「心理描写」……言葉にした時点で変質している
「素描」……素朴な描写
「毛描」……毛で描く
「鉄線描」……鉄線で描く
「絵に描いた餅」……とてもリアル
「夢を描く」……画才がないとみじめ
「氷に鏤め水に描く」……素晴らしい芸術的能力
「絵に描いたよう」……現実味を欠いている
「絵にも描けない」……現実味を欠いている
【ただいま読書中】『さよなら家族』石坂啓 作、イースト・プレス、1994年、951円(税別)
目次:夢の缶詰、エバちゃんのリボン、遠い煙突、その後のE.T.、コインランドリーベイビーズ、耳の奥にすむ巻き貝よ、タクシー、アマカネ、フチの思い出、、父のいる風景
「家族」を共通のテーマとして編まれた短編漫画集です。
「平和な家庭」に闖入してくるのは……認知症老人(マンガ発表当時は痴呆老人)、赤ん坊、離婚という現実、さらにはE.T.まで。というか「平和な家庭」というステレオタイプな存在が本当に実在なのかどうか、作者は疑問を持っているかのようです。だから「異物」を導入することで「ステレオタイプ」を混乱させたくなるのかもしれません。
そういえば、私が知っている「家族」も、自分が育った家族、親戚や近所や友人たちの家族、そして自分が作った家族……どれも全部違います。それぞれに別々の“物語”があります。ほとんどの誰もが知っていてほとんどすべてが違う「家族」。家族って、身近だけど、本当に不思議なものですねえ。
「東名高速道路は物流の大動脈」と言いますが、今回の大雪でそれが遮断されてしまいました。そういったときの補助に使いたい山梨回りも、記録的な大雪で遮断。となると、いざというときの代替線として、いっそ富士山の下を掘り抜いて静岡県内をずっとトンネルで通過する長い長い地下高速道路を建設しましょうか。これだったらリニア新幹線より「物流」に関してははるかに役に立ちそうです。おっと、富士山噴火の時に使用が不可能になりそうですね。これは困った。
【ただいま読書中】『雪男は向こうからやって来た』角幡唯介 著、 集英社、2011年(12年5刷)、1600円(税別)
早稲田では探検部で活動し、卒業後は朝日新聞の記者となった著者は、冒険ルポルタージュを生業とすることを決意して退職します。そこへ「イエティ捜索隊」への誘いが。著者は戸惑います。彼のライフラークはチベットのツアンボー渓谷。「雪男ぉ?」という懐疑的な思いがまず生じますが、関係者に会って、意外に目撃談が多いことを知ります。それも日本の高名な登山家たちの。
著者はまず国内で会える登山家に会って、雪男の目撃談を集めます。そこで感じるのが「いる」と語る人に向けられる社会(常識人たち)の冷ややかな視線でした。さらに参考図書をいくつも読みます。その過程で著者は「雪男なんてばかなものが存在するわけないじゃないか」から「もしかしたらナニカがいるのかもしれない」に立ち位置が微妙にシフトしていきます。
「雪男の足跡」が初めて紹介されたのは1887年。ヒマラヤ研究者として有名なワッデルがその著書「Among the Hymalayas」で高度5200mシッキムの雪原で目撃した巨大な足跡を書いています。ワッデルは熊だと考えましたが、ダージリンに住むヘンリイ・ニューマンが「雪男」と名付けました。1950年代ヒマラヤ登山が盛んになると、「雪男」目撃報告が続きます。その中で一番有名なのがシプトンの「イエティの足跡」写真です。しかし著者はその真実性について懐疑的です。ナニカいるにしても、(世間に定着したイメージのような)そこまで巨大な類人猿ではないのではないか、と。
ネパールでは、「イエティを見た」と言うことでシェルパの職にありつこうとする人もいれば、冷ややかに「イエティだってぇ?」と否定的に語る人もいました。
