手で掴みながら小さく振りました。

そして、タオルをみんなで振るのは、サイコーに盛り上がりました。 

曲が終わってからも、名残惜しかったので、タオルはコンサート終了までずっと首にかけていて、メンバーが舞台からはけるときに大きく掲げたりしました。

たいていそれぞれ贔屓のメンバーがいるので、みんながタカミーファンというわけではないので買わなかったのか、あるいは売り切れで買えなかったのかはわかりませんが、タオルを持っていない人もいたので、なんだか申し訳ない気持ちもありましたが、

近所の席のタオルを持っている人たちは、後ろから見たら皆さん同じように振ったり首から下げていましたので、ああ、気持ちは同じなんだな、と嬉しくなりました。 

ある意味、これがやりたくて、一番楽しみにしていましたので。  

( ほしくて並んだのに買えなかった方は、逆の立場ならとても悲しかったと思うので、これ見よがしみたいに見えたと思うので、本当に申し訳ありません。   
いつもでしたら 「今だけ」、「ここだけ」みたいな “限定モノ” にめちゃくちゃ弱い私ですが、発売元でもっと沢山販売枚数を準備しておいてくれればよかったのになぁ、と思います。
また、本来の目的以外で買われた方には悲しくて怒りすら覚えます。 )



 話が前後しましたが、この中のどこかで、バースデーケーキの登場と 「Happy Birthday」 を会場のみんなで歌い、タカミーがろうそくを吹き消すお祝いもあって、      

今年も大好きなタカミーのバースデイ・コンサートに参加できたこと、  
特に今年は還暦という節目をみんなでお祝いできたことが、とっても嬉しくて、幸せだなぁ、と思いました。   

今年のケーキは、たぶん色とりどりのマカロンをちりばめた高い 「塔」 なようなものまでついていて、すごくゴージャスでした。 

そしてケーキを見るなり、さくりんがタカミーに 
「見ろ、お前の好きなイチゴがたくさん乗ってるぞ。お前イチゴ、大好きだもんなー。 」 
と楽しそうに言ったのが、後から思い出しても、タカミー子供みたいで、可愛いおかしい   です。

豪華バースデー・ケーキ、そのうち、マニアの会報に載ると思うので、楽しみです。



 第2部の締めくくりは 「ラジカル・ティーンエイジャー」。

“いつくになっても、ラジカル・ティーンエイジャー”   という、この曲の持つコンセプトと、
“タカミー音楽” のスピリット  が大好きです。 


1984年の第3回夏のイベント 「FLYING AWAY ALFEE」 か、翌85年第4回 「横浜3Days」 (どちらも会場は横浜スタジアム) のいずれかで、グッズとして初登場した 同曲名の入ったリスト・バンドが
2014年、40thの今年 「復刻版」 となって再登場しました。  (写真上、繊維質のゴム製)
 

当時は、刺繍の文字がゴールドとシルバーと2種類あったようです。
( 以前TVで、その当時アルフィーの熱狂的なファンだったというタレントのいとうあさこさんが、当時の思い出の品の一つとして初代リストバンドを披露されてました。いとうさんはベイエリア10万人コンサートにも参加されており、幸ちゃんの大ファンで、幸ちゃんのご実家の酒屋さんにわざわざ買い物に行ったことを日記につけていた思い出なども語ってくれて、微笑ましかったです。 )

また、会場に刺繍文字の赤いリストバンドをしている方を何人か見かけたのだが、
事前に「マニアのサイト」 にてグッズ情報が公開されているので、あれ?色違いのものなんてあったのかしら?? だとしたらほしかったのに と思ったものですが、
赤い文字のものは、阪神淡路大震災の翌年に行った 「COUNT DOWN'96 IMAGINATION」Spring Tourの、神戸公演だけで販売されたもので、赤で曲名のほかに 「1996.4.17 KOBE」 と公演の日付と場所が記されていたようす。
後からその話を知り、震災復興への祈りが込められた当公演へのアルフィーの想いと、そこに参加されていた方がそのリストバンドをつけて (もちろん復刻版との両方をつけて) この日も参加されていたのだと思うと、じーんとなりました。【注】


初代は持つことは叶わなかったけど、今回、長い歴史を刻んだ思い出深きリストバンドが復刻され、
私も会場で身に着けてみんなと拳を挙げられて、とてもうれしかったです。     




※ こちらが 「初代・リストバンド」 の写真。 
“メンバーも使用している” と書いてありますが、いつのグッズか、という説明はありません。 ( 『THE ALFEE BOOK 2.』グッズ紹介のページより )





