雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

髭彦閑話45「ふるさと福島の原発危機」⑦

2011-04-22 19:48:58 | 髭彦閑話

4月7日(木)

(12:00)
目当ての小泉淳作の襖絵はもちろん、早咲きの枝垂桜を中心に天候に恵まれた奈良の春を眼に焼き付けてきました。
原発危機はさらに深刻化しているようで、不安です。

(12:38)
setuさん。
昨日今日、突然、原子炉格納容器への窒素投入が、なにか自明であるかのように報道されていますが、それはまさに格納容器が水素爆発を起こしかねない危機=破局が迫っていればこそのはず。
政府や東電、そしてマスコミも、これまでいっさいそうした危機=破局の可能性や実態を国民に知らせてきませんでした。
もしそうした破局に至ったらと思うと背筋が寒くなりますが、そうならないことを祈るしかできません。
仮に破局を何とか回避できたとしても、その後の冷温化、廃炉、膨大な使用済み核燃料の始末などの困難を考えれば、もはや故郷の桜を含めた再生は、恐らく何十年の単位でしかありえないのではないかと、深く危惧せざるを得ません。

(12:52)
―<公開されし小泉淳作の東大寺襖絵を訪ねて>
核襲ふ春にぞ訪へば<千年の桜>咲きゐぬ古都の御寺に

(23:26)
akopennさん、はじめまして。
僕たちが襖絵を観たのは、6日でした。
前日5日の10時に本坊に着いたときには既に数百人の列ができており、30分ほど待って切符を買ったものの、中に入る行列は動く気配もなく、あきらめて翌6日の一番で観ることにしたのです。
蓮の襖絵もさることながら、桜の襖絵はパンダ見物状態の人の流れの後ろで背伸びをしながら、眼に焼き付けるまで観続けました。
行ってよかったと、心から思いました。
akopennさんは、僕たちが観終わって本坊を出た後に行列の中にいらしたのですね。

―<曽祖父半谷清寿(はんがい・せいじゆ)が植え初めし染井吉野の名所となるみちのくの故郷を思ひて>
夜(よ)の森の花の下にて春死なむそのふるさとの望月のころ

これは1年前の拙歌ですが、僕が6歳まで生まれ育った、福島第1原発から7キロの福島県双葉郡富岡町夜ノ森の桜並木を歌ったものです。
小泉淳作の「千年の桜」を観ながら、故郷のもはや観る人もない桜を想っていました。


4月8日(金)

(17:09)
S従兄さんや他の親戚の状況、了解しました。
誰もいのちに別条がなかったのがせめてもの救いですね。
お疲れ様。
ただし、原発の危機は益々深刻化していくようで、みんなが故郷に戻れる日が果たして来るのかどうか。
本当にとんでもないことになりました。

(23:57)
核武装ねらふ輩の列島に原発つくる暗き歴史の

4月9日(土)

(11:17)
散り初めし桜の花の舞ふ空に核の雨降る核の雨ふる

野馬追の祭りも消えしみちのくの核の荒野に馬らさまよふ

(16:09)
setuさん。
吉井議員の指摘は3.11以後に知りました。
国会での追及も含めて実に鋭い指摘であり、これを無視した東電と政府、官僚、御用学者たち、そしてマスコミは、万死に値します。
ただ、吉井議員の属する政党が原子力の「軍事利用」には反対しても「平和利用」には賛成してきた歴史が、完全には清算されていないように見えます。
明日に迫った都知事選でも、「原発推進」論者の権力亡者の圧倒的優勢が伝えられて、「脱原発」を訴え始めたように見えるK候補の訴えは、残念ながら都民に浸透しているようには見えません。
もっと早くから、ソ連や中国の核開発を防衛的なものとしたかつての決定的な誤りとも連動した、原子力の「平和利用」の肯定路線と決別していれば、局面は違っていたかもしれないと思います。
あの危険な権力亡者の退場を見る絶好の機会であっただけに、残念です。


