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猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

合唱舞踊劇 『ヨハネ受難曲』 公演  2011.10.2 すみだトリフォニーホール

2011年10月04日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)


10月2日に、日帰りで行ってきちゃぃました。 



おととし見たとき(2009年・HP『にゃー語』7/2記事参照)同様、素晴らしかったです。

今回は1Fで見ました。電話でチケット取ったとき、OFC(この公演を主催する団体)の係の人が「この列ならかなりいいはずです」というので、十何列目なので、ちょっと後ろかなぁと思ったのだが、そこにしたのだ。

ら、自分てきには、もっと前がよかった。 

係りの人の言う「ドストライク」の意味は、合唱隊も含めた、全体の舞台の見え方と「音」を重視した上で言っていた(音的には余り前でないほうがいいらしいです)のだと、行ってみたらわかったのですが・・・

自分、映画はちょい後ろ目がいいのだが、舞台は、出演者の汗なり「つばき」が飛んできそうなくらい(いえ、ほんとに飛んできたらヤですよ、さすがに・汗)「かぶりつき」(実際には最前列を指す)くらいに近いところでないと、満足できないタチなんでした。

特に、ダンサーなら汗の光っているのが見えるくらいがね、いいです。

そういえば一桁だと、もう右寄りか左寄りしか残ってないといわれ、ど真ん中ならこの列、と言われたのだが、実際行ってみたら、真ん中枠のもっと前の列がいっぱいあいてたって・・・ 

ぐすん・・・

あー、そんした。

充君、主役だったのに。

もっと前で見たかった。

せっかくS席、奮発したのに。

ぐじぐじ・・・   



って、こんなことを書くんではなくってよ。 




やはり、主役の「イエス」をやった、堀内充さんは、素晴らしかったですね。

充くんは、前出の尊敬する堀内完先生の息子さんで、日本でも有数のダンサー兼振付家。

かつて通っていた完先生の主催されているスタジオの、手の届かないくらいの大先輩でもあります。

そしてなにより、熊川哲也、ファルフ・ルジマトフを超えて、私が世界中で最も大好きなダンサー。  
(充さんはクマテツとも仲良しなんですよ)

充君が19のときからのファンなので、もう28年来のファンですね。う~ん、長いな、しちこいな・笑。

(28年来といえば、真弓先生もアルフィーも、同じファン歴!! 
私にとって23歳の年というのは、その後の人生を左右する、様々な出会いのあった年なわけです。v(^^)v)



充さんは私より4つ下なので、ルジマトフより2つ下というわけですが、

やはり、失礼ながら、この年齢でこれだけのものを見せられるというのは、並大抵のことではないはず。


イエスの体にぴったりとした衣装は、途中からは上半身は何も身につけなくなるので、

その、容姿を一目見るだけで、そのダンサーがどれほど鍛錬を積んできているかというのが、観客にはすぐにわかってしまうのです。


バレエは、例えば森下洋子ほどのプリマでも、毎日地道にレッスンしないとできないもの、と言われていますが、

その日々のレッスンに加えて、彼の、腕や胸の筋肉のつき方や閉まり具合を見ると、
レッスンとは別のトレーニングを積まないと出来上がらないはずだとわかるので、その努力たるや、想像するだけで気が遠くなりそうです。

若い頃より、疲労の回復やケアがかかると思うので、なおさらです。


そしてジャンプも、しなやかで、高い!

さすがです。

充さんは身長が160センチ台と小柄なのですが、

私が思うに、バレエやフィギュア、体操などは、小柄なほうが、小回りも効くし、ジャンプもキレて映える気がしますね。

私てきにも、あまり縦にも横にも大きすぎる方よりも、小柄で華奢な(線の細い)感じの男性の方が、かわいらしいし、セクシーで好きです。
(ちゃんと鍛えてバランスがよく、色気と気品とも併せ持っていないとダメなので、貧相な人とは違いますので、念のため。)


