ようやく紅葉の秋ですね。
ブログもここらでちょっと趣向を変えて、
アカデミックな内容となります。
ひょっとしたら、みなさまもご存知かもしれませんが、
ドイツの児童文学者プロイスラーの語る伝説物語集『わたしの山の精霊ものがたり』は
山の精霊リューベツァールにまつわる楽しいお話が入っています。
2012年の夏休みの本(緑陰図書)の課題図書にもなっています。
それを翻訳されたのが、奈良女子大学の吉田孝夫先生です。
今日のブログは、その先生の近著『山と妖怪 ドイツ山岳伝説考』を読んで
その書評を『口承文芸研究』38号(2015年3月)に書きましたが、
それをブログで公表しましょう!
以下、ゆっくり、じっくり読んでくださいね。
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白雪姫に登場する七人の小びとは鉱山で金を掘る仕事をしている。
ホレばあさんは羽ふとんをはたいて地上に雪を降らせる。
― グリム・メルヒェンでおなじみの小びともホレばあさんも元をただせば、山の聖霊であり、
グリム・ドイツ伝説集にそのルーツをみることができる。
本書はそのような山の妖怪についてドイツの民俗学研究者の文献を渉猟しながら論じたものである。
グリム・メルヒェンについてはすでに各話の語り手が誰であるか、どのようにしてグリム兄弟が
原話を読むメルヒェンに仕立て上げていったかなどが明らかにされている。
これに対しグリム伝説集については日本ではほとんどその研究の実態が知られていない。
本書はその意味において貴重な情報を得ることができる書物である。
最近のグリム伝説研究(H=J・ウター)によると、
グリム兄弟はメルヒェンと同様に、伝説集の編纂に際し、そのテクストを人為的に加工した跡がみられるという。
グリム兄弟が主として利用した近世の資料は、中世的なキリスト教世界から醒め始め、
啓蒙主義の萌芽を感じ取ることができるものだった。
ところが19世紀のグリム、ドイツの民族・国民・民衆の文化の大いなる根源を探求したグリムは、
近世の伝承内容を、逆に「再神話化」したという。
つまり伝説資料を含む文脈の削除、異版テクストの混合、文章のモンタージュ、
不都合な出典の隠蔽などをしたのである。
具体例を挙げると、伝説集184番「悪魔の水車小屋」においてヤーコプ・グリムは
悪魔との契約期間を「その夜のうちに」という文に「鶏が時を告げる前に」というテクストを加筆している。
これは、雄鶏の鳴き声が持つ俗信的意味合いに注意を払ってのことである。
グリムは物語をそのまま記録することよりも、むしろ古代の信仰の痕跡を重要視したかったのであろう。
本書の著者はこのように最近のドイツにおけるグリム伝説研究についても詳細に紹介している。
本書を目次に従ってみてみると、まず前半においてドイツの鉱山伝説を考察している。
ヨーロッパの近世において鉱山業は時代の基幹産業であり、この時代のドイツは、
鉱山業を牽引する地位にあった。この空間に、古来のどのような言説が残存し、
どのように特殊な伝説を開花させていたのかを丹念にたどっている。
そして後半においてはドイツの山の妖怪を考察している。男の山の妖怪として「リューベツァール」を、
女の妖怪として「ホレさま」を取り上げ、男女それぞれの妖怪にまつわる伝説と社会との関係を考察している。
とくに、グリム伝説集の主要な出典となっている近世ドイツのヨハネス・プレトーリウスの書物からの
「リューベツァール」について論じた箇所は、圧巻である。
リューベツァールとは、人の命が寄せては返す、山の異界と日常との境界を行き来して、
両者を隔てつつ結ぶ魂の導者であるという。
著者はまた、古代日本の『記紀』における、奈良葛城山での一言主神の顕現の物語や
『日本霊異記』における役行者の逸話にも言及し、霊的世界に通じた呪術者・シャーマン的存在の
東西比較も試みている。
このように、山の妖怪をめぐる伝説が近世を経て近代へと生き延び、
今なお現代伝説としても語り継がれることの意味を多くの文献に当たり、
多角的に考察している意欲的な論考である。
写真、図版、地図も多数掲載されており、読みやすく工夫されている。
(竹原威滋)
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以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとう!
さらに、興味はあれば、本書や『わたしの山の精霊ものがたり』を
是非、読んでください。
梅花女子大、奈良大の受講生のみなさまは
自由仮題のテーマに取り上げてもいいですね。
今日は、書評を取りあげました。
では、来週末に、またブログでお会いしましょう!
