忍び寄る時

2013-09-10 02:01:20 | Weblog
どうやら「そのとき」が近づいてきたようである
父が脳出血で倒れた
救急車で運ばれて入院してるというので見舞いに行った
そこで見た父親は・・・、別人だった
別人は大げさだが目の焦点も合わず、言葉も普通に話せない状態だった

何より俺を認識できなかったのが辛かった
正直見たくない姿だった
手足もかろうじて動く状態である
これからリハビリに入るらしいが元の状態に戻ることはないだろう
まだ命に別状がなかったのは幸いだが、そう遠くはないのではないか
しかし本当にきついですわ

まあこの年まで親が離婚もせず2人とも健康でいてくれたことのほうが奇跡なのかもしれない
これが俺たち息子が小さい頃だったら大変だったわけである
そしてそうした境遇にある人たちも大勢いるわけだ
本当に大変だろうと思うと同時に本当にすごいと思う
そういう境遇を跳ね除けて強く生きてる人たちは本当に尊敬する
自分が同じ立場になっていたらとても打ち勝てたとは思えない

しかし本当に参った
リハビリは施設に入って行うことになるらしい
今は母を中心にお見舞いに行ってる状況だ
とにかく毎日たくさん話しかけることが重要だそうである
そして見舞いの中心となってる母も80間近である
これがいわゆる老老介護というやつだろうか

本当は長男である俺が中心になるべきだろうが距離的に毎日はきつい
こういうときに積極的に動けない自分が情けない限りである
そして申し訳ないというか薄情というか・・・

これが逆の立場だったら父は毎日来てくれたはずである
そして俺がその気になれば毎日見舞いに行くのも不可能ではない
しかしなぜか体が動かない
いや、気持ちが動かないというのが本当のところである
本当に親不孝な息子である
最低の息子である

とはいえ1日も早く元気になって欲しいと願うのは当然である
しかし完全に元に戻れないと思うとやりきれない気持ちである
何に対してか分からないが本当に腹が立つ

しかし俺にとって父は本当に強い男というイメージだった
それが今は弱弱しい姿でベッドに横たわっている
支離滅裂で恐縮だがブチ切れそうである

そして父と同じ部屋に同じ症状の人たちがいる
みんな同じ感じである
こんなにも毎日のように一瞬にして別人になってしまう人がいることに驚いた
毎日事故等のニュースを見ていて漠然とは把握していたが、
現実に目の当たりにすると本当に恐ろしいというか切ないというかやり切れない
その人たち1人1人の周りには家族も含めて大勢の人間がいるわけである
しかし今の医療ではここまでが限界なのだろう
今後は現実を受け入れ父を出来る限り支えていくつもりである

しかし普通に生きてる限り親が先に死ぬのは当然とはいえ、
今まではそれを忘れて生きていたといっても過言ではない
それでもこういうことがあるとその現実と向き合わざるを得ない
いずれにしろそう遠くはないはずである

現時点で2人ともいなくなったときの自分が想像できないが、
誰もがそれを乗り越えてる以上自分も乗り越えなければなるまい
しかし今の俺には乗り越えるには本当に高い壁ですわ(笑)
何せ家族もなく手ぶらですからね
本当に1人で生きていけるのだろうか
50歳にしては恥ずかしすぎる不安だが、それが今の俺の立ってる場所である
変な言い方だが俺が倒れて子供たちに心配されてもおかしくない年齢である

それがいまだに心配するだけの身分である
本当の孤独が目の前に迫っている
下に弟と妹がいるとはいえ実質他人である
子供3人いまだに独身だ
そして間違いなく3人とも親が生きてる間に結婚しないだろう
そして3人とも負け組のままだろう

両親の人生とは一体なんだったのか?
お前が言うなという話だが本当に気の毒である

ここまで来ても何もしない何もできない俺である
本当にクソみたいな息子である
それにしても本当にきついです
よくみんな乗り越えられるなあと思います
コメント
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