とにかく、どこをとっても素晴らしい。

特に、この「イエス」の役は、それなりの年齢を積み重ねた方でないと、その苦悩や重厚な雰囲気が出てこないと思うので、

まさに適役だと思います。




ただし、やはりこの曲は、題名どおり「難解」ですねぇー。 

マチネ(昼公演)のせいもあったかもしれませんが、2日公演の落日(らくび・千秋楽ということ)だというのに、観客数が少なかったのが、残念すぎ。

前回見たときは、上で見ていた限りは満席だったので、もしかしたら、前回見た人が、もう一度、というのが難しかったのかもしれません。

充君の踊りだけでも、見ごたえがあるのに・・・


といっても、この作品の醍醐味は、合唱、バレエ、管弦楽とのコラボにあるので、

その「全体図」が、作品の総て。


自分は、「合唱」が大好きで、
今回もそのハモリの美しさと、コロス隊といって、簡単な振りのついている合唱隊の動きの迫力に感動して、そういうのは文句なしによく、

もちろん、バレエも、佐多達枝先生の振りはけっこうバレエの美しい基本を活かしつつも斬新なところがあって好きなので

(特に男性ダンサーを多用して良さを生かした、迫力ある「群舞」が素晴らしいです!)、

体にぴったりとしたシンプルなデザインの衣装と、それが映える、非常に研ぎ澄まされた肉体の美しさ(男女ともに)もあいまって、非常に満足できるのですが・・・


なぜか、「独唱」というものに、魅力をあまり感じないのですよね、私。

しかも、オペラなので、当然のこと「英語」だし・・・。

この、「わからない」ことほどつまらないことはなくて、

ではなぜ「合唱」も英語でわからないのに、いいと思えるかと言われると困るんですが、

それは「合唱」だからなのでして。

とにかく、すばらしい迫力の声量と美しい歌声を披露してくださった、独唱者の方には大変失礼ながら・・・

・・・

なにしろ、この舞台で誰が主役かといったら、たぶんダンサーではなく、 「独唱者さんたち」 なのです。

だって、独唱の方は、ダンサーより前の最前列ですし、中には真ん中に立っていた独唱者に隠れて、ダンサーが見えないときもあったくらいですからね。 

でも、私にはその良さが、全然知らないクラッシック音楽を聞かされるくらいに、ちょっとわかりづらいし、困難です。



それと、ほんとのことをいったら、充くんは、明るい曲や美しい曲の方が似合っているし、私も好きなのです。

バッハは、重厚で、やや重苦しく、充さんが役柄とはいえ、ずっと、邪悪なものに苦しめられて、それに耐えて辛そうにしているのが、なんだかこちらも見ていてつらくなる。

と、ゆーのが、少し残念かしら。

ご本人をよく知っているだけに、本人とリンクして見てしまうのは、よくないことですが。



でも、この作品の最大の見せ場は、前回も書きましたが、やはり最後の 「甦生」 の部分ですね。

イエスは、一端息絶え、地上から姿を消しますが、一般の普通の人間として蘇る。

その、永遠の命の営みが、人間の持つ限りない可能性と希望と、生きる喜びを持って、繰り返されてゆく。

そこに、見ている私達も希望と生きる力とを見出していくのです。


その中で、イエスではない、一般の人間として生き生きと踊る堀内充さんが、

それまでの苦悩に満ちたイエス(もちろん、こちらも圧巻ですが)を超えるほどに、素晴らしいし、私は好きです。



同世代でもある堀内充さんが、いつまでも現役で舞台に立ってくださっていることは、私たちにとっても大きな励みです。

そして何より、充さんの、詩や音楽を奏でるかのような美しい踊りが大好きだから、
これからもできるだけ長く、いつまでも、ずっと見ていたいと願わずにはいられません。




終演後に、楽屋まで行かなくても、ここの舞台は出演者の方がロビーに出てきてくださるので、それを待っていて
(その時間を考慮して高速バスでは間にあわないので電車にしたくらいだもん。(^^)v)

少しばかり充さんとお話しをさせていただく。


相変わらずの、物腰の柔らかなジェントルマンぶりには、うっとり。

もっと聞きたいことが色々あったのに、ご本人の前だと緊張するのと(なんといっても雲の上の大先輩ですからね)、
後にも待っていらっしゃる方がいるので遠慮して?、聞きそびれたこと、多々あり。

それが聞けるのは、来年に持ち越し?(質問事項をメモに書いておかないと、忘れるな  )




