雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

髭彦閑話45「ふるさと福島の原発危機」⑦

2011-04-22 19:48:58 | 髭彦閑話

4月7日(木)

(12:00)
目当ての小泉淳作の襖絵はもちろん、早咲きの枝垂桜を中心に天候に恵まれた奈良の春を眼に焼き付けてきました。
原発危機はさらに深刻化しているようで、不安です。

(12:38)
setuさん。
昨日今日、突然、原子炉格納容器への窒素投入が、なにか自明であるかのように報道されていますが、それはまさに格納容器が水素爆発を起こしかねない危機=破局が迫っていればこそのはず。
政府や東電、そしてマスコミも、これまでいっさいそうした危機=破局の可能性や実態を国民に知らせてきませんでした。
もしそうした破局に至ったらと思うと背筋が寒くなりますが、そうならないことを祈るしかできません。
仮に破局を何とか回避できたとしても、その後の冷温化、廃炉、膨大な使用済み核燃料の始末などの困難を考えれば、もはや故郷の桜を含めた再生は、恐らく何十年の単位でしかありえないのではないかと、深く危惧せざるを得ません。

(12:52)
―<公開されし小泉淳作の東大寺襖絵を訪ねて>
核襲ふ春にぞ訪へば<千年の桜>咲きゐぬ古都の御寺に

(23:26)
akopennさん、はじめまして。
僕たちが襖絵を観たのは、6日でした。
前日5日の10時に本坊に着いたときには既に数百人の列ができており、30分ほど待って切符を買ったものの、中に入る行列は動く気配もなく、あきらめて翌6日の一番で観ることにしたのです。
蓮の襖絵もさることながら、桜の襖絵はパンダ見物状態の人の流れの後ろで背伸びをしながら、眼に焼き付けるまで観続けました。
行ってよかったと、心から思いました。
akopennさんは、僕たちが観終わって本坊を出た後に行列の中にいらしたのですね。

―<曽祖父半谷清寿(はんがい・せいじゆ)が植え初めし染井吉野の名所となるみちのくの故郷を思ひて>
夜(よ)の森の花の下にて春死なむそのふるさとの望月のころ

これは1年前の拙歌ですが、僕が6歳まで生まれ育った、福島第1原発から7キロの福島県双葉郡富岡町夜ノ森の桜並木を歌ったものです。
小泉淳作の「千年の桜」を観ながら、故郷のもはや観る人もない桜を想っていました。


4月8日(金)

(17:09)
S従兄さんや他の親戚の状況、了解しました。
誰もいのちに別条がなかったのがせめてもの救いですね。
お疲れ様。
ただし、原発の危機は益々深刻化していくようで、みんなが故郷に戻れる日が果たして来るのかどうか。
本当にとんでもないことになりました。

(23:57)
核武装ねらふ輩の列島に原発つくる暗き歴史の

4月9日(土)

(11:17)
散り初めし桜の花の舞ふ空に核の雨降る核の雨ふる

野馬追の祭りも消えしみちのくの核の荒野に馬らさまよふ

(16:09)
setuさん。
吉井議員の指摘は3.11以後に知りました。
国会での追及も含めて実に鋭い指摘であり、これを無視した東電と政府、官僚、御用学者たち、そしてマスコミは、万死に値します。
ただ、吉井議員の属する政党が原子力の「軍事利用」には反対しても「平和利用」には賛成してきた歴史が、完全には清算されていないように見えます。
明日に迫った都知事選でも、「原発推進」論者の権力亡者の圧倒的優勢が伝えられて、「脱原発」を訴え始めたように見えるK候補の訴えは、残念ながら都民に浸透しているようには見えません。
もっと早くから、ソ連や中国の核開発を防衛的なものとしたかつての決定的な誤りとも連動した、原子力の「平和利用」の肯定路線と決別していれば、局面は違っていたかもしれないと思います。
あの危険な権力亡者の退場を見る絶好の機会であっただけに、残念です。


4月10日(日)

(19:14)
O田くん、メールありがとうございました。
朝から富士霊園に義父の墓参りに出かけていたので、返事が遅れました。
原発危機は依然として深刻さの度合いを深めながら継続していますが、東京は桜が満開です。
上京される頃にはもう葉桜になっているでしょうが、原発危機の破局回避への光明が見出されていることを願います。
A山くんからも17日ごろには会えそうだという連絡がありました。
よろしければ、18日(月)に皆さんで我が家にいらっしゃいませんか?
S崎くん、A山くんもご都合をお聞かせください。
よろしくお願いします。

(23:11)
咲き満つる都の花も汚れゐむふるさと放つ見えざる核に

国荒み山河は破れふるさとを人の追はれぬ着の身着のまま

誰がための原発なりき根こそぎにいのちくらしを危機に追ひやり

(23:59)
胸が痛み、暗雲が…。

国荒み山河は破れふるさとを人の追はれぬ着の身着のまま
誰がための原発なりき根こそぎにいのちくらしを危機に追ひやり

そこに、差別主義・我欲の権化が4選の追い討ち。
有象無象に代る確かな選択肢を示しえる人も組織も、未だまるでないということですね。
同時に、尊敬する石橋湛山が山県有朋の死に際して「死もまた社会奉仕」と喝破したことが、思い起こされます。


4月11日(月)

(0:13)
akopennさん。
小泉淳作の仕事と較べて、今やFUKUSHIMA DAIICHIとして世界中に知られるようになった原発と、果たしてどちらが日本と世界の人々の幸福に寄与するかは、もはや明々白々となりました。
僕は原発に代表される日本ではなく、小泉淳作に代表されるような日本を誇りに思います。

(11:51)
N田さん
連絡をしないうちにメールをいただき、すみません。
3月のIさんの別荘行きは楽しかったようですね。
僕の奈良行きも、天候に恵まれ、小泉淳作の東大寺襖絵も観、氷室神社や大和郡山城跡の早咲きの枝垂桜を仰ぎ、今井町の江戸の街並や奈良町の散策を楽しんできましたが、東京に帰るとやはり「啓蟄」未だモードになってしまいます。
加えてあの醜悪な権力亡者の4選。
意気があがりません。
写真も撮ってきたのですが、なんとかブログにアップしたいと思いつつ、まだ整理が出来ていません。
秩父の桜はいつごろが見ごろですか?
今のところ、14日(木)、18日(月)以外は予定はありません。
原発で最悪の水素爆発や水蒸気爆発でも起こらないかぎり、「啓蟄」をしたいと思うので、よろしく。
芭蕉本、いよいよ完成とのこと。
おめでとうございます。
お祝いをぜひしましょう。
日取りなどはいずれまた。
では。

(12:09)
曽祖父が野馬追祭りの復興に深く関わったことは聞いていましたが、文献上では確認できないのでオーラルヒストリーは貴重です。
僕も35年前に、一度だけ観ました。
すでに農耕馬だけでは足らなくなっていて、サラブレッドも混じっており、まるで似合っていませんでした。
その馬たちも、核の荒野をさまよい、あるいは厩舎の中で死に追いやられつつあるようです。

(12:29)
setuさん。
都知事選は、予想通りの最悪の結果になってしまいました。
わが家は『東京』(僕)と『朝日』(つれあい)を取っていますが、原発報道に関しても断然『東京』のほうが良心的です。
社説は依然として<より安全な原発>路線を越えていませんが、特に「こちら特報部」は<脱原発>路線に踏み込んでいるように思います。
昨日の見開き2ページの小出裕章特集は見事でした。
小出さんたちにはむろん遠く及びませんが、僕も同様の志を保ち、一社会科教師としての人生を送って来たことを、改めて誇りに思っています。

(12:45)
ひと月のはや去りたれど核危機の未だ去らずも人智及ばず

                  *

古都にまで核の汚染は及びしか異国の客の影ぞ少なき

早咲きの枝垂桜を仰ぎつつ核なき春を吾ら偲びぬ

橿原の今井町こそかなしけれ宗久の夢江戸の街並


4月12日(火)

(12:08)
―<福島原発事故の最悪「レベル7」評価へ引き上げの報に>
はるかなるチェルノブイリの忍び寄りつひに並びぬわがフクシマに

けふ搾りあす搾りしてただ棄つる乳の白さよ牛飼ふ人よ

(14:02)
原発危機は、原子力<安全>委員会・<保安>院によって「レベル7」のチェルノブイリ級評価に引き上げられました。
さらにこの後、もし水素爆発や水蒸気爆発などの最悪の破局が起これば、チェルノブイリをさえ超える核汚染が東日本全体を覆ってしまいます。
そうなれば、桜並木をはじめとする曽祖父の足跡はむろんのこと、ふるさとそのものが無人の荒れ地と化すことになってしまいます。

昨日の報道で、埼玉県に避難した富岡町の人たちが幸手市の権現堂堤の花見に招かれたそうですが、その中の桜に富岡町から贈られたものがあるということを知りました。
僕も去年、初めて訪れて、下の写真を撮りました。まさかその中に、曽祖父が夜ノ森に植えた桜の子孫があるなどと夢にも思いませんでした。
破局にまでは至らないとしても、僕たちが夜ノ森の桜を観ることはもう二度とできないでしょうが、その子孫を権現堂堤の菜の花畑の上に観ることができると知ったのは、せめてもの救いでした。
富岡から避難した故郷の人たちも、きっと感無量だったことでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/nazohige/e/efbf9e56cc3dc8765da82828cc0f61d6

