ジャンボ・ジェット(ボーイング747)が就航したのは1970年。そういえばこの前ボーイングの最新鋭機787が日本の空を飛んでいましたね。これで797が飛んでしまったら、次の番号はどうするんでしょう。707に戻して頭にNでもつけます? それとも4桁にして「ボーイング7117」……どちらもなんだか語呂が悪いなあ。
【ただいま読書中】『ジャンボ・ジェットを操縦する ──B747-400の離陸から着陸まで』岡地司朗 著、 講談社(ブルーバックス B-1276)、1999年、860円(税別)
機長の生活は不規則です。ある機長の11日間のスケジュールが載せられていますが、実働時間(出社時刻~退社時刻)の短さに比較して拘束時間が異様に長いこと、そして出社時刻がひどく変動することが目立ちます。国際線の日程なんか、たとえば成田ーロサンゼルスは二泊四日でとんぼ返りです。機内で寝られる旅行者でもきついのに、往復ともお仕事でしょ。これはしんどいや(本書が書かれた時代には、欧米では、たとえば成田まで操縦してやって来た機長はその飛行機の帰り便に“乗客”として乗り込むようになっていたそうです。つまり成田での宿泊費の節約。日本もいまではそうなっているかもしれません)。
出勤前に入浴し下着を取り替えることから「仕事」は始まります。独自のチェックリストで忘れ物がないかどうかをチェック。出勤をすると副機長とブリーフィング(飛行ルートの打ち合わせ)です。天候やジェット・ストリームなどから飛行経路を決定しますが、ジャンボの場合飛行時間が1分延びると200リットルの燃料を余分に消費します。ですから、経路や巡航高度の決定は慎重を要します。
飛行機は整備士が飛行前点検を行なっていますが、パイロットも飛行前点検をします。飛行機そのものとその回り(たとえばエンジン前方に吸い込まれやすいものが落ちていないか、など)についての点検です。また書類がすべて揃っているかどうかの点検もあります。この「書類」が意外に多いのです。備品や器機のチェックもありますが、操縦席のライト・計器・スイッチ類は、747-400では365もあるそうです。それで驚いてはいけません。デジタル化でCRT表示にするようになってここまで“減った”のであって、747-300ではなんと「971」だったそうな。スイッチの場所を覚えるだけで私のメモリーはパンクするでしょうね。
地上をタキシングして、さて、テイクオフ。飛行機が上昇する前に、機長の心拍数は急上昇します。「危険な11分間(離陸の3分間と着陸の8分間に全飛行機事故の68%が集中している)」が始まったのです。
飛行機は空中で三次元の運動としますが、それは「ローリング」「ピッチング」「ヨーイング」に分類されます。これは船と同じですね。で、それぞれを、補助翼・昇降舵・方向舵でコントロールするのが操縦士の仕事となります。特殊な空間認識能力と三次元感覚が必要そうですね。私には無理です(断言)。二次元世界での車の運転でさえときどき持てあましてしまうのですから。
燃料消費にも気を使う必要があります。新型ジャンボの燃料タンクは、主翼、胴体、水平尾翼内にありますが、どのタンクから使うかで翼の曲げモーメントが変わり結果として揚力に変化が出るのです。
食事やトイレの話も興味深いのですが、私が特に興味を引かれたのはエアコンのところです。1万mの高度では、気温はマイナス50度、気圧は地上の1/4以下です。そこでジェット・エンジンに使われる高圧空気(最高230度)をまず冷却し、適温(25度)にしてから機内に導入します。ただ、からからに乾燥した空気なので、水分補給などで客は自衛する必要があります(本書ではお肌の保護のためにはお化粧を、とありました)。気圧は地上2400m相当に調節されます。これ以上気圧を低くすると酸素吸入が必要となり、これ以上気圧を高くすると機体の強度に影響が出るからです。そうそう、ジャンボがマッハ0.85で飛ぶと、機体にぶつかった空気が断熱圧縮されることで機体表面の温度は30度上昇するそうです。燃料はあまり冷えるとジェリー状になってパイプ内で詰まってしまいますが、ジャンボがしっかり飛んでいたら主翼のタンクは大丈夫、ということです。(ついでですが、マッハ3で飛んだら、機体表面温度は450度になるそうです)
そしてランディング。またまた機長の(そして乗客も)心拍数は急上昇します。考えてみたら、飛行機の着陸とはコントロールされた失速による降下なのですから、恐ろしいことを日常的にやっているものです。ライト兄弟は、自分たちがやったことが、こんな「日常」をもたらすことになるなんて、予想していたのでしょうか。
