オバマが広島を訪問するそうな。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201605/CK2016051502000138.html
といっても、謝罪する気は毛頭ないんだろうな。
アメリカの高官によると、原爆投下が「何百万もの命を救った」んだとさ。
ふざけんな
「何百万もの命救った」 原爆投下で米特使
(中国新聞 '07/7/4)
米国のロバート・ジョゼフ核不拡散問題担当特使(前国務次官)は三日のワシントンでの記者会見で、第二次大戦末期の広島と長崎への原爆投下について「文字通り何百万もの日本人の命がさらに犠牲になるかもしれなかった戦争を終わらせたということに、ほとんどの歴史家は同意すると思う」と、原爆投下を正当化する米国側の認識をあらためて示した。
原爆正当化に政府抗議せず 米特使発言は「個人的」
(中国新聞 '07/7/5)
塩崎恭久官房長官は五日夜の記者会見で、米国のロバート・ジョゼフ核不拡散問題担当特使が原爆投下を正当化する認識を示した問題について「発言は個人的な考えと聞いている」と述べた上で、日本政府として抗議しない考えを示した。
なぜ日本に原爆が落とされなければならなかったのか?
その理由については、以下に紹介するエントリーにある説明にほぼ尽きるのではないだろうか。
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↑ ついったー
Re:24730 原爆が落とされた理由
http://juku.rui.jp/ruijnet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=26825
匿名希望 (17 M)さんの24730の投稿を読みました。
>原爆を人体実験に使ったといわれるのです。実際に市街地に落として何十万人の人を使って。
>1つは、ウランからなる広島型原爆「リトルボーイ」と、プルトニウムからなる長崎型原爆「ファットマン」の差を調べる実験
アメリカはナチスドイツを対象に原爆を開発していました。そこで実験する予定だったのが、完成を待たずにドイツが降伏してしまったので、黄色いサルで実験することにしたのです。
振り上げたこぶしの行き所がなくなったので、日本に落としたということです。
ソ連の参戦は、理由としては確かにあると思いますが、第二次大戦後の世界のイニシアティブをとるために、世界中に最新兵器の威力を見せ付ける…という政治的な目的がメインだったでしょう。
>原因がどうこう、責任がどうこう言って過去をとがめるより、その過去があるからこれからどうするかを考えようということです。
>唯一の被爆国の国民として、ね。
確かに既に起こってしまったことはどうしようもないとはいえ、威力の実験・調査や政治的な理由で何十万人を一瞬で虐殺した挙句、さらに被害者をモルモットとして実験するなんて…
しかも彼らは、原爆投下を正当化しており、この大虐殺と人体実験について謝罪したことが一度たりともありません。
これからどうするか…を考え議論するためには、「過去の事だから言ってもしょうがない…」ではすまないのでは?