(18:30)
塩谷喜雄「「東電亡国論」の現実味」は必読!
東電と経済産業省(原子力安全・保安院)という利益共同体の暴走を即刻止めないと、日本が沈んでゆく

(22:51)
Eくん
文字通りの多忙の中、メールありがとう。
返事が遅れて、すみません。
KくんとはFacebookで「友達」になっているので、父君が当選インタビューで「脱原発」を明言されたことを含めて、「おめでとう」と伝えました。
生まれ故郷がFUKUSHIMA DAIICHIから7キロなので、3.11以来、生活すべてが原発危機を中心に回らざるを得ない心境です。
TVを含めたマスコミ(の上層部)は、これまで東電を中核とする「原子力村」にどれだけ組み込まれ、「安全神話」を形成するのを助けて来たか、それがこれから厳しく問われなければならないと思います。
次に会ったときには、そうしたことも議論しましょう。
そのためにも、「レベル7」の原発危機がチェルノブイリを超えずに終息しうる光明の見えることを、心底から願うばかりです。
Hさんにもよろしくお伝えください。

(23:56)
M丸くん
メールありがとう。
陸前高田の博物館の惨状の写真に、息を呑みました。
ふるさと発の原発危機も一向に収まる気配はなく、チェルノブイリに追いつき追い越せの不気味な様相を益々呈してきました。
自然と文化を犠牲に経済大国にのし上がったツケと毒が、一挙に押し寄せてきた感があります。
僕自身は、そうした流れに棹差すことはして来ませんでしたが、それを食い止めることもできずに、その恩恵を少なからず享受してきました。
その挙句が、生まれ故郷が核の荒野になり、さらに東日本全体を核の恐怖に巻き込みかねない現下の事態です。
何とかこの<原発大震災>が破局に至らずに済み、一献傾けることができる日の近いことを願うばかりです。
健闘を祈ります。


4月13日(水)

(0:14)
Iくん
メールありがとう。
返事が遅くなってすみません。
小出裕章さんたちにははるかに遠く及びませんが、僕も彼らと同様の志を持って40年の教員生活を送ってきました。
ですから、今回のふるさと発の原発危機に際して、小出さんたちの存在と長年にわたる真摯な研究に基づく主張を知り、心から共感し、信頼できたのです。
であればなおさらのこと、現在進行中の原発危機の深刻さを片時も忘れることができません。
この危機は果たして終息するのか、終息するとすればいつ終息するのか、まったくわかりません。
今は、何とか破局に至らぬことを祈るばかりです。
もしその日が来たら、また一献傾けましょう。

(10:45)
核をもて追はるる酷きかなしみをふるさと人の永久に強ひらる

阿武隈と太平洋の狭間なるふるさと滅ぶ核に侵され

―<フジサンケイグループ、「地球環境大賞」を東電への報に>
冗談の黒々深し東電に「地球環境大賞」授与と

(13:03)
小高の曽祖父の墓は、僕は訪ねたことがありません。
夜ノ森の祖父の墓は無事だとしても、もう誰も近づくことはできませんね。
近くの常磐線夜ノ森駅は、かなり以前から駅員のいない「無人駅」になっていましたが、これからは乗客もいない文字通りの「無人駅」となります。
祖父が植え始めた駅の両斜面を埋め尽くすツツジも、もう見る人も世話をする人もいなくなります。
何ということになってしまったのでしょうか。

(15:14)
setuさん。
小出さんについては、「小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ―京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏による情報」という、素晴らしい情報サイトを作ってくださった方がいます。
ぜひご参照ください。
小出さんたちと比べものには到底なりませんが、小さな職場でそれなりに筋を通して生きてきたという、多少の自負はあります。
「髭彦閑話18 一教師として生きて」
退職時に書いた上の拙文をお読みいただければ幸いです。
鈴木安蔵さんは短歌だけでなく、俳句もひねっていたのですね。
埴谷島尾記念文学資料館の資料の無事を祈ります。
島尾敏雄さんの父君と僕の曽祖父は深いつながりがあったので、一度訪ねたいと思っていた資料館でした。
建物は被災したのでしょうか。

(17:56)
N田さん
メールありがとうございます。
レベル7、原発周囲20キロは20年は住めない(菅)、などのニュースにめげていますが、せっかくの週末のお誘いに乗って秩父へ行きたいなと思い、天気予報を見たら秩父は木曜・金曜が晴れで、その後はずっと雨か曇りですね。
N田さんは天気が悪くても行くんでしょう?
どうしようかな。

(22:05)
S崎くん
18日、お待ちしています。
いろいろ大変な状況ですが、旧交を温めましょう。

(22:11)
N田さん
秩父にせっかく行くなら好天の時にと思うので、天気予報をにらみながら来週の火曜日以降をねらいます。
よろしく!


コメント (10)
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髭彦閑話44「ふるさと福島の原発危機」⑥

2011-04-12 16:25:32 | 髭彦閑話

3月29日(火)

(1:00)
速報!
「福島第1原発敷地内からプルトニウム検出」
東京電力は福島第1原発敷地内の土壌からプルトニウム検出と発表。核燃料から放出の可能性がある。 2011/03/28 23:54 【共同通信】

(12:02)
ヒロシマとナガサキに次ぐフクシマへ日々なり行きぬわが故郷は

ノーモアの叫びにつづきフクシマと呼ばるる声のはや谺せり

(12:24)
佐平次さん、日々大変な事態になってゆきますね…。
不安です。


3月30日(水)

(0:27)
「想定外」という言説に関する『毎日』記者の自己批判

(16:25)
K山さん、(サイエンス・メディア・センター (Science Media Centre of Japan) の公式サイトへの)津田敏秀氏の投稿は良心的だと思いますが、22日に投稿されている山下俊一氏のは信用できません。
序でに、28日、国立がん研究センターの嘉山孝正理事長が緊急記者会見して「健康被害なし」と言いましたが、これも怪しいですね。

(18:13)
ポスターに<うつくしま>とふ大いなる文字の踊る日ふたたび来るや

(19:16)
O西さま
ご親切なメール、ありがとうございます。
地震に関しては、何も直接の被害はありませんでした。
買いだめもしていませんが、特に不自由はありません。
僕の故郷が第1原発から3キロのところですので、そちらの深刻な事態に心を痛める日々を送っています。
なんとか破局を回避できればと願うばかりです。
ありがとうございました。
お元気で。


3月31日(木)

(20:04)
桜花な咲きそ咲きそ住む民の核に追はれし吾がふるさとに


4月1日(金)

(10:59)
N野さん、この前は野田マップで久しぶりでしたね。でも、その後の野田秀樹の行動(AERAへの執筆拒否)に幻滅。なんだ、その程度だったのかと。

(16:18)
setuさん、こんにちは。
僕の曽祖父や祖母の生まれた小高町は、setuさんのご縁のある憲法学者鈴木安蔵や、小説家埴谷雄高・島尾敏雄などの故郷でもありますが、原町市と合併して南相馬市の小高地区になっています。
海岸線ほどではありませんが、津波と原発事故で僕の親戚もすべて被災して避難生活を余儀なくされています。
僕の生まれ故郷はさらに第1原発に近い富岡町夜ノ森です。
原発事故は以前から心配はしていましたが、ついに現実となってしまい、日々深刻な放射能拡散が続き、水蒸気爆発などの破局を回避できるかどうかも未だに不明です。
いずれにせよ、日本と世界の歴史に<3.11>が刻まれることは確実でしょう。
<3.11以降>を生きる構想力と決断が必要です。
必要は発明の母といいますが、そうした高い知性と行動力を持った若い人たちが登場してくれることを信じたいものです。
敗戦時の鈴木安蔵のように。

(16:55)
―<「沖縄のガンジー」と呼ばれし阿波根昌鴻の至言を想ひて>
沖縄の偉人のかつて喝破せり核持つ国は核にて滅ぶと

(23:54)
ついに元日本原子力学会長ら、メルトダウンの警告!1~3号機の「燃料の一部が溶けて、原子炉圧力容器下部にたまっている。現在の応急的な冷却では、圧力容器の壁を熱で溶かし、突き破ってしまう」と警告。

4月2日(土)

(16:45)
列島に大海原に故郷ゆ核の汚染のけふも拡がる

               *

「原発事故、国内の経験総動員を…専門家らが提言」 
福島第一原子力発電所の事故を受け、日本の原子力研究を担ってきた専門家が1日、「状況はかなり深刻で、広範な放射能汚染の可能性を排除できない。国内の知識・経験を総動員する必要がある」として、原子力災害対策特別措置法に基づいて、国と自治体、産業界、研究機関が一体となって緊急事態に対処することを求める提言を発表した。
 田中俊一・元日本原子力学会長をはじめ、松浦祥次郎・元原子力安全委員長、石野栞(しおり)・東京大名誉教授ら16人。
 同原発1~3号機について田中氏らは「燃料の一部が溶けて、原子炉圧力容器下部にたまっている。現在の応急的な冷却では、圧力容器の壁を熱で溶かし、突き破ってしまう」(=これこそ<メルトダウン>!―髭彦)と警告。また、3基の原子炉内に残る燃料は、チェルノブイリ原発事故をはるかに上回る放射能があり、それをすべて封じ込める必要があると指摘した。 一方、松浦氏は「原子力工学を最初に専攻した世代として、利益が大きいと思って、原子力利用を推進してきた。(今回のような事故について)考えを突き詰め、問題解決の方法を考えなかった」と陳謝した。
(2011年4月2日01時42分 読売新聞)

これまで原発を推進してきた専門家の中心にいた人たちから、止むにやまれぬ真摯な反省と自責の念に基づく緊急提言がされました。
なぜか、この極めて重要な提言がほとんど報道されていません。
特に、<チェルノブイリ>をはるかに上回る放射能拡散を生じる<メルトダウン>の危険性を指摘したことは、読売だけしか報道していません。
記者たちもデスクもその意義を理解できなかったからでしょうか。
朝日の朝刊などは一行も報道していませんでした。
したがって、ほとんどの国民はこの緊急提言と、その背景になっている原発危機の深刻さを知らないのではないかと、恐れます。

(17:00)
setuさん、まずは、現在も悪い方へと進行している原発危機が、破局的な事態にならないことを願うばかりですね。


4月3日(日)

(14:39)
芙蓉さん、ありがとうございます。
故郷がこのような形で壊滅するとは、悪夢のようです。
さらに大きな災害にならないことを祈るばかりです。

(14:40)
佐平次さん、僕もTBをさせていただきました。
事態はますます深刻化していて、不安です。

(22:15)
核までを儲け出世に利用せし輩とわれら落ちゆく先は

(23:37)
小泉淳作の東大寺襖絵を観に、2泊3日で奈良へ行ってきます.