最近わが家に登場した、そして世間でも大流行しているらしいスチームケースでは感心します。「レンジでチン」もずいぶん進歩したものだ、と。ただ、火加減が直感的にわかりにくいのは難点とは言えます。おっと、「火」は使いませんが。
そういえば、オール電化の家だと、台所に「火」そのものがありません。すると近い将来「火加減」ということばはだんだん死語になっていくのでしょうか。
【ただいま読書中】『天・変・地・異を科学する』吉岡安之 著、 日本実業出版社、1995年
「天変地異」とは単なる自然現象ではありません。人間の心身を巻き込んで起きている「現実の総体」です。本書では、執筆当時に起きた、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件を背景とし、現代人の無意識にひそむ不安やその反映である社会現象にまで風呂敷を広げて書いてあります。さて、上手く風呂敷をたたむことができるのかな、といろいろな期待をしながら私は読むことにいたしましょう。
まずは「人の心」から。終末思想とかオカルトとか、人には「天変地異を待ち望む心性」がある、というところから話が始まります。そこでオウム真理教や様々な神話が取り上げられます。ここで重要なのは、過去には「自然崇拝」があってそれと同時に「天変地異」があった、という指摘です。現代には「自然崇拝(あるいは素朴な感謝の心)」はありません。そこで天変地異はただの災厄、忌むべき存在、ただの祟りとなります。「科学の世紀」だからこその「タタリ」です。
1960年代に確立したプレートテクトニクス理論によって、プレートの沈み込みが巨大地震を引き起こすことはまず間違いがないことになりました。ただ、内陸型の地震などその発生メカニズムが不明なものはまだありますし、プレートそのものがはたして“一枚岩”かどうかもまだ不明です(いくつものマイクロプレートの集合体、という理論もあるそうです。するとそれぞれのマイクロプレートの接合部にはそれぞれストレスがかかることになります)。
「アイソスタシー(地殻平衡)」ということばもあります。皮膚を指で押すと凹みができてそれがゆっくり元に戻る、それと同様の現象が地殻でもあるのです。たとえば氷河期の分厚い氷床が消えるとその重みから解放された大陸はゆっくり上昇しましたが、実はその動きは現在もまだ進行中だそうです。
台風を著者は「大気圏に垂直に開いた巨大な空調ファン」と表現します。熱帯地方の余分な熱エネルギーを宇宙空間に放出するためのファンだ、と。横への流れの代表は偏西風ですが、その流れは移動性高気圧によって蛇行させられます。さらに、その上層を吹くジェットストリームによっても偏西風は影響を受けます。
異常気象の“前”の正常な気象でさえ、そのメカニズムは複雑で、簡単に理解することはできません。まして異常気象となるとさらに話が複雑になることが予想できます。さらに、もしもそのメカニズムが説明できたとしても、その“操作”は人間の手には負えません。“病気”の“原因”がわかったとしても、その“治療”は(地球の)“自己治癒力”に頼らなければならないのです。(別のページで「人間の力で地球環境がなんとかできる」というのは、傲慢さの表明ではないか、と著者はぼそりと言っています)
そして話は宇宙へ。隕石や小惑星の衝突という物騒な話がありますが、そこで「彗星と流言蜚語は長く尾を引く」と皮肉な言葉が語られます。宇宙に関しては、占星術の時代よりも「科学」が発達した方がけったいな流言飛語が飛び回ります。そういえば、太陽系の惑星が一直線に並ぶとどうのこうのという話も昔ありましたね。ここで重要なのは「地球は、エネルギー的には宇宙に対して開かれているが、物質的には閉じられている」ことです。そういった観点から「地球環境」を考える必要があります。
そして最後は「人間が引き起こす天変地異の数々」ですが、そのトップバッターが「飽食というより呆食の日本」なのが笑えます。そして、様々な環境の負荷が最終的には個人にも影響を与え、それが終末論などを容易に受け入れる素地を作っている、と、話が巻頭に戻ります。
東日本大震災での、地震・津波・原発事故の「天・変・地・異」を著者はどう表現するかな、と私には興味深く思えました。少なくとも「天罰だ」なんて杜撰なことは言いそうにもありませんが。
小学生が『狭き門』(ジイド)を読んだり中学生が『罪と罰』(ドストエフスキー)を読んで「わからない」と言っていたら、「それは当然。ちょっと背伸びしすぎでは?」と言いたくなります。だけど高校生が『憂鬱なる党派』(高橋和己)や『嘔吐』(サルトル)を読んで「全然わからん」と言っていたら「ちょっと努力してみたら?」と言いたくなりません? ちなみに上記の小学生~高校生は私のことです。実際、わからなかったんですよねえ。だから今からぼちぼち読み直してみます。
