雑文の旅

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猫爺の連続小説「三太と亥之吉」 最終回 江戸十里四方所払い

2015-02-11 | 長編小説
 亥之吉が江戸に出て、早くも十二年の年月が流れた、三太と新平は十九歳になっている。三太と真吉は、ともに福島屋の番頭になっているが、真吉は暖簾分けの話が運んでいる。もちろん、兄の小諸藩士山村堅太郎夫婦が、城下町の一等地を見つけてくれているのだ。山村堅太郎の妻とは、以前の鵜沼の卯之吉こと常蔵の妹お宇佐であることは言うまでもない。

 亥之吉は、その物件が福島屋小諸店に相応しいかを見定める事のほか、大金を真吉に持たせているので用心棒として付き添った。

 一方、三太は亥之吉の戻りを待って、元奉公していた浪花の相模屋長兵衛のもとへ戻るつもりである。ここには、長兵衛の長女が三太の帰りを待っている。親同士が決めた許嫁である。

 ある日の夕暮れ時、北町奉行所の同心が目明しを一人連れて福島屋の店にやって来た。
   「辰吉は戻っておるか?」
 店の間に居た三太が応対した。
   「若旦那は朝出かけたまま、まだ戻っていまへんのやが」
   「お上のご用向きである、隠すと為にならんぞ」
   「隠すて、若旦那が何かやらかしたのだすか?」
   「地廻りのゴロツキと喧嘩をして、ドスで相手を刺したのだ」
   「えっ、それで喧嘩の相手は?」
   「死んではいないが、傷は深いそうだ」
   「旦那さんが留守のときに、何ということを仕出かしたのや」
   「もし逃げ帰ったら、番所にとどけるように」

 同心たちは「心当たりを当たってみよう」と、話しながら戻っていった。
   「女将さん、大変なことになりました」
 さすがの三太も、落ち着いては居られない。辰吉の兄として、辰吉を救ってやらねばならない。
   「どないしたんや、またお客の苦情か?」
   「それどころやおまへん、辰吉坊ちゃんが他人を刺したそうでおます」
   「ええっ、それで相手は死んだのか?」
   「生きてはいるが、深手やそうだす」
 お絹は動転して、その場にひっくり返った。
   「何が、何があったのや」
   「わかりまへん」
   「最近、金遣いが荒くなっていたので、心配して問い質そうとしていたところやが、何でまた旦那さんが留守の時に…」
   「女将さん、しっかりしておくなはれ、わいが付いています」
   「三太、頼みます」
   「辰吉坊ちゃんが帰ってきても、番所に知らせたらあきまへんで、わいが戻るまで待っといてください」
 
 三太は店の者に女将さんを頼んで、「心当たりを探してみます」と、駈け出していった。
   「どうか、相手の人が死にませんように…」
 死ねば辰吉は死罪か、軽くても遠島である。三太の後ろ姿に、手を合わせるお絹であった。

 三太は、大江戸一家に飛び込んだ。「辰吉は来ていない」と、言うことだったので、もし来たら「庇ってやってください」と、まず自分に知らせるようにお願いをして、ゴロツキの溜まり場を目指した。

 草が血で染まったところがあった。
   「ここで刺したな」
 近くに事情を知る若い男が居たので、話を訊いてみた。刺された男は、辰吉に自分の女を奪ったと因縁をつけ、ドスを出して辰吉を脅したらしい。

 二人揉み合った挙句に、辰吉は相手の男からドスを奪い、それを奪い返そうとした男の腹を刺してしまったらしい。正当防衛などというものは認められない。人を刺せば刺した方がお罰を受けることになる。

 辰吉は堅気の若旦那である。顔見知りの大江戸一家のほかには逃げ込む当てなどない。きっと夜になれば店に戻ってきて自分に相談するに違いないと、三太は待ち続けた。だがその夜、辰吉は戻らなかった。
   「もしや、上方の祖父や伯父を頼ったのではないやろか」
 もはや、気丈なお絹も、三太の相談相手ではなかった。ただ、心痛のあまり狼狽えるばかりである。
   「若旦那さん、お金は持ってなさるのだすか?」
 お絹は答えられないので、代わって一番番頭が答えた。
   「店の金を勝手に持って行ったりしないので、あまり持っていないと思います」
   「女将さん、最近小遣いをなんぼやらはったのだす?」
   「今朝、二両だす」
 お絹は、ようやく答えた。
   「それだけあったら、上方への路銀になります」

 夜も更けてきた頃、表戸を叩く音がした。
   「辰吉が帰ってきた、早よう開けてやっておくれ」
 お絹が叫ぶように言った。
   「若旦那、今開けます」
 だが、辰吉ではなかった。
   「政吉どす、話を聞いて驚いて飛んできました」
   「菊菱屋さんにも、若旦那は行ってないのだすか?」
   「一度も来ません、辰吉さん、どこへ行きはったのやろか」
 三太が、今から北町奉行所まで行ってくると言いだした。
   「自訴しているかも知れまへん」
 三太は一目散に月明かりの町を駆けていった。途中、番屋に寄って訊いてみたが、辰吉は姿を見せていないという。