まずは歴史的事実を見極めて白日の元に晒し、無差別大量虐殺や人体実験などが、世界の人々に対して二度と行われないよう非難し封印していくしかないと思いますがどうでしょうか(まるで反省していないアメリカは、今もなお世界中で虐殺・大量殺戮を繰り返しているわけですから…)。
まったくもって同感である。
さて原爆は、共産圏への威嚇と、物理的な威力の実験・検証と、人体に及ぼす影響の検証のため(日本人をモルモットにした人体実験)、とほぼこの3つの理由で落とされたわけだが(しかも当初から計画されていて、日本に落とすことは決まっていた)、それについては、昨日紹介したページから抜き出すのであらためて見て欲しい。
http://blog.goo.ne.jp/akyoon/e/5a4b6f7e6b4cdeff283815d002eed820
米国の言う「戦争を早く終わらせるため原爆投下を行った」等全くのウソ、デマである。
米国は、核兵器の威力の実験のため広島、長崎の市民を人体実験にかけ、虐殺した。
これは、米国の「プルデンシャル一般大衆爆撃」と呼ばれる作戦の一部であり、「兵士ではない一般市民を、どの位大量虐殺すれば敵が戦意喪失するか」を、プルデンシャル生命保険の研究員達を現地にスパイとして潜入させ、東京大空襲、広島、長崎への原爆投下の後の社会心理調査を行うという人体実験であった。
担当したのは、米国大統領直属の「心理戦争局」と呼ばれる部署であり、局長はエイブリル・ハリマン=ブッシュ大統領一族が経営するハリマン銀行の社長である。(後略)
◎『原爆犯罪――被爆者はなぜ放置されたか』
(椎名麻紗枝著、大月書店刊、日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞)目次より一部
http://homepage3.nifty.com/shiina-lawoffice/genbakmokuji.htm
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六 アメカは被爆者の救援をしたか
アメリカの相矛盾する態度--その真意は?/広島へ入るのが恐か
ったアメリカ調査団/医薬口叩を運んだのは一回きり/医療既の派遣
/病院は建設されたか--ABCCは病院ではない/血がもったい
ない/被爆者から病院をとりあげたアメリカ
七 救援の妨害をしたアメリカ
プレスコード――禁止された原爆報道/原爆手記に添付された出版
許可要請書/没収された原爆フィルム/ジュノー博士の救援活動に
たいする妨害/「魔法のとき方を知らずに魔法をかけられた」/原爆
資料をとりあげたアメリカ/医学研究・公表の禁止/いまも地下に
眠る日本人科学者の医学論文/中止させられた国際医師会議
五 なぜはアメリカは真相を報道されるのを嫌ったか
真実を隠しつづけたアメリカ/不必要な苦痛を与える兵器
六 アメリカは誰の目から真実を隠そうとしたのか
世論対策としてのアメリカの被爆者隠し政策/アメリカは対日原爆
投下にたいずる日本人の反米感情を懸念していたか/原爆をどのよ
うに落とすか――それだけが問題であった/原爆の無警告爆撃に反
対した科学者たち/日本人を見くびっていたアメリカ/国際法を備
視した無差別爆撃
七 アメリカの原爆開発と世論操作・・・
原爆開発はアメリカの国家機密/民主主義を否定して生まれてきた
原爆/一口でも先んぜよ/アメリカの原爆「国際管理」提唱のねら
い/原爆の「国際管理」をめぐるアメリカとソ達の対立/原爆の
「国際管理」の失敗とその要因/なぜアメリカから原爆をとりあげ
られなかったのか/原爆投下の正当性の主張/アメリカ国内の世論
の変化
===========================================================より抜粋
母は、8月6日は安古市に疎開していたそうです。朝、大きなキノコ雲が上がった。非常に遠くから眺めたはずなのに、後で気付くと頬に軽い火傷みたいなものが出来てたそうです。
そのうちドンドン大怪我をした人が運ばれ始め、これは大変に違いないと思ったそうです。夕方お父さんが大八車を引っ張ってやってきて「おかあさんが大変だ」と言う。
「どうじゃった」と聞くと「死体が一杯でさけられんから、いっぱい轢いてやってきた」言う。「死んでいると思ったら、生きていて「ウぅ」とか言って動くから『ごめん、生きとった』と思って『ごめん、ごめん』とつぶやきながら、やってきた」それを聞いて怖くなり、「帰りたくない。」と泣いた。 家は、港町の宇品に有り、川のおかげで延焼をまぬがれたのです。
...