【ただいま読書中】『嘔吐』ジャン-ポール・サルトル 著、 鈴木道彦 訳、 人文書院、2010年、1900円(税別)
本書は「アントワーヌ・ロカンタンの書簡」という体裁です。ほとんど人間と交わることなく生活していた彼は、ある日周囲にある「もの」が変化したことに気づきます。そして、それらの「もの」を見たときに感じるのは〈吐き気〉。
ここで話は一挙に「ものの実在」について突っ走る……わけではありません。「人間と交わることのない生活」のはずなのに、ロカンタンは実に様々な人と会話をしたりゲームをしたり手紙をやりとりしたり、なかなか多忙なのです。ただ、そういった細々と語られる「生活」の裏側からまるで世界の細かい亀裂を通るようにときどき〈吐き気〉が顔を出してくれます。
ところでこの〈吐き気〉、一体誰が感じているのでしょう。ロカンタンが感じている、というのが普通でしょうが、私には「社会がロカンタンを吐き出そうとしている」のではないか、と思えて仕方ありません。「もの」にはすべて「歴史」や「物語」があります。しかしロカンタンはその「歴史」も「物語」も読めなくなっているようすです。そこで生じるのは「もの」との関係を絶たれたことによる「世界からの疎外(拒絶)」、つまり〈吐き気〉なのです。
さらにロカンタンは「過去」からも拒絶されます。昔の恋人アニーと再会しますが、彼女には「あなたはあたしに再会しなかったのよ」と宣告されてしまうのです。
となると、ロカンタンに残されたのは「未来」だけです。本書の最後でそのビジョンは唐突に提示されますが、でもなんだか現実感が全然ないビジョンです。「ものの存在感」だけではなくて「ことばの意味の感覚」までも、ロカンタンは失ってしまったのでしょうか。まあ、ことばが頼りにならなくても、感覚は残されているのが救いです。だからこそ「音楽」が本書では重要な役割を果たしているのでしょう。
ふーむ、わかったようなわからないような、それでも高校時代よりは読みやすかった、という感想です。10年くらいしたらまた再読してみようかな。また違った読みができるかもしれませんから。そのためには、私自身がもうちょっと成長する必要があるのですが、そちらは大丈夫かな?
珍しく家内が料理で大失敗をしました。ビーフシチューを作るのに、ワインではなくてワインビネガーをどぼどぼと。おかげで酸っぱいビーフシチューという珍しいものを食べることができました。ただ「失敗した」と言うから失敗作ですが、「夏向きの新しいシチューだ」と主張したらそれはそれでそれなりに、ということになるはずです。ブイヨンベースとか豆乳鍋とか最初からさっぱりしたシチューだったらまあ普通ですが、どうみてもドミグラスソースのこってり系ビーフシチューが食べたら実はこってりさっぱりなのですから、意外な面白さ。
いや、負け惜しみ(?)ではなくて、けっこういけますよ。興味のある方は一度お試しあれ。
【ただいま読書中】『男が女を盗む話 ──紫の上は「幸せ」だったのか』立石和弘 著、 中公新書1965、2008年、840円(税別)
『伊勢物語』第六段は「男が女を盗んで背負って芥川のほとりを逃走する。女は目にしたものを『あれは何?』と問うが男は答えない。雷雨となり、男は女を荒れた蔵に隠し自分は入り口で張り番をするが、女は鬼に一口で食われてしまう。男は嘆き『白玉か なにぞと人の問ひし時 露とこたへて消えなましものを』」というお話です。著者はこの話から「背負う」「盗む」「鬼」というキーワードを取り出しますが、そこで持ち出すのが「三瀬川伝承」です。人が死んで三途の川(三瀬川)を渡るとき、男は自力で渡りますが、女は初体験の相手の男に背負ってもらわなければならない、というものです。これはきわどい話で、初体験が幸福なものだった女にとっては、たとえこの世で別れてもその男とあの世で再会することが保証されることになります。しかし、その逆だったら? あるいは女が性体験を持たないまま死んだら? これは当時の社会の性愛規範を実践しないと三途の川が渡れない(往生できない)とすることで女性を縛ることになります。著者はだから「かぐや姫」は、性愛を拒否した女が、社会から月へ追放される物語、と読むことも可能だ、と述べます。
『源氏物語』「葵」の巻では、光源氏の子を身ごもった正妻葵の上が六条御息所の生霊に取り憑かれて死線をさまようこととなります。息も絶え絶えの妻に対して光源氏は「いかなりともかならず逢う瀬あなれば、対面はありなむ」と囁きます。三途の川でまた会えるよ、と。ところがその言葉を聞くのは、取り憑いた六条御息所の生霊です。彼女は光源氏の前に前東宮との結婚歴があり娘もあります。つまり「初体験の相手」は光源氏ではない。だから光源氏の妻への「愛の言葉」は六条御息所に対する「拒絶」になってしまうわけ。なんと残酷な。
