現代編に行く前に、補足です。←これがまた、ナガイんだな。
★ ところで私は、大学を卒業してから、2年ほどミュージカルの養成所(作曲家のいずみたく先生(現在は故人)の主宰されていた「イズミ・ミュージック・アカデミー」←誤解を招くため方々でミュージカルアカデミーと言っているが、正しくはミュージックアカデミーというのです)に通っていたことがあるが、
なぜそれを始めるに至ったかを話すと、トンデモナク長くなるので、「なにをトチ狂ったのか」という前置詞をつけて、簡単にすませていたが、
早い話は、大学時代、ミュージカルや新劇などのいろんな舞台を見て感動するにつけ、すっかり舞台にのめりこんで、恋焦がれてしまい、最初は「真似事でもいいから舞台の勉強がしてみたいなぁー」と思ったのが、きっかけです。
見ているうちにすっかりのめり込んで、自分でもやりたくなるとゆーの、私のこれまでの人生に、多々ありました。(^^;)
一番は68年(小2)のメキシコ五輪での、日本男子体操団体優勝と個人総合表彰台独占、種目別でも大活躍&女王チャスラフスカ(チェコ)の個人総合2連覇、etc・・・でしょ。 体操はずーっと恋焦がれてて、ほんとにやりました。(^^)v (えと、器械体操ですので念のため。←当時はまだ、新体操というものは生まれてなかった。なので「新」なのね。)
それから、もちろん、できっこないので、やることはなかったけど、72年(小6)札幌五輪でやはり表彰台独占した、日本男子スキーのジャンプとか、
高2(77年)のときのワールドカップ、日本男子銀メダルでバレーボールとか・笑。←これは、ずいぶん思い悩んで、結局自分には体操があるじゃないかと思い、断念。(^^;A
進学校でなかったので、高3まで部活やってましたよ。
(でも、こうやって書いてみると、感動して憧れたのが、どちらかというと女子ではなく、男子のスポーツばかりなのにオドロクね。いかに私がおてんばってことか・笑。それとも昔からいい男に弱い?(^^;)ゞ)
今はもう「大人」ですから、どんなにのめりこもうと、さすがに、自分でやりたい、とまでは思わなくなりましたけどね。(^^;)ゞ
あ、その代わり、感動するとのめり込んで、そのことを書きたくなるな。
いい例が1991年の松商学園、甲子園で大活躍、です。(^-^)b
これはまぁ、本になったからよかったけど、ある意味人生狂わしたかも?(笑・)
のめりこむ性格も、ときとして災いすることがあるのでキヲツケナクッチャ、ですね・汗
でもさ、いろいろ考えてみると、ミュージカルをやろうと思った「土壌」のようなものは、既に幼少期からの“歌舞音曲好き”、“人前に出るのがすき、”“目立ちたがり?”にあったのかもしれないなぁー、と思ったりもする。 えへへ・・・(^^;)ゞ
★ それから、私は大人になってからバレエのレッスンを始めたのだが、それは何も、子どものときに憧れていたけど、できなかったので、その夢を大人になってから実現、
てな、美しいものでは決してなく、
ぢつを申しますと、そのミュージカルの養成所に行っている時に、とにかく、遅くに始めた(23歳)のだから、なんでも勉強しないと追いつかない、との思いから、学校の授業の他に、でも、何をどうやっていいものかわからなかったので、とりあえず学校講師でミュージカル評論家の風早美樹(みき・2009年没)先生が自宅で開かれていたミュージカル論、本科音楽の川崎美智子先生(翌年は専門部の時枝康郎先生)の元でのボーカルレッスン(個人指導)、そして翌年からダンスの堀内完(かん)先生のもとでジャズダンスのレッスンを、授業とは別に受けるに至ったのである。
この、堀内完先生は、学校でダンスを教わっていて、当時からずぅーーーっと尊敬していて、今でも大好きな内御堂(うちみどう)真弓先生の先生で(当時は真弓先生も完先生のスタジオで教えつつ、完先生のレッスンは受けられていた)、やはり尊敬していて大ファンのダンサー、堀内充(じゅう)さんのお父様でもあるのだが、
完先生のダンス教室には、ミュージカルへの道を断念してからもしばらく通い続けていたのだが、完先生はいろんな意味で、ものすごく影響を受けた人物(もちろん尊敬していて大好きな先生です)、教室である。
で、その完先生が、←いーですか、こっからが本番ですよ!?