※ 長いので、一端切って、続きます・・・      






【 注:アルフィーの被災地にかける想い 】

1995年月1月17日阪神淡路大震災がおきた際、被災地域のファンクラブに加入していた方々一人一人に、いち早く高見沢の直筆による 「ラジカル・ティーンエイジャー」 の歌詞の一部と、坂崎、桜井、高見沢、それぞれの直筆メッセージ入りのサインが記された葉書がアルフィー・マニアより郵送されたそうである。
翌年、高見沢の誕生日である4月17日に神戸にて公演、「ラジカル・ティーンエイジャー」 が歌われ、以来神戸公演の定番曲となっているらしい。

また、2011年3月11日の東日本大震災が起きた際には、先の震災同様、ツアー先の各コンサート会場に募金箱を設けたほか、6月12日に予定していた 仙台サンプラザホール での公演を会場復旧の見通しが立たないため中止したが、急きょ翌日6月13日に、同地仙台の Zepp Sendai にて代替公演を行った。(確か、中止になった公演のチケットで入場できたのではないかと思う)
この時は、ライブハウスコンサートで購入を義務付けられている飲み物代がサービスだったほか、 
復興への祈りを込め、 「奮い立てジパング!」(震災の起きる前年2010年3月にリリースされたアルバム『新世界 -Neo Universe-』の中の 「Zipangu」という曲からイメージされていると思われる) というフレーズと、英語のメッセージがプリントされたTシャツを、公演後に参加者全員に無料配布したという。
この時も、「ラジカル・ティーンエイジャー」 が歌われ、たぶん以降も仙台公演の定番曲になっていると思う。
また、翌年の4月17日には、盛岡にて高見沢のバースデーコンサートを行っている点も、阪神淡路の時と同様である。

以上は、参加されたファンの方からのお話や掲示板などへの書き込みから情報を得たものですので、事実とは多少違う部分もあるかもしれませんので、その点はご理解いただきたいのですが、
アルフィーの震災復興への願いと、被災されたファンの方々への強い想いを計り知ることができる、貴重なエピソードであると思う。







高見沢俊彦☆還暦記念☆Birthdayコンサート!! inパシフィコ横浜・導入編

2014年04月24日 | THE ALFEE、Takamiy
さてさて、突発性膀胱炎で血尿の心配の残るソラチを置いて、不良おかーさんはどこへ出かけたかと申しますと・・・


じゃぁ~~~ん !!!

高見沢俊彦 還暦記念 Birthdayコンサート !! 
in
パシフィコ横浜 (4/17)
   

に、行ってましたぁ~ !!! 






THE ALFEEのバンド・リーダーで、敬愛する音楽家 高見沢俊彦(Takamiy)さんは、今年の4月17日で、めでたく

還暦(60歳) を迎えられましたぁ~~~     
バンザァーーーイッ !!!

                       

                      



昨年、タカミーのバースディ・コンサートに初めて参加させていただき、大変感動したのですが、

今年はなんと   Takamiyご還暦ぃ~   (  きゃー、見えなぁ~い   )

の、ダブルでおめでたい日で、

しかも、今年は THE ALFEE が デビュー40周年  という、こちらも非常におめでたい記念の年なので、

まず、開演に先立って、
この日、この会場限りで限定販売された 『高見沢俊彦・生誕60周年記念・マフラータオル』 を求めるファンが長蛇の列を作り、販売スタートを何時間も待っているという最近にしては珍しい光景も見られて、会場は、異様な熱気に包まれていました。

私は、まだチェックインできない時間だったので、ホテルで手続きだけを済ませ、荷物を預けてから、
ちょっと早いかなぁと思った13時半頃(販売スタートは15時)でしたが、着いた時点で、すでに幾重にもジグザグになった列の、最初の方の人たちが、何時間前からいるのか、疲れ切って座り込んでいる光景を目にして 

ぎゃぁーーー    こんなに並んでたら、もう、ダメかも。 

と思ったけど、並びました。

そして、販売がスタートしてからも、なかなか進まない列にヘトヘトになりながらも(けっこう海風も強くて寒かった)、なんとか今春ツアーの限定グッズ、Takamiyソロ2013DVD発売記念グッズ、そして60歳記念マフラータオルも、無時Get    して、