4月10日(日)

(19:14)
O田くん、メールありがとうございました。
朝から富士霊園に義父の墓参りに出かけていたので、返事が遅れました。
原発危機は依然として深刻さの度合いを深めながら継続していますが、東京は桜が満開です。
上京される頃にはもう葉桜になっているでしょうが、原発危機の破局回避への光明が見出されていることを願います。
A山くんからも17日ごろには会えそうだという連絡がありました。
よろしければ、18日(月)に皆さんで我が家にいらっしゃいませんか?
S崎くん、A山くんもご都合をお聞かせください。
よろしくお願いします。

(23:11)
咲き満つる都の花も汚れゐむふるさと放つ見えざる核に

国荒み山河は破れふるさとを人の追はれぬ着の身着のまま

誰がための原発なりき根こそぎにいのちくらしを危機に追ひやり

(23:59)
胸が痛み、暗雲が…。

国荒み山河は破れふるさとを人の追はれぬ着の身着のまま
誰がための原発なりき根こそぎにいのちくらしを危機に追ひやり

そこに、差別主義・我欲の権化が4選の追い討ち。
有象無象に代る確かな選択肢を示しえる人も組織も、未だまるでないということですね。
同時に、尊敬する石橋湛山が山県有朋の死に際して「死もまた社会奉仕」と喝破したことが、思い起こされます。


4月11日(月)

(0:13)
akopennさん。
小泉淳作の仕事と較べて、今やFUKUSHIMA DAIICHIとして世界中に知られるようになった原発と、果たしてどちらが日本と世界の人々の幸福に寄与するかは、もはや明々白々となりました。
僕は原発に代表される日本ではなく、小泉淳作に代表されるような日本を誇りに思います。

(11:51)
N田さん
連絡をしないうちにメールをいただき、すみません。
3月のIさんの別荘行きは楽しかったようですね。
僕の奈良行きも、天候に恵まれ、小泉淳作の東大寺襖絵も観、氷室神社や大和郡山城跡の早咲きの枝垂桜を仰ぎ、今井町の江戸の街並や奈良町の散策を楽しんできましたが、東京に帰るとやはり「啓蟄」未だモードになってしまいます。
加えてあの醜悪な権力亡者の4選。
意気があがりません。
写真も撮ってきたのですが、なんとかブログにアップしたいと思いつつ、まだ整理が出来ていません。
秩父の桜はいつごろが見ごろですか?
今のところ、14日(木)、18日(月)以外は予定はありません。
原発で最悪の水素爆発や水蒸気爆発でも起こらないかぎり、「啓蟄」をしたいと思うので、よろしく。
芭蕉本、いよいよ完成とのこと。
おめでとうございます。
お祝いをぜひしましょう。
日取りなどはいずれまた。
では。

(12:09)
曽祖父が野馬追祭りの復興に深く関わったことは聞いていましたが、文献上では確認できないのでオーラルヒストリーは貴重です。
僕も35年前に、一度だけ観ました。
すでに農耕馬だけでは足らなくなっていて、サラブレッドも混じっており、まるで似合っていませんでした。
その馬たちも、核の荒野をさまよい、あるいは厩舎の中で死に追いやられつつあるようです。

(12:29)
setuさん。
都知事選は、予想通りの最悪の結果になってしまいました。
わが家は『東京』(僕)と『朝日』(つれあい)を取っていますが、原発報道に関しても断然『東京』のほうが良心的です。
社説は依然として<より安全な原発>路線を越えていませんが、特に「こちら特報部」は<脱原発>路線に踏み込んでいるように思います。
昨日の見開き2ページの小出裕章特集は見事でした。
小出さんたちにはむろん遠く及びませんが、僕も同様の志を保ち、一社会科教師としての人生を送って来たことを、改めて誇りに思っています。

