東北地方で長年フィールド・ワークをしてこられ、
「東北ルネッサンス」を唱えておられる民俗学者:赤坂憲雄氏の
言葉には、無念さの奥に、ほとばしる光を感じる。
「めまぐるしく場面が転換する。津波から原発へ。言葉を失っていた。やがて、いくつ
もの問いがあふれ出す。なぜ、またしても東北なのか。なぜ原発なのか。なぜ、東京の
「負」を東北が背負わされるのか。それが現在の事実か、それが構造か。東北が依然と
して強いられている辺境としての役割と、それはまったく無縁といえるのか。
巨大なできごとが起こっている。東北は変わる。日本も大きく変わる。どのように変
わるのかを語ることはむずかしいが、変わらざるをえない。わたしたちは幸か不幸か、
きっと、この地球の未来図を先取りするように、いま・ここに生かされているのである。
いまこそ東北ルネサンスについて語らねばならない。ここでの復興とはしかし、元に
復することではない。未知なる地平へと踏み出すことだ。たとえば、東北から、新たな
人と自然を繋ぐ世界観を創ることだ。そのためにこそ、人としての身の丈に合った暮ら
しの知恵や技を、民俗知として復権させねばならない。人智が制御しえぬものに未来を
託すことはできない。」
(赤坂憲雄「東北の民俗知 今こそ復権」読売新聞2011年3月23日朝刊より)
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大きな文字で、読めますよ!
さすが、東北をこよなく愛する民俗学者である。
私たちは常に過去の歴史を、先祖の人たちの体験「民俗知」を記憶し、
未来に語り継いでいかねばならない。
私が思うに、日本人が体験した危機的な出来事「国難」は次の四つである:
1.白村江の戦い(663年 日本が唐に敗れた海戦)
2.文永・弘安の役(13世紀後半の2度にわたる蒙古軍の日本来襲)
3.明治維新(1853年ペリー来航から1871年廃藩置県による明治政府の成立)
4.太平洋戦争(1941年真珠湾攻撃から1945年広島・長崎原爆投下による終戦)
日本人はこれらの危機を乗り越えてきた。
これに次ぐ、いや日本最大の危機、それが今回の東日本大震災である。
赤坂憲雄氏は言う:
「やがて東北学の第二楽章が幕を開ける。方位は定まった。将来に向けて、広範な記憶
の場を組織することにしよう。途方に暮れているわけにはいかない。見届けること。記
憶すること。記録に留めること。すべてを次代へと語り継ぐために、希望を紡ぐために!」
「東北ルネッサンス」を唱えておられる民俗学者:赤坂憲雄氏の
言葉には、無念さの奥に、ほとばしる光を感じる。
「めまぐるしく場面が転換する。津波から原発へ。言葉を失っていた。やがて、いくつ
もの問いがあふれ出す。なぜ、またしても東北なのか。なぜ原発なのか。なぜ、東京の
「負」を東北が背負わされるのか。それが現在の事実か、それが構造か。東北が依然と
して強いられている辺境としての役割と、それはまったく無縁といえるのか。
巨大なできごとが起こっている。東北は変わる。日本も大きく変わる。どのように変
わるのかを語ることはむずかしいが、変わらざるをえない。わたしたちは幸か不幸か、
きっと、この地球の未来図を先取りするように、いま・ここに生かされているのである。
いまこそ東北ルネサンスについて語らねばならない。ここでの復興とはしかし、元に
復することではない。未知なる地平へと踏み出すことだ。たとえば、東北から、新たな
人と自然を繋ぐ世界観を創ることだ。そのためにこそ、人としての身の丈に合った暮ら
しの知恵や技を、民俗知として復権させねばならない。人智が制御しえぬものに未来を
託すことはできない。」
(赤坂憲雄「東北の民俗知 今こそ復権」読売新聞2011年3月23日朝刊より)
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さすが、東北をこよなく愛する民俗学者である。
私たちは常に過去の歴史を、先祖の人たちの体験「民俗知」を記憶し、
未来に語り継いでいかねばならない。
私が思うに、日本人が体験した危機的な出来事「国難」は次の四つである:
1.白村江の戦い(663年 日本が唐に敗れた海戦)
2.文永・弘安の役(13世紀後半の2度にわたる蒙古軍の日本来襲)
3.明治維新(1853年ペリー来航から1871年廃藩置県による明治政府の成立)
4.太平洋戦争(1941年真珠湾攻撃から1945年広島・長崎原爆投下による終戦)
日本人はこれらの危機を乗り越えてきた。
これに次ぐ、いや日本最大の危機、それが今回の東日本大震災である。
赤坂憲雄氏は言う:
「やがて東北学の第二楽章が幕を開ける。方位は定まった。将来に向けて、広範な記憶
の場を組織することにしよう。途方に暮れているわけにはいかない。見届けること。記
憶すること。記録に留めること。すべてを次代へと語り継ぐために、希望を紡ぐために!」