それまでの「遭遇」では、カメラの準備が間に合わなかったり天候が不良だったりで、十分説得力のある証拠が得られませんでした。著者が参加した2008年の雪男捜索隊では一定のエリアを囲うように固定拠点を設け、そこでじっとカメラを構えて待つことにします。忍耐が武器の作戦です。そこで著者は、「雪男」にとりつかれたかのように探索行を繰り返していた鈴木さん(小野田寛郎さんを“発見”した人)の遺志を受け継いだかのような気分になってしまいます。果たして「雪男」は見つかるのでしょうか。
というか「雪男」の“定義”って、ありましたっけ? 定義がなかったらナニカを“発見”したあとになって「これは雪男だ」「いや、雪男じゃない」ともめそうな気がするのですが。
そうそう、こんなニュースも最近ありました。
「雪男は古代ホッキョクグマの子孫?DNAが完全一致」(afpbb)
やっぱりナニカはいるのかな。
私が首都高を運転したのは1回だけですが、その経験だけで十分でした。渋滞がひどくてずいぶん長い駐車場だなあ、と思っていると、急に流れ始め、左右から合流車がどかどかやってきます。さらに自分がどこに行きたいか、そのために右の車線にいればいいのか左がいいのかがわかりません。泣きそうになっていると、トンネルに入り、なんとトンネルの中でも合流があります。もう勘弁してくれ、のオンパレード。
ということで、私は東京都民になることはすっぱりあきらめました。そしてその決心を後悔したことは……あまりありません。
【ただいま読書中】『首都高速の科学 ──建設技術から渋滞判定のしくみまで』川辺謙一 著、 講談社ブルーバックス、2013年、900円(税別)
首都高最初の区間(京橋~芝浦)は1962年に開通、都心環状線の開通は67年でした。東京オリンピックが64年ですから、「オリンピックのために首都高(と新幹線)は作られた」とも当時言われましたっけ。実際には戦前から計画があり、ちょうどタイミングが良かった、ということだったようです。
首都高はヨーロッパともつながっています。「アジア・ハイウェイ」は、東京日本橋を起点として、釜山・ソウル・北京・ハノイ・ニューデリー・テヘラン・イスタンブールを経て、トルコとブルガリアの国境カピキュレでヨーロッパハイウェイと接続しているのです。つまり首都高はヨーロッパへの入り口、でもあるのです。
欧米ではまず「都市間」の高速道路が発達してそれから都市高速が作られましたが、日本ではまず首都高が建設され、それから都市間が作られた点が違っています。それだけ首都の交通量が多くて何とかする必要があった、ということでしょう。
建設技術の進歩はすごいものがあります。交通管制や情報収集や表示にもハイテクが駆使されています。
事故対応も大変です。首都高では1日平均30件の交通事故が発生します。通報から首都高パトロール隊が現場に駆けつけるまで、平均10分。早いですねえ。パトロール隊は落下物にも対応します。こちらは1日平均80件。多いのはベニア板や角材、鉄くずなどですが、珍しいところで怪獣の足(撮影用)なんてものもあったそうです。
トンネルからの排気も芸が細かい。山手トンネルでは、まず有害物質を除去した上さらに「音(トンネル内の騒音)」も消音装置で小さくしてから地上に排気されているそうです。そのために山手通りに設けられた換気塔の高さは45m。でっかい(ハイテク)煙突です。
立体構造は複雑です。立体交差やジャンクション、パーキングエリアなどが、土地が限られた都心部にコンパクトに収められています。トンネルでさえ立体構造を考える必要があります。地下に埋設されたパイプや地下鉄、川底などを避けて上がったり下がったり曲がったりするトンネル工事が行われています。
映画「惑星ソラリス」のオープニングで、首都高のドライブシーンが登場しました。当時は“あれ”が「未来都市のイメージ」だったのです。2020年にはまた東京オリンピックが開催されます。さて、そこで首都高はどんな役割を果たすことが期待されているのでしょう。そして、「未来都市のイメージ」は、こんどは何になるのでしょう?