(12:45)
ひと月のはや去りたれど核危機の未だ去らずも人智及ばず

                  *

古都にまで核の汚染は及びしか異国の客の影ぞ少なき

早咲きの枝垂桜を仰ぎつつ核なき春を吾ら偲びぬ

橿原の今井町こそかなしけれ宗久の夢江戸の街並


4月12日(火)

(12:08)
―<福島原発事故の最悪「レベル7」評価へ引き上げの報に>
はるかなるチェルノブイリの忍び寄りつひに並びぬわがフクシマに

けふ搾りあす搾りしてただ棄つる乳の白さよ牛飼ふ人よ

(14:02)
原発危機は、原子力<安全>委員会・<保安>院によって「レベル7」のチェルノブイリ級評価に引き上げられました。
さらにこの後、もし水素爆発や水蒸気爆発などの最悪の破局が起これば、チェルノブイリをさえ超える核汚染が東日本全体を覆ってしまいます。
そうなれば、桜並木をはじめとする曽祖父の足跡はむろんのこと、ふるさとそのものが無人の荒れ地と化すことになってしまいます。

昨日の報道で、埼玉県に避難した富岡町の人たちが幸手市の権現堂堤の花見に招かれたそうですが、その中の桜に富岡町から贈られたものがあるということを知りました。
僕も去年、初めて訪れて、下の写真を撮りました。まさかその中に、曽祖父が夜ノ森に植えた桜の子孫があるなどと夢にも思いませんでした。
破局にまでは至らないとしても、僕たちが夜ノ森の桜を観ることはもう二度とできないでしょうが、その子孫を権現堂堤の菜の花畑の上に観ることができると知ったのは、せめてもの救いでした。
富岡から避難した故郷の人たちも、きっと感無量だったことでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/nazohige/e/efbf9e56cc3dc8765da82828cc0f61d6

(18:30)
塩谷喜雄「「東電亡国論」の現実味」は必読!
東電と経済産業省(原子力安全・保安院)という利益共同体の暴走を即刻止めないと、日本が沈んでゆく

(22:51)
Eくん
文字通りの多忙の中、メールありがとう。
返事が遅れて、すみません。
KくんとはFacebookで「友達」になっているので、父君が当選インタビューで「脱原発」を明言されたことを含めて、「おめでとう」と伝えました。
生まれ故郷がFUKUSHIMA DAIICHIから7キロなので、3.11以来、生活すべてが原発危機を中心に回らざるを得ない心境です。
TVを含めたマスコミ(の上層部)は、これまで東電を中核とする「原子力村」にどれだけ組み込まれ、「安全神話」を形成するのを助けて来たか、それがこれから厳しく問われなければならないと思います。
次に会ったときには、そうしたことも議論しましょう。
そのためにも、「レベル7」の原発危機がチェルノブイリを超えずに終息しうる光明の見えることを、心底から願うばかりです。
Hさんにもよろしくお伝えください。

(23:56)
M丸くん
メールありがとう。
陸前高田の博物館の惨状の写真に、息を呑みました。
ふるさと発の原発危機も一向に収まる気配はなく、チェルノブイリに追いつき追い越せの不気味な様相を益々呈してきました。
自然と文化を犠牲に経済大国にのし上がったツケと毒が、一挙に押し寄せてきた感があります。
僕自身は、そうした流れに棹差すことはして来ませんでしたが、それを食い止めることもできずに、その恩恵を少なからず享受してきました。
その挙句が、生まれ故郷が核の荒野になり、さらに東日本全体を核の恐怖に巻き込みかねない現下の事態です。
何とかこの<原発大震災>が破局に至らずに済み、一献傾けることができる日の近いことを願うばかりです。
健闘を祈ります。


4月13日(水)

