【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

スローガンのシフト

2012-03-05 19:05:50 | Weblog

 「尊皇攘夷」のスローガンの下に進められた明治維新は、結局「文明開化」にシフトしました。「尊皇攘夷」を信じ込んでそれを叫び反対者や外国人を襲っていたりした志士たちがそのシフトをどう受けとめ自分がやってきたことをどう正当化したのか、そこにはいろいろな“ドラマ”があっただろうと私は想像しています。昔のことなので確認はできませんが。
 「変革」とか「改革」とか「維新」とか唱えている人たちは、今どんな「スローガン」の下で動き、将来それがどうシフトするのか、そのとき自分がやってきたことをどう自分や周囲に説明するのか、これは今のことなので確認できそうです。とりあえず「郵政民営化」と「政権交代」に夢中になっていた人たち、あれで日本がどう良くなったのかの評価はどうなんでしょう。

【ただいま読書中】『学問のすすめ ほか』福沢諭吉 著、 中公クラシックスJ12、2002年(08年再版)、1400円(税別)

目次:「学問のすすめ」「学問の独立」「丁丑公論」「痩我慢の説」

 「「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と云えり。」という初編の冒頭の一文はやたら有名ですが、では「学問のすすめ」をちゃんと最初から最後まで読んだ人はどのくらいいるのでしょう。そもそも最初の文の「云えり」さえ省略されがちですよねえ。で、そこから数行後には「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり。」とあります。だからこその「学問」のすすめなのですが、ここでも注意が必要です。まず著者が育ったのは江戸時代の身分制度の中。そして新しく出会ったのがそれを全否定するかのようなアメリカの民主主義。さらに「学問」は、実学を一とし、机上の学問は「次」としています。「平等」な社会の中でのし上がっていくために必要な「学問」はまずは「実学」である、と。これには、「アメリカン・ドリーム」だけではなくて欧米が「科学の世紀」であったことも大きな影響があるでしょう。ただ「二者択一」で「机上の学問」を全否定しているわけではありません。
 しかし「身分重くして貴き者」の例として「医者、学者、政府の役人、大きな商売をする町人、大百姓」が列挙されていますが、見事に「江戸時代の身分に対する否定」ですね。
 本書で重要なのは、著者の発想の“素直さ”です。たとえば「人は同等」だと言います。すると、どの国の「人」も同等なのですから、その結果として「どの国も同等」という結論が導き出されます。「個人の独立」が重要と福沢は主張しますが、その結果は「独立した国家」の誕生です。
 「学問のすすめ」ではなくて「学問の独立」の方では、学問と政治とはまったく違うものであるから「学問の政治からの独立」を強く主張しますが、それは同時に「政治の学問からの独立」も意味する、と言います。おお、これは重要な指摘です。江戸人なのに、この頭の柔らかさはどうでしょう。私は感動しました。
 「丁丑公論」では、西郷隆盛が取り上げられています。「世論にいわく、西郷は維新の際に勲功第一等にして、古今無類の忠臣たること楠木正成のごとく、十年を経て謀反を企て古今無類の賊臣となり、汚名を千載に遺したること、平将門のごとし」と、まるで手の平を返したかのような「世論(人心)」の動きを嘆いています。「現在」にそのまま通じる論です。
 「世の中を真っ直ぐに見通す目」は、時代を超えるのでしょう。そんな目を持ちたいものです。