何かを普段からやっている人は、そのことを改めて強調しません。それが生活の「普段」「当たり前」ですから。
普段やってない人の中には、せっかく珍しく自分がやっていることに注目して欲しいのか、あるいは自分にとって珍しいことは他人にとっても珍しいはずだと思うのか、自己宣伝に努める人がいます。「自己宣伝」って、やっている側には意味があるのでしょうが、やられている側にも別の意味が見えるものです。
【ただいま読書中】『鳥類学者無謀にも恐竜を語る』川上和人 著、 技術評論社、2013年、1880円(税別)
化石からどこまで実際の姿が“復元”できるだろうか、ということでまずは練習問題が登場します。現存する鳥の骨格標本を見せて、実際にはどんな姿か外見を想像しろ、というわけ。これが笑っちゃいます。みごとに“意外な展開”です。だからこそ、恐竜の「足跡」や「羽毛の跡」の化石が発見されたときに大騒ぎになったんですけどね。
本書の大前提は「鳥類は恐竜から進化した」です。それを信じることからすべてが始まります。
1824年恐竜の化石が発見されます。もっともこの頃には「恐竜」ではなくて「巨大な爬虫類」でしたが。1842年に「恐竜」という概念が提唱されます。1859年にダーウィンが『種の起源』を出版、進化論の擁護者ハクスリーは恐竜と鳥類が近縁だと主張しましたが、あまり注目されませんでした。1964年に恐竜温血説が登場、「恐竜ルネッサンス」が始まります。1996年に中国で羽毛の生えたシノサウロプテリクスの化石が発見されます。以後、羽毛の「印象化石」が次々発見され、「恐竜は羽毛に包まれていた」が“新しい常識”になりつつあります。ただし「すべての恐竜が羽毛に包まれていた」わけではありません(今のところは)。その「羽毛」にしても、原始的なもやもやしたものから今の鳥のような立派なものまでいくつかの段階を経て進化したはずです。
ところで「シソチョウ」は飛べたのでしょうか。翼はそれほど洗練されたものではありません。竜骨突起もありません(鳥は胸骨の真ん中に張り出した竜骨突起で筋肉で支えることで飛翔に必要な力を得ます。鳩が鳩胸なのはこの竜骨突起が発達しているから。ダチョウやエミューなどは飛ばないから竜骨突起が退化しています)。翼竜は滑空をして魚を食べたことはまず間違いないようですが。
鳥には渡りをするものがいますが、では恐竜はどうでしょう。実は恐竜にも「渡り」をしたものがいます。草食性のカマラサウルスで、歯の酸素同位体分析で低地から高地に移動したことがわかっています。また、カマラサウルスの足跡化石で彼らが集団で行動したこともわかっています。長さ15m(ガンタンクくらい)の集団がぞろぞろと「渡る」姿、見てみたいなあ。
鳥が首を振るのは、眼球運動が苦手なために体を移動しているときに視点を空間に固定するため、だそうです。さすが鳥類学者、わかりやすく教えてくれます。では恐竜は首振り運動をしていたのでしょうか? 鳥はホッピングをしますが、では恐竜は? 鳥の巣は(多くは)樹上ですが、恐竜の巣は? これは証明は難しいでしょうね。「樹上の巣」が化石として残ることは非常に難しそうですから。
夜行性か昼行性か、これまた難しい問題提起です。恐竜化石で、目の大きさや脳の感覚野の大きさから夜行性かどうかを判定しようという研究があります。ところで鳥の場合、夜行性の鳥は目は大きい(フクロウやヨタカ)か小さい(キーウィのように嗅覚に頼る)かに別れます。さて、夜そのへんをふらふらしている恐竜は、どのくらいいたのでしょう?
