前回の流れで消費者金融の話をしようと思う
1度だけ電話をしたと書いたが、
過去に親と喧嘩をして絶交していた時期があった
絶交と言っても親の家に住み、
風呂にも入り光熱費も全部親が出すという、
実に都合のいい絶交である
ただ口は一切利かず、
母親が作った飯だけは食わないと決めていた
俺は一時期、今で言う引きこもりだった
当時はまだ引きこもりという言葉が、
浸透してなかったが今思えばそうだった
それを咎められたのかどうか、
よく覚えてないんだがとにかく喧嘩になった
今から30年ぐらい前だろうか
それで食うために働かなきゃダメってことで、
1日限りの日払いで食いつないでいた
大体1日6000円ぐらいだった
それで食いつなぎ金がなくなると、
また探すというパターンである
コンビニでカップ麺を買って、
お湯を入れて外で食べて、
夜はスーパーの値引きの弁当という感じだった
引きこもる前はどこで働いても長く続かず、
長くて3か月、大体は1か月で辞めていた
そんな奴が急にきっちり働くというのは無理であり、
次第に働かなくなり引きこもったわけである
そんな生活がどれくらい続いたのか、
ハッキリ覚えてないが残金がヤバくなってきた
残りがヤバくなっても、
すぐに働けるほど身軽でもなかった
そこで週刊誌の広告にたくさん掲載されていた、
消費者金融の中から適当なところに電話した
とりあえず10万借りるつもりだった
その時の電話の内容はハッキリ覚えてないが、
実質無職ということで断られたと思う
とにかく借りられなかったわけだ
ただ住所名前電話番号は伝えていた
その電話の後すぐに、
ポストに別の会社のチラシが入っていた
親は俺が電話したことを知らないから、
特に気にすることもなく、
テーブルの上に置かれていた
俺はそれを見て結構ビビった
これから頻繁に投函されるのだろうか
あるいは電話がかかってくるのだろうか
だがそこなら貸してくれるのだろうか
だとしても相当ヤバい会社ではないのか
これは親に知られたら相当ヤバいなと、
不安になったが俺が知る限り、
投函されたのはその1回だった
とにかく無意識のうちに、
消費者金融で金を借りるのは、
とてつもなく怖いことという意識があったわけだ
たまにテレビで見る闇金の取り立ての印象が、
強烈だったせいだろう
そしてそのチラシがそれじゃないかと感じたわけだ
俺はえらい世界に関わったかもと、
怖くなったが金も尽きていて働く気力もない
そこで意を決して父親に、
1万貸してくれと頭を下げた
すると何も言わず1万渡してくれた
そして母親も何も言わずに、
餃子とご飯を部屋に持ってきてくれた
俺は何かが吹っ切れたようにガツガツ食った
日々空腹との戦いだったんで、
この時の餃子はほんとに旨かった
そこから俺も改心して、
長期のバイトを探して現在に至るわけだ
それまで長くても、
3か月までしか続かなかった奴が、
同じ会社にもう25年いるわけである
繰り返すが親との冷戦時にも、
口を利かず飯は食わないというだけで、
ずっと親の家に住んで風呂にも入って、
光熱費負担0という、
本当に虫のいい冷戦だったわけだ
今こうやって振り返るともしあの時、
10万借りられてたらどうなってたのかと、
思うことがある
無くなったらまた借りるを繰り返し、
底なし沼に嵌ってやがて犯罪に、
手を染めてという可能性も考えられたわけだ
その場合、最悪親にそれが向くという、
可能性もあったわけだ
最近も引きこもりの息子が、
親に手を出すという事件が起きてるが、
1歩間違ったら、
俺もそうなってたかもしれない
そう考えるとあの時は断られて、
今の俺は金も貸してもらえないのかと、
ショックだったが、
結果的に助かったのかもしれない
そして久々にまともに働いたその会社で、
最初の給料が10万ちょっとだった
今まで日払いで5000円とかだったのが、
一気に10万入ったということで、
気が楽になり余裕も出来て、
不安定な生活から抜け出して、
一応生活が軌道に乗ったわけだ
ただタイミング的に給料振り込みの日の、
次の日ぐらいに入社したんで、
最初の給料が入るまで1か月ぐらい空いた
そこで再び親から少し借りる羽目になった
しかし最初の10万でやっと軌道に乗った
この10万は今の感覚で言うと、
100万ぐらいの価値があったと思う
そこから毎月10万以上入るようになり、
金の不安から解放されたわけだ
やはり毎月決まった収入があるというのは、
本当にでかいことである
ただ引きこもりから抜け出して、
今がバラ色かといえば、
このブログをやってることで分かるように、
懐かしい思い出として語れるほどの、
現在地ではないわけだ
親からすれば何も変わってないかもしれない
今もずっと危機が継続中なわけだが、
あの辺が本当に辛かった時期かなと思う
毎日コンビニの近くでカップ麺をすするのは、
結構惨めな感覚はあった
もちろん顔を覚えられないように、
1か所ではなく、あちこち回って食った
そして当然だが近所は避けて、
カップ麺1杯のためにかなり遠くまで行った
まあこんな時期もあったという話である
親としては就職して結婚してということを、
望んでたと思うがそこはほんとに申し訳ない
ただ個人的には今は底辺なりに、
そこそこ楽しんでるんで、
