据え置き式のゲームマシンが苦戦しているそうです。これだけどこでもゲームができる環境ができてしまうと「さあこれからゲームをするぞ」と気合いを入れて特定の場所に行く、という行為自体が“敷居が高い”ものになってしまったのかもしれません。
だったら「ゲーム」専門ではなくて、「ホーム管理」で生きていくのはどうでしょう。「スマートホーム」の中枢としてだったら、能力はたぶん十分以上にあるし家の中でも家族が使いやすいところに設置するわけですし、十分活用できるんじゃないです?
【ただいま読書中】『紫の火花』岡潔 著、 1964年、朝日新聞社、480円
著者は1901年生まれの数学者だそうです。職場の同僚に「素敵な日本語を書く人」と紹介されたので読んでみることにしました。
この古風な日本語を読んでいて私が感じるのは「戦前のテイスト」と言ったらいいでしょうか。寺田寅彦さん・湯川秀樹さん・朝永振一郎さんなどのエッセイを読んでいて感じるのと共通の「分厚い教養」が文章の根底に横たわっているように感じられます。ものを知っているとか知らないとか、知識が正確だとかあやしいとか、そういったことを超越した、古典や文化への目配り、歴史への視線、日本文化を背負った上で外国と対峙する姿勢……そういった“香り”が漂ってくる本です。「文系と理系の断絶」を嘆いたC・P・スノーだったら、こういった人たちがもっと増えてくれたら、と言ったかもしれません。
扱われているテーマは、情緒(と連歌)、情緒(と南宋の絵)、本因坊道策や伊藤看寿の棋譜、孫と自然数の関係、「独創」に関する寺田寅彦の教え、脳のどこをいつ発育させるべきかの持論……
2000頁くらい数学の論文の下書きを書きに書いて、それを20頁にまとめたものを毎年発表するのが著者のやり方なのだそうです。その論文の質があまりに高いので、欧米では「個人ではなくて岡潔という名前のプロジェクトチームではないか」という噂まで立ったそうです。あまりに数学に没入していて、実生活ではいろいろちょんぼをしているように本書には書いてありますが、恬淡とした書きぶりでご本人はそんな“ちょんぼ”は全然気にしていないようです。「“天才”はそんなものなの」かもしれません。
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