お疲れなのに、写真も一緒にとっていただき(って、いつものことなんですが・笑)、

せっかくなので、差し上げたお花も持っていただいちゃいまシタ。(^^;)ゞ (ご本人の掲載許可済みです)

元々が童顔で優しいお顔立ちなので、役柄でおひげを伸ばしてらっしゃいます。
ご本人もあまり気に入ってないのか、「すぐ剃ります・笑」って言ってらっしゃいました。


舞台上だと彫刻のようにすごい筋肉も、

お洋服を着られると、バレエダンサー特有の、長い首から「撫で肩」のラインの美しい、華奢な感じ(もちろん、ホメ言葉ですよ)になられます。

うーん、うらやましい!!


それにしても、充さんがスマートなので、私がますますドーンとして見えるって。 

え゛っ!?  充君のせいじゃないでしょって?

へへ。 

そのとおりでがす。(このところ、また太りつつある  )

どうも書いてるとイライラして、つい、何かと間食をしてしまうのよね。

しかも、書いてるときにダイエットしようだなんて、ふたつの大変なことするのは、ぜってー、ムリムリ。←言い訳?  



と、ゆーワケで、ワタクシ、「また」、 “昨日から” ダイエット始めたでごわす。  

(いつぞやの「糖質オフダイエット」は、炭水化物(ご飯、パン、麺はおいしいもの)とアイスのユーワクに勝てず、早々と挫折・涙。  しかも夏で暑さにヘロヘロで、ジョギングは8/31から、ストレッチとプチ筋はようやく「昨日から」フッカツしたとです・笑。  )

あー、過ちは繰り返す、の人生。          



でもなー、私、肩幅と骨盤の張っている、がっしりとした「骨太人間」。

どんなにヤセても、憧れの、小枝が折れそうなくらい華奢な体形、首長、撫で肩のデコルテ美人にはなれないのよね、たぶん。  

もちろん、骨は削れないので、せめて、肉(?脂肪?)だけでも落として、

あとは、お腹は引き上げるのだけど肩は下げる、という「バレエの基本的な立ち方」(これが難しいので、なかなかでけんのですよ)を何十年もやれば、それに近づけるのかと思いますが、

今更バレエはもう、できないし・・・



と、美しかった充さんや他の女性ダンサー(みなさん、細い細い。そして一般公募からなるコロス隊に至るまで、皆お顔もちぃちゃくて姿勢がよく、とてもエレガント)のことを思い出すにつけ、

どう見てもフツーの50の垢抜けないオバサンにしか見えない自分に、タメイキをつく私、デシタ。 とほほ。  



土台、比べる方が無理だって!?  

へへ。   ごもっともで。  








この夏、衝撃の出会い・その2 ~ ルジマトフ『バレエの真髄』 ~

2010年07月24日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)
ファルフ・ルジマトフは、かなり前から好きなバレエダンサーだった。

黒くて長い髪に、憂いを含んだ大きな瞳。エキゾチックな香り漂う、気品ある風格。エレガントで、セクシーな表情と雰囲気。鍛え抜かれた肉体。
そのどれもが、ダンサーとして上級のレベルであることは、踊りを見なくても充分わかる。

そう。
つまりは、ダンス雑誌に載っている彼を見てファンになったけど、まだ、彼の、生の舞台を一度も見ていなかったのだ。

長い間、彼の踊りが見たいなぁー、と思いながら、中々その機会に恵まれなかった。


毎年夏頃になると、彼は来日する。
かなりまえからいるダンサーなので、今見ておかないと、来年はないかもしれない。

夏は行事が多いため見る機会を逸していたのだが、思い切ってチケットを取った。
「好評につき追加公演決定」というふれこみの、追加公演分、7月15日の新宿文化センター、発売初日に申し込んだので、最近にしては最高の、6列目が取れた。
が、チケットを取った頃(4/16)には想像もしていないようなことが起こるのが、人生である。


拓の合宿(チケットを取った後に決定)があって、精神的に参っていた。しかも中3日しか置かず東京へ出向くのは、肉体的にもしんどい。けっこう労力がいる。
正直、チケット取っちゃってるんだから、行かないわけにはいかない。
そんな面持ちで出向いた。