そして最後に「環境エンジニア」としての恐竜の登場です。恐竜が集団で移動したら当然そこには「恐竜道」ができるはず。それは他の動物の移動や植物の種子の散布にも大きな影響を与えたはずです。食べたり出したりも環境に大きな影響を与えます。恐竜は生態系の一部ですが、同時に生態系を変容させる能動的な要素でもあったのです。
恐竜絶滅後、すぐにほ乳類の天下が来たわけではありません。まず「恐鳥」の時代がありました(暁新世)。それからやっとほ乳類の天下へ。あまり注目されていませんが「鳥」はけっこう重要な存在だったんですね。
もしも恐竜から鳥が生まれたのだったら「鳥類学者」は「恐竜学者」と名乗ってもいいのではないか、という発想から生まれた本です。著者はふざけ口調でそう主張していますが、半分以上真面目だと私は思いました。で、私も半分は真面目にその主張に賛成します(残りの半分は……笑)。「生きて動いている恐竜」を見たことがない以上「恐竜の子孫」を観察することでいろいろ推察をすることは、まったく無駄ではないだろう、と。半分くらいは無駄かもしれませんけれどね。
昭和の時代、私のお袋は、割烹着姿で買い物籠を腕に下げてお買い物に出かけていました。
最近「エコバッグ」というものが普及しているそうですが、なんでかつての買い物籠でないのか、私は不思議です。わざわざ新しく作らなくても、ちゃんと日本にあるのに。
さらに最近は、風呂敷が「エコなラッピング」として取り上げられています。これまた私は不思議です。エコだろうがエコでなかろうが、風呂敷でものを包むのは、そんなに不思議なことではないでしょう? わざわざ「エコバッグ」のライバルにしなくても、普通に使えばいいでしょうに。
【ただいま読書中】『ふろしきの包みかた』森田知都子 著、 淡交社、2008年、1400円(税別)
まずは有名な「スイカ包み」ですが、スイカを入れずに二つの結び目を把手として持てばそのまま「お買い物袋」です。ショルダーにしたりリュックにしたり、自由自在。
包むだけではなくて、小物入れにしたりティッシュケースにしたりクッションにしたり、生活の中で自由自在です。なにしろ一枚の布でしかないのですから。
私が今困っているのは、“使用後"のことです。風呂敷にしても袱紗にしても、持っていくまではいいです。行って、中から取りだしてお渡しする、そのとき、手が二本しかありませんから、物を渡すことと用が済んだ風呂敷や袱紗の始末がきれいに同時にできないんです。ここのところの美しい所作をなんとか習得したいものです。
国際競争力をつけるためにはとにかくコストカット、ということで、材料や人件費をカットしまくるやり方が日本では人気があるようです。でもそれって「消費者は(少なくとも我が社のユーザーは)全員“安物買いの銭失い”だ」と主張していることになりません?
【ただいま読書中】『ぼくらの鉱石ラジオ』小林健二 著、 筑摩書房、1997年、3300円(税別)
無線電話の鉱石受信機は、ヨーロッパでは1906年頃から、アメリカでは1907年頃から製品として登場しました。日本では1916年(大正5年)頃からです。俗に言う鉱石ラジオ(放送局からの電波を聴取するためのもの)は、欧米では1919年ころから、日本では1924年(大正13年)ころからです。JOAK東京放送局(NHKの前身}の本放送は1925年からですが、当時の国産鉱石ラジオは30~50円でした(東京の教員の初任給が25円)。さらに、工事費に10円、聴取料が月に2円です。これが真空管式ラジオだと、国産で70~300円、輸入高級品だと2000円くらいのものまでありました。
最初は「ダイオード、コイル、クリスタルイヤフォン」だけで構成された一番シンプルな鉱石ラジオの作り方です。きちんと接続をしてアンテナとアースさえきちんととれば、まず失敗はないはず。