3.11以降、世界が変わってしまいました。
東北地方を襲った未曾有の大地震と大津波に追い討ちをかけた未曾有の原発事故は、僕が6歳まで生まれ育った福島県双葉郡富岡町夜ノ森から3キロほどの太平洋岸で起こり、今やスリーマイル島事故を超えてチェルノブイリ事故に迫り、さらにそれを超えようとさえしています。
根っからの原発推進論者で醜悪・無恥な権力欲の権化=石原某などに<花見自粛>を命令される謂れは毛頭ありませんが、膨大な被災者や原発危機の深刻さを思うとのんきに花見をする気持ちになれないのも事実です。
しかし、この1月末にNHK「日曜美術館」で観て魂を奪われた小泉淳作の、桜の花を描いた東大寺の襖絵が公開されるというので、明日から吾妹と2泊3日で奈良に行くことにしていました。
迷いがなかったわけではありませんが、やはり行くことにしました。
僕の曽祖父と祖父が植え始めた染井吉野が、今は核のゴーストタウンと化したふるさと夜ノ森の街を、いつもであればあと半月後に埋め尽くします。
今年はむろん観る人は誰もいません。
その桜の花を僕が観ることも、恐らくもう二度とないでしょう。
初めて桜の花を描いたという小泉淳作は、その襖絵を「千年の後の人に観てもらいたい」と語っていました。
核の荒野に乱れ咲くであろう故郷の桜の代わりに、せめて巨匠の描いた「千年の桜」を観て来たいと思ったのです。
                                *
―<「千年の花を咲かせたい~小泉淳作・東大寺ふすま絵に挑む~」(1/23NHK「日曜美術館」)を観て>
八十路にて<花の下にて春死なん>画家は描きぬその情景を
桜花をば初めて描く日本画の巨匠に打たる八十路半ばの
対象と己を超えて咲かせけり巨匠のつひに千年の花を
(110123日々歌ふ)


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髭彦閑話43「ふるさと福島の原発危機」⑤

2011-04-08 17:08:07 | 髭彦閑話

3月25日(金)

(10:46)
すでにしてチェルノブイリに次ぐといふ故郷覆ふ核の汚染は

(12:37)
塩谷喜雄「未曾有の震災が暴いた未曾有の「原発無責任体制」」(3/17)
科学ジャーナリスト・塩谷喜雄氏の、実に的確・明晰な2論説。
これは必読だと思う。
塩谷喜雄氏の経歴は、「1946年生れ。東北大学理学部卒業後、71年日本経済新聞社入社。科学技術部次長などを経て、97年より論説委員。コラム「春秋」「中外時評」などを担当した」という。

(21:19)
13歳のタレントが「批難覚悟で・・・・」書いているブログ。
これこそ、原発危機版「裸の王様」!


3月26日(土)

N田さん
メール拝見。
ふるさとの原発危機の深刻さが次第に明らかになりつつあるので、心が晴れません。
3.11以降、ジョギングも14日に一度ちょっと走っただけで、もう10日以上やっていないので、体が<O和さん化>しつつあります。
見沼行きも2週連続中止にしてもらいました。
外出も、19日以外は23日に北大に合格した卒業生2人たちと新大久保にサムゲッタンを食べに行ったのと、昨日、昼飯を例の長寿庵に食べに行き、その帰りに六義園に寄っただけです。
写真も久々に撮りました。
原発危機は僕がどれだけ心配してもどうこうなるわけではないのですが、すべてを捨てて避難を余儀なくされ、いつ故郷に帰れるかもわからなくなってしまった親戚の人たちをはじめとする、膨大な被災者・避難民の人たちことを考えると、のんきに遊んでいていいのかという気持ちをどうしても捨て切れません。
どこかで区切りをつけて日常生活に戻らなければと思うのですが、正直なところ、まだできていません。
というわけで、「啓蟄」のお誘いは大変うれしいのですが、僕はもう少し土の中にこもって春を待ちたいと思います。
4月4日~6日に、つれあいと奈良に行くことになっています。
小泉淳作の東大寺の襖絵が公開されるのを見がてら、花見をするつもりで前から計画していたものです。
宿も取ってあるので、原発危機がとんでもないことにならないかぎり、これは何とか行くつもりでいます。
そういう訳ですので、とても残念ですが3月の旅は僕を除いてお願いします。
原発危機回避の目途が立って、また共に旅が楽しめるようになることを願うばかりです。

(15:49)
石橋克彦「私の考え―2011年東北地方太平洋沖地震による「原発震災」について―」
1997年から「原発震災」という先駆的な概念を提唱し、警鐘を鳴らしてきた、地震学者石橋克彦(神戸大学名誉教授)の必読論稿

(15:50)
秋冬に劣らず春もおそろしき季節とならむ核の襲へば

(22:50)
H野さま
メール、海城の方から転送してもらい拝見しました。
当日、大変なご苦労をなさったようですね。
その後のご無事をお祈りします。
広瀬隆のはネットで見ました。
実は、僕が6歳まで生まれ育った故郷が福島第1原発から3キロのところで、従兄たちや親戚はすべて避難を余儀なくされています。
ゴーストタウンとなった故郷を思って、なおのこと心の痛む日々を送っています。
なんとか最悪の破局だけは回避できるようにと、願うばかりです。
6年前から始めたブログにその辺のことも載せていますので、覗いていただければ幸いです。
くれぐれもご自愛のほどをお祈りします。
ありがとうございました。

(23:04)
K谷くん、こんばんは。
メール、ありがとう。
卒業式、花を副えましたね。
ユーモアと真情が一体となって、すばらしい企画でした。
K谷くんも実に堂々と立派でしたよ。
僕もお役に立ててうれしかったです。
受験の方は残念だったような話も伝わってきましたが、もしそうだとしてもK谷くんなら1年まじめに頑張れば希望の大学に必ず入れます。
もしスランプに陥るようなときがあれば、一声かけてください。
新大久保でディープな韓国料理でもご馳走してあげます。
健闘を祈ります。


3月27日(日)

(10:24)
2号機で原子炉内の1000万倍!の放射能。東電は、3号機のプルトニウ漏洩を検査もしていなければ、そもそも検査器機自体を持っていない!!
「非情な政府です(悲)」小出裕章・京大原子炉 全文聞き起こし3月25日たねまきジャーナル(毎日放送ラジオ)

(15:20)
今中哲二氏「福島県飯舘村のセシウム137による土壌汚染レベルの推定」 
チェルノブイリ原発事故の当初の強制移住レベルの2倍以上
 1990年にベラルーシ最高会議が決定した強制移住レベルの約6倍
 政府は:速やかに住民の避難区域を拡大すること。とりわけ妊婦・乳幼児の避難を。 汚染に関する詳細な情報を公表すること

(15:53)
勝間和代の<妄言>を理解するために。
今中哲二氏「チェルノブイリ事故による死者の数」(2006年)
「最終的な死者の数は10 万人から20 万人くらい、そのうち半分が放射線
被曝によるもので、残りは事故の間接的な影響」

(19:18)
―<京都大学原子炉実験所助教・今中哲二氏と小出裕章氏に捧ぐ>

原発の危険を究め四十年 偉き人らは未だ<助教>と

傾けよ今こそ異端の助教らにわれらが耳を危機の最中に

                   *

日本の国民が今の原発危機で耳を傾けるべきは、広瀬隆氏や武田邦彦氏などではなく、小出裕章氏・今中哲二氏(京大原子炉研究所助教)だと思います。
「なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち」(毎日放送、2008年放映)を、ぜひぜひご覧ください。

(23:46)
なみへいさん、僕の生まれ故郷の富岡町夜ノ森は双葉町の隣町です。
これまでの日常をすべて失って、いつ再び故郷に帰ることができるかも分からず、原発危機のいっそうの深刻化を異郷で知らされる方々。
しかも、身内で今なお第1原発で決死の作業に当たっていらっしゃる方もあると聞いています。
すでに大量の放射能拡散があり、それを押しとどめることができるのかどうか、固唾を呑む毎日です。


3月28日(月)

(9:35)
放射能汚染のホットスポットになっている飯舘村に、今中哲二氏らが今日・明日調査に入るそうです。

(16:53)
決死の作業をしている現場の人たちに対して、食事も毛布もちゃんと供給していないとは!
「第1原発に作業員450人=食事は1日2回、雑魚寝状態-福島」

(17:39)
駅は残っても、いわき市の中で最も壊滅的な被害を蒙ったのは久ノ浜のようですね。
そこに原発事故が追い討ちをかけました。
A宮の親戚が無事だったのは、何よりでしたね。