新潟の女性監禁事件(9歳の女子を9年間以上監禁した事件)を「ストックホルム症候群」で解釈する態度を著者は否定します。根拠は裁判で明らかにされた陳述調書。その過酷な内容から著者は「ストックホルム症候群で解釈する人は、その物語が自分の心の中にあるに過ぎない」という意味のことを述べます。まあ「物語」というのは、もとからそういうもの(語る人のもの)ではあるのですが。
『大和物語』に一時立ち寄ってから著者はまた『源氏物語』に戻ります。紫の上は少女時代に光源氏によって略取されました。これまた「男が女(それも少女)を盗んだ」のです。
本書で一貫しているのは「男が女を盗む物語」が「過去のもの」ではなくて、実はその“意味”が現代にも残っているはずだ、という主張です。さらに社会が「盗むもの」と「盗まれるもの」の重層構造だとしたら、それはそのまま「男」「女」と単純に一致するものでもなさそうです。日本で「フェミニズム」を本気で主張するのなら、もしかしたら『源氏物語』『伊勢物語』『更級日記』くらいは必読書になるかもしれません。
海鼠やホヤやウニを初めて食べた人
サフランを初めて食べた人
コーヒーを初めて飲んだ人
なれ鮨やクサヤを初めて食べた人
フグで人が死ぬことを知って、それでも食べた人
【ただいま読書中】『ねじ式/夜が掴む(つげ義春全集6)』つげ義春 著、 筑摩書房、1994年、1825円(税別)
私の漫画の“基準線”は、石森章太郎です。“補助線”が手塚治虫・ちばてつや・藤子不二雄・赤塚不二夫…… だから若いときにつげ義春の漫画を初めて見たときには、正直「これはなんだ?」と思いました。まるで「一本スジの通った悪夢」といった感じの矛盾の塊、作画のアンバランスさ、ヤマもオチもない展開……しばらく読んで「これは私の“エリア”ではない」と本を閉じました。
それからン十年。なぜか私の前にこの本があります。おそるおそる開くと……あら、読めてしまいます。なんだか面白いではありませんか。
目次
ねじ式、ゲンセンカン主人、夢の散歩、アルバイト、雨の中の慾情、夜が掴む、コマツ岬の生活、外のふくらみ、必殺するめ固め、ヨシボーの犯罪、窓の手、夏の思い出、懐かしいひと、事件、退屈な部屋、日の戯れ
「あけた窓から入ってくる“夜”」とか「部屋の外でふくらんで、なかに侵入しようとする“外”」とか、なにやらシュールな世界のお話が続いた後、後半は、ある漫画家(たぶん著者本人)の私生活漫画ですが……これまたそこはかとない“悪夢感”に、“日常”と不思議なユーモアがミックスされて、読んでいてなんだか居心地が悪くなります。水木しげるの漫画から妖怪を抜いてその“代役”として人間や風景を入れたら、こんな感じになるのかな、なんて思いました。
そうそう、この人の漫画を知らない人には、これだけの紹介ではちんぷんかんぷんですね。「ねじ式」をちょっと「ことば」で説明してみましょう。
海辺に海水浴に来て「ぼく」はメメクラゲに左腕を噛まれてしまいます。当然太い静脈は切断され、一刻も早く医者に行かなければ出血多量で死ぬかもしれません。しかし不案内な漁村で、なかなか医者は見つかりません。ならばと隣村に行こうとして乗った汽車はなぜか元の村に戻ってきます。やっと見つかるのは目医者ばかり。「ぼく」が探している医者の条件は産婦人科、それも女医、そしてビルの一室で開業していること。みつけたビルは金太郎飴の製法特許で建てられています。女医さんとのお医者さんごっこでされたシリツによって「ぼく」の左腕には……
……雰囲気、伝わります?
「夢」や「善」や「理想」と「現実」とが対立する世界は、悲しいものがあります。
【ただいま読書中】『人間の顔をした野蛮』ベルナール=アンリ・レヴィ 著、 西永良成 訳、 早川書房、1985年、1500円
マルクス主義の主張を整理すると3つの定義にいきつく、と著者は冒頭で述べます。「圧制者はイデオロギーによって人を支配(操作)する」「被圧制者は一種の覚醒状態にありながら自分自身の隷従について無自覚である」「反逆者は“真実”を知っている」。
さらに「右翼は悲観主義」「左翼は楽観主義」……ううむ、そうなんです?
1968年の「5月革命」は、私にとっては「歴史」の話です。日本にやってきたその余波の学生運動は記憶にありますが、それは「イデオロギー」の仮面をかぶり「社会改革」のふりをした、暴力衝動の発露にしか見えませんでした。「自分が何をしたいか」が先にあって、後付けでその理由を考える(正当化する)といった感じ。ただ、フランスでその5月革命を“生きた”人が、その経験と思索をこのような哲学的な形で社会に還元しようとしたのは、大したものだと思います。日本でここまでやった人がどのくらいいましたっけ?