 三太は、ぴったり閉まった北町奉行所の門を叩いた。
   「福島屋の番頭、三太だす、ここを開けておくなはれ」
 門の中から声が聞こえた。
   「何だ、この夜更けに」
   「どなたか与力の旦那に会わせておくなはれ」
 暫く待っていると、潜戸が開いた。
   「三太どの、辰吉が見つかったのか?」
 泊まり込みの若い与力が出てきた。顔見知りの長坂清心であった。父長坂清三郎がお役を辞した跡を継いだ長男である。
   「いえ、もしや若旦那が自訴してきているのやないかと、伺いにきました」
   「来ていないぞ、早く自訴したほうが良いのだが」
   「捕まれば、若旦那はどうなります」
   「刺された男に九割がた非があるので、軽くて寄せ場送りで済むと思うが」
   「そうだすか」
   「だが、逃げると刺青刑と遠島だろうな」
   「そうだすか、必ず自訴させます、少し猶予をください」
   「お奉行に言っておこう、だが、月が変われば南町奉行所の月番になるぞ、そうなれば、北のお奉行とて口出しは出来ぬ、三太どの待っておるぞ」
   「へえ」
 
あと五日で月が変わる。三太は福島屋の若旦那、辰吉を探しまわったが見つからなかった。このまま南町へ持ち込めば、辰吉は島流しになり、短くても五年は解き放ちにならない。
   「上方まで探しに行ったところで、とても間にあわへん」
 もう、江戸には居ないのだろうと三太は気落ちした。かくなる上は、一つしか手がない。三太は北町奉行所を向けて駈け出していた。

   「実は、ゴロツキを刺したのは、わいでした」
 長坂は怪訝に思った。
   「まさか…」
   「ほんまだす、若旦那の名前で女遊びをしていて、ゴロツキに絡まれました」
   「嘘をつけ、三太どのは辰吉が自訴したのではないかと、夜中に奉行所に来たではないか」
   「すんまへん、自分が助かりたい一心で、嘘をつきました」
   「三太どの、奉行所を欺けば罪は重くなるのですよ、それでも良いのですか?」
   「へえ、存分に罰を受けます」
   「島流し五年だぞ」
   「へえ、構いまへん」
   「腕に刺青も彫られるのだぞ」
 そうなっては、商人としてやってはいけなくなるかも知れない。しかし、自分なら耐えられる。三太は決心していた。


 福島屋の店に、過日やってきた同心と目明しがやって来た。
   「ゴロツキを刺した犯人が見つかった、辰吉は疑いが晴れたぞ」
   「ほんまだすか」
 お絹は、それを聞いて「ほっ」と胸を撫で下ろした。
   「刺された男が一昨日死んだので、真犯人が自訴しなかったら、辰吉は重い罪になるところだった」
   「お役人さま、態々お知らせ頂いて、有難う御座います」
   「よかったのう」
   「真犯人は、何故うちの辰吉の名を騙ったのでしょう」
   「福島屋の若旦那だと騙って、女遊びをしていたようだ」
   「わたいの知っている人だすか?」
   「知っているとも、この店の番頭だ」
   「えっ、嘘だす、ここにはそんな番頭は居ません」
   「それが、意外だろうが、三太という男だ」
 お絹は、「そんな…」と、言ったまま、唖然として暫く開いた口が塞がらなかった。
   「それは、何かの間違いだす、間違いに決まっています」
   「まあ、良かったではないか、辰吉でなくて」

 役人が戻った後、お絹はその場に倒れたまま、起き上がれなかった。
   「あの真面目で主人思いの三太が、何でこんなことになったのや」
 使用人がお絹の枕元へ来て慰めるが、そんな声はお絹には聞こえなかった。
   「ほんなら、なんで辰吉は帰ってこないのや」
 お絹にも、ようやくことの次第が分かってきた。
   「三太が、辰吉をお縄付きにさせないために、自分が殺ったと名乗り出たに違いない」
 
 三太は、北町奉行所で裁かれた。
   「どのような事情があろうとも、人の命を奪ったのはふとどき千万、だが、お上にも情けある、非の総ては殺された男にあるとして、三太に江戸十里四方所払いと致す」
 そして奉行は付け足した。
   「なお、上方とても江戸十里四方の外とする」

 このお裁きに、中乗り新三(しんざ)こと守護霊の新三郎が、どう関わったかは、三太自身にもわからなかった。

 
 三太は一足先に江戸を発ったが、江戸の福島屋では、主人の亥之吉はまだ信州から戻らない。戻ってくれば、店の総てを一番番頭に任せて、一家六人上方へ旅立つ計画である。ただ、長兄辰吉の行方が分からないという不安を抱えて、お絹の胸はどんより曇ったままであった。

  最終回 江戸十里四方所払い -物語は次シリーズへ続く- (原稿用紙14枚)

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「第九回 卯之吉の災難」へ
「第十回 兄、定吉の仇討ち」へ
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