【13401】043:馬 夕闇にそこだけ白く馬酔木咲く線路の脇で「またね」を思う(今岡悦子)
夕闇にそこだけ白く馬酔木咲く。おそらく今と遠い春の宵の情景がダブっているのでしょう。線路の脇で思った「またね」は、遠い春の宵にそこで交わされた「またね」。相手は同性の友だちだったのでしょうか、それとも…。
【13381】034:背中 さりげなく流しに立てばほぐれくるその声背中を耳にして聞く(前野真左子)
夫婦喧嘩か親子喧嘩かはわかりません。あるいは夫か子どもかが一方的に怒り狂って怒鳴ったのかもしれません。それをさりげなくかわして流しに立って洗いものでもしていると、しだいに怒鳴り声がほぐれてくる。まだ許してやるものかと背を向けたまま背中を耳にして聞くうちに、しだいに作者の心もほぐれてくる。そうした家族のあいだの微妙な心の動きが、たくみに歌われています。
【13375】068:四 楷書的四つ角の街に出社して草書的三つ角の場所に戻る毎日(望月暢孝)
整然と区画整理されたビル街の職場と、昔の農道をそのままにしたような新興住宅街の住まいとの往復の毎日。そのペーソスを、楷書的四つ角の街と草書的三つ角の場所の往復と表現することで生まれるユーモア。いやあ見事です。
【13324】 025:泳 女学校時代にならひし横泳ぎプールにひとり披露するひと(近藤かすみ)
スポーツクラブなどのプールで、他のみながクロールや平泳ぎで泳ぐ中、年配の女性がひとり日本泳法の横泳ぎ(のし)で悠々と面を上げて泳いでいる姿が目に浮かびます。
軍国主義の時代には早さよりも生き残りの術として学校で日本泳法が教えられました。1950年代まではそれが続いていたのかもしれません。ぼくも中1の海の家で横泳ぎ(のし)と平のしを叩き込まれました。1956年のことです。
子どもとプールに行ったときに、ぼくもひとり横泳ぎで泳いだことがあります。あれもこの歌のように見えていたのでしょうね。