(0:14)
Iくん
メールありがとう。
返事が遅くなってすみません。
小出裕章さんたちにははるかに遠く及びませんが、僕も彼らと同様の志を持って40年の教員生活を送ってきました。
ですから、今回のふるさと発の原発危機に際して、小出さんたちの存在と長年にわたる真摯な研究に基づく主張を知り、心から共感し、信頼できたのです。
であればなおさらのこと、現在進行中の原発危機の深刻さを片時も忘れることができません。
この危機は果たして終息するのか、終息するとすればいつ終息するのか、まったくわかりません。
今は、何とか破局に至らぬことを祈るばかりです。
もしその日が来たら、また一献傾けましょう。

(10:45)
核をもて追はるる酷きかなしみをふるさと人の永久に強ひらる

阿武隈と太平洋の狭間なるふるさと滅ぶ核に侵され

―<フジサンケイグループ、「地球環境大賞」を東電への報に>
冗談の黒々深し東電に「地球環境大賞」授与と

(13:03)
小高の曽祖父の墓は、僕は訪ねたことがありません。
夜ノ森の祖父の墓は無事だとしても、もう誰も近づくことはできませんね。
近くの常磐線夜ノ森駅は、かなり以前から駅員のいない「無人駅」になっていましたが、これからは乗客もいない文字通りの「無人駅」となります。
祖父が植え始めた駅の両斜面を埋め尽くすツツジも、もう見る人も世話をする人もいなくなります。
何ということになってしまったのでしょうか。

(15:14)
setuさん。
小出さんについては、「小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ―京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏による情報」という、素晴らしい情報サイトを作ってくださった方がいます。
ぜひご参照ください。
小出さんたちと比べものには到底なりませんが、小さな職場でそれなりに筋を通して生きてきたという、多少の自負はあります。
「髭彦閑話18 一教師として生きて」
退職時に書いた上の拙文をお読みいただければ幸いです。
鈴木安蔵さんは短歌だけでなく、俳句もひねっていたのですね。
埴谷島尾記念文学資料館の資料の無事を祈ります。
島尾敏雄さんの父君と僕の曽祖父は深いつながりがあったので、一度訪ねたいと思っていた資料館でした。
建物は被災したのでしょうか。

(17:56)
N田さん
メールありがとうございます。
レベル7、原発周囲20キロは20年は住めない(菅)、などのニュースにめげていますが、せっかくの週末のお誘いに乗って秩父へ行きたいなと思い、天気予報を見たら秩父は木曜・金曜が晴れで、その後はずっと雨か曇りですね。
N田さんは天気が悪くても行くんでしょう?
どうしようかな。

(22:05)
S崎くん
18日、お待ちしています。
いろいろ大変な状況ですが、旧交を温めましょう。

(22:11)
N田さん
秩父にせっかく行くなら好天の時にと思うので、天気予報をにらみながら来週の火曜日以降をねらいます。
よろしく!