      * * * * *



が、そんな思惑とはまったく裏腹に、公演は、ものすごくよかった。

『バレエの真髄』。
ファルフ・ルジマトフを筆頭に、ゲストダンサーに吉田都、岩田守弘(ボリショイバレエ唯一の日本人ダンサー)を迎えた、キエフバレエ団の公演である。

第一部はバレエ・コンサート。
日本的な振りと音楽が新鮮な、岩田守弘の『侍』(音楽:鼓童、振付:M.ラブロフスキー)。けっこう好きな『海賊』よりパ・ド・トロワ。(王子のシドルスキーとアリのイシュクが美しかった)
一度見てみたかった『ディアナとアクティオン』(“エスメラルダ”より)、それからもう何年も前のことになるが、よく聞いていたCD、バレエ・ピアノ作品集の中でも特に好きだった『ライモンダ』のバ・ド・ドゥーが見られたのは幸せだった。

圧巻は、『ライモンダ』の吉田都さん。
元、英ロイヤルバレエのプリンシパルで、世界的なダンサーである。
若い頃は失礼ながら、特に好きなダンサーではなかったのだが、あの、可憐さ(ちぃちゃくて華奢である)、笑顔の愛らしさは、とても華やかで優雅。手の動き、体の線のしなやかさは、さすが世界のミヤコと呼ばれているだけのことはある。
彼女の登場で、一瞬にして、舞台の空気が変わるのだ。

女性バリエーションの、大好きだったエキゾチックな音楽を聴いていると、懐かしさにゾクゾクとして、涙が出そうになった。

その日泊めてもらった友人が「彼女はけっこういってるはずだ」と言うので調べてみたら、1965年生まれ(草刈民代と同年)であった。←オドロキ。童顔だから、若く見えるせいもあると思うが、もっと下だと思っていたし、まだまだ、全然イケそうであった。

それにしても、若い頃、うんと下だと思っていた人たちが、20年たったらタメになっていた。


そして、もっとすごかったのは、岩田守弘が彼のために振付けたという、ルジマトフの『阿修羅』(音楽:藤舎名生)。
戦いの神、阿修羅の葛藤を、ルジマトフの強靭でかつしなやかな肉体が見事に演じきる。
暗闇に浮かび上がるルジマトフは、まさに仏像そのもの。見るからにエキゾチックな彼が、こういう和風な演目にも、ちゃんとハマるのだから、さすがだと思う。


公演プログラムより  ルジマトフの『阿修羅』


そういえば、大好きなアルフィーの高見沢さんも阿修羅が大好きで、阿修羅のことを歌った『愛の偶像(ラブ・アイドル)』(作詞:みうらじゅん、作曲:高見沢俊彦)を作ってるし、なんと彼は“ミスター阿修羅”に任命されたんだよぉ~♪
なので、阿修羅そのものにも、親近感が。


     * * * * *


そして、それ以上にサイコーに素晴らしかったのが、第二部の『シェヘラザード』。

N.リムスキー-コルサコフ音楽、M.フォーキン振付の小品で、国王の留守中に不貞を犯す王妃ゾベイダ(エレーナ・フィリピエワ)と奴隷筆頭の「金の奴隷」(ルジマトフ)、そしてハーレムの女達と奴隷達との、淫らな大饗宴が繰り広げられるという、それだけ聞いたら、なんかトンデモナイ情景を描いたバレエなのだ。←げっ、すごすぎる・汗。

が、バレエでは、総てが美しい。 
             
( “everything was beautiful at the ballet” 『At the Ballet』 ← 大好き♪ 
の一節。ミュージカル『コーラス・ライン』より )

淫らな情事、のはずの二人の踊りが、少しもいやらしくなく、例えようもなく美しいのである。(ま、ちょっと官能的で、ドキドキはしましたけどね。)