ダンスを習うなら、総ての踊りの基礎である「バレエ」をやっておいたほうがいい。
と、おっしゃったので、あんまり気は進まないけど、ダンスもへたっぴいだから、少しでもうまくなりたいし、尊敬する完先生がそうおっしゃるのなら、これはぜひともやらなくては、と思ったのだ。
そう、そのときはあくまで、ダンスがうまくなりたかったからで、「バレエ」の方は、実はやりたいとも思ってないのを、仕方なく、がんばって始めたに過ぎなかった。
それがレッスンを受けるうちに、軽快なリズムに乗って踊るジャズダンスよりも、ゆったりとしたクラシック音楽に乗って踊るバレエの方が、ドンくさくてリズム感のない私に向いているかも?とか、優雅で夢のような世界であるバレエって素敵かも、と、「だんだん」にバレエのよさに目覚め、のめり込んでいったのである。(その間に衝撃を受けたバレエの公演などもいくつかあり、それが後押しした)
↑ 詳しいことは、本家HP『やっぱり舞台が好き★』中の「バレエファンへの50の質問コーナーにて、色々書いてありますので、ぜひ見てね♪
( 2015.5.5、HPリニューアルオープンのため、このページへは行かれなくなりました。いつかどこかで、何らかの形で復活できればと思っておりますので、気長に待っていてください。申し訳ありません。 )
だが、子どもの頃、オリンピックを見て、すごい感動して体操をやりたくなったことはあったけど、バレエは全然やりたいと思ったことはなかった。
唯一、体操をしているとき、表現力を身につけるためにバレエのレッスンをする、という話はよく聞いていたので、あくまで「体操のために」バレエを習ってみたいな、と思ったことはある。
と、長いこと、ずぅーーーっと思ってきたのだが、
今回この話しをブログに書くにあたり、
子供の頃に読んでいた本やレコード (例のLP付の音楽読み物 『ホームミュージックライブラリー・少年少女世界の音楽・全10巻』 昭和46年小学館刊・レコードはビクター) などを見直していたら、
「第8巻・バレエ曲集 白鳥の湖」 は、「バレエ曲集」だったのでLPのA面が『白鳥の湖』、B面に『くるみ割り人形』と、いずれも全曲の中からの主要曲の抜粋ではあるが、一枚丸々チャイコフスキー特集で、当時繰り返して聞いていたこと、(特に「くるみ割り人形」が大好きになった)
その巻は、表紙のドガの「踊り子」の絵で、中身にもバレエの写真や挿絵が沢山載っており、子供ながら美しいおとぎの国に胸をときめかせていたこと、
曲やバレエの解説などを熱心に読み、そこに載っていた バレエの足のポジションを真似してやってみたりして、
自分でもバレエをやってみたいなぁーと思っていたことを、
突然、思い出したのだ。
オドロキ!!!
やだ。
すっかり忘れてたよ~。
けっこう記憶力はいいと思ってたのに、肝心なことをたまに忘れるタチ。(^^;A
※ この 『ホームミュージックライブラリー・少年少女世界の音楽・全10巻』 は、当時元教育者で、音楽好き、文学好きだった母が買い揃えてくれたのだが、
他に取ってくれていた毎月一作か2作が順に発売になる 『小年少女世界の文学・全30巻』(昭和45年小学館刊) よりも、どの巻も熱心に読んでは、繰り返しレコードも聞いていて、
第2巻「ピアノ曲集2」は、A面がオールショパン(B面はドビュッシー) で、当時からショパンが大好きだったから、やはり飽くことなく聞いていたものである。
1970~71年、自分が、10~11歳、小学校4、5年生のころのことです。
( 余談ながら、下の子の常で幼稚園の頃から字が読めたので、幼稚園から小学校低学年にかけては昭和40(1965)年(5歳、幼稚園年中)にポプラ社より刊行された“かがくよみもの”『なぜなぜ文庫・全30巻』-家には20巻までしかなかったが、や、姉が自分の子に読ませようと持って行ってしまったため手元にはないが、もう少し簡単に読める、別の「世界文学全集」などを愛読していた。とくに 『なぜなぜ文庫』 は子供の疑問に答える本で、面白くて大好きだった。
姉が持って行った本以外はすべて実家に、今でも大切に残っています。 )
★ あと、誤解なきように言っておきますと、バレエにピアノ、とかゆーと、お嬢とか、タカビーとか、人によっては聞こえるかもしれないかなぁー、と、フト心配になったんですが
おわかりのように、バレエは、子どものときはやってませんから。
で、大人になって始めたので(しかも始めた理由が理由 )、全然へたっぴぃですし(年数だけは、恥ずかしくて言えないくらい長くやってますが、例によって全然上達しなかった。トウシューズだって履けないし、発表会も出たことありません )
