先日、回転寿司の話を書いたせいか、急に食べたくなりました。で、くだんの店ではなくて、自宅から近いところに行ったら、以前とどうも雰囲気が違います。私は家内が美容院に行っても気づかないくらいの人間なんですが、さて、どこが変わったのだろう、とじっくり見ていてやっとわかりました。にぎり鮨そのものが小さくなってます。
やっぱりコストの問題なんですかねえ。
【ただいま読書中】『人民は弱し 官吏は強し』星新一 著、 新潮文庫、1978年(86年12刷)、320円
1915年、星一(ほしはじめ=著者の父親)がアメリカから帰国して10年、星製薬は、それまでの日本の製薬業にはあまりなかった概念である「事業」を上手く操ることで発展していました。
当時「化学」の最先端国はドイツでした。しかし星はドイツの真似をしようとは思いませんでした。ドイツは豊富な石炭を生かして製鉄業が盛んで、その結果得られる大量のコールタールを原料に化学合成を行なっていました。しかし日本では国情が違います。そこで星が目をつけたのはアルカロイドでした。これからの需要が見込まれるモルヒネ製造の国産化です。問題は、モルヒネの原料である阿片が、政府の専売になっていることでした。そのため、値段は国際相場の数倍。これでは国際競争力のあるモルヒネ製造はできません。
星は台湾専売局を経由して、安く(しかも合法的に)阿片を入手します。苦労の末ついに国産モルヒネの製造に成功しますが、問題は製造コスト。しかし大量生産によってコストは下がり、欧州大戦で売値は上がり、大成功の予感が漂い始めます。ただし、業界内部のしきたりとか官吏や政治家とのつきあいを軽視し、「正論」とアメリカ式の合理主義で生きる星には、風当たりも強くなります。
「父の伝記」というよりも、著者のいつものショートショートのロングバージョン、といった感じの語り口です。主人公の星一もまるでショートショートの主人公の「エヌ博士」みたいな感じなんです。ただし、お話の進行は星新一のショートショートよりはずいぶんシビアです。
モルヒネの次は、コカイン、そしてキニーネ。他の会社が難しすぎる(あるいはコストがかかりすぎる)と投げたものに対して、星は次々“国産品”の製造に成功します。それに対して政府は不可解な対応をします。国産薬品の開発のため、という名目の下、星製薬のライバル会社を中心として官製企業を設立させたのです。これは、特定企業・御用学者・官僚(それとおそらく政治家)が結託して奇怪な動きをする(そして大量の税金を消費する)“会社”ですが、ここの描写を読んでいて私が思い出したのは「原子力ムラ」です。まったく、こういった後進国スタイルというか国辱企業というか、こういったものは日本の“伝統”なんでしょうか。
成功者に対する同業者の羨望と嫉妬、自分たちの言いなりにならないものに対する役人の権力欲と復讐心、それが組み合わさって星の足を引っ張る方向にしつこく陰湿な流れが生じます。法律を後ろ盾にした恣意的な行政指導によって、星は窮地に追い込まれます。官僚の意地悪な手口は、間接的にはいろいろ知っていますが、直接相手をしなければならなかった星の心境はいかばかりかとこちらまでつらい気持ちになってしまいます。
それでも事業は順調で(だからこそ摩擦が生じるのですが)、関東大震災もほぼ問題なく乗り切ります。しかし、星の仲が良い後藤新平を追い落とそうとする加藤高明が首相になって、それまでの“逆風”は“台風”になります。まずは「星一、市ヶ谷刑務所に収監さる」という報知新聞の“誤報”。権力が、特定個人を“罪人”にするために歯車を動かし始めたのです。“犯罪”をでっち上げ、裁判の被告とすることで社会的信用を失わせる努力の始まりです。
このへんから「つらい気持ち」は「怒り」へと転化し始めます。そしてこれが「過去の話」ではなくて「現在も確実に行なわれている話」であろうことに思い至ると、この怒りをどこにぶつけたらいいのだろうか、とも。
星一が権力にすり寄る(あるいは上手く“共存共栄”できる)タイプの人間だったら、ここまでいじめられなかったかもしれません。だけど私はこういった場合、いじめる人間ではなくていじめられる人間の方に感情移入します。
「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」という俚諺があります。官吏の側はその「理屈」の正しさを見てうっとりしているのでしょうが、私はその「理屈」がくっついている「意図」の方を見てしまいます。
そうそう、官吏の側に立つ人は「星の側に問題がある」「官吏の悪口をここまで書いて良いのか」という感想を持つでしょうが、ご安心を。本書は「星の理不尽な悲劇」を描くことで「権力の強さ」の宣伝にもなっています。ですから「権力を振るって楽しみたい」という人を官僚組織にどんどん引きつける効果を示すでしょうから、組織は、これからも安泰です。