売り場から出たら16時半近くでした。 ぎゃーーー  

 コレです。

それに先立つ4月15日、愛知県芸術劇場にて行われた坂崎幸之助さんのバースデー・コンサートでは、その日限りの 『 60th Anniversary 2014.4.15 at Aichi Arts Cenrter K.SAKAZAKI 』 の文字の入った、同じく赤いマフラータオルが販売されたそうです。

自分の分とやっちゃんにもあげようと思って2枚買いましたが、枚数制限は4枚までだったので、自分の保存用にもう一枚買えばよかったかなぁーと、ちょっと後悔。
予算の関係と、あまり買いすぎると悪いかなとも思い辞めたのですが、ここでしか手に入らないものなので、余計に惜しいことをしたかもと思います。 (それでもやっぱり、途中で完売してしまったそうで、買えなかった方もいらっしゃるのに、そんなこと言ってごめんなさい、ですが。 m(_ _)m)




今回は、まだチケットも届かない(抽選による当落もわからない)時期に、必ず、なんとしても行くのだからと  

ずいぶんと先にホテルの方を予約しておいたので、

なんと   会場すぐ近くの コ○○○○○○・オーシャンビュー  なお部屋が、(早い時期だったから)このホテルにしては格安で取れた    ので、

いつもなら、会場とホテルを往復するのだけでも疲れちゃうところを、

ちょー近くて、快適で、目の前に海が広がる眺めもサイコー  

の、ハズだったんですが・・・

コ○○○○○○・オーシャンビュー 

グッズをGet!してヨロヨロになって戻ったので、部屋でコーヒーを飲もうと、(備え付けの粉はドリップ式でなくインスタントだったのがガッカリしたが)電気ポットのコンセントを入れるも、電気が付かない   

書き物をしようとテーブルに向うも、え゛~っ  なんで 脚が陶器製の壺のようなお洒落なスタンドの、電球が(切れそうで)チカチカするのぉ~   

さすがに、二つも故障を見つけたので、しかも、テーブルに灯りがないのは困るので、フロントに電話して取り替えてもらいましたけどね。

その間に、タカミー・バースデー・ライブだから気合入れてコンサート前は飲まないつもりが、コーヒー飲めなくてアタマきたので、つぃお高そうなホテル備え付けの缶ビール、飲んぢゃぃまシタよ。  (翌日に清算したら350缶1本750円もしたぁ~ 

 そして呑兵衛の性(さが)で、1本飲むと勢いづいて、つぃもう1本飲みたくなっちゃうんですが・・・さすがにそれはやめました。 

なんで、こーなるかなぁー     自分、ナゼカ行く先々に何かしら珍事件が待っている。   

まぁ、ホテルの名誉のため書き添えておきますが、たまたま 私が不運に見舞われただけだと思います。

が、しかし、一流ホテル、ポットのコード(結局コード不良だった模様)やスタンドの電球の確認とか、しないのだろうか。 



さて、開演時間40分前くらいにホテルを出ればよかったので、 かいてき~ 

会場で買うからとサブバッグを持って行かなかったので、グッズで買ったバッグに、タカミー還暦記念タオルをしのばせ、ドキドキしながら会場へと向かいました。 



その、グッズのショルダー・バッグです。今ツアータイトル 「GENESIS」 のワシをデザイン化したモノグラムがシックでお洒落。
ビニールっぽいナイロン製なので、ちょぃ安っぽい (失礼) けど、キャンバス地よりは、ヨレない、汚れない、型崩れせず長くきれいなまま、などの利点があるので普段使いにもよさそう。
中の生地 (裏地) が単色の紫色できれいなのと、内側の収納ポケットが多くて便利。(表側の裏にもファスナーポケット付き) 
また、ストラップの長さ調節ができるので斜め掛けもできるし、大きさも手ごろ、グッズとしてのお値段は高めだけど、これは買い  おススメの一つかと思います。 







ついつも前置きがナガイですが、②へと続きます・・・  
( 冒頭写真は、今ツアーメモリアルチケットの、4/17 Takamiy Birthday限定バージョンです。 )








TIE-UP ~Collaboratin History~ THE ALFEE

2014年03月15日 | THE ALFEE、Takamiy



ご紹介が大変遅くなってしまいましたが・・・  

 今年 デビュー40周年となる THE ALFEE のアニバーサリー・イヤーを祝うための企画、第一弾(前祝?) として昨年の12月25日にリリースされた企画アルバム 『TIE-UP ~Collaboratin History~』 です。