(23:10)
原発に官産学の<村>ありて利権・出世を貪り来る


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髭彦閑話42「ふるさと福島の原発危機」④

2011-04-07 19:20:36 | 髭彦閑話

3月21日(月)つづき

(22:47)
T澤くん
Y田くん
新大久保でポーシンタンを食べる会を、O本くんを含めてやりましょう。
3人で相談をして、今週の24日(木)以外の昼間で都合のいい日を決めて、連絡してください。
原発危機がとんでもないことにならないかぎり、決行しましょう。
よろしく。
楽しみにしています。


3月22日(火)

(10:45)
O野さん
お見舞いのメール、ありがとうございました。
たいへん懐かしく拝見しました。
お元気でいらっしゃるようで、なによりです。
故郷に僕たちの祖父なども積極的に協力して作ってしまった原発が、結局は大事故を引き起こし、故郷の一帯をゴーストタウンにしてしまい、さらに大規模な破局を避けられるかどうかの瀬戸際が続いていることに、胸を痛め続けています。
何とか最悪の破局にならないことを祈っていますが、従兄たちが富岡町に帰って元のような暮らしがいつできるようになるのか、とても不安です。
父母や兄の墓所のあるいわき市もゴーストタウン化しているようですし、常磐線も不通で様子を見に行くことさえ当分できないでしょう。
日立などもかなりの被害を蒙ったのでしょうね。
仙台も含めて、被災されたお知りあいの方々や顧客の方々も多かったとか。
胸が痛みます。
ともあれ、ご親切なお見舞い、改めてありがとうございました。
どうぞお元気でお過ごしください。

(12:14)
F本さん
メールありがとうございました。
ご自宅の被害、大変だったようですね。
僕自身は被害ゼロでしたが、6歳まで生まれ育った故郷が福島第1原発から3キロのところだったので、従兄たちは避難を余儀なくされ、辺り一帯はいまやゴーストタウンとなっています。
さらに、最悪の破局への可能性も未だに残されているので、たいへん心の痛む日々を過ごしています。
ところで、添付された貴君の法律事務所での学習会レポートだという、「歴史にイフは? 日清戦争から維新・幕末へ―日本近現代史をめぐって」を拝読しました。
力作ですね。
法律家のF本さんが、歴史学のきわめて先端的な問題をここまで深く勉強され、考えていられるのに敬意を表します。
かつての拙論と僕自身について過分の引用と評価もあり、恐縮しました。
事務所の後輩の弁護士さんたちに、大きな歴史の選択肢という観点から第九条の問題を捉え直してもらう、良いきっかけになるのではないでしょうか。
いっそうのご健闘を祈ります。

(14:51)
「東電は事故発生時後、廃炉の方針で対処を考えた」という郡山市長のNHKインタビューは確認できませんでしたが、3/18産経ニュースの報道によれば、事実関係は逆であるように思います。
<3/11>
 「まず、安全措置として10キロ圏内の住民らを避難させる。真水では足りないだろうから海水を使ってでも炉内を冷却させることだ」
 首相の意向は東電に伝えられた。
 だが、東電側の反応は首相の思惑と異なっていた。
 10キロの避難指示という首相の想定に対しては「そこまでの心配は要らない」。海水の注入には「炉が使い物にならなくなる」と激しく抵抗したのだ。
 首相も一転、事態の推移を見守ることにした。東電の“安全宣言”をひとまず信じ、当初は3キロ圏内の避難指示から始めるなど自らの「勘」は封印した。
 ところが、第1原発の状況は改善されず、海水注入の作業も12日午後になって徐々に始めたが、後の祭りだった。建屋の爆発や燃料棒露出と続き、放射能漏れが現実のものとなった。
<3/15>
 15日早朝、東電本店(東京・内幸町)に乗り込んだ首相は東電幹部らを「覚悟を決めてください」と恫喝した。直前に東電側が「第1原発が危険な状況にあり、手に負えなくなった」として現場の社員全員を撤退させたがっているとの話を聞いていたからだ。
 「テレビで爆発が放映されているのに官邸には1時間連絡がなかった」
 「撤退したとき、東電は百パーセントつぶれます」
 会場の外にまで響いた首相の怒声は、蓄積していた東電への不信と初動でしくじった後悔の念を爆発させたものだ。官邸に戻った後も「東電のばか野郎が!」と怒鳴り散らし、職員らを震え上がらせたという。

(17:35)
T澤くん
Y田くん
O本くん
では、明日1時に新大久保駅でということにしましょう。
案内する店は、ソウルの下町にあるような店で、若い韓国人客で繁盛しています。
12時前後だと席が取れないかもしれないので、1時過ぎの方が安全でしょう。
Y田くんとO本くんは、ポーシンタンがどうしてもという場合は、サムゲッタンという若鶏の鍋があるから心配はいりませんよ。
ははは!
O本くんにも転送してあげてください。
では、明日。

(19:24)
生コンクリート圧送機は、チェルノブイリ原発事故のあとの石棺作りに使われたものと同型のものだそうです。
これが生コンを注入するような事態にならないことだけを、心底から願います。
相変わらずNHKでは、関村某などの東大教授たちが危機感のない解説をしたり顔で続けていますが、東大の原子力学科というのは元来原発推進の人材を作るために創設されたものだと聞けば、彼らの鉄面皮な御用学者ぶりもなるほどと思います。
東電の原子力担当のトップだという副社長の武藤某も、東大の原子力学科卆の秀才だそうです。
「保安院」の西山某に至っては、呆れたことに原子力の専門家でもなんでもなく、東大法学部卒の通産省の文系官僚がごく最近「保安院」の幹部に抜擢されたばかりなのだそうです。
現下の原発危機を救えるとしたら、間違いなくこの連中や菅以下の政治家連中ではなく、原発を現場で知悉している東電関連の技術者や職員、放射能事故対策の訓練を受けてきた自衛隊や消防庁の専門家たちの、決死の犠牲的行動だけでしょう。
申し訳ない気持ちでいっぱいですが、今しばらくはこの人たちの気高い行動に日本の将来を委ねたいと思います。

(22:21)
牛乳もハウレン草も飲み水も見えざる毒のはや冒したり

主去る核の荒れ野に遺されし犬猫あまたあはれあはれよ

(23:59)
東電は、すでに史上最悪の環境破壊企業に成り果てました。
ふるさとの人々はもちろん、取り残された犬猫や家畜、そして丹精された作物、すべてのいのちを脅かし、死と病に追いやりつつあります。
その東電とつるんで来た政治は、政権交代によっても結局は何も変わらなかったということでしょうか。
その最も過酷な犠牲者が、<「屋内退避」圏>で<想定外の「孤島」化に苦しんでいる>方々かもしれませんね。
胸が痛みます。


3月23日(水)

(0:11)
自衛隊は、「剣を鋤に、槍を刈り取り鎌に」変え、全面的に内外の災害救助組織になってくれれば、隊員にとっても、もちろん国民にとっても、そして他国民にとっても、どんなにか安心でしょう。
あの過酷な状況で決死の活動をしてくれている自衛官の方々を思うと、そう思わざるを得ません。

(23:12)
ヒバクシヤに乳児なりゆく東京の飲み水つひに核に侵され

(23:42)
O本くん
今日は会えてうれしかったです。
少し遠くなりますが、これからも時々会いましょう。
次に東京で会うときには、ポーシンタンをご馳走します。
いっそうの成長と活躍を期待しています。


3月24日(木)

(10:37)
Y田くん
昨日は君たちに会えて、とても楽しかったです。
ポーシンタンをご馳走できなかったのが残念でした。
よければ、Y田くんにはその内ご馳走しましょう。
原発危機は依然として続き、放射能被害も益々広がる勢いですが、負けずに新生活に向ってスタートを切ってください。
また会いましょう。

(10:47)
Y田さま
ご丁寧なメール、ありがとうございました。
老人の引退教師を忘れずに声をかけてくれるY田くんたちに、僕の方が感謝したい気持ちです。
せっかくの希望に満ちた新生活の出発がとんでもない時期に当たってしまい可愛そうですが、これも人生、負けずに頑張ってスタートを切って欲しいと願わずにはいられません。
T沢くんとO本くんは北海道に行ってしまいますが、Sくんとはいつでもまた会えると思いますので、楽しみです。
原発危機の被害拡大が心配ですが、どうぞご無事にお過ごしくださいますよう。

(10:56)
教えることなど僕にはもちろんできませんが、核と人間の共存はやはり不可能なのだということを、これを機に本気で肝に銘じ、これからの社会生活のあり方を全面的に再構想してゆく必要があるのではないかと、思っています。

(11:57)
今日の報道によると、第1原発からは、すでにチェルノブイリ事故の3分の1の放射性ヨウ素が飛散した可能性があるということです。
セシウムについても当然同じことでしょう。
東京周辺にも汚染は広がってきていますが、30キロ以内はおそらく相当な汚染度のはずです。
やむにやまれず残っている方々、戻って来られる方々の安全が心配です。

(12:40)
権力者たちには、「天罰」だとか「処分」だなどと暴言を吐いているだけでなく、内心では自分の地位の延命の絶好の好機(=「天佑」)だと思っていそうな輩や、どうやったら自分の責任を回避できるかにのみ腐心している輩、現場の自衛官の気高い犠牲的な行動を、改憲による自衛隊の国軍化の絶好の機会到来に利用しようとしている輩などの有象無象がいることを、残念ながら僕たちは忘れるべきではないでしょう。
未曾有の国難に際して日本人が一つになろうというのは、あくまで一般の国民レベルの話での願望で、政界・財界・(自衛隊を含む)官僚機構・マスコミなどの上層部連中に対して必要なのは、信頼ではなく不信であり、国民の安全を守って行動させるようきびしく批判・監視することでしょう。
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」というアクトンの至言は、現下の危機においても変わることはありません。
徒に不安を煽るようなデマや根拠のない情報を流すことはもちろん犯罪的ですが、だからといって、これまで安全神話をふりかざして原発を推進し、その批判を封じてきた各界の権力者連中を信頼するのは、きわめて危険です。
責任追及はすべてが終わってからでいいにしても、彼らに対する不信と批判は片時も忘れるわけにはいきません。
なによりも平和と民主主義を愛する一国民として、僕はそう確信しています。

