雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

050406 題詠マラソンから

2005-04-06 20:11:55 | 題詠マラソン2005から
012:メガホン メガホンもタオルも空に投げ上げたあの夏の日の一瞬の青(林ゆみ)

 ギラギラと照りつける太陽と真っ青な大空。青春の夏の日の一瞬の輝き。それらを視覚的に見事に切り取っています。
 かつて、ワーズワースの詩から題名を取った『草原の輝き』というエリア・カザンの映画がありました。
 青春の輝きと、青春が終わりその輝きが永遠に去っていった悲しみの両方を描いて、胸に迫るものがありました。
 この歌も、単なる青春賛歌ではないように思います。球場の輝き、グランドの輝き、といったものを感じます。


075:続 留守電の君は己の死を知らずわずかな留守を伝え続ける(丹羽まゆみ)
 
 昨日の「歌の力」(本ブログ)で取り上げた歌人を、その死の直後に恋人が歌った歌でしょう。
 末期癌が発見されてわずか1か月で逝ってしまった歌人の留守電には、故人の声が吹き込まれたまま。それを知っている作者は、その声聴きたさに何度も何度も主の喪われた電話に電話ををかけ続けたのです。
 しかも、吹き込まれた故人の声はしばらくの留守を告げるだけで、永久(とわ)の留守を告げるわけではありません。
 なんと哀切な恋の歌であり、鎮魂の歌でしょうか。
 生と死の織り成す深いドラマを感じます。

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050406 日々歌う

2005-04-06 12:39:49 | 日々歌ふ
ハレの夜の余韻残りし舌先と胃の腑に沁みるケの日の朝餉

赤ひげと甘藷先生が夢の跡訪ねてこころ春にあふるる

周囲をばキブシの花穂(かすい)黄に染めて百花繚乱咲き乱れおり

木蓮も辛夷も朴も百合の木も外国(とつくに)言いしマグノリアとは

木蓮と辛夷の違い改めて脳(なづき)に刻み笑いあいたり

似る花はヤマボウシかと想われどハンカチの木は一糸まとわず

悪童の塀越え遊ぶ荒れ果てた影もなかりし植物園に

ザリガニをスルメで釣りし泥池は清らに澄んで悪童の消ゆ

丸々と太りし鯉にクロワッサンあげると言いし稚気を止めたり

面下げて群れ咲く白き花あればバイモ(貝母)という名教える人あり

友みなと一夜(ひとよ)を遊ぶあしびな(遊び庭)で 小石川なる典雅な店よ

沖縄と古き日本が幸せに出会うあしびな 酒も肴も

沖縄の人かと問えばさにあらずあしびなの主(あるじ)ウチナーを愛す

あしびなは刺身サラダを壷屋にば盛るも似合いし和の空間よ

ウチナーの旋律流れ密やかにうまきしめ鯖あしびなで食む

                          (以上4首は旧作)

携帯に連絡入り声挙げて友は告げたり木村の逝くを
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