図書館のコンピューターで「著者」に「レーニン」を入れて検索をしてみたら、まあぞろぞろ出てくること。そんなにレーニンはたくさん本を書いていたのか、と思って一覧を見ると、もちろん「レーニン」もありますが「レーニンジャー」とか「トレーニング研究所」とか「ボイス・トレーニング」とかもたくさん混じっていました。えっと……レーニンのフルネームはなんだったっけ?
【ただいま読書中】『まんがで読破 病床六尺』正岡子規 原作、バラエティ・アートワークス 漫画、イースト・プレス、2010年、552円(税別)
正岡子規はその闘病生活の中で、二つの記録を残しました。一つは私的な日記で『仰臥漫録』と名付けられました。もう一つは新聞に連載されていた『病牀六尺』です。本書はその『病牀六尺』を漫画化したものです。
伊予の松山で幼くして当主となり、いじめられながらも勉学に励んで上京、作句活動に励んだものの若くして肺結核を発病した、という経歴が簡単に述べられます。そしてメインの舞台は「病牀」です。
貧血で全身が青白くなるくらいまで喀血し、脊椎カリエスからは膿がにじみ出、モルヒネを継続的に使わないと苦痛に耐えられないという壮絶な闘病生活ですが、その中でも著者は作句や弟子の指導などを続けていました。その精神力の強さには驚きます。決して彼は超人だったわけではありません。苦痛にうめき時には死を願う“弱い”人間でした。その弱い人間がこれだけの活動をしたことに、私はますます驚きます。
子規は淡々と言います。「健康な人は笑うがいいさ。幸福な人は笑えばいい。病気を知らない人は笑えばいい。私も今日みたいに麻酔剤のおかげで調子のいいときには煩悶していた自分を笑いたくなる。それは私が愚かということではなく人間が持つ共通の性質だ。病気を苦しんでいる私も病気を笑う私も同じひとりの人間なのだから。もしも私を笑う健康な人が何か過ちを犯したとき私はその人を笑うだろう。そう考えると笑われる私と私を笑う人もたいしてかわらないのだ。だから笑えばいいさ」
あるいは、母と妹の介護の不手際(と新聞にふりがながついていないと読めない教育の無さ)に対する不満を赤裸々に述べますが、そこから導き出される結論は「女子にも教育が必要である」。看護教育ではなくて一般常識、教養の類の教育です。おそらく子規は、自分と対等の立場の人間が自分に共感してくれること、を求めていたのでしょう。(だから夏目漱石との面会をあれほど求めていたのかもしれません)
そして「たとえ死ぬことは怖くても、大切なのは、病気を受け入れて苦しくてもそれを楽しんでいられること……どんなときでも平気で生きていることなんだ」「そして私のやるべきことは、苦しみの中にいるありのままの自分を写すことだ」の境地に到ります。
『病牀六尺』は連載100回を超え、子規は死の2日前まで筆を握り続けました。もしあの世というものが存在するのなら、あの世では子規は痛くはないでしょう。だって結核菌はあの世にまではついていかないでしょうから。そして、どんな句でどんな世界を写生しているのかな?