(18:30)
原子炉の暴走止めむとつぎつぎに気高き人らヒバクシヤとなる

今年こそ木々の芽吹きはかなしけれ核の春にぞなりにしあれば


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髭彦閑話41「ふるさと福島の原発危機」③

2011-03-21 17:08:48 | 髭彦閑話

3月18日(金)

(16:13)
Dくん、会えるのを楽しみにしています。
K原さんが去った後の大学の話や、コンテンポラリー・ダンス批評も伺いたいものです。
なんとか危機的事態の好転することを願うばかりです。

(16:26)
ひとまず安心ですが、浪江は安否不明の人数が900人ですから、心配が残ります。
一日2ドル以下の生活を強いられているアフガニスタンのカンダハルの市民からも、400万円の募金が届くそうです。
僕も福島県にまずは募金しようと思っていますが、日赤がいいのかどうかちょっと迷っています。
信頼できるNPOがあればいいのですが。

原発危機はまだまだ予断を許しません。
給水の持続的展開と電源回復の一刻も早いことが望まれますが、現場の人々の決死的努力を強いなければならないのですから、複雑な気持ちです。

(17:21)
あの懐かしい常磐線の駅が…。
ある鉄道少年のブログに、常磐線の駅の被害状況が出ていました。

・いわき駅 駅舎への影響なし。但し駅前は影響が出てる模様。
・四ツ倉駅 駅舎への影響なし。駅前まで津波が来た模様。
・久ノ浜駅 流出した模様。
・末続駅 周辺は壊滅状態の模様。
・広野駅 駅前まで津波が来た模様。
・木戸駅 駅舎は水没。
・竜田駅 被害はなし。
・富岡駅 津波の影響で流出した模様。
・桃内駅 駅周辺の被害は少ない。
・小高駅 駅まで津波が来た模様。

6才で東京に出てきてから、夏休みのたびに往復したあの懐かしい常磐線の駅が…。
富岡駅だけでなく、久ノ浜駅も流されてしまったようです。

(17:50)
―<ル=グウィンの「To my Readers in Japan(日本の読者へのメッセージ)」を読みて>

ああゲドよ割れし指輪の片割れを探しくれぬか時空を越えて

(谷垣暁美さんによるメッセージの日本語訳)


3月19日(土)

(11:24)
Oくん(カナダ・モントリオール在住の高校時代からの親しい友人)
メールありがとうございました。
未曾有の地震、津波に加え、最悪の原発事故が僕の生まれ故郷を襲い、この1週間、事態が決定的な破局に向うのではないかと、心を痛めてきました。
未だにその可能性がなくなりませんが、現場の職員、動員された自衛官、消防士たちの決死の犠牲的行動によって、なんとか破局を回避できるかどうかの瀬戸際が続いています。
その成功を祈るしかありません。

Kくん(Oくんの長男で単身東京に在住)のこともご心配でしょう。
さしあたりは心配ありませんが、原発事故の進展によっては東京の放射能被害もありえます。
僕たちは仕方がありませんが、いざというときには若い人たちから避難する必要があります。
今月末にOくんが京都にいらっしゃるときまでは、事態の進展ははっきりするでしょうから、Kくんの東京からの避難ということも一応念頭に置かれていたほうがよいかもしれません。
もちろん、そんなことにならないことを心から願っていますが。

今日は最後に高1で教えた生徒たちの卒業式で、久しぶりに外出します。
恐らく3.11という日付は歴史に残るでしょうが、その1週間後に高校を卒業することになった生徒たちの未来を考えると、複雑です。
そのためにも、原発危機が何とか破局を回避して欲しいと思っています。


3月20日(日)

(12:09)
Yくん
(東京)大学合格に加え、学園賞受賞での卒業、おめでとう。
よく頑張りましたね。
昨日は卒業式の後、生物のS先生の送別会が5時から新宿であったので、4時45分ごろ学校を出ました。
多分、クラスのHRが長引いているのだろうと思いましたが、会えなかったのは残念でした。
原発事故も予断は許されませんが、最悪の事態を回避できる展望が、現場の職員、自衛官、消防士の決死の犠牲的行動によって、やっと生まれ始めたようです。
大変なときに新たな人生の一歩を踏み出すことになりましたが、この試練を乗り越えて大きく成長してくれることを、期待しています。
近いうちに会えるのを楽しみにしています。

(12:58)
常磐線が復旧するためには、何よりも僕たちの生まれ故郷に再び人が住めるようにならなければなりません。
予断は許されないにせよ、最悪の事態を何とか回避できるかもしれないという一縷の望みが、現場で決死の自己犠牲的な作業を続けている人々のお蔭で、ようやく生まれ始めたような気がします。
これまでにどの程度の放射能汚染があり、これからさらにどれだけの汚染が続くのか、そのことにすべてはかかっていますね。

(13:14)
O本くん、卒業と合格おめでとう!
昨日は僕も招かれて卒業式に参列し、O本くんがクラスを代表して卒業証書を受け取るのを見ましたよ。
北大はT沢くんも合格したそうですね。
北大の素晴らしいキャンパスで、いっしょに大いに勉強して、世のため人のためになる社会人となって活躍してください。
それを見届けるために、できるかぎり僕も長生きしたいものです。
そのためにも、今進行している危機が破局的にならないことを祈ります。

(23:18)
Tくん
メール、ありがとう。
北大合格と卒業、おめでとう。
昨日は僕も招かれて卒業式に参列し、Tくんが北大に合格したことを知りました(O本くんも合格したようですね)。
とてもうれしかったです。
原発事故も予断は許されませんが、最悪の事態を回避できる展望が、現場の職員、自衛官、消防士の決死の犠牲的行動によって、やっと生まれ始めたようです。
大変なときに新たな人生の一歩を踏み出すことになりましたが、この試練を乗り越えて大きく成長してくれることを、期待しています。
ところで、北海道にはいつから行きますか?
もし可能なら、新大久保でランチタイムにポーシンタンを食べられる店に案内します。
ぜひ予定を知らせてください。
楽しみにしています。

(23:40)
いのち懸け気高き人らの防ぎゐむ核の奈落をわがふるさとで


3月21日(月)

(14:34)
東電は、今日の報道によると、第1原発の全6機の廃炉を認めざるを得なくなったようです。
40数年前、原発工事の大型トラックが3分に1台が通れるように、僕たちの曽祖父や祖父の植えた染井吉野の、トンネルになった夜ノ森の桜並木の上部をすべて切り払って建設した第1原発が、悪夢のような結末で幕を閉じることになりました。
しかも、それは今回の危機がなんとか破局に至らずに済んでの話です。

(15:12)
今日の東京新聞の記事は、1979年のスリーマイル島の事故では、
「事故発生の警報が鳴り、住民に避難指示が出されたのは二日後だ。それも半径八キロ圏内に住む妊婦と就学前幼児の約五千人に限られていた。実際には放射能の恐怖が広がり半径約八十キロほどの約十四万人が避難したという。
 ステイモスさん宅も圏外だったが、とにかく逃げた。数日後に戻って以降、自宅周辺の動植物に“突然変異”が起きた。巨大キュウリ、尻尾のないネコ、頭が二つの牛…。異変は年ごとに顕著になった。それでもほとんどの住民は田園や牧草地が広がる生まれ育った土地に帰ってきた。
 「さまざまな調査により、原発周辺のがん発病と死亡率が他地域に比べ高いのは明らか。政府、事業者は因果関係を認めなかった」とステイモスさん。
 「福島の事故を受け米政府は半径八十キロ圏内の在日米国人に避難勧告した。三十二年後に初めて正しい判断をした」と苦笑い。日本政府の避難指示が半径二十キロ圏内にとどまることは心配だ。」
と書いています。
今回、福島原発事故はついにスリーマイル島事故と同じ<レベル5>とされましたが、未だにアメリカ政府の公式見解を鵜呑みにして、あのスリーマイル島事故でさえ洩れた放射能は微少で人体にはほとんど被害が出なかったのだからさほど心配は要らない、といった言説が日本では横行しています。
しかし、スリーマイル島周辺では住民の放射能被害が多発して裁判になっており、その中で新たな研究調査がなされ、実際にはアメリカ政府の公式見解の数千倍の被曝量があった可能性が強いということです。
しかし、あの「保安院」が<レベル5>に引き上げたのも、当然アメリカ政府の公式見解を前提にしているはずです。
徒に<極秘情報>等に踊らされてはいけませんが、長年にわたって安全神話を振りまいて原発を推進してきた歴代政府や東電、官僚、御用学者たちが、彼らの<想定外>の事故に直面して、状況を正しく判断し、適切な対応をし、国民に正確な情報を開示しているなどと、無条件に信じるわけには行きません。
「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」という言説の、「直ちに」が具体的に何を意味するのかを<強い危機感>をもちつつ<冷静に判断>することが、僕たちに何よりも求められているのではないかと思います。


コメント (2)
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髭彦閑話40「ふるさと福島の原発危機」②

2011-03-17 18:26:10 | 髭彦閑話

3月15日(火)

