雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

050412 歌の力

2005-04-12 22:21:24 | 歌の力
靴ぬぎてひとりたたずむすすき野のむこうは祖国ふりむけば日本

            (李正子『ふりむけば日本』河出書房新社、1994年)

 「在日」の稀有の歌人李正子(イ・チョンジャ)をみなさんはご存知でしょうか?
 いま、韓国でも中国でも「反日」感情が高まっているという報道が続いています。それに呼応して、インターネットの世界などでは日本の一部の若者たちが、「チョン」だの「ちゃんころ」だのとなんのためらいもなしに書き散らして、反韓・反中国感情をエスカレートさせています。
 李正子さんはどんな気持ちでこの状況を見守っていらっしゃるでしょうか。
 「在日」の小説家や映画監督も、もちろん歌手も(多くは日本名を名乗っているにしても)たくさんいます。しかし、「在日」の歌人となるとほとんどいません。
 たぶん、それは短歌が日本固有の文学形式だからでしょう。「在日」の方々にとって短歌を歌うことは、下手をすれば「親日派」という最悪のレッテルを貼られかねない、そういうジャンルだったのだと思います。
 それに敢然と抗して「在日」女性の真実を短歌で歌い上げた先駆者が、李正子さんでした。
 「在日」は、日本人ではないけれど、もはや韓国国民でも北朝鮮国民でもない「在日」なのです。
 その引き裂かれたアイデンティティを女性の立場から短歌で歌い上げたのが、李正子さんです。
 李正子さんの短歌はぼくたち日本人以上にすぐれて叙情的です。しかし、そこには日本を無条件に前提としたり肯定したりする要素はまるでありません。
 ぼくは自分自身が歌に目覚める前に、別の視点から李正子さんの歌を評価していました。いま歌に目覚め、改めて李正子さんの歌を歌そのものとして受け入れ感動します。
 韓国や中国の人たちにも日本や日本人を十把一絡げにしたり、戦前の軍国主義時代と同一視したりしないように願いますが、同時にぼくたちもそれ以上に韓国・北朝鮮・中国、そして「在日」の人々を同様の単純で愚かなまなざしで見ないようにしたいものです。
 李正子さんの歌やエッセイを読むと、心からそういう思いが湧いてきます。
 
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050412 日々歌う

2005-04-12 17:52:37 | 日々歌ふ
いつのまに丸き桂葉(かつらば)やさしくも汚れた街を彩りにけり

桂皮から肉桂・シナモン生まるるを知らずに葉のみ好み来たりき

濃淡を雨に深めて新緑の欅・楠(くすのき)連なる巨木
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