まあいいかなという感じである
1度だけ電話をしたと書いたが、
過去に親と喧嘩をして絶交していた時期があった
絶交と言っても親の家に住み、
風呂にも入り光熱費も全部親が出すという、
実に都合のいい絶交である
ただ口は一切利かず、
母親が作った飯だけは食わないと決めていた
俺は一時期、今で言う引きこもりだった
当時はまだ引きこもりという言葉が、
浸透してなかったが今思えばそうだった
それを咎められたのかどうか、
よく覚えてないんだがとにかく喧嘩になった
今から30年ぐらい前だろうか
それで食うために働かなきゃダメってことで、
1日限りの日払いで食いつないでいた
大体1日6000円ぐらいだった
それで食いつなぎ金がなくなると、
また探すというパターンである
コンビニでカップ麺を買って、
お湯を入れて外で食べて、
夜はスーパーの値引きの弁当という感じだった
引きこもる前はどこで働いても長く続かず、
長くて3か月、大体は1か月で辞めていた
そんな奴が急にきっちり働くというのは無理であり、
次第に働かなくなり引きこもったわけである
そんな生活がどれくらい続いたのか、
ハッキリ覚えてないが残金がヤバくなってきた
残りがヤバくなっても、
すぐに働けるほど身軽でもなかった
そこで週刊誌の広告にたくさん掲載されていた、
消費者金融の中から適当なところに電話した
とりあえず10万借りるつもりだった
その時の電話の内容はハッキリ覚えてないが、
実質無職ということで断られたと思う
とにかく借りられなかったわけだ
ただ住所名前電話番号は伝えていた
その電話の後すぐに、
ポストに別の会社のチラシが入っていた
親は俺が電話したことを知らないから、
特に気にすることもなく、
テーブルの上に置かれていた
俺はそれを見て結構ビビった
これから頻繁に投函されるのだろうか
あるいは電話がかかってくるのだろうか
だがそこなら貸してくれるのだろうか
だとしても相当ヤバい会社ではないのか
これは親に知られたら相当ヤバいなと、
不安になったが俺が知る限り、
投函されたのはその1回だった
とにかく無意識のうちに、
消費者金融で金を借りるのは、
とてつもなく怖いことという意識があったわけだ
たまにテレビで見る闇金の取り立ての印象が、
強烈だったせいだろう
そしてそのチラシがそれじゃないかと感じたわけだ
俺はえらい世界に関わったかもと、
怖くなったが金も尽きていて働く気力もない
そこで意を決して父親に、
1万貸してくれと頭を下げた
すると何も言わず1万渡してくれた
そして母親も何も言わずに、
餃子とご飯を部屋に持ってきてくれた
俺は何かが吹っ切れたようにガツガツ食った
日々空腹との戦いだったんで、
この時の餃子はほんとに旨かった
そこから俺も改心して、
長期のバイトを探して現在に至るわけだ
それまで長くても、
3か月までしか続かなかった奴が、
同じ会社にもう25年いるわけである
繰り返すが親との冷戦時にも、
口を利かず飯は食わないというだけで、
ずっと親の家に住んで風呂にも入って、
光熱費負担0という、
本当に虫のいい冷戦だったわけだ
今こうやって振り返るともしあの時、
10万借りられてたらどうなってたのかと、
思うことがある
無くなったらまた借りるを繰り返し、
底なし沼に嵌ってやがて犯罪に、
手を染めてという可能性も考えられたわけだ
その場合、最悪親にそれが向くという、
可能性もあったわけだ
最近も引きこもりの息子が、
親に手を出すという事件が起きてるが、
1歩間違ったら、
俺もそうなってたかもしれない
そう考えるとあの時は断られて、
今の俺は金も貸してもらえないのかと、
ショックだったが、
結果的に助かったのかもしれない
そして久々にまともに働いたその会社で、
最初の給料が10万ちょっとだった
今まで日払いで5000円とかだったのが、
一気に10万入ったということで、
気が楽になり余裕も出来て、
不安定な生活から抜け出して、
一応生活が軌道に乗ったわけだ
ただタイミング的に給料振り込みの日の、
次の日ぐらいに入社したんで、
最初の給料が入るまで1か月ぐらい空いた
そこで再び親から少し借りる羽目になった
しかし最初の10万でやっと軌道に乗った
この10万は今の感覚で言うと、
100万ぐらいの価値があったと思う
そこから毎月10万以上入るようになり、
金の不安から解放されたわけだ
やはり毎月決まった収入があるというのは、
本当にでかいことである
ただ引きこもりから抜け出して、
今がバラ色かといえば、
このブログをやってることで分かるように、
懐かしい思い出として語れるほどの、
現在地ではないわけだ
親からすれば何も変わってないかもしれない
今もずっと危機が継続中なわけだが、
あの辺が本当に辛かった時期かなと思う
毎日コンビニの近くでカップ麺をすするのは、
結構惨めな感覚はあった
もちろん顔を覚えられないように、
1か所ではなく、あちこち回って食った
そして当然だが近所は避けて、
カップ麺1杯のためにかなり遠くまで行った
まあこんな時期もあったという話である
親としては就職して結婚してということを、
望んでたと思うがそこはほんとに申し訳ない
ただ個人的には今は底辺なりに、
そこそこ楽しんでるんで、
まあいいかなという感じである