それに、ピアノはですね、長野県て、かつては奈良県に次いで各家庭におけるピアノ保有率、全国で2位でしたから。
↑ でもって、コレずっと信じてたら(1980年代終わりか、90年代初頭だったと思う)、2009年では、全国一位はやはり奈良県でしたが、長野県は第8位に落ち込んでました・笑。
なぜ長野県で保有率が高いかというと、田舎なので、置く場所があるとか、音を出しても近所迷惑になりにくいとか、住宅事情が叶っているのと、他に習い事が少ないとか、色々あると思います。あ、あと、全国的にみると都市部の近郊の県で保有率、高いみたいですが、長野県は「教育県」とか言われてますしね、
娘にピアノを習わせる親って、音楽好きというより、ミエとか(ほんとか!? )、教育熱心な人のほうが多いという説も。
ピアノは、大きいといってもたたみ一畳程度あれば置けるし、あとは人間一人がいれば弾けるので、バレエのように広い場所も要らないから、手軽に始められる感がありますよね。わが町でも、こんな、何もないような、特に文化環境劣悪みたいなド田舎でも、一時期は3歩歩けばピアノ教室に当たる、というくらい、お教室がいっぱいあって、歩いていける近所だけでも4つもあったことがありますぞ。(町内となるとその何倍でしょうか?? )
つまり、それだけ手軽に始められて、ピアノ人口が多いことの現われだと思います。
お金かかるといえば、
なんといっても、楽器そのものがお高いうえに、なんとー!!! 成長期に合わせて、順に大きなものに買い換えなければならない(!)というヴァイオリンや 、フィギュア、バレエ(発表会に出る場合)などのほうが、よほど「おゼニ」がかかります。
あ、野球も、道具とか遠征費用とかお金かかりますよね。
そのてんピアノは、ピアノでも一度買ってしまえば、あとは楽譜(教本)代程度で何も道具の買い替えとかいらないし(調律には多少お金かかるけど、年1程度でしょうし)、今は電子ピアノやキーボードなんかもあって、充分それでもできますから、意外とお安いと思います。
ですので、ピアノなんて、ずぇんずぇん、お嬢ぢゃぁ、ないっすよ。
★ ところで私は、大学を卒業してから、2年ほどミュージカルの養成所(作曲家のいずみたく先生(現在は故人)の主宰されていた「イズミ・ミュージック・アカデミー」←誤解を招くため方々でミュージカルアカデミーと言っているが、正しくはミュージックアカデミーというのです)に通っていたことがあるが、
なぜそれを始めるに至ったかを話すと、トンデモナク長くなるので、「なにをトチ狂ったのか」という前置詞をつけて、簡単にすませていたが、
早い話は、大学時代、ミュージカルや新劇などのいろんな舞台を見て感動するにつけ、すっかり舞台にのめりこんで、恋焦がれてしまい、最初は「真似事でもいいから舞台の勉強がしてみたいなぁー」と思ったのが、きっかけです。
見ているうちにすっかりのめり込んで、自分でもやりたくなるとゆーの、私のこれまでの人生に、多々ありました。(^^;)
一番は68年(小2)のメキシコ五輪での、日本男子体操団体優勝と個人総合表彰台独占、種目別でも大活躍&女王チャスラフスカ(チェコ)の個人総合2連覇、etc・・・でしょ。 体操はずーっと恋焦がれてて、ほんとにやりました。(^^)v (えと、器械体操ですので念のため。←当時はまだ、新体操というものは生まれてなかった。なので「新」なのね。)
それから、もちろん、できっこないので、やることはなかったけど、72年(小6)札幌五輪でやはり表彰台独占した、日本男子スキーのジャンプとか、
高2(77年)のときのワールドカップ、日本男子銀メダルでバレーボールとか・笑。←これは、ずいぶん思い悩んで、結局自分には体操があるじゃないかと思い、断念。(^^;A
進学校でなかったので、高3まで部活やってましたよ。
(でも、こうやって書いてみると、感動して憧れたのが、どちらかというと女子ではなく、男子のスポーツばかりなのにオドロクね。いかに私がおてんばってことか・笑。それとも昔からいい男に弱い?(^^;)ゞ)
今はもう「大人」ですから、どんなにのめりこもうと、さすがに、自分でやりたい、とまでは思わなくなりましたけどね。(^^;)ゞ
あ、その代わり、感動するとのめり込んで、そのことを書きたくなるな。
いい例が1991年の松商学園、甲子園で大活躍、です。(^-^)b
これはまぁ、本になったからよかったけど、ある意味人生狂わしたかも?(笑・)