(23:34)
Tさん
先日はありがとうございました。
ほんの少し前にあんな楽しい旅行があったことが遥か昔のように思えるほど、すさまじい未曾有の大震災と原発危機の日々です。

> 1、高校の卒業式を19日(土)の午後1時からに延期する。
> 2、式後の「卒業を祝う会」については自粛・中止する。

了解しました。
卒業式には参加させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。


3月16日(水)

(14:47)
Nさん
ご親戚の無事確認、よかったですね。
奥さんもどんなにか安心されたことと思います。
僕の方も、浪江町といわき市久ノ浜の親戚の安否は確認できていませんが、そのほかは何とか無事が確認できました。
でも、福島第1原発の危機がコントロール不可能地点へ向かって、日々刻々不気味に進行しているようで、実に不安です。

海城の卒業式は19日(土)1時からに延期、祝う会は自粛・中止ということになったそうです。
Sさんの送別会は予定通りだそうなので、卒業式に出てから参加するつもりです。
それまでに、福島第1原発の危機がスリーマイル島事故を超えてチェルノブイリ事故のような破局に至らぬことを、願うばかりです。

(19:18)
暴走のさらに続かば待ちをらむふたたび酷き核の奈落が

ふるさとの桜花こそ悲しけれ今年は咲かむ見るひともなく

                  *

  ―<曽祖父半谷清寿(はんがい・せいじゆ)が植え初めし染井吉野の名所となるみちのくの故郷を思ひて>
  夜(よ)の森の花の下にて春死なむそのふるさとの望月のころ
  (100303日々歌ふ)

(22:51)
Iさん、ありがとうございます。
未曾有の大地震・大津波の恐ろしさもさることながら、原発事故の恐ろしさには底知れないものがあります。
なんとか瀬戸際で破局に至ることが食い止められるよう、願っています。


3月17日(木)

(0:12)
Mくん
(出張先の石巻からの)間一髪の無事生還、何よりでした。
未曾有の大地震、大津波に加え、僕の生まれ故郷での未曾有の原発事故。
この間、今も特に原発事故の迫り来る破局に何も手がつきません。
ぜひ会っていろいろと話したいものです。
困難を極める被災地では暴動も略奪も起きていないことに、海外から絶賛の声が上っていますが、東京では買いだめの横行。
情けないかぎりです。
原発危機の深刻さも、まだよく理解されていないのかもしれません。
それはともかく、無事でよかった!
原発事故の破局がもし回避できたら、なるべく早く一献傾けましょう。

(15:04)
N平さん、いつもなら今日は見沼に行く日でしたが、もちろん中止しました。
午前中の自衛隊のヘリコプターからの決死の放水も、4度だけでは恐らく焼け石に水でしょう。
午後には機動隊の放水がされるかもしれません。
ぎりぎりの文字通り懸命の努力が、現場の東電社員、自衛官、警察官らの命と健康を重大な危険にさらしながら為されています。
それもこれも、国策と安全神話を振りかざして海岸線の狭い敷地に6機も原発を建てた東電が、いざ彼らの「想定外」の事故が起きると廃炉を惜しんで全機にすぐに海水を注入するのをためらったのが、現在の破滅的な連鎖反応を引き起こした直接の原因のようです。
その挙句に、現場の人々にすべての危険を負わせて、成算の見込みがあるかどうか分からない、しかしそれ以外に選択肢のない危険極まりない決死作業を強いているわけです。
もしこれらの作業によっても連鎖反応が食い止められなければ、最悪の場合には、原子炉の底が抜けて地下水脈による水蒸気爆発を引き起こすか、その前に原子炉そのものが爆発をするか、いずれにしても放射能と放射性物質の大量飛散という、スリーマイル島型かチェルノブイリ型の大惨事になりかねません。
僕自身は原発には一貫して反対でしたが、その具体的な行動は特にしてきませんでしたし、原発によって発電された電気も使って何十年も暮らしてきたのですから、まるっきりの無罪ではありません。
今は、それを後悔しつつ、現場の人々の決死の作業による破局回避の成功を祈るしかできないのが、情けないです。

(15:19)
Sさんのような人が東電経営陣にいれば、まさかここまで後手後手にまわることはなかったでしょう。
菅も枝野(菅よりはまだましでしたが)もさることながら、「保安院」と称する官僚機構の連中と、東電の記者会見に出てくる幹部社員連中の、およそ危機感の欠けた情報の掌握・分析・伝達能力の無能振りにはホトホト呆れ、こんな連中がこれまで日本の原発行政と運営をやっていたのかと、改めて怒りと恐怖を覚えました。
今は、現場の人々の決死の作業の成功をひたすら祈るしかありません。
最後になりましたが、青森からの無事ご帰還、安心しました。

(15:31)
Dくん、N平さんの返事にも書いたように、僕も丸っきりの無罪ではありませんし、老人ですから、もし最悪の事態になって東京も放射能で汚染されるようなことがあったとしても、今さらどこに避難することもできないでしょうし、運命としてあきらめもつきます。
しかし、若い世代はどんなことがあっても生き延びなければなりません。
もちろん、そんな事態にならないことを心から願っていますが、事態は楽観を許しません。
今日明日が、その正念場ではないでしょうか。


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髭彦閑話39「ふるさと福島の原発危機」①

2011-03-15 16:58:24 | 髭彦閑話

これから書くことは、本当は「閑話」どころか深刻な「憂話」だ。

6歳まで生まれ育ったふるさとである福島県双葉郡の原子力発電所で、危機が破局に向って急展開している。
東北関東を襲った未曾有の大地震は、未曾有の大津波災害とともに未曾有の原発放射能災害を生み出してしまうのか。
大震災と共に原発危機が明らかになった11日から、僕は居ても立ってもいられないような言い知れない不安の中で日々を過ごしている。
11日から12日にかけて収集した情報から推測した最悪のシナリオに向って、事態は急テンポで突き進むばかりだ。
果たして土壇場で決定的な破局に至るのを食い止めることができるのか…。

今まとまったことを書くだけの心の余裕は、とてもない。
せめて、11日から日々歌ってきた拙歌と、身内で作っているメーリングリストに載せた短文や友人宛のメール、ブログへのコメントなどを時系列に並べ、大震災に伴う原発危機に関する僕のこの間の不安を記録しておきたい。


3月11日(金)

(23:23)
大地揺れ海の襲ひて原発の危機に瀕せる吾がふるさとよ


3月12日(土)

(0:35)
ふるさとの町から人の消えゆけり巨大地震に原発耐へず

(0:52)
Nちゃん、食器大変だったね。
僕はちょうど一人で台所にいたので、必死で食器棚の扉を押さえて、ついに東京にも来たかなと思いつつ、揺れのおさまるまで頑張ったので、食器の被害もありませんでした。
福島の従兄達は原発の3~10キロに住んでいるので、どうやらすでに避難所に避難しているらしく、電話に誰も出ません。
大事故にならないことを願うばかりです。
津波の被害も、気仙沼などの大火災の被害も、明日になればわかるでしょうが、こわいですね。
ともあれ、身近な人々が無事であったことに安心しましたが。

(16:11)
原発の件は、NHKの報道では大したことのないように言っていますが、ネットニュースでは朝日も産経も、「炉心融解」が始まった「深刻な事態」だと言っています。
しかも、朝日の最新報道では、「東京電力は12日、東日本大震災で自動停止した7基の原発のうち、福島第二原発3号機は、原子炉の温度が100度以下に下がって停止した、と発表した。原子炉を停止させることができたのはこの3号機が初めて。」となっています。
「自動停止」と「停止」は違うという報道は初めて見ました。
ということは、他の6機は、炉心冷却ができないまま「炉心融解」(=メルト・ダウン!)が始まったか、それに向いつつあるということでしょう。
「炉心溶融は、想定されている原発事故の中で最悪の事態だ。これが進むと、爆発的な反応を引き起こして広く外部に放射能をまき散らす恐れもある。」(朝日)
今はそうならないように願うばかりです。
従兄の無事は確認できましたが、従弟夫婦とは連絡できていません。
阿武隈山脈に入った川内村に避難しているのだと思います。

Yくん、原発はやっぱり地震大国では共存不可能ですね。

(16:33)
日経の最新報道では、今中哲二・京都大学助教の恐るべき談話が報道されています。
「セシウムは核燃料が過熱していないと出ない。原発の外で検出されたことは原子炉を覆う圧力容器から漏れていたと考えられ、圧力容器の一部か冷却用の配管が損傷した可能性が高い。炉心が溶融しているかもしれない。原子炉建屋の外で検出される放射性物質のレベルが急激に上がるので、それが目安になる。
 過去の原子力事故としてはスリーマイル島事故と同じだ。溶けた炉心材料が格納容器の下にためている水と反応すると水蒸気爆発を引き起こす恐れがある。そうなるとチェルノブイリ事故に限りなく近づく。最悪の事態だ。
 原子炉の内部に水を注入して燃料を冷やし続けるしかない。」

僕は「スリーマイル島事故」を念頭において心配していたのですが、最悪の場合は「チェルノブイリ事故に限りなく近づく」という話です。
もしそうなれば、僕の故郷どころか、東京はもちろん、日本列島全体が危機にさらされる事態です。
「原子炉の内部に水を注入して燃料を冷やし続けるしかない。」ということは、チェルノブイリ事故のときと同じように、決死隊が大量の放射能を浴びることや爆死を覚悟してそうせよということではないでしょうか。
もしかしたら、今すでに事態はその方向に向っているのかも知れません。
おそろしいことです。


3月13日(日)