それまで、お元気で!
ブログもここらでちょっと趣向を変えて、
アカデミックな内容となります。
ひょっとしたら、みなさまもご存知かもしれませんが、
ドイツの児童文学者プロイスラーの語る伝説物語集『わたしの山の精霊ものがたり』は
山の精霊リューベツァールにまつわる楽しいお話が入っています。
2012年の夏休みの本(緑陰図書)の課題図書にもなっています。
それを翻訳されたのが、奈良女子大学の吉田孝夫先生です。
今日のブログは、その先生の近著『山と妖怪 ドイツ山岳伝説考』を読んで
その書評を『口承文芸研究』38号(2015年3月)に書きましたが、
それをブログで公表しましょう!
以下、ゆっくり、じっくり読んでくださいね。
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白雪姫に登場する七人の小びとは鉱山で金を掘る仕事をしている。
ホレばあさんは羽ふとんをはたいて地上に雪を降らせる。
― グリム・メルヒェンでおなじみの小びともホレばあさんも元をただせば、山の聖霊であり、
グリム・ドイツ伝説集にそのルーツをみることができる。
本書はそのような山の妖怪についてドイツの民俗学研究者の文献を渉猟しながら論じたものである。
グリム・メルヒェンについてはすでに各話の語り手が誰であるか、どのようにしてグリム兄弟が
原話を読むメルヒェンに仕立て上げていったかなどが明らかにされている。
これに対しグリム伝説集については日本ではほとんどその研究の実態が知られていない。
本書はその意味において貴重な情報を得ることができる書物である。
最近のグリム伝説研究(H=J・ウター)によると、
グリム兄弟はメルヒェンと同様に、伝説集の編纂に際し、そのテクストを人為的に加工した跡がみられるという。
グリム兄弟が主として利用した近世の資料は、中世的なキリスト教世界から醒め始め、
啓蒙主義の萌芽を感じ取ることができるものだった。
ところが19世紀のグリム、ドイツの民族・国民・民衆の文化の大いなる根源を探求したグリムは、
近世の伝承内容を、逆に「再神話化」したという。
つまり伝説資料を含む文脈の削除、異版テクストの混合、文章のモンタージュ、
不都合な出典の隠蔽などをしたのである。
具体例を挙げると、伝説集184番「悪魔の水車小屋」においてヤーコプ・グリムは
悪魔との契約期間を「その夜のうちに」という文に「鶏が時を告げる前に」というテクストを加筆している。
これは、雄鶏の鳴き声が持つ俗信的意味合いに注意を払ってのことである。
グリムは物語をそのまま記録することよりも、むしろ古代の信仰の痕跡を重要視したかったのであろう。
本書の著者はこのように最近のドイツにおけるグリム伝説研究についても詳細に紹介している。
本書を目次に従ってみてみると、まず前半においてドイツの鉱山伝説を考察している。
ヨーロッパの近世において鉱山業は時代の基幹産業であり、この時代のドイツは、
鉱山業を牽引する地位にあった。この空間に、古来のどのような言説が残存し、
どのように特殊な伝説を開花させていたのかを丹念にたどっている。
そして後半においてはドイツの山の妖怪を考察している。男の山の妖怪として「リューベツァール」を、
女の妖怪として「ホレさま」を取り上げ、男女それぞれの妖怪にまつわる伝説と社会との関係を考察している。
とくに、グリム伝説集の主要な出典となっている近世ドイツのヨハネス・プレトーリウスの書物からの
「リューベツァール」について論じた箇所は、圧巻である。
リューベツァールとは、人の命が寄せては返す、山の異界と日常との境界を行き来して、
両者を隔てつつ結ぶ魂の導者であるという。
著者はまた、古代日本の『記紀』における、奈良葛城山での一言主神の顕現の物語や
『日本霊異記』における役行者の逸話にも言及し、霊的世界に通じた呪術者・シャーマン的存在の
東西比較も試みている。
このように、山の妖怪をめぐる伝説が近世を経て近代へと生き延び、
今なお現代伝説としても語り継がれることの意味を多くの文献に当たり、
多角的に考察している意欲的な論考である。
写真、図版、地図も多数掲載されており、読みやすく工夫されている。
(竹原威滋)
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以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとう!
さらに、興味はあれば、本書や『わたしの山の精霊ものがたり』を
是非、読んでください。
梅花女子大、奈良大の受講生のみなさまは
自由仮題のテーマに取り上げてもいいですね。
今日は、書評を取りあげました。
では、来週末に、またブログでお会いしましょう!
それまで、お元気で!