著者は、ルソーやニーチェのことばを再構成して“世界”に投げかけます。そして、それらの「ことば」によって再構成されるのは「権力」「支配」「社会」「政治」「言語」……話は一体どこまで拡がっていくのだろう、と読者は不安を感じさせられます。まあ、それが“手”なのでしょうが。中途半端な状態でぐるぐる迷路のなかを回されたら、目の前に見えた“出口”に飛びついてしまうのが人間の心理ですから。プラトンやニーチェのことばを重層的に操る教養の厚みに私は数歩歩むうちに彼の足あとからは脱落してしまいます。そこで便りになるのが著者が立てる“道標”です。たとえば「歴史は存在しない」「初めに〈国家〉があった」「個人というものは存在しない」といった“道標”に導かれることになるのです。さらに「世界とは災厄のことであり、人間はその災厄の頂点であり、政治はその災厄の幻影であり、だから〈最高善〉に近づくことはかなわない」と言われると「じゃあ、“悲観主義”に行くしかないのか?」と思いたくなります。
著者は「社会主義は革命によって達成され、革命は反逆であり、反逆は“反逆”であるがゆえに正当化される」という“前提”をまず立て、ついでそれをすべて破壊します。なにしろ、“古い言葉(手あかがついたりや古い概念が染みついた単語)”を使うことは思考停止(あるいは思考の硬直化、視野狭窄)をもたらすから、といった理由からでしょう、ばっさばっさと“古い言葉(たとえば「プロレタリアート」)”を著者は切って捨てます(「愚かしく無意味なきまり文句」なんて言い方もしています)。いやあ、読んでいて気持ちが良くなるくらいにばっさばさ。
そして「三つの野蛮(技術、欲望、社会主義)」が定義づけられます。それをつなぐキーワードは「進歩」。そして「全体主義」について、興味深い考察が続きます。私には「言論の自由は、言論抑圧のためには最良の手段」という考察が衝撃でした。最初から抑圧するのではなくて、まず自由にしゃべらせてから抑圧する方が効率的、ということです。
著者は左翼を口を極めて罵っているように見えますが、私には一種独特の“恨み節”のようにも感じられました。「お前は私を幸福にしてくれるはずではなかったのか。」という。理念(ことば)のすばらしさと現実(スターリンの犯罪(今だったら文化大革命も))のひどさのあまりのギャップに、一度は愛した結婚詐欺師を罵るかのような口調で。だけど実は“愛”はまだ冷めてはいないのではないかな。もし本当に著者が“悲観主義”に完全転向したのだったら、ここまで“熱く”語りはしないでしょう。悲観主義とは相容れない態度に私には見えます。むしろ「本当に苦しいときに、それでもなにか希望を探そうとする」楽観主義ではないか、とさえ思えます。
ともかく著者は「歴史は“進歩”などしない」と断言します。「野蛮」が支配する、と。それに対抗するために著者が提案するものの一つが「モラル」。もっとも「モラル」という単語自体、この著者が言うのですから素直な意味であるわけがありません。それをきちんと理解するためには、とりあえず、本書で目に留まった、プラトン・ルソー・ニーチェ・ハイデガー・マルクス・レーニンなどを読む(読み直す)必要があるのか、と私はちょっとうんざりしています。
先日の話です。ふだんよく行くパン屋さん、今日はレジの流れが悪いなあと思って観察すると“原因”は一見お上品なおばさまでした。レジうちが終わったところで「あ、袋が車の中。取ってくるからちょっと待ってて」。で、店の外に停めた車から袋を取ってくる。戻ってくるとレジに直行せずに「ついでにジュースでも買おうかしら」と冷蔵庫の前で逡巡して何本か追加。そこで計算をし直して「お会計は○○円です」に対して「あ、お財布も車の中。取ってくるからちょっと待ってて」。待っている間にレジの人が袋にパンを詰め始めると帰ってきたおばさまは詰め方に細々と注文をつけてやり直させています。
レジは二つあるので、一つのレジがフル稼働でその頃には私の支払いは終わっていましたが、まだ何かあるぞ、と帰らずに観察を続行しました。すると、支払いをするのに小銭でぴったり払おうとしてお財布の中を丹念にかき回しています。とうとうざらりと小銭をレジの上に開けて「五円玉がどこかにあるでしょ。ぴったり取って頂戴」。出すのは良いけれど、残った小銭をまたお財布におさめるのにまた時間がかかります。