“ THE ALFEE 40年の軌跡 ” の中でそれぞれの時代を反映した “タイアップソング” だけを集めて 全曲網羅した 6枚組のCD作品集(全75曲)   です。




【収録内容】
Disc1:「CM」 (14曲) 写真:一番上、左
Disc2:「ドラマ&映画 1」(11曲) 写真:同右
Disc3:「ドラマ&映画 2」(10曲) 写真:真ん中、左
Disc4:「ヒーロー&アニメ」 (14曲) 写真:同右
Disc5:「スポーツ」 (13曲) 写真:一番下、左
Disc6:「バラエティー&イベント」(13曲) 写真:同右

【収納特典】
1. オリジナル・トークセッション (57分) <メンバーが75曲のCollaborationについて語り尽くします> 上の写真、一番下のメンバー3人が写っているもの
 これがもう、おかしくって バカ受け      

2. TIE-UP 特製ふろしき風バンダナ
3. 40周年記念オリジナルロゴステッカー (下の写真、下方に写っているもの)


風呂敷風バンダナ(左)は、もったいなくてまだ開けていません。 
右が、40周年記念ステッカー 


これらのものがすべて冒頭写真の 【おめでタイBOX】 に入っていて 9、800円  は、大変お得だと思います。


CMやドラマの主題歌になったものなど、アルフィーがいかに時代の先端をゆき、時代から必要とされてきたかがわかる、

ファンにとっては 大自慢  できる ウレシイ  アルバムであることはもちろん、   

ふと耳にしたことがある曲が多いと思うので、ある意味ベストアルバムよりも
入門者向け  かもしれません。   (曲目は下の方参照)



 中でも イチオシ    なのは、

【Disc5】「Sports」Compilation       


 タイアップアルバム、沢山あるので、とりあえず車のミュージック・ストッカーに全曲入れてアットランダムに少しずつ聞いていこう、と思ったのですが、

ある時運転中にこれを聞いていたら、もう涙が止まらなくなり・・・ 
              

以降、繰り返し聞いているので、中々全曲制覇できません。   (途中で思い立って 昨年夏に出たTakamiyのソロアルバム ← 後日載せます  聞いたりとかもしてるし)


主には 「大阪国際女子マラソンイメージソング」 となっているものが多いのですが、

くそぉっ  と、悔しい思いをした時とか、    

めげちゃったとき、自信をなくした時とかに     

力強く励ましてくれたり、そっと背中を押してくれたり、   

素直になって自然と涙がこぼれたり、勇気づけられたり・・・    


本当に、アルフィーの人たちがいつもそばにいて励ましてくれて、
タカミーが素晴らしい曲をこんなに沢山作ってくれて、どうもありがとう  ってカンジです。   

 今現在の自分が、まさにそうです。     

 

 特に好きなのは、

02. JUMP '95 <ふくしま国体テーマソング> 1995年
05. ZeRoになれ! <2005 大阪国際女子マラソンイメージソング> 2005年
06. ONE <2006 大阪国際女子マラソンイメージソング、TBSテレビ・ラジオ「ドラマ原作大賞」作品募集CMソング> 2006年
07. Dear My Life <2007 大阪国際女子マラソンイメージソング> 2007年
08. Wonderful Days <2008 大阪国際女子マラソンイメージソング> 2008年
09. Shining Run ~輝く道に向かって~ <2009 大阪国際女子マラソンイメージソング> 2009年
10. GET YOUR CHANCE <2010大阪国際女子マラソンイメージソング> 2010年
13. もう一度ここから始めよう <2013大阪国際女子マラソンイメージソング> 2013年

なんだ、ほぼ全部じゃん・笑 (超大好きなのが紫の字のです)



みなさんも、もしよろしかったらぜひ聞いてみてくださいね。  

ゼッタイ励まされたり元気が出ること請け合いです。    

               