『海賊』や『ラ・バヤデール』などもそうであるが、この、中近東の民族衣装を思わせるようなエキゾチックな衣装が私は大好きなのだが、体の線が美しくないと映えない衣装でもある。
女性ダンサーたちはみな、まるでよけいなものがないほどに研ぎ澄まされた、美しくしなやかな肢体を持ち、優雅な舞いを見せてくれたし、ヒロインのフィリピエワも、気品と激しさを併せ持った、どちらかというと好きなタイプのダンサーであると思った。(彼女の存在は、本公演で初めて知る。他に本物を見ていないのに、雰囲気だけで大好きなダンサーに、ディアナ・ビシニョーワがいるが、私はどちらかというと、青い目の金髪さんより、外国人でも黒っぽい目と黒髪を持った人のほうが好きなのである。)



          ルジマトフ     フィリピエワ      プログラムより『シェヘラザード』


そして、そして、ファルフ・ルジマトフの美しさ、妖艶さは、群を抜いていた。

セクシー、などという言葉では言い尽くせない。

ルジマトフは、まさしく神である。

美神(ミューズ)。

バレエの神に選ばれ、バレエの神に愛された男の、なんと神々しいことか。


フィリピエワの踊りも素晴らしくて、見たいはずなのに、
ルジマトフから、ひと時も目が離せない。
激しい跳躍や回転があまりなくて、体の線と、踊りの表現だけで魅せることができる、というのは、神にこそ与えられた美しい称号。

どれだけの表現を駆使しても言い尽くせない。
もどかしいほどの、美しさである。



この、妖艶な表現力(演じているというより、彼そのもの、というほうが似つかわしい)と、
鍛え抜かれた美しい肢体を見よ!
ルジマトフほど鍛え抜かれた肉体を持つダンサーを、私は知らない。

私、特に筋肉フェチとか肉体派?とかってことは全然ないんですけど(むしろ、違うといったほうがいいかも)、バレエは芸術だから。
見せるなら、芸術と呼べるほどに美しいものを見せてほしい、と思う。


ああ、もっと早くに、彼の生の舞台を見ておきたかった。
それを悔やむほどに、素晴らしかった。

はやる気持ちを抑えて、彼の若い頃の映像を集めたDVDを会場で買って帰る。


その日泊めてもらう予定の横浜の友人宅へ向かうため、JR新宿駅までの長い道のりを、暑さと荷物の重さでヨレヨレになって、痛い足を引きずって歩きながら、まるで熱に浮かされたかのように、
ああ、美しい、神だ、すばらしい! を心の中で連呼する。

私は、幸せだった。



私は、やっぱり、美しいものが好きだ。

だれに、なんと、言われようとも!!!

その思いを、いっそう強くした。





ルジマトフ秘蔵映像とインタビューで構成されたDVD

早速、帰宅した夜に見てみたが、
若い頃の彼は、今以上に美しかった。(顔)
現在は、年齢とともに深みと重みが増し、芸術が神の域に達した、といった感じかしら。

気になる年齢は、1962年産まれであった。
驚異。

が、彼ならば、これからもしばらくイケるだろうと思われる。

いや、いってもらわなくては、困る。
せっかく、ファルフ・ルジマトフという男の深い芸術性に、心底目覚めたばかりの私がいるのだから。


     * * * * *


年末から年始にかけて、彼主演の3演目(『白鳥の湖』、『ジゼル』、『ドン・キホーテ』)が上演されるらしい。ジゼルとドンキはもともと大好きだし、たまらなく見たい。
が、夜公演しかないので泊まりになるので、そうすると日程的に完全にムリ。
10月に、バイオリンの川井郁子さんとルジマトフとの画期的コラボがあり、こちらは昼公演があって日帰りできそうだから、見にこようか?
うーん、でも、今年は舞台等を見まくっているので、はっきしいっておカネが・・・汗。


こんなとき、イナカにすんでいることをたまらなく残念に思う。


皆さまも、機会があったら、ぜひご覧になってみてくださいね。ゼッタイ、素晴らしいですから。
(但し、上記3演目でのルジマトフ主演はおそらく東京公演のみです。松本で同ツアーのドンキがあるので、もしもと思って問い合わせたら、ルジマトフは来ないんだってさ。やっぱしね、残念。)



(とゆーわけで、“衝撃の出会い”、二夜連続?シリアス路線で綴ってみました。
 あいかーらず、にゃがぃケド・汗。)



熊川哲也の『第九』

2009年06月16日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)
さてさて、モモコの一周忌だというのに、なんとー、東京へ遊びに行っていたおかーさんをゆるちてね。