ただ私が本当にお~いと思ったのは、店の外に出たその人が、自分で車を運転して帰っていく姿を見たときでした。あのように段取りとか記憶力とか周囲に対する気配りを欠いた人が自動車(それもずいぶんな高級車)を運転しているんですよ。恐いと思いません? 少なくとも私はその車から3台分以内には近づきたくありません。
【ただいま読書中】『裏返しのメニュー ──自動化こぼれ話』牧野洋 著、 技術調査会、1984年、980円
アメリカでなぜ機械による大量生産が行なわれたか、には二つの理由がある、と著者は述べます。一つは政治的な理由。(奴隷以外の)万人は平等ですべての人が同じ便利なもの(たとえば自動車やミシン)を持つ権利を持っている、という思想から。もう一つは歴史です。植民地は自立の道を制限されていましたが(「イギリスは世界の工場」でした)ナポレオン戦争でヨーロッパはアメリカどころではなくなります。そのためアメリカでは何でも自分たちで製造する必要に迫られました。ところがアメリカでは工場労働者は人気のある職業ではありませんでした(開拓者になる方が好まれました)。少ない人員で大量に製造、となると、機械による大量生産しかありません。
日本では、昭和30年代後半の極端な人手不足(中卒者が「金の卵」と呼ばれました)が機械による大量生産を推進する原動力となりました。
ロボットと機械の違いとか、アームの黄金比とか、専門家がどのへんにこだわりを持っているかがわかる文章が続きます。
産業革命前からイギリスでは人力による大量生産が行なわれていましたが、その基本は「分業」でした。工程を単純化することでスピードアップをはかるやり方です。それは機械でも同様でした。「巨艦主義」で、一台ですべてを片付けようとするのは、結局部品の流れは遅く故障が多くなったのです(ここでマキャベリの「分割して統治せよ」が引用されています)。だからと言ってあまりに細かく工程を分けると、動線が長くなります。また、あまりに専門的なマシンは時代が進むと陳腐化します。だからといって汎用マシンに専用治工具をつけるのは、スペースが無駄になったりものや人の流れを阻害しがち。なかなか難しいものです。
生活の中でのテクノロジーの章もなかなか面白い。技術論が、がちがちのハード論ではなくて、発想の柔軟さが大切であることが、具体的な例で列挙されます。そして最後に近づくとなぜか伊勢神宮の式年遷宮の話題が登場。「人」が大事、ということです。
専門用語が無造作に使ってあって、素人には決して読みやすい本ではありません。読者の対象はたとえば工学系の学生かな。ただ、その分野にも面白い話題がごろごろしていることはよくわかりました。
漁業に森林が重要であるのと同様に(「魚付き林」ということばがありますね)、製塩業にも(少なくともかつての日本の塩田には)森林が重要でした。煮詰めるための薪として、ですが。
【ただいま読書中】『塩の事典』橋本壽夫 著、 東京堂出版、2009年、2500円(税別)
もし海水を全部蒸発させたら、計算上は海底に50mの塩の層が残されるそうです。
海水を濃縮していくと、まず炭酸カルシウム、ついで硫酸カルシウム(石こう)が析出します。量が10分の1くらいになったら塩が析出し始め、40分の1になったら硫酸マグネシウム(にがり)が析出してきます。その差を利用して他の成分を上手く捨てることが塩の収穫には重要となります。
海水から塩を取り出す方法は意外にたくさんあります。濃縮方法として、天日蒸発・イオン交換膜・逆浸透膜・多段フラッシュ蒸発・直煮蒸発、濃縮で得られたかん水を煮詰めて塩を採る方法として、真空式蒸発・加圧式蒸発・平釜式蒸発。試験には出ないから覚える必要はありません。
岩塩からの塩作りも、砕いてふるい分けるやり方と一度溶かして蒸発法で煮詰めて塩を作る方法があります。
私の子供時代には、塩は専売公社が扱っていました。しかし1997年に塩専売制度が廃止され、5年間の経過措置(関税の優遇措置)を経て2002年に完全自由化となっています。ところで「専売公社の塩」はあまりに純粋すぎてうま味がなくなっている、というのが一般の見方ですが、分析をすると、流下式塩田製塩法時代の塩と比較して、カルシウム・マグネシウムは約1/3に減っていますが、カリウムは約2倍になっています。決して「純粋な塩化ナトリウム」ではないのです。ついでにいうと、農薬に関しては(平成18年から塩の残留農薬を確認する必要があります)、蒸発濃縮法よりはイオン交換膜法の方がはるかに安全ということになります。放射能についても同じことが言えるかな?
