NHKのラジオニュースでどうも違和感があると思ったらアナウンサーが「老朽化した箸」と原稿を読んでいました。「老朽化した橋」ですよねえ。NHKも最近はチェックが甘いのかしら。それとも「日本語」が変わっちゃいました?
【ただいま読書中】『薔薇の名前(下)』ウンベルト・エーコ 著、 河島英昭 訳、 東京創元社、1990年(95年21刷)、2233円(税別)
ヨハネの黙示録の記述に従っているかのように、死体が次々見つかります。
ウィリアムの本来の使命「皇帝と教皇の使節団の会談」も期日が迫ります。ウィリアムは眼鏡をなくし、新しいのを製作してもらい、なくした眼鏡も見つけます。そして「禁断の書物」を求めて、ウィリアムとアドソは(幾分浮かれ気味で)「迷宮」となっている書庫に潜り込みます。
中世の修道院では宗教に直接関係ある施設を除くと、「図書室」と「薬草園」が大変重要なものと言えます。図書室には古代からの書物が大切に保存され、書写僧たちが次々写本を製作していました(これらの写本が後の「ルネサンス」で重要な役割を果たすことになります)。薬草園では様々な薬草が育てられ、それは修道士だけではなくて、疲れ病んで修道院を訪れる巡礼たちの役に立っていました。
「会議」が始まりますが、「キリストの清貧」を肯定するか否定するかのややこしい神学論争が展開されます。形而上的な「神学」だけではなくて、「修道院」「修道会」が豊かであるかどうかも裏に絡んだけっこう現実的な争いなのですが。論争が口論になり、とっくみあいになった頃、次の殺人が起きます。ウィリアムもアドソも大忙しです。
明らかに連続殺人の図式ですが、ウィリアムは(ホームズと同じく)ありとあらゆる可能性を考えた上で明らかにあり得ないものを排除しようとします。だから正解にたどり着くのには時間がかかります。その時間を使って、異端審問が開かれ、そしてまた次の殺人が。
そういえば日本に『不連続殺人事件』という作品がありましたが、『薔薇の名前』でも「連続殺人」は本当に「連続」なのか「不連続」なのか、なかなか真相は明らかになりません。もしかしたら“探偵”が組み立てた“間違った図式”に“犯人”が入り込んでいるのかもしれないのです。
さらに教皇と皇帝の対立、キリスト教の教義論争、修道院内での権力闘争が絡み、そこにスコラ学がやっとこさ統一的に扱うことに成功したと思っているアリストテレス哲学とキリスト教の対立が絡んできます(実はこのスコラ学の限界が、のちに15世紀ルネサンスや宗教改革をもたらすことになるのですが)。
推理小説と歴史と言語学が大好きな私は、それらがたっぷりと盛り込まれた本書にもう大喜びなのですが、ちょっと盛り込みすぎではないか、とも思ってしまいます。もっともそういったものを大いに楽しめる人が世界中にいたらしく、本書は世界的なベストセラーになったのだそうです。それは、良かった。