(13:00)
Fさん、お見舞いありがとうございます
福島第一原発から7キロの富岡町夜の森(よのもり)という、母方の故郷で生まれ、6歳まで過ごしました。
第二原発からも7キロぐらいだろうと思います。
今は、近い親戚では従兄弟がいるだけですが、彼らも既に避難を強いられています。
今頃はゴーストタウンと化していることでしょう。
事故は、スリーマイル島事故と同様の経緯を辿っているようなので、最悪の事態にならないことを願っていますが、政府や東電の情報開示のいい加減さに強い不信と不安を感じて、正直なところ苛立ちを抑えきれない状態です。
遠い親戚は、新相馬市からいわき市まで海岸線にかなりいるので、そっちも心配です。
宮城や岩手では、万を越える行方不明者がいるという報道も始まりました。
地震・津波によるとてつもない被害に、原発放射能被害がどこまで追い討ちをかけるのか、とても不安です。

(17:35)
―<福島県立双葉高校のグラウンドで救助を待てる人らの被曝を聞きて>
亡き父のかつて教へし双(ふた)高の庭にてつひに被曝者出ぬ


3月14日(月)

(12:13)
Nさんは奥さんのご親戚の安否確認中だと思いましたし、僕は僕で故郷が福島県浜通りの福島第一原発から7キロにあり、新相馬市からいわき市にかけて親戚がたくさんいますので、テレビとインターネット情報と、メールにかじりついていました。
富岡町の従兄弟などの無事はやっと確認できました(原発事故で避難中)が、新相馬市からいわき市の遠い親戚についてはまだ分かりません。
恐らく、浪江町といわき市久ノ浜地区の親戚の家は津波で流されている筈ですが、人的被害については不明のままです。

それ以上に心配なのは、第二原発も含めて、スリーマイル島型の危機が依然として続き、最悪の場合は原子炉の爆発(原因は違うにしてもチェルノブイリ型)という破滅的な結末さえまだ残されている状況です。
政府(特に「保安院」)・東電の情報後出しと、NHKに出てくる東大教授や記者のノーテンキな解説などには、苛立ちます。

先ほど、3号機でも水素爆発が起きてしまいました。
画像を見るかぎり、1号機よりも激しい爆発の跡のように見えます。
原子炉格納容器に異常はないといっていますが、本当にチェルノブイリ型の爆発を回避できるのかどうか、実に不安です。

(22:38)
次々に破局迫りぬ故郷にスリーマイルかチェルノブイリの

(22:45)
Mさん、ありがとうございます。
大震災の後、6歳まで暮らした生まれ故郷が、いまやスリーマイルかチェルノブイリのような破局に至りかねない、日々危機的な状況になっています。
なんとかこれが破局に至らぬことを、薄氷を踏むような気持ちで願いながら暮らしています。


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髭彦閑話38 「至福の京都晩秋―紅葉・古伊万里・松園・アボリジニ絵画」②

2010-12-26 14:35:23 | 髭彦閑話

髭彦閑話37 「至福の京都晩秋―紅葉・古伊万里・松園・アボリジニ絵画…」①に続く)

その後、永観堂から哲学の道を経て安楽寺法然院を回り、白川通りに下って黒谷の真如堂に上った。
昨年、Nさんと二人で初めて訪れ、境内の紅葉の独特で繊細な美しさに感動して夕方と翌日の朝に2度も行ったところだ。
実は今年もまさに同じ展開になったのだが、それほどに真如堂の紅葉は素晴らしかった。
翌朝また来ることにして、テレビで紹介されていた隣の金戒光明寺の広大な境内を抜け、丸太町通りを歩き、鴨川を渡って寺町通りの骨董街をめざした。
東京にも青山の骨董通りがあるが、歴史と文化の臭いはない。
初めて訪れた古都の骨董街にはさすがにそれがあって、心地よい。
すでに古伊万里の染付けを買っていたので、あれこれの店をほぼ覗くだけだったものの、実に楽しくて時の経つのをつい忘れた。
気がつけば日はとっぷりと暮れ、6時を回ってしまっていた。
その夜の夕食は、吾妹の長男Yくんから強く薦められた祇園三条駅近くにあるという、大衆的居酒屋「伏見」で取ることにしていた。
5時開店ですぐに満員になってしまうという、超人気の店らしい。
慌ててまた鴨川を渡り、「伏見」に向った。

京阪三条駅を過ぎると、なぜか風景に見覚えがあるような気がする。
何だろうと思っていると、すぐ右手前方に何と4年前の暮れにアメリカのダグ一家を連れて泊った「いろは旅館」が見えてきたではないか!
えっと思って二人で思わず、「そういえば旅館の隣りに居酒屋があったよね!あれが「伏見」だったの!?」と叫んでしまった。
まさにそうだった。
「いろは旅館」の向こう隣りに2軒続いていた居酒屋の2軒目が、めざす「伏見」だったのだ。
思いがけないその偶然に驚きながら店の前に立つと、逆から来た客がすばやく先を越して戸を開け、「8人だけど入れる?」と聞くではないか。
しまったと思ったが、中から「8人はムリ!」という返事が聞える。
すかさず僕が顔を突っ込んで「二人は?」と聞くと、OKが出た。
よかった。
喜んで中に入ると、とうてい10坪もないと思われる狭い店内はコの字型のカウンター席だけで満席だった。
とてつもなく威勢のいいオカミが、手際よく仕切って先客を詰めさせ、あっと言う間に二人分の席をつくってくれた。
2、30人ほどの客がギューギューに肩を寄せ合って楽しそうに飲んでいる、その仲間入りをありがたくさせてもらった。
ビールとつまみを頼んで僕たちも飲み始めた。
気がつくと、右隣りの角席に上品な老夫婦らしき外国人がいる。
他の客は全員日本人で、ほとんどが地元の常連という感じだ。
聞いてみると、オーストラリア人だという。
ニコニコしながら、刺身や野菜の天ぷらなどをつまみ、二人で肩を寄せ合って飲んでいる。
吾妹と英語でのやり取りが始まると、彼らがメルボルンに住む画家夫婦で、夫は何と79歳だということがわかってきた。
とてもそんな高齢には見えない。
旅行が大好きで、ベトナムをはじめアジア諸国を旅してきて、今回初めて日本に来たのだそうだ。
東京はゴチャゴチャしていてあまり気に入らなかったとかで、気に入った京都をベースに8泊もして、金沢や四国などにも足を伸ばし、何と僕たちもまだ行きたくて行けていない直島にも行っていた。
「伏見」は、京都に2年住んで陶芸をやっていたオーストラリアの友人にぜひ行けと薦められて来たが、とても面白いと言う。
刺身も平気で食べていたが、よく見るとワサビも醤油もつけないで食べている。
妻の方が「おいしいけど、半分は何を食べているかはわからない」と言って、笑った。
そのうちに夫の方がくれた名刺には、Bill Fergusonという名前に“Artist & Traveller”という肩書が付けてあって、おかしかった。
彼らが帰る段になって勘定を頼むと、オカミがパパパッと計算して2900円!と叫んで見せた数字に、夫が思わず“Oh very cheap!”と叫んだ。
そして、昼には祇園で素晴らしいランチを食べたが一人前5000円だったと言って、満足気に笑った。
オーストラリアに来るならぜひ寄りなさいと言いつつ、彼らは先に帰っていった。

東京に帰ってからインターネットで調べてみると、夫のBill Fergusonさんはオーストラリアの有名な画家で、何とアボリジニに関する文化人類学と内陸中央部の風景を素材にした抽象絵画を描いていることがわかった。
僕たちが京都の街で偶然「アボリジニ絵画展」に遭遇して感動したちょうどその夜の、何という偶然だったのだろう!
旅はこれだから面白い。


(続く)


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髭彦閑話37 「至福の京都晩秋―紅葉・古伊万里・松園・アボリジニ絵画…」①

2010-12-14 11:58:09 | 髭彦閑話

―<京の町で「上村松園展」と「アボリジニ絵画展」に遭遇して>

松園とアボリジニーの絵画をも狩りて至福の京の晩秋

                *

11月27日(土)の早朝、旅の友Nさんと東京駅から京都に向った。
京都駅から地下鉄で烏丸今出川に出、バスで竜安寺まで行った。
そこから直指庵までのことについては、すでに髭彦閑話36「捨てるカミあれば拾うカミあり―神護寺と直指庵」で書いた。
直指庵からは徒歩で大覚寺まで下ったが、中には入らなかった。
高雄に至る周山街道入り口の宿で、勤めを終えて大阪から合流する元同僚のSさんが待っているはずの時間も迫ってきていた。
もう一つ訪問を予定していた清涼寺の門前まで迂回して、そこから嵐山に出た。
宿に帰るには、どうしても「嵐電」嵐山駅に行かざるをえなかった。
しかし、予想通り、いや予想をはるかに超えて、渡月橋に至るメインストリートは一転してまるで渋谷駅前の雑踏を思わせるような混雑で、思うように前に進むことさえできない。
いったい日本人はなにゆえ、かくも狂おしい一点集中型の観光を好むのであろうか。
つい、そう論じたくなるような凄まじい光景であった。
何とか「嵐電」嵐山駅にたどり着き、5時半過ぎに周山街道の旅館「やまざき」に戻った。
すでにSさんは到着して待っていてくれた。