世界中で塩は大量に生産されています。2006年には2億5600万トン。うち食用は20%以下で、60%は工業用です。意外に多いのが融雪用(14%)。ソーダ工業は現代社会の基盤に位置していて、実に様々な製品を作っています。関連製品の一覧がありますが、ページからこぼれそうです。
日本ではかつては、ほとんどの県で塩田による製塩が行なわれていました。明治42年のデータでは海に面していて塩田がないのは、青森・東京・富山・大阪・島根だけです。しかし明治38年(1905)に塩専売法が制定されてから公的な合理化が繰り返し行なわれ、その結果塩田のある県はどんどん減少、現在は福島・兵庫・岡山・香川・徳島・長崎にだけ塩田が残っている状態です。
塩が貨幣がわりに使われた、というのは古代ローマの「サラリー」からもわかりますが、元ではまさに「塩の貨幣」が作られてヒマラヤ地域では非常に珍重されたそうですし、エチオピアでは20世紀はじめまで「塩のコイン」「お金として通用する塩の棒」が流通していたそうです。他にも戦争や宗教、日常生活でのちょっとした塩の使い方など雑多な話題が取り上げられ、たしかに塩の「事典」です。
あまりに基本的な物質なのでふだんは注目をしていませんでしたが、こうして改めて見てみると面白いものです。生活の基本から見直したいときなど、塩から見直す、というのもアリかな、と思いました。
世の中では「文系/理系」が、まるで血液型性格占いのようにきっちりと人を区分する、という考えもあるようです。だけど私は、人間はハイブリッドで、二分するにしてもせいぜいどちらかが優位(やや優位~完全に優位)のグラデーションでしか表現できない、と考えています。
高校の時に私が文系か理系かの選択を迫られたのは2年生になるときでしたが、ぎりぎりまで迷いました。どちらも同じくらい好きだったし成績もそれなりに良かったものですから。ということは、どちらも同じくらい嫌いだったし同じくらいできなかった、とも言えますが。
友人たちの中でも、理系だけれど文学に造詣が深い者もいれば哲学を熱心に語る者もいましたし、文系だけれど科学が大好きな人間とか数学が得意な人間とかもいました。そんな環境で育ちましたから、「○系だから××は苦手」というせりふが私にはどうもしっくりこないのです。それと、その両者にまたがる分野の学問も多いのではないか、とも思っています(経済学、医学、心理学、科学哲学、建築、人間工学……まだまだあるでしょうね)。
明治以来の伝統(ですよね?)を変革するのは私には無理ですが、それでも疑問だけは呈しておきます。文系/理系に分かつことでメリットも多いでしょうが、もしかしたらデメリットも多いのではないですか?と。
【ただいま読書中】『大人のための名作パズル』吉田敬一 著、 新潮新書305、2009年、680円(税別)
著者は「パズル」を「数学に遊び心を加えたもの」と定義します。さらに「クイズは知識、パズルは知恵(とひらめき)」とも。著者の専門は情報科学ですが、大学のゼミではパズルを教えているそうです(単に一緒に挑戦しているだけですが)。ただ、「数学」というと身構える文系の学生たちが「パズル」だと面白がり、系統だって良質のパズルを解いていくうちにひらめきや論理的思考力が身についていくのが目に見えて分かるそうです。
本書に掲載されているのは、基本的な良問ばかりです。というか、この程度のパズルにも触れずに大学生になる人がいるのが、私には個人的にはとても不思議です。子供ってなぞなぞやパズルが大好き、というのは、個人的な偏見だったかな。
たとえばこんな問題です。
◎Aさんの家に子どもが生まれました。6ヶ月を過ぎると歯が生えてきました。育児書によると、1ヶ月に3本生えるとあります。10ヶ月後には何本の歯が生えていますか?
◎□にはどんな数字が入りますか?
88、64、24、□
◎凶暴な毒蛇がビンの中に入っています。生きたままビンから出したいのですが、どうすれば安全かつ確実に取り出せるでしょうか?
◎図の長方形(縦20cm、横10cm)と同じ面積の正方形を描いてください。
このへんはイントロダクションなので、即答を期待します。
後半はさすがにちょっと考えなければならなくなります。たとえばこんなの。
◎友人からオウムを2羽もらいました。1羽は昨年生まれ。もう1羽は同じ親から今年生まれたものです。
1)1羽は雌だとわかりました。もう1羽が雌である確率は、いくらですか。
2)昨年生まれたオウムは雌だとわかりました。今年生まれた方も雌である確率はいくらですか?