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100人に選ばれたけれども (Fou)
2011-04-23 23:42:40
私の毎日は市民から怒られぱなし、、、
と先刻NHKの番組に遠隔参加した南相馬市長。
数年前に合併した市はF1から20km、30km、その圏外と三つの地区に分割されて翻弄されています。私の大学の若い後輩は南相馬市役所職員。20-20km圏内に留まって奮闘の毎日。最近は水道局に配属されていたので、先月来、下水道の破損のためにバキューム車の運転手となって汲み取りに走り回っていると。
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毀誉褒貶は… (髭彦)
2011-04-24 15:34:13
あるでしょうが、南相馬市長がネット情報を駆使して現地の窮状を訴え続けたことが、マスコミと政府を一定程度動かしたことは事実でしょう。
ただし、それを現場で支えているのは姉の後輩のような職員たちの奮闘であり、その職員たちや市民から見ると市長の視線がマスコミや政府にばかり向いていて、エエカッコシーに見えているのかもしれませんね。
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今日、浪江町の入った捜索隊の (Fou)
2011-04-25 20:55:45
様子をTVで見ました。
「家畜の殺処分」という朝刊の記事も――――
牛が何千頭、鶏が何十万羽、馬1万頭、、、
夜の森の早朝の馬が駆ける足音を覚えていますか。毎朝、地響きを立てて桜並木を駆け抜ける馬がいました。超早朝なので、その音で毎朝目が覚めるけれど、ついぞ、見たことがなかったのですが。10年余り前に桜並木の入口の叔母の家に泊った折に「馬!」と目が覚めました。同じ家族なのか知らねど、桜並木を駆け抜ける馬の地響き!
台風時の真夜中の海鳴りの音(私には恐怖の音でした)と共に馬の疾駆のあの音は恐怖の音でした。
でも、今はもう一度聞いてみたい音、毎日耳の中で響いているような、、、
昨日は「Stand with TOHOKU チャリティ・バザー」という横浜・野毛地区の催しに「ジャズ喫茶・ちぐさ」のジャズとコーヒーをと誘われて参加。キーコーヒーが無料で提供してくれた材料と用具を使って一日コーヒーを入れ続けました。収益は陸前高田で津波に流されたジャズ喫茶店の再建支援に。
今日、店主と電話で話す事ができました。「これしかできることがないので」と避難所に巡回音楽喫茶をしておいでと。(読売新聞のWeb Newsに記事あり。)
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時おり… (髭彦)
2011-04-26 15:52:06
夜ノ森の桜並木を裸馬に乗って駆ける人の姿を見た記憶があります。
相馬野馬追祭りも、やっぱりムリだったようですね。
厩舎につながれたままの馬たちは、生き残ったものも半ば飢え死にしかけていたとか。
「処分」などされる謂れのまったくない、その馬たちの「殺処分」。
「琉球処分」と同じ語法。
無残で許しがたい話です。
僕は昨日は、ボストン在住の中高時代の友人女性で、東北支援のファンド(Japanese Disaster Relief Fund - Boston
http://p.tl/cUM3)をボストンで立ち上げ、その支援のために娘さんとわざわざ来日し、1週間ほど東北の被災地を実見してきたAtsuko・Fishさんの話を、同窓生8人が集まって聴いてきました。
僕たちも自分にできることをもっとしなければと、改めて思わされました。
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衆院予算委員会中継で (Fou)
2011-04-27 00:22:17
共産党の吉井議員が究明したことは「ベント」、「海水注入」の必要を認識できた緊急対策本部が本部長(総理大臣)が緊急事態法に定められた「ベント」、「海水注入」命令を当初からだすべきだったこと。総理は12日1:30に「東電に指示を発した」のみ。ベント開始の通報が東電よりなかなか来ないので、追って「命令」を発した、ということ。
だが、東電はその「命令」に服したのはずーッと後。そして水素爆発。
生じてしまった事は取り返しがつかないが、いち早くベント、海水注入が実施されていたならいま、避難している人たちはじめ全国、全世界の人々の苦しみはこれほど過酷なものになる事を回避できたのかと。
そして、ようやく国産のロボットをF1に投入するようですが、千葉大で開発完成できたものがあったのに、「商業的市場がない」という理由から以後予算がカットされたために実用化することができないまま「お蔵入り」になっていたのだと、新聞で知りました。
「神話」(この語を使うべきではないと思うけど)を創作して、虚構の事業経営と行政を行っていた電力各社と歴代政府は「ホリエモン」と同列の犯罪者です。