おかあさんは、千田町で、建物疎開中に民家の屋根の上で正面から被爆し、おばけのようになって、家に帰ったら動けなくなった。家に着いた時「私よ。私」と言わないとわからなかったらしい。
垂れ下がった皮膚を切り取り、牛乳瓶にいっぱい火傷の薬をもらって来て、付けようとしたら「また、爆弾が来るかもしれんから、とっておきなさい」と言う。「何言うとるん」と叱って泣きながら塗った事。
正面をやけどしたので、寝返りが打てず、すぐ、床ずれができた事。
数日後に亡くなった事。
宇品小学校にはお化けのような人がいっぱい来て「水をください」というので、あげたらみんな死んだ事。死体を山にしてそこで焼いた事。臭かったこと。焼いていると次々と頭が落ちて来る事。火箸でおそるおそるつまんでいると小学校の先生が「こうやるんじゃ」と手で掴んで上に乗せた事。おとうさんがだるいだるいと言い始めて、翌年亡くなった事。
広島に住む人の間では、こういう話しは珍しい話しではないんです。思い出すのも嫌だし、自慢する話でもない。だから、誰も話さないだけ。「大変じゃったんよ~」と言うだけ。
=============================================助産婦としての被爆後 岡村ヒサ (1990年 86歳)
私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。41歳でした。その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。一番多かったのは兎唇でございました。それも口蓋裂もあって、泣くと喉の奥まで見えるんです。お乳も飲めないような...それから肢指過剰ですね。多指です。それから鎖肛(正常な位置に肛門がなく、直腸が盲端になっており、5千人に1人の確率で発病する)。肛門のないのも多うございました。兎唇や多指は数が多うございました。分娩で頭の先がでましたら、今度も兎唇じゃないかしらと思ったら、やはりそうで、そのたんびに憂いたことを覚えています。あーどうしてこんなに兎唇が生まれるんかしらと思いました。すぐ近所でございましたが、二軒に同じように耳のない子が生まれました。その1人の赤ちゃんのおばあさんは、産婦人科の看護部長をしておられました。奇形が生まれたということで、すぐに病院に電話をされたれしいですが、先生が来られたあくる朝、赤ちゃんは逝きましたからね。もう一軒は可愛い女の子でございましたが、おばあちゃんは「火葬場に持って行くまでは、泣きだしはしませんから。」と言っておられました。これは薬を使ったんだなと私は思いました。もちろん、家族は何も言いませんし、私も聞きもしませんでした。元気な子でしたがね。そのおばあちゃんは生涯悩まれたそうです。可愛い子だったですからね。髪の毛でね、こうやって耳を隠していれば判りはしませんのにね。耳がないんです。ツルッとしておりました、片方だけ。それから、内蔵露出で、グルグルと腸が出ておりまして、思い出してもひどいヘルニアだったんですね。大学病院で手術をしてもらい、それはどうにか助かりました。まだそれから、鎖肛、これはたくさんありました。それから無脳症ですね。終戦直後ではないから、2~3年後だと思います。母親は30代でした。どうしても頭の位置がわかりませんのよ。上の方にあるのは確かに臀部だがと思いましても、頭部に触れませんのよ。おかしいなと、みよりましたら、無脳症でございました。氷を氷袋の中にいれて下げたらザラザラしますように、頭蓋骨がぜんぜん固まっていない子でした。だからそんな子が生まれたら、極秘にしてもらいたくてね。こんな事は当時はとても言われませんでした。広島医療生協原爆被害者の会発行「被爆体験記・ピカに灼かれて」13集より引用===========================================================こんなエゲつない事をしておきながら、謝罪をしてないだけでなく、反省の意識も謝罪の意識もまるっきり無いことは、あの政府高官の言葉を聞けば明白だろう。そんな連中は、また残虐行為を平気で繰り返す可能性がある(実際に今でも世界中でやってるけどな)。
現実に核兵器を人間に対して使った唯一の国はアメリカである。あんな連中に核を持たせておくのは、北朝鮮やイランに核を持たせるより何千倍も危険なのに、なぜ人々はそれを問題にしないでどうでもいい国を問題にしているのか、私にはさっぱし分からない(アメリカによる情報操作によってそのように仕向けられている、と考えるべきだろう。そんな身でありながら、「傘で守ってもらっている」「感謝しよう」って?ホンマにオメデタすぎますね)。