【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ビニールハウス

2013-10-27 07:42:13 | Weblog

 英訳したら「plastic greenhouse」になる、と私のatokは主張しています。
 温度を維持するために重油を燃やすから、環境にはよろしくない、という悪評もありますが、だったらいっそのこと「ビニール」をすべて「ペアガラス」にして「省エネ(ビニール)ハウス」にしてしまったらどうでしょう。人が住む家でもペアガラスや二重窓は断熱性能が上がるからとても良い評判ですよね。だったら植物にも同じことが言えるのでは?

【ただいま読書中】『水族館の歴史 ──海が室内にやってきた』ベアント・ブルンナー 著、 山川純子 訳、 白水社、2013年、2200円(税別)

 1850年、ヨーロッパの人々は「海に関する知識」をほとんど持っていませんでした。漁業や生物学が海の表面だけをひっかいてはいましたが、深海は「謎」または「死の世界」扱いだったのです。しかし1850年代に海底ケーブルが施設されるようになり、損傷したケーブルを引き上げたときそこに様々な生物が絡みついていたことから深海にも生き物がいることがわかりました。人々の好奇心と知識欲と収集癖が刺激されます。
 魚を“ペット”にする行為は、紀元前から行われていました。古代リュキア(現在のトルコ南西部)、古代ギリシア、古代ローマなどで魚が飼われていました。古代ローマでは大理石の水槽の一部にガラスがはめ込まれ、横からも魚の動きが鑑賞できるようになっていました。日本で金魚飼育が盛んになるのは1800年頃からですが、ヨーロッパでも17~18世紀に金魚が熱狂を起こしています。魚を長生きさせ、海水を長持ちさせるために様々な工夫が試され、ついにアクアリウムが登場します。ガラスも普及し、1851年ロンドンでの第1回万国博覧会では「水晶宮」が建設されました。
 アクアリウムの“命名者”は、英国人フィリップ・ヘンリー・ゴスです。彼は優れた自然科学作家で、海岸の生物の権威でした。自作のアクアリウム(ガラスの水槽)に様々な動植物を入れ、長期間の観察をして記録を残します。そこで「競争」だけではなくて「共生」が海中には存在することもゴスは見いだしました。ゴスの本はブルジョワの関心を引きます。「生きた自然」を自宅に、は非常に魅力的で新鮮なアイデアだったのです。
 19世紀後半にはアメリカでもアクアリウムはブームとなります。やがてアクアリウムは「個人の趣味」から「地域ぐるみ」の「組織による“事業”」へと発展します。各国でアクアリスト協会が設立され、機関誌が発行されます。
 アクアリウムの“中身”も変化しました。はじめは自国の生物だけだったのが、やがて外国産のものがどんどん加えられるようになったのです。魚の遠距離輸送の技術も発展します。
 1853年ロンドンのリージェンツ・パーク内に最初の水族館がオープンします。動物園の一部で「フィッシュ・ハウス」と呼ばれたこの施設には、様々な水槽が並べられていました。それを見たアメリカの興行師P・T・バーナムは即座に「水族館」をアメリカで始めます。欧米で水族館は続々と作られますが、1860年にパリで誕生した「ジャルダン・ダクリマタシオン」の水族館は、ジオラマの効果を導入して、人々に新しい体験を与えました。水族館の競争が激しくなると、演出も必要になります。たとえば(恐怖の表現である)洞窟を通ってから展示場に入る、とか。1878年のパリ万国博覧会では、広間の天井が総ガラス張りで観客は“下”から水槽を見つめる、という水族館が作られました。8万リットルの水が人々の頭上にあったわけですが、ガラスにひびが入らなくて良かったですねえ。ニューヨーク水族館ではなんと生きたクジラの展示が行われました。
 ただ、水族館の経営は大変でした。魚はばたばた死にます。水の交換も大変です。コストがやたらとかかり、他の活動(マジック、大道芸、珍しい動物の展示、など)との抱き合わせでやっと利益を出すのが普通でした。
 現代の水族館は、アクアリウムの遺産を受け継いでいますが、別物になっています。オセアナリウム(大規模な海洋水族館)です。著者は世界のあちこちにある巨大なオセアナリウムを紹介しつつ、こう自問します。「次はどうなるのだろう?」。同時に著者は(動物園が動物に対して「倫理」を求められているのと同様に)水族館も水棲生物に対して「倫理的」に振る舞わなければならないのではないか、とも立問します。さて、この問いに対して、どう答えたら良いのでしょう?