返信する
衆院予算委員会中継は… (髭彦)
2011-04-27 16:43:52
見ていませんでしたが、23日にネットに載った吉井議員のインタビューは見ました。
「福島第1原発事故は二重の人災だった
日本共産党・吉井英勝衆院議員に聞く(上)」
http://www.j-cast.com/2011/04/23093925.html?p=all
これによると、3月11日の20~21時には原子力<危険>委員会の<出鱈>目委員長が1号機の危機的状況を官邸に伝えていたので、22時には政府が東電にベント命令を出すべきだったと、吉井議員は言っています。
しかし、調べてみると、実際にベント命令が出されたのは翌12日6:50。
実行されたのは、1回目が9:04で、2回目の成功が14時すぎ。
この間に、菅は<出鱈>目と一緒に第1原発を視察(7:01~8:04)していました。
帰りのヘリの中で<出鱈>目が水素爆発は絶対に起きないと菅に保障したそうですが、その日のうちに1号機で水素爆発(15:36)。
東電(東京の本部と現地)と官邸、原子力<危険>委員会、<不安>院などの状況認識と判断、行動、それと菅の現地視察との関係など、未だに真実が明らかにされているとは言えないようです。
いずれにしても、事故直後の判断の決定的な誤りが危機をさらに決定的なものにしたことだけは、まちがいありません。
返信する
くだらないと思いつつ、観てしまいました (Fou)
2011-04-28 01:01:26
『クウィーン』という映画を。
プリンセス・ダイアナの事故死をめぐる英国国民・政府・国王という三権が並立しているイギリス社会のシステム内部の葛藤を扱ったと思われる作品でした。
私たちの国にあるのは国民の主権とそれを委任される国会を経た政府という単純明快なシステムですね。
主権をもつ私たちは私たちの利益を守ることを「一義的に」政府に責任のあることだと迫らなければ、ね。
返信する
『コモンセンス』で… (髭彦)
2011-04-28 11:43:23
イギリス出身のトーマス・ペインは「イギリスには憲法がない」と書きました。
僕たちは学校でイギリスには「不文憲法」があると習いましたが、いわゆる「名誉革命」以来、イギリスでは王権をなしくずし的に掘り崩してきたので、明文的な憲法を作れなかった訳でしょう。
それに較べ、イギリスから独立したアメリカでは、王権を明確に否定し、民主共和制の憲法を作りました。
その根本的な精神は、『独立宣言』を起草し、後に第3代の大統領になったトーマス・ジェファーソンの次の言葉に、表されています。
「信頼はいつも専制の親である。自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。」
戦後の日本国憲法は、象徴天皇制と民主共和制の折衷的要素を持つ点では、イギリス的要素が色濃くありますし、その分だけジェファーソンのような民主共和制憲法の精神を人々が理解しにくくなっています。
ですから、「国難」がやってくると政府への「信頼」と「挙国一致」「がんばれ、ニッポン」を説く言説が、容易に人々の心に入りやすいのだと思います。
今や本家本元のアメリカでもジェファーソンの精神は揺らいでいますが、僕はペインやジェファーソンの精神をどこまでも受け継ぎたいと思っています。
返信する
信頼はいつも専制の親である (Fou )
2011-04-28 23:56:36
すごい言葉ですね。
憲法は権力を制限するものだということですから、「日本国憲法制定後」の歴代保守政権が特に第九条を蛇蝎のごとく嫌ったのは当然なのでしょう。
私たち国民は政府に行政を委任しているのですから、政府が国民の不利益になることをしないように「猜疑」の目を持ち続けていなければならないということですね。
返信する
信頼すべき政府というものは存在しないのです (髭彦)
2011-04-29 11:27:16
民主主義、国民(people)主権の下では、国民(people)にとって信頼すべき政府というものは本来ありえないのです。
政府とは、信頼すべきものではなく、国民(people)の信託を裏切らないように常に猜疑の心を持って批判・監視すべきもの。
政府が国民(people)に信頼を求め、国民(people)も政府を信頼してしまうところには、必ず多かれ少なかれ専制的で腐敗した政府が生まれます。
したがって、信頼すべき政府というものは存在しないのです。
存在するのは、疑うにも値しない政府と、疑うに値する政府との2種類だけです。
戦後民主主義の下で日本人の<コモンセンス>に未だになりえないでいる、アメリカン・デモクラシーの最良の精神ですね。
返信する

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