※ 他に、大阪国際女子マラソン イメージソングだけを集めたアルバム 『夢よ急げ』(2004年、CD2枚組) もあり、オススメです。


もちろん、持ってます  けど、写真はサイトよりお借りしました。  




 『TIE-UP』アルバム、その他にどんな曲があるのかというと・・・たとえば  

【Disc1】「CM」より
01. ラブレター <「ショウワノート」CMソング> 1979年
02. 恋人達のペイヴメント <江崎グリコ「アーモンドチョコレート」> 1984年
03. シンデレラは眠れない <カネボウ化粧品'85春のイメージソング> 1985年
07. LONG WAY TO FREEDOM <「アルプス電気」CMソング> 1987年
11. まだ見ぬ君への愛の詩 <アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」> 1994年
13. 倖せのかたち ~Send My Heart~ <「東邦生命」> 1996年

【Disc2】「Drama & Film 1」より
03. 星空のディスタンス <TBS系金曜ドラマ「無邪気な関係」主題歌> 1984年
04. WEEKEND SHUFFLE ~華やかな週末~) <TBS系ドラマ「パパは年中苦労する」主題歌> 1988年
05. 見つめていたい <TBS系ドラマ「パパは年中苦労する」挿入歌> 1988年
07. FAITH OF LOVE <東映映画「将軍家光の乱心 激突」メインテーマ> 1988年
08. YOU GET TO RUN <東映映画「将軍家光の乱心 激突」ファイティングテーマ> 1988年
09. 恋人の歌がきこえる <日本テレビ系ドラマ「恋人の歌がきこえる」主題歌> 1989年
10. Promised Love <日本テレビ系ドラマ「ポールポジション!愛しき人へ…」主題歌> 1992年

【Disc3】「Drama & Film 2」 より
02. 希望の鐘が鳴る朝に <TBS系東芝日曜劇場「サラリーマン金太郎」主題歌> 1999年
03. 太陽は沈まない <フジテレビ系ドラマ「ショムニFINAL」主題歌> 2002年
04. 希望の橋 <TBS系ドラマ「サラリーマン金太郎4」主題歌> 2004年
05. 100億のLove Story <TBS系ドラマ ナショナル劇場「こちら本池上署5」主題歌> 2005年
08. 桜の実の熟する時 <テレビ朝日系ドラマ 木曜ミステリー「京都地検の女」主題歌> 2009年
09. 風の詩 <映画「ウォーロード/男たちの誓い」日本版エンディングテーマソング> 2009年

【Disc4】「Hero & Anime」 より
03. 君が通り過ぎたあとに -DON'T PASS ME BY- <東宝映画「タッチ3」主題歌> 1987年
04. FOR THE BRAND-NEW DREAM <東宝映画「タッチ3」エンディングテーマ> 1987年
05. 冒険者たち -Beyond the Adventure <NHKアニメ「モンタナ・ジョーンズ」オープニングテーマ、2011トライアスロン世界選手権シリーズ横浜大会・応援ソング> 1994年
06. エルドラド <NHKアニメ「モンタナ・ジョーンズ」エンディングテーマ> 1994年
07. Brave Love ~Galaxy Express 999 <東映アニメ映画「銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー」主題歌> 1998年
09. Juliet <テレビ朝日系アニメ「すしあざらし」テーマソング、テレビ朝日系「T×2 SHOW」エンディングテーマ> 2001年
12. タンポポの詩 <テレビ朝日系アニメ「ドラえもん」エンディングテーマ> )2003年
13. この愛を捧げて <アニメ映画「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」主題歌> 2009年
14. Final Wars ! <テレビ東京系「ウルトラマン列伝」主題歌> 2013年

【Disc6】「Variety & Event」より
04. FLOWER REVOLUTION <EXPO'90国際花と緑の博覧会イメージソング、1990大阪国際女子マラソンイメージソング> 1990年
05. 君に逢ったのはいつだろう <フジテレビ・イベント「最後の恐竜王国」テーマソング> 1992年
07. もう一度君に逢いたい <日本テレビ系「スーパーテレビ情報最前線」エンディングテーマ> 1993年
09. Sister of The Rainbow <TBS系「日立 世界・ふしぎ発見!」エンディングテーマ> 1998年
10. Pride <TBS系「日立 世界・ふしぎ発見!」エンディングテーマ> 1998年
11. D.D.D! ~Happy 65th Anniversary for Donald Duck~ <ドナルドダック公式イメージソング> 1999年
13. Wake up ~Goodbye 20th century boy <読売テレビ・日本テレビ系「ウェークアップ!」エンディングテーマ> 2000年

などです。 

(※ すべての曲の作詞作曲は高見沢俊彦。)



※ 以上、発売元の UNIVERSAL MUSIC JAPAN サイトより抜粋転載させていただきました。