のめりこむ性格も、ときとして災いすることがあるのでキヲツケナクッチャ、ですね・汗
でもさ、いろいろ考えてみると、ミュージカルをやろうと思った「土壌」のようなものは、既に幼少期からの“歌舞音曲好き”、“人前に出るのがすき、”“目立ちたがり?”にあったのかもしれないなぁー、と思ったりもする。 えへへ・・・(^^;)ゞ
★ それから、私は大人になってからバレエのレッスンを始めたのだが、それは何も、子どものときに憧れていたけど、できなかったので、その夢を大人になってから実現、
てな、美しいものでは決してなく、
ぢつを申しますと、そのミュージカルの養成所に行っている時に、とにかく、遅くに始めた(23歳)のだから、なんでも勉強しないと追いつかない、との思いから、学校の授業の他に、でも、何をどうやっていいものかわからなかったので、とりあえず学校講師でミュージカル評論家の風早美樹(みき・2009年没)先生が自宅で開かれていたミュージカル論、本科音楽の川崎美智子先生(翌年は専門部の時枝康郎先生)の元でのボーカルレッスン(個人指導)、そして翌年からダンスの堀内完(かん)先生のもとでジャズダンスのレッスンを、授業とは別に受けるに至ったのである。
この、堀内完先生は、学校でダンスを教わっていて、当時からずぅーーーっと尊敬していて、今でも大好きな内御堂(うちみどう)真弓先生の先生で(当時は真弓先生も完先生のスタジオで教えつつ、完先生のレッスンは受けられていた)、やはり尊敬していて大ファンのダンサー、堀内充(じゅう)さんのお父様でもあるのだが、
完先生のダンス教室には、ミュージカルへの道を断念してからもしばらく通い続けていたのだが、完先生はいろんな意味で、ものすごく影響を受けた人物(もちろん尊敬していて大好きな先生です)、教室である。
で、その完先生が、←いーですか、こっからが本番ですよ!?
ダンスを習うなら、総ての踊りの基礎である「バレエ」をやっておいたほうがいい。
と、おっしゃったので、あんまり気は進まないけど、ダンスもへたっぴいだから、少しでもうまくなりたいし、尊敬する完先生がそうおっしゃるのなら、これはぜひともやらなくては、と思ったのだ。
そう、そのときはあくまで、ダンスがうまくなりたかったからで、「バレエ」の方は、実はやりたいとも思ってないのを、仕方なく、がんばって始めたに過ぎなかった。
それがレッスンを受けるうちに、軽快なリズムに乗って踊るジャズダンスよりも、ゆったりとしたクラシック音楽に乗って踊るバレエの方が、ドンくさくてリズム感のない私に向いているかも?とか、優雅で夢のような世界であるバレエって素敵かも、と、「だんだん」にバレエのよさに目覚め、のめり込んでいったのである。(その間に衝撃を受けたバレエの公演などもいくつかあり、それが後押しした)
↑ 詳しいことは、本家HP『やっぱり舞台が好き★』中の「バレエファンへの50の質問コーナーにて、色々書いてありますので、ぜひ見てね♪
( 2015.5.5、HPリニューアルオープンのため、このページへは行かれなくなりました。いつかどこかで、何らかの形で復活できればと思っておりますので、気長に待っていてください。申し訳ありません。 )
だが、子どもの頃、オリンピックを見て、すごい感動して体操をやりたくなったことはあったけど、バレエは全然やりたいと思ったことはなかった。
唯一、体操をしているとき、表現力を身につけるためにバレエのレッスンをする、という話はよく聞いていたので、あくまで「体操のために」バレエを習ってみたいな、と思ったことはある。
と、長いこと、ずぅーーーっと思ってきたのだが、
今回この話しをブログに書くにあたり、
子供の頃に読んでいた本やレコード (例のLP付の音楽読み物 『ホームミュージックライブラリー・少年少女世界の音楽・全10巻』 昭和46年小学館刊・レコードはビクター) などを見直していたら、
「第8巻・バレエ曲集 白鳥の湖」 は、「バレエ曲集」だったのでLPのA面が『白鳥の湖』、B面に『くるみ割り人形』と、いずれも全曲の中からの主要曲の抜粋ではあるが、一枚丸々チャイコフスキー特集で、当時繰り返して聞いていたこと、(特に「くるみ割り人形」が大好きになった)
その巻は、表紙のドガの「踊り子」の絵で、中身にもバレエの写真や挿絵が沢山載っており、子供ながら美しいおとぎの国に胸をときめかせていたこと、
曲やバレエの解説などを熱心に読み、そこに載っていた バレエの足のポジションを真似してやってみたりして、
自分でもバレエをやってみたいなぁーと思っていたことを、
突然、思い出したのだ。
オドロキ!!!