だって、大好きなクマテツの舞台があったんだもん。(6月14日・オーチャードホール)


今回の演目は、『シンフォニー・インC』(ビゼー曲/ジョージ・バランシン振付)と、熊川哲也振付のベートーヴェンの『第九』。

どちらも、生オーケストラの奏でる美しい調べに乗った、美しいバレエでした。

やっぱテープじゃなくて、生オケのほうが全然気分が違うなー。

あの、開演前に楽器をチューニングしている音が好き。もうじき始まるぞっていうわくわく、ドキドキする気分はたまらない。


『シンフォニー・インC』には、クマテツは出てなくて、Kバレエ・カンパニーの若手ダンサーが多数出てたけど、なんかクマテツに顔も髪型も踊り方も、雰囲気もそっくり、という人が出ていた。おかしいなぁ、この作品に彼は出てないはずだけど、あまりにも似ている・・・

と思ってあとでプログラムや本日の出演者のプリントを何度も見比べてみて、あのそっくりさんは、
たぶん宮尾俊太郎さんという人だと判断した。

彼は北海道も、クマテツと同じ久富淑子バレエ出身であった。
写真を見るとクマテツよりも線の細いハンサムという感じで、あまりにているような気はしないが、舞台上で見たときは、あまりにも似ていた。
たぶん、彼は同じバレエ研究所出身の大先輩クマテツにものすごく憧れているのだろうと思うが、ここまで似ていると逆にこれでいいのだろうか、と心配になるが、まぁ、新しい、ステキなダンサーを見つけられたのは嬉しかった。

Kバレエを見ること自体久しぶりだが、私の記憶では、女性ダンサーは長いが、男性ダンサーがあまり定着しないように思うのだが、勘違いかな。
若手がどんどん育っていくのを見るのは嬉しいものだ。


ですが、やっぱりKバレエカンパニーのあのダンサーのファンだから、というよりも、

熊川哲也が好きだから、彼の舞台が見たい、という人がほとんどではないだろうか。

カンパニーの公演では、主演を彼以外のダンサーが踊る日があって、その公演のチケットは1000円安いのだが、だからといってその公演をわざわざ見に行く人がどれだけいるのだろうか。
(そのダンサーのよほどのファンか身内だけではないだろうか)

熊川哲也が踊らなければ、ファンは納得しない。


で、『第九』は、作品としては素晴らしかったです。

第一楽章「大地の叫び」という副題の苦悩する群集から、第二楽章「海からの創世」と名づけた希望への光、第三楽章「生命の誕生」、第四楽章「母なる星」(ご存知「歓喜の歌」の部分ですね)。

この地球の中で延々とはぐくまれる命の尊さ、生きる喜びへとつながっていく、広大なストーリー。

第四楽章は独唱や合唱も入って、歌、オーケストラ、バレエという3つの芸術が生み出す迫力あるステージに酔いしれる。

舞台装置や衣装もまた、すばらしい。
そして、第四楽章になって、いよいよお待ち兼ねの熊川哲也の登場である。

うーん、舞台上のそっくりさんもステキだったけど、比べてみると、やっぱ違うわ~、彼は。

存在感、気品、きりっとした的確な表現、しなやかな肉体、素晴らしい跳躍。なんといっても華がある。オーラが漂っているのである。

やはり、熊川哲也は、彼以外の誰にも代わりはいない。


昨年のケガから見事復活して、もう一度舞台に立てる喜びを感じているのは、彼だけではない。
多くのファンが待ち望んでいたこと。
そしてこれからも、できるだけ長く、ずっと、ずっと彼の踊りを見ていたい。


そしてまたさらにすごいのは、この膨大な作品を彼が振付け演出したということ。

彼は、ダンサーとしてもたぐい稀な才能を持つが、それだけではなく、
Kバレエカンパニーの芸術監督として、芸術を生み、公演を打ち、後輩を指導するという、

バレエというものを一般に認知してもらい広めていくという大きな仕事をやってのけるという、ものすごい才能と英知の持ち主なのだ。

そして、振付の才能も中々のものだと思った。


この第九、昨年3月に初演したらしい。第九といえば2000年に見た佐多達枝振付のOFC公演、音楽歌舞劇(例の劇場で筑紫哲也さんに遭遇したってやつね)も素晴らしかったが、クマテツのも、ものすごくよかったわ。