つぎはヴァリコンが投入されます。これで周波数の選択が楽にできるようになります。それからコンデンサー。それぞれの部品の原理についても説明がされます。読んでいてなんだか懐かしい気持ちになります。まだ量子論を知る前で、私にとっては電子が「粒」だったときのことを思い出します。
著者の鉱石ラジオに関する苦いような甘酸っぱいような個人的な体験を読んでいて、私も自分の鉱石ラジオ体験を思い出しました。最初は全然鳴らなくて、いろいろやっている内に本当にかすかにまず雑音が聞こえ、やがて誰かの声とかすかな音楽が聞こえた瞬間を。あの時の気持ちって、達成感と満足感と、自分が宇宙とつながっているという感覚と……
また鉱石ラジオを作りたくなってしまいました。「ラジオ」を聞くのだったら、たとえラジオがなくてもスマホやパソコンにアプリを入れればすぐに聞くことができます。ただ、私は「鉱石ラジオ」で、遠ざかっていった自分の「少年時代の音」をまた聞きたくなっているのです。
「理科離れ」なんて言いますが、どうしてなんでしょう。
たとえば「料理」は、生物学・栄養学・化学がわかるととても面白くなります。外国の料理だと、理科ではありませんが、外国語・地理・歴史も絡みます。洗濯は、環境学・物理学・化学の出番ですね。そのへんを複合的に学習できたら、とてつもなく面白い“授業"になるのではないかと思えるのですが。
理科に関して、「離れる人」ではなくて「離す人」の方に、もしかしたら何か問題はありませんか?
【ただいま読書中】『洗たくの科学』花王生活科学研究所 編、襟華房、1989年(96年10刷)、1400円(税別)
紀元前2000年頃のエジプトの壁画には洗濯の場面が描かれ、パピルスの記録には天然ソーダに動物の脂肪を加えて熱する「石鹸」が残されています。人類はそれ以外にも、粘土や植物など様々な洗浄剤を試してきました。ローマ時代には尿を分解したアンモニアも用いられています。
日本で「洗濯」が大きく変わったのは、1950年代、電気洗濯機と合成洗剤の登場によってでした。その後も技術の進歩は止まらず、合成洗剤は、最初は1回に150g必要だったのが、最近は25gになっています(本書出版から20年以上経っているので、今はもっとコンパクトになっています)。
洗濯機に衣類と洗剤を放り込んだら自動的にきれいに洗濯されるか、といえば、そうではありません。汚れの種類(や付着のしかた)によって洗剤を使い分ける必要があります。
もっともポピュラーな「汚れ」である「汗」を分泌する汗腺は「エクリン腺」と「アポクリン腺」に分けられ、それぞれ「違う汗」を出しています。アポクリン腺からの汗には蛋白質や脂質が多く含まれています。「皮脂」には男女差(男>女)と年齢差(思春期に増え、男は60代・女は40代に低下する)、部位差(背中や胸に多い)があります。これらの「脂」が「下着の黄ばみ」の原因となります。
汚れの付き方も、布の表面・繊維と繊維の間・単繊維の内部など様々で、その落とし方も場所によって違ってきます。
さらに、ついた汚れに細菌が生息すると、話は(よごれの性状が)ややこしくなります。さらに汚れ物は臭くなります。
ではその汚れを落とすためにはどんな科学が必要なのでしょう。ということで登場するのが「界面活性剤」です。本来混ざらないはずの水と油を混ぜる物質。しかしいくら強力な界面活性剤でも、単繊維の内部にまでは入れません。そこまで侵入して単繊維内の汚れを落とすのが、アルカリセルラーゼ(セルロース分解酵素)です。
新品の白い衣料の多くは、「白さ」を出すために蛍光剤で染めてあります。綿・麻・レーヨンなどではこの蛍光剤が洗濯で落ちていきます。だからその補給のために洗剤に蛍光剤が配合されます。しかし、毛・絹などや、薄い色の衣料の場合には蛍光剤がない洗剤の方が良いことになります。「真っ白な洗い上がり」といっても、なかなか話は簡単ではありません。