翌28日は、朝食を済ませた後、3人で「嵐電」に乗り、また嵐山に向った。
午後1時に予約してある苔寺(西芳寺)や大原野の寺社を回るため、渡月橋を渡って阪急嵐山線に乗り、桂駅で降りてレンタカーを借りなければならないのだ。
さすがに昨夕ほどではないものの、渡月橋付近はすでにかなりの人出である。
いったん人ごみを避けて嵐山公園の展望台まで行ってから、戻って渡月橋を渡り、阪急嵐山線に乗った。
天気も今ひとつだったが、レンタカーでまず向った正法寺、大原野神社、勝持寺は残念ながらすでに紅葉の盛りは過ぎていた。
急に冷え込んだため、例年より紅葉が早まってしまったのだという。
期待が大きかったので、少々がっかりした。
午後1時からの苔寺(西芳寺)見学は、予約制で3000円の拝観料に般若心経の写経が義務づけられていたが、さすがに厳しい管理と手入れが行き届いていて文字通り閑静な庭園は見応えがあった。
その後、予定していた善峰寺は高度と天候を考えてカットし、僕がミクシーで知り合った京都のOさんが住職と親しいという十輪寺を、最後に訪ねた。
陽も傾き、時に小雨がぱらついて、紅葉も盛りを過ぎてはいたものの、業平ゆかりの由緒正しき山寺にはそこここに趣があり、紅葉も盛りであればさぞかしと思われた。
それ以上に興味深かったのは、仏教の本来の姿を求めてスリランカで単身修行を積まれたという、スリランカ仕込みの鮮やかな朱の袈裟を纏う住職の泉浩洋大僧正の独特の人柄とお話であった。
帰京してからネットで調べると、なんとすでに齢80歳になられていたのだが、その矍鑠として生気あふれる姿勢や話し振りからはとてもそんな高齢とは思えなかった。
レンタカーを返してから、桂駅で大阪に向うNさん、Sさんと別れ、僕は阪急京都線で終点の河原町に向った。

東京から午後の新幹線でやってくる吾妹(つれあい)と、6時過ぎに祇園のどこかで待ち合わせ、7時半に予約してある白川沿いのカウンター中心の割烹「琢磨」で夕食をとり、円山公園の最奥にある旅館「吉水」に2泊することになっていた。
5時前には河原町に着いてしまったので、僕は鴨川の河原に下りて写真を撮りながら吾妹を待つことにした。
黄昏の鴨川の情景はとても魅力的だった。
京都駅からバスに乗ってしまった吾妹は、今シーズン一番の交通渋滞に巻き込まれ、僕は祇園の街をウロウロしながら7時過ぎまで待った。
「琢磨」の店も食事も、期待通り素敵だった。

29日の翌朝、趣ある古い日本家屋の「吉水」の、質素でありながら極めて質の高いコンチネンタルとイングリッシュの中間のような朝食を楽しんでから、吾妹と哲学の道から入る鹿ヶ谷の安楽寺・法然院と、黒谷の真如堂をめざして、徒歩で出発した。
紅葉がまだ美しい円山公園を出る頃から雲も切れ、絶好の好天になった。
まずは知恩院、青蓮院門跡を覗き、平安神宮の鳥居を目にしたところで、道脇の陶器店が古伊万里半額セールをやっているのに気がついた。
ついフラフラと入ってみると、多くは印判だったのだが、その中に手書きの染付けで内側にまで繊細な絵付けがされている、5個組みの薄手の湯呑みがあった。
すべて金継ぎが多少なりともされているが、それがまた却って魅力を増している。
しかし、そこだけに「売却済み」の札が付いていた。
それでも、思わず吾妹と手に取って「これ、いいねえ!」と感嘆していると、年配の店主が近づき、「これはいいものですよ。よろしければお売りします」と言うではないか。
「売却済み」の札は気になったが、店主がせっかく売ってくれると言うのだからと、思い切って買った。
5個4万円なら買わなかったが、なにせその半額セールである。
多分、これほどの染付けにこの値段で再会することは滅多にないだろうと思う。
という訳で、まだこれから京都を歩き回るというのに、その初っ端でいかにも物好きな僕たちらしい買い物をしてしまった。

ホクホクしてその獲物をデイパックに容れ、平安神宮の鳥居に向うと、左手に京都国立近代美術館があって何と「上村松園展」の看板が見えた。
東京で秋にやっていたのを見逃していた展覧会だ。
思わず、吾妹に「観て行こう!」と叫んで方向転換したが、近づくと何のことはない、月曜の休館日だった。
では、明日、ということにして、平安神宮前から哲学の道に向うべく右折した。
岡崎通りにぶつかって左折すべきところを、裏道好きの僕の提案で細い通りを永観堂方面らしき方向に直進することになった。
横断歩道を渡って裏道に入ろうとした角に、名も知らぬ小さな美術館があって、門前に「アボリジニ絵画展」という看板が出ていた。
前々からオーストラリア先住民アボリジニの絵画が素晴らしいということは、聞いていた。
東京でも時おり展覧会があったはずだが、まさか京都で出くわすとは!
興味を同じくする吾妹と、異口同音に「入ろう!」と叫んだ。
これがまた実に素晴らしかったのだ。
この「観峰美術館」は、原田観峰という書家の書と観峰が長年にわたって収集した美術品を展示しているという。
何とアボリジニの絵画もそのコレクションだった。
しかも、2階建てのフローアに観客は僕たち二人だけ。
写真撮影もフラッシュを使わなければいいと言う。
人類の「進歩」とはいったい何だろうと根底から思わせるような、造形、色彩、構成のすべてに衝撃的な素晴らしい芸術がそこにはあった。
紅葉狩りを目的にした京都の旅で、こんな出会いがあることを僕たちは夢にも思っていなかった。
なんという幸運だろう!
心底そう思って、二人で興奮した。

(続く)


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髭彦閑話36 「捨てるカミあれば拾うカミあり―神護寺と直指庵」

2010-12-03 15:27:51 | 髭彦閑話

今回の京都の旅では神護寺に行くつもりはなかった。
神護寺のある山深き高雄の紅葉はすでに終っているか、終わりかけだろうと思ったからだ。

11月27日、Nさんと竜安寺から歩き始めるころには曇り空も晴天に変わり、竜安寺と隣りの仁和寺で紅葉を楽しみながら写真を撮った。
予定では、その後、大覚寺まで下り、そこを起点にして嵐山渡月橋近辺の予想される大混雑を避け、嵯峨野の寺寺をめぐるつもりだった。
Nさんが、荷物が重いので、仁和寺の先の福王子から高雄に向う街道の少し入ったところに取った旅館「やまざき」に寄って、荷物を軽くしたいと言う。
そこで、仁和寺の前からタクシーを拾った。
おしゃべりで愛想のいい運転手さんに、Nさんが「当然、高雄はもう紅葉は終ったでしょうね」と話を振った。
すると思いがけないことに、「いやあ、今年はまだ見ごろですよ。神護寺には昨日行ってきたばかりです」という返事が返ってきた。
実は、Nさんは前々から神護寺に行ってみたいと言っていたし、僕も紅葉が盛りならぜひ行ってみたいとは思っていたのだ。
二人で顔を見合わせ、「じゃあ、神護寺に行こうか!」と一決した。

「やまざき」でタクシーを降り、Nさんの荷物を置かせてもらい、そこで昼食を済ませてから、バスで高雄に向った。
二人とも神護寺は初めてである。
参道が一度かなりの谷間を下って川を渡り、対岸の急傾斜をまたかなりの上りになっていることさえ知らなかった。
その急傾斜の参道を下り始めるとすぐ、素晴らしい紅葉が見え、期待が高まった。
ところが対岸に渡り、急な階段を登り始めると様相が一変した。
辺りのもみじはすでに落葉するか茶色に変色し、明らかに紅葉が終っていることを示しているではないか。
それでも汗をかきつつ、山門まで登り着いた。
僕が500円の拝観料を払うつもりでポケットの小銭を探っていると、Nさんが待て待てと制止する。
なるほどと、ちょうど門前で落ち葉を掃いている寺の小僧さんをつかまえ、単刀直入に聞いてみた。
「500円の拝観料を払って入る価値がある? 紅葉はもう終ってるんでしょ?」
不意をつかれた小僧さんは一瞬答えに窮し、一呼吸置いてから「はい、ほとんど終ってます。…でも、奥にちょっとだけなら残ってますよ」と正直に教えてくれた。
もちろん、ふたたびNさんと顔を見合わせて「やめよう!」と一決したのは言うまでもない。

もう一度谷間に下り、また上って、バスで仁和寺まで戻った。
あの調子のいいタクシーの運転手にすっかりだまされ、往復2時間のロスである。
仁和寺前でまたタクシーを拾い、大覚寺までやってくれと言い、神護寺の一件を話した。
すると、今度の運転手さんは「神護寺はとっくに終ってますよ。大覚寺もいいけど私が好きなのはジキシアン(直指庵)ですね」と言う。
いろいろ聞いてみると、大覚寺の奥の山際にある小さな庵で紅葉が見事らしい。
そこで、直指庵に直行してもらうことにした。
正解だった。
神護寺行きで時間を食ったため、陽がだいぶ低くなってぎりぎりのところだったが、直指庵の紅葉はたしかに素晴らしかった。
まさに、捨てるカミあれば拾うカミあり。
最初の運転手にだまされて神護寺に行かなければ、2番目の運転手に会って直指庵を訪れることもなかったのだ。
まあこれで良しとしようと、Nさんと笑いあった。

紅葉を愛でし心の古都に満ちみち―神護寺1
紅葉を愛でし心の古都に満ちみち―神護寺2
紅葉を愛でし心の古都に満ちみち―神護寺3
紅葉を愛でし心の古都に満ちみち―直指庵1
紅葉を愛でし心の古都に満ちみち―直指庵2

紅葉を愛でし心の古都に満ちみち―直指庵3



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