(ヒント:1)と2)とでは答が違います。簡単には納得できないかもしれませんが、それが「確率」の面白さです)
人類は様々な神に、全地球で毎日礼拝をしています。多くの人は、神に対して何らかのお願いや感謝をしているのでしょうが、さて、そのうちの何割が神に対しての貢献をしているのでしょう。もし人類が神に対する貢献がまるっきりなしでただお願いだけしているのだったら、それはあまりに虫のよい態度と言えそうです。
【ただいま読書中】『仰臥漫録』正岡子規 著、 角川ソフィア文庫、2009年、667円(税別)
昨日の“続き”です。こんどは私的な日記の『仰臥漫録』(挿絵は多いけれど、こちらは漫画ではありません)。
基本的に書いてあるのは、「便通」「食べたもの」「包帯交換」「来客」「俳句」「苦痛」「体温」「苦痛」「室温」「苦痛」「苦痛」「苦痛」。
描いてあるのは、著者自身のスケッチです。その多くは植物。身動きならないまま病牀から見えるのは、部屋の中と庭だけ。写生するものにも限界があります。
朝昼夕の食事が列挙されていますが、その食べっぷりには驚きます。適当にぱらりと本を開けてみましょう。
(明治三十四年)「九月二十三日」
朝 ぬく飯三わん 佃煮 なら漬 胡桃飴煮
牛乳五合(ココア入) 小菓数個
午 堅魚のさしみ みそ汁(実は玉葱と芋) 粥三わん なら漬 佃煮 梨一つ 葡萄四房
間食 牛乳五合(ココア入) ココア湯 菓子パン小十数個 塩せんべい一~二枚
夕 焼鰮四尾 粥三わん ふじ豆 佃煮 奈良漬 飴二切
食べ過ぎて毎食後吐く、という状態でも、未消化のものがそのまま便に出る状態でも、食べます。当時の日本では結核の治療は「栄養をつけて安静」「新鮮な空気」だけですから、とにかく「栄養をつけること」が強迫的な匂いを漂わせながらも続けられます。
そのため正岡家の家計は大変です。たとえば明治34年9月。新聞社からもらう子規の月給は40円、支出小計は約32円ですが(欠落多し、とありますから、最終的には黒字にはなっていないはずです)、そのうち6円15銭が「さしみ代」です。一皿15~20銭のものを毎日食べますから計算は合います(ちなみに、律は、香の物か野菜かなにか一品だけがおかずです)。たとえば月給40万円の家庭で、6万円が亭主のさしみ代だけで消えたらどんなやりくりになるでしょうねえ。ちなみに牛乳代は1円48銭5厘です。
面白いのは、体温は摂氏表記なのに気温は華氏であることです。たとえば9月18日は「朝寒暖計六十七度」「体温三十五度四分」と書かれています。明治の人にはそれが自然だったのでしょうか。
包帯交換は大変な作業です。妹の律が行なうのですが、あちこちに開いた排膿口にひどい痛みがあり、容易に寝返りもできない状態です。さらに、包帯交換の時には腹が刺激されて便意を催します。ところがしっかり踏ん張れないから垂れ流しのような状態での排便になってしまいます。それを始末しつつ包帯交換も行なうという、本人にとっても律さんにとってもとんでもない作業が40分から1時間続くのです。
だから子規には妹に対する不満が貯まります。もちろん語り尽くせぬ感謝もしていますが、それでも不満が貯まるのです。だからこんな文章も出てきます。「律は理窟づめの女なり 同感同情のなき木石の如き女なり」「律は強情なり 人間に向かって冷淡なり 特に男に向かってshyなり」「彼は癇癪持なり 強情なり 気が利かぬなり」
「おそらく子規は、自分と対等の立場の人間が自分に共感してくれること、を求めていたのでしょう。」と昨日の読書日記に書きましたが、どうもこの推測は当たっている様子です。本人は「共感」ではなくて「同感同情」と言っていますが、意味は同じでしょう。ただ律の立場からは、下女と看護婦と主婦とマネージャーと接待係をすべて兼務している状態ですから、そんなことに気を回す余裕などはなかっただろう、とは思えます。
介護は本当に大変です。きちんとできないと著者は苛立ちます。しかし著者の母も妹も、介護の訓練など受けてはいません。いや、普通の家庭介護は当時の常識としてあったでしょうが、子規のように重病の人を介護するのは、たとえば現在の介護の最高峰の人が当たっても大変なことになるでしょう。
明治34年10月には病状が悪くなり「逆上」「激昴」「乱叫乱罵」「叫びもがき泣き」「煩悶」「号泣多時」ということばが連続して出現します。13日にはついに自殺まで考えてしまいます。そして日記は中断。しかし35年3月10日から再開しています。書くこと(と描くこと)が著者にとっての「生きている証」だったのかもしれません。
夏からは記述は簡略になります。日付と天気と麻痺剤を飲んだ時間だけ。やがて、苦しい息の下から連続して漏れるあえぎのように、病牀からは見えないはずの世界を詠んだ俳句が並ぶようになります。それまでの「日記」からつぎつぎと様々なものが削ぎ落とされたとき、残されたものは俳句だけでした。死を目前とした状態で、子規は一体何を「写生」していたのでしょう。
子規が主張した「写生」を私は理解していませんが、絵画での写生がただの「主観」でもただの「客観」でもないことはわかります。たとえば風景画だったら、その風景を写生することは、まずどの範囲を切り取るか(フレームに入れるか)・どんな構図にするか・自分の意識の焦点はどこかをどう明示するか・何を描き何を捨てるか・色彩や筆のタッチの選択、などによって主観と客観は絶妙のバランスでその絵の上に現われます。写真の方がもっと客観に近いでしょうが、それでもやはり「フレーム」と「撮影条件」によって撮影者の主観は写真に明示されます。その「写生」を「ことば」によって行なおうとしたのが子規、というのが私の現時点での理解です。「写生を行なう自分」と「写生される世界」とをメタレベルの視点から同時に一つの視野に入れて見る、そしてそれをことばで表現する、それが子規の「写生」ではないか、と。
だからこそ本書には著者の「写生画」が多数含まれています。言葉と画筆と、著者は自分が使える手段をフル活用して「写生」を行なおうとしていたようです。あまりに短かった、自分自身の生涯の写生をも。