河川の富栄養化防止のために、無リン洗剤が開発されました。ただ「富栄養」には「リン」だけではなくて「窒素」も関係しています。一時期「合成洗剤=悪」「石鹸=善」という割り切り方をしている主張もかつてありましたが、そこまで環境の話は簡単ではない、が私の認識です。
洗剤は「コンパクト」になったあと「バイオ」ブームとなりました。酵素配合です。先に書いた「アルカリセルラーゼ入り洗剤」が昭和62年に発売されて、大ヒットとなりました。
「上手な洗濯」についてのヒントもありますが、まずは「洗濯物の絵表示をちゃんと見ること」からだそうです。ついで、水量に合わせて洗剤をきちんと計量。もちろん洗濯機の能力に合わせて洗濯物の量も考える必要があります(最近の洗濯機は洗濯物の量に合わせて水量を指定してくれますが)。使う水の量と温度、すすぎや干し方にも配慮が必要です。
最後の章には「お洗たく相談室」に寄せられた相談が集められています。つまり「失敗から学ぼう」というもの。ここで駆使されるのが「化学」です。血液は水溶性だから、ついてすぐは水洗い(洗剤を併用)、しばらく経ったものはタンパク汚れだから酵素入り洗剤でつけ置き洗いあるいは酸化型漂白剤、それでも取れないものは鉄分だから還元型漂白剤(ハイドロハイターなど)、といった具合に解説されています。やっぱり学校で「理科」はしっかり習う必要がありそうです。
生老病死はいずれも「苦」です。今の世の中だったら「貧乏」も「苦」の一つと数えたくなりますが、それは「生」に含まれているのだ、とすればよいのでしょうか。
死は苦しみからの解放であって欲しいものですが、死んだ後もなお苦しめられるのは「地獄」です。血の池地獄とか針の山の地獄とかがありますね。ところでこういった地獄の中には「年老いて苦しむ地獄」「病気で苦しむ地獄」って、ありましたっけ? というか、もしもそんな「地獄」があるのだとしたら、「この世」はすでにして地獄そのものなのかもしれません。
【ただいま読書中】『日本仏教の医療史』新村拓 著、 法政大学出版局、2013年、3300円(税別)
「祈療」という聞き慣れない言葉がまず登場します。病気の治療のために祈ることです。医師に多くを期待できない時代、祈療には根強い人気がありました。その流れは、現代日本の「健康食品」「サプリ」「(近代医学から見たら怪しげな)○○療法」に人気があることに通じているようです。
「病気は仏罰」と言われたり「難病は前世で犯した罪の報い」と言われることもありました。また、僧によって「病因」のとらえ方は様々です。「仏教としての統一見解」は示されません。ただどれにしても、“治療法"は基本的に念仏ということになります。
唐の義浄は求法のためにインドに渡りましたが、そのときインド医学(アーユル・ヴェーダ)も学びました。それが空海によって日本にも輸入されているようです。中国に渡った日本の僧は、仏教だけではなくて中国の医学書も大量に日本に持ち込みました。外国の文献(つまり漢籍)を読みこなしそれを「現実」に用いることができる当時の“インテリ"は僧だったのです。(貴族もインテリですが、彼らは「現実社会」とは関わりを持ちませんでした) 僧は医者としても活動をします。14世紀前半、叡山には「医療部」(今の医学部)がありました。カリキュラムの詳しいことは伝わっていませんが、薬・加持祈祷・呼吸調整による治療を学んでいたようです。