やだ。
すっかり忘れてたよ~。
けっこう記憶力はいいと思ってたのに、肝心なことをたまに忘れるタチ。(^^;A
※ この 『ホームミュージックライブラリー・少年少女世界の音楽・全10巻』 は、当時元教育者で、音楽好き、文学好きだった母が買い揃えてくれたのだが、
他に取ってくれていた毎月一作か2作が順に発売になる 『小年少女世界の文学・全30巻』(昭和45年小学館刊) よりも、どの巻も熱心に読んでは、繰り返しレコードも聞いていて、
第2巻「ピアノ曲集2」は、A面がオールショパン(B面はドビュッシー) で、当時からショパンが大好きだったから、やはり飽くことなく聞いていたものである。
1970~71年、自分が、10~11歳、小学校4、5年生のころのことです。
( 余談ながら、下の子の常で幼稚園の頃から字が読めたので、幼稚園から小学校低学年にかけては昭和40(1965)年(5歳、幼稚園年中)にポプラ社より刊行された“かがくよみもの”『なぜなぜ文庫・全30巻』-家には20巻までしかなかったが、や、姉が自分の子に読ませようと持って行ってしまったため手元にはないが、もう少し簡単に読める、別の「世界文学全集」などを愛読していた。とくに 『なぜなぜ文庫』 は子供の疑問に答える本で、面白くて大好きだった。
姉が持って行った本以外はすべて実家に、今でも大切に残っています。 )
★ あと、誤解なきように言っておきますと、バレエにピアノ、とかゆーと、お嬢とか、タカビーとか、人によっては聞こえるかもしれないかなぁー、と、フト心配になったんですが
おわかりのように、バレエは、子どものときはやってませんから。
で、大人になって始めたので(しかも始めた理由が理由 )、全然へたっぴぃですし(年数だけは、恥ずかしくて言えないくらい長くやってますが、例によって全然上達しなかった。トウシューズだって履けないし、発表会も出たことありません )
それに、ピアノはですね、長野県て、かつては奈良県に次いで各家庭におけるピアノ保有率、全国で2位でしたから。
↑ でもって、コレずっと信じてたら(1980年代終わりか、90年代初頭だったと思う)、2009年では、全国一位はやはり奈良県でしたが、長野県は第8位に落ち込んでました・笑。
なぜ長野県で保有率が高いかというと、田舎なので、置く場所があるとか、音を出しても近所迷惑になりにくいとか、住宅事情が叶っているのと、他に習い事が少ないとか、色々あると思います。あ、あと、全国的にみると都市部の近郊の県で保有率、高いみたいですが、長野県は「教育県」とか言われてますしね、
娘にピアノを習わせる親って、音楽好きというより、ミエとか(ほんとか!? )、教育熱心な人のほうが多いという説も。
ピアノは、大きいといってもたたみ一畳程度あれば置けるし、あとは人間一人がいれば弾けるので、バレエのように広い場所も要らないから、手軽に始められる感がありますよね。わが町でも、こんな、何もないような、特に文化環境劣悪みたいなド田舎でも、一時期は3歩歩けばピアノ教室に当たる、というくらい、お教室がいっぱいあって、歩いていける近所だけでも4つもあったことがありますぞ。(町内となるとその何倍でしょうか?? )
つまり、それだけ手軽に始められて、ピアノ人口が多いことの現われだと思います。
お金かかるといえば、
なんといっても、楽器そのものがお高いうえに、なんとー!!! 成長期に合わせて、順に大きなものに買い換えなければならない(!)というヴァイオリンや 、フィギュア、バレエ(発表会に出る場合)などのほうが、よほど「おゼニ」がかかります。
あ、野球も、道具とか遠征費用とかお金かかりますよね。
そのてんピアノは、ピアノでも一度買ってしまえば、あとは楽譜(教本)代程度で何も道具の買い替えとかいらないし(調律には多少お金かかるけど、年1程度でしょうし)、今は電子ピアノやキーボードなんかもあって、充分それでもできますから、意外とお安いと思います。
ですので、ピアノなんて、ずぇんずぇん、お嬢ぢゃぁ、ないっすよ。
ちぃーとも、知らんかったわぁ!!
さすが、学生付き兄ィ。
その節は色々(「火あり水あり」)お世話になりました。