以下はプログラムに載っていた、この作品とそれを作り上げたベートーヴェンの曲と、彼の生き方に対する思いを綴った熊川の言葉です。

「そんな彼と彼の音楽との対話が私に与えてくれたのは、

まさしく芸術を生み出すときの最果てのないような苦しみ、

そしてその苦悩をもすべて押し流すほどの喜びだったのです。」


生きる苦悩と喜び。

創造する苦悩と喜び。


ラストでは華やかに全員が登場してフィナーレを踊るのだが、

みな、生きていること、踊れることの喜びに満ち溢れていて、輝いていて、

ああ、若いっていいな、と心底うらやましく思ってしまいました。

いえ、彼らはみな20代から30代だと思うので。


カーテンコールは、スタンディングオベーション(興奮した観客が思わず立ち上がって拍手してしまうこと)というのとはまたちがって、

みんな席を立ち上がってクマテツに一生懸命拍手し、手を振るという光景は、きっと彼が作り出したのだと思う。

そして、この光景は、おそらく彼の公演以外では見られまい。

それに笑って答えてくれるような、彼には近寄りがたい王子ではなく、そんな親しみ易さと茶目っ気がある。


バレエというちょっと敷居の高そうなものを、ここまで一般的なものにして親しみやすくしたという点でも、彼、熊川哲也のしたことは大きい。

偉大なるアーティストなのだ。


だだし、クマテツファンの私としては、もうちょっと彼の踊る場面を沢山見たかったな、という気も。

今度は10月に『ロミオとジュリエット』だって。

見たいけど、9月まで毎月上京予定なので、ちょっとあきらめなきゃ、だなぁ。









熊川哲也

2008年11月11日 | バレエ、ダンス(公演、レッスン他)
テツヤが続いたところで、今日DMもらって、この人もテツヤだったぁ~。

DMは、東京のチケットスペースからのもので、一度そこでチケットを買って以来いつもくれる。

たいていが熊川主催のKバレエカンパニーの公演案内で、

私はバレエダンサー熊川哲也が大好きなので(19年前、彼が16歳でローザンヌでゴールドメダルを採ったころから知っているのでそんじょそこらのファンとは年季が違いまっせぇ。もちろん公演も何度か見てます)、

見に行けなくても、このDMが届くのをいつも楽しみにしていて、チラシは捨てないでとってある。


熊川は、昨年春に怪我をして、予定していた公演に急遽代役が出ることになったりしたことがあったが、もう治ったのだろうか?

来年2月に、
あの世紀の名ダンサー、バリシニコフ(一度だけ公演見たことあるよん♪自慢、自慢!←彼はもう現役を引退しているので、今彼のナマの舞台を見たくてももう見ることはできないのだ。エッヘン)も踊った、

バランシン振り付けの『放蕩息子』を踊るらしい。
(セットになってる公演が『ピーターラビットと仲間たち』なので、こちらの方は全く見たくないのだが・笑)


あ~ん、クマテツ見たいよ~。

しかも放蕩息子だよ。

でも、そのためにトーキョーまでいく気力がない。
しかもS席18,000円だよー。
(同カンパニーのチケットはいつも来日ダンサー並みに高い。彼の自信の表れでしょうな)

昔はよく好きなダンサーの公演を見るためにわざわざ東京まで行ったもんだが、今体調崩しているせいもあり、きっと年もとったんだな~。

しかし、ダンサーの肉体は永遠ではない。

早く見ておかないと、クマテツもいつかきっと踊れなくなってしまうだろう・・・

そう思うと、今のうちに、と思わなくもないのだが。



色んな理由があってバレエはやめてしまって、
そのせいかあんなに好きだったバレエが嫌いになってしまったように感じていた。
(そのくせ、バレエやダンスの夢はよく見るんだな。なぜか???)


だが、やっぱりいいものは見たい、好きな人は好きなのだ、と再認識した。


よかった。   彼のことまで、嫌いになってなくて。