古代・中世の日本人にとって「死」は「点」ではなくて「経過」でした。「絶息」は死の第一段階。遊離した霊魂を呼び戻す招魂儀礼が行われ、やがて体が腐って「死が完成した」と認められます。そこで湯灌が行われ入棺です。古代はその過程がゆっくりでしたが、中世にはスピードアップされ、後柏原天皇の場合、絶息後はやくも4日で入棺となっているし称光天皇では翌日に入棺でした。そこでは、どのように安らかに「往生」するかが大問題となります。そのために、念仏や部屋に置くものなど、さまざまな“作法"が整備されました。対して「絶対帰依の一念が定まったときにすべてが決定されている」としたのが親鸞です。こちらでは、絶対帰依によって極楽往生は間違いないのだから、「死の場面」がどのように乱れても関係ない、とされました。もっともそれで納得できる日本人は少なかったらしく、浄土真宗でもその後臨終での作法が整備されていきました。日本人って、けっこう“頑固”です。
延命治療に対しても、仏教の立場によって評価は様々です。臨終の作法が重視されるところでは延命治療はとんでもないことですが、親鸞の立場だと「個人の自由」です。
南北朝頃から戦場には「陣僧(従軍僧)」がいましたが、死者を弔ったり臨終での念仏を唱えたりするだけではなくて、金創医(外科医)も兼ねる者がいました(時宗に特に多かったそうです)。傷を負ったら治療をしてもらって、治療がむなしかったらそのまま念仏を唱えてもらう、というのは“効率的"ではありますね。
薬草園を備えたお寺も多くありました。日常的な修法のための香薬を得るためだけではなくて、自家消費または売薬用の薬種を得るためでした。本草の研究と実践から、様々な「薬」が世に出ることになります。
近世になり「医者」という「職業」が成立します。そのため「僧が治療する」ことは少なくなっていきました。宗教と医学の分離です。ただ、お寺は「製薬工場」として機能していました。そういえば江戸時代には、大名屋敷に有名な薬を買いに行く、ということも行われていましたが「お寺の薬」はそれだけでありがたいものに感じられますよね。プラセボ効果もあって、よく効いたのではないでしょうか。
スピードスケートでよく思うのが、一度に2人しか走れないんだなあ、ということ。たしかに追い抜くときに接触したら危ないしセパレートコースにするのも難しいから陸上のトラックと同じようにはできないでしょうが、短距離ならともかく長距離の予選で「2人だけ」が延々とリンクを占領しているのは、大変もったいないことのようにも思えます。
そうですねえ、ストレートの「表」と「裏」から同時に2人ずつスタートさせたら、一度に4人が勝負できますから、競技時間が半分にできませんか? もし予選と本選があるのだったら、予選だけ4人で、というのでも良いです。
【ただいま読書中】『表紙裏の書誌学』渡辺守邦 著、 笠間書院、2012年、3500円(税別)
和本の表紙には芯紙が貼られて丈夫になっていますが、それは出版業が軌道に乗った1640年頃からで、それまでの和本の表紙裏には「反古」が使われていました。「刷りやれ」と呼ばれる刷り損なった「損紙」や、試し刷りに使われた紙です。本書は、そういった表紙の裏に潜んだ反古を明るみに引っ張り出し、当時の出版事情や出版に関する常識を「現物」をもとに明らかにし、さらにその作業を「ワークショップ」として公開することで、古書の魅力に一般人も引き込もう、という壮大な意図をもって作られた本です。
でも、扱っているのは、虫食いだらけの古びた和書なんですけどね。
そうそう、この「虫食い」もまた重要です。表から裏まで貫通した穴は、綴じ糸を切って表紙から外してしまった反古の天地がわからなくなったときに、貴重な「ガイド」として機能したのです。
しかし、仏書がでたり史記が出たり、表紙裏にはなかなか面白い世界が隠れています。
著者たちの活動は、新しい問題を生みます。「古書の修復とはなにか」という。本来の姿に戻すのだったら、反古もまた元の位置(表紙裏)に戻すべきです。しかし、反古には反古の価値があります。それを閲覧不能にして良いのでしょうか。しかし表紙裏から反古を抜いたら、それは「修復」でしょうか?
本書を読んでいて感じるのは、著者の「こんな面白いものが見つかったよ」という「わくわく感」です。畳替えのときに畳の下から出てきた古い新聞紙を思わず読んでしまう個人的感覚の学術版、といったところでしょうか。そういえば文学では「四畳半襖の下張り」なんてのもありましたね。“お宝”はまだあちこちに潜んでいるような気がします。
昨日は温暖な地でもしっかり雪が降りました。私は冬はずっとスタッドレスタイヤに交換しておく習慣ですから別にそれほど困りませんから、出勤時刻をいつもより10分くらい早く出るだけの対応としました。坂道を降りながらがつんとブレーキテストをすると、積雪にタイヤを取られてしっかり尻振りをします。久しぶりの感触で楽しくなります。
ところでそんな路面状況なのに、自転車やバイクが。明らかにノーマルタイヤの自動車も。度胸だめしか自殺志願か知りませんが、頼むから「安全第一」でお願いします。自分の安全だけではなくて、他人の安全のためにも。
【ただいま読書中】『ガソリン生活』伊坂幸太郎 著、 朝日新聞出版、2013年、1600円(税別)
一風変わった小説です。何しろ主人公が緑色のデミオなんですから。そう、マツダの自動車です。
この世界では、自動車は知性を持ち、自動車同士でなら話すことができます。人間とは話せませんが、人間の言葉は理解できます。とまあ、ここまでがお話の大前提。というか(私たちが生きている)現実世界でも「自動車が知性を持っているが、人間はそれに気づいていないだけ」とすれば、『ガソリン生活』の世界はそのまま成立してしまいます。
超初心者のドライバー良夫とその弟の亨が車の中で会話をしているところからお話が始まります、というか、「語り手の視点」は「デミオに固定」ですから車の中(およびその周囲)以外の“舞台”は本書には登場しません。亨は小学生ですが、明らかに精神年齢は(兄弟の父母を含めて)一家の中での“最長老”です。だから学校ではいじめられているのだそうです。さて、そのような日常に突然“異物”というか“異人”が闖入してきます。そして、かつての「パパラッチに追跡されて亡くなったダイアナ妃」の交通事故をそっくり引き写したかのようなトンネル事故が。
兄弟(とデミオ)は、パパラッチ役のジャーナリストを追跡します。と書くとまるでミステリーか活劇のようですが、実際には情報の方がのほほーんと兄弟のところにやってくるのです。基本テイストはまるっきりファミリー映画。
しかしそこの「恐怖」が忍び寄ってきます。ヒトにとっての恐怖と、自動車にとっての恐怖とが。どうも、兄弟に挟まれた長女(高校生)が付き合っている男が、「死体」を押しつけられそうになっているのです。それを自分の車で運搬しろ、と。
トンネル事故と死体運搬と、二つの事件が交錯しつつ、話は回り中に伏線を振りまきながらゆっくりと進行していきます。もともと新聞の連載小説ですから、進行がゆっくりなのは、道が渋滞するのと同様しかたありませんし、伏線を少し過剰なくらい振りまかなければならないのもガソリン自動車が走ったら排気ガスやノイズが出るのと同じでしかたないことなのです。はらはらどきどきとほのぼのが信号のない十字路で交差する自動車のように入り交じります。
そして、やはり最初から伏線があった「子供のいじめ」。これについてもちゃんと忘れずに伏線回収が行われます。それも、いじめられている子供が「自分で自分のアクセルを踏んで、人生にライトを点ける」と決心する方向で。私も後押しをしたくなります。行っけ~、と。
しかし、ここまで無力な主人公というのも珍しいですね。能動的にできることは「(排気ガスが届く範囲内の)他の自動車とのおしゃべり」だけ。移動はすべて人間任せ。見聞できるのは自分の知覚範囲内のことだけ。目の前の小石一個動かすこともできません。だからこそ、彼らが観察する「人間の生態」は私たちにとっておなじみであると同時に新鮮なのですが。
もしかしたらこの「主人公」は、「作者の書く文章に対して、読む以外のことは何も能動的にできない読者」の分身、ということなのかもしれません。
新鮮な視点とちらちら登場する鋭い人間洞察を楽しみつつ、気楽に読み通すことができる娯楽小説です。ところで、日本のナンバープレートに「し」はありましたっけ? たしか「死」と「屁」は“欠番”だったのではないか、と思うのですが。