【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

みどりの窓口

2011-07-30 18:35:34 | Weblog

 なんだか遭遇率が高いので、「変な客」でシリーズ化ができるのではないか、と思う今日この頃です。
 今回の舞台はJRみどりの窓口。切符を買おうと行列に並んだら、一つの窓口をずっと占領しているおじさんがいるのに気づきました。当然私の耳はダンボになります。
 まず、人数の確定ができていません。「大人三人と子供二人、あ、いや、大人二人と子供二人……あ、違った、やっぱり大人三人と子供二人」……おやおや、これは前途多難だなと思っていると、案の定、こんどはいつ行きたいのかがわかっていない。窓口の人とやりとりを何回かしてやっと「日」が確定したら次は時間。係員が「その日は13時から15時の間は空席がありません」「だったらいつがあるんだ?」「13時より前か、15時よりあとです」「13時って午後一時だよな。それは早すぎる」「ならば15時よりあとにされますか?」「それは遅すぎる」
 ……どうしろと?
 それでも15時ぎりぎりの便に決定。帰りの便でもまたひともめがありましたが、それはまあさっきよりは軽いもの。そこでやっと手続きが始まると……「あ、子供用の乗車券が一枚あるからそれは外して」。
 ……先に言いなさいよ。もう操作に入ってるじゃないの。
 係が機械の操作をやり直していると「子供用の乗車券が一枚あるから、乗車券は大人が3枚と子供が1枚、指定は5枚だよ。わかる?」
 ……わかっていると思います。何が問題かは、あなた以外は全員。
 で、やっと発券されるとそれをじっと確認して突然怒り始めます。「高すぎるじゃないか。○○までこんな金額の訳がない! いつもの倍じゃないか!!」
 係もじっと見て「あの、これは往復運賃ですけど」。

 私が気になったのは、“すでに持っているという子供用の乗車券”、これ、片道?往復? 片道だったら、また○○の窓口か改札で新たなトラブルの予感が。

【ただいま読書中】『時計の社会史』角山栄 著、 中公新書715、1984年、540円

 「シンデレラ」「ガリヴァー旅行記」「奥の細道」「ハイドンの交響曲『時計』」などをイントロに使って、時計と人間の関係を「時計」と「社会」の両面から述べた読みやすい本です。
 西洋での機械時計は、初めは修道院や教会で祈りの時刻を知るために用いられました(カソリックでは一日に祈りを捧げるべき時刻が決まっています)。だからCLOCCA(ラテン語で「鐘」)が付属しているのが普通でした。それに対して農民は不定時法の世界に生きていました。
 この機械時計が社会に進出してきたとき、それを容易に受け入れたのは商人です。彼らにとって「時は金なり」だったのです。
 ヨーロッパの機械時計は、アジアにも輸出されました。清国でも日本でも不定時法が採用されていましたが、時計に対する対応はずいぶん違いました。清では時計は「皇帝のおもちゃ」でした。豪華な時計を募集することが皇帝(と貴族たち)の趣味となったのです。日本では「和時計」となりました。不定時法に対応できるように西洋の機械時計は改造されていったのです。
 江戸時代の日本は世界有数の銅産出国でした(オランダに輸出していましたが、その輸出量によってヨーロッパの銅相場が左右されています)。国内ではその銅によって梵鐘が多く作られました。目的は、時鐘。全国で定期的に時を告げる鐘が鳴らされていたのです(それを較正する目的で和時計も用いられました)。ただし日本での「時間」は「共同体のもの」でした。「個人のもの」ではなかったのです(例外は、旅人が持つガイドブックに付属する日時計(コヨリを立てて使用する)でしょうか。ただ、その時計の目的は、たとえば行き先のお寺の行事の時刻に自分の行動を合わせるため、などですから、結局厳密には「個人の時間」とは言えないようです)。
 産業革命によって「生産の時間」と「消費の時間」が分離されます。大量生産は大量消費が前提ですから、労働者にも消費の時間を与える必要があったのです。さらに大量生産によって、18世紀にはイギリスが「時計製造に関しては世界一の国」でした。その座は19世紀にスイスに奪われます。世界の変化に「世界一」という自覚があったイギリスは対応が遅れたのですが、スイスもまたアメリカに追い抜かれます。「手作りが一番」が「アメリカ式大量生産」に負けたのです。なお1881年にはアメリカで「1ドルウォッチ」が発売され通信販売で大ヒットしています。何年か前の「500ドルパソコン」を思い出します。そして電子化の波に乗ったのは日本でした。ここでも「自分が世界一」という自負のために新しい波に乗り損ねると凋落する、という図式が飽かずに繰り返されています。
 「時計」と「時間」は、密接な関係はありますが、同一のものではありません。だから時計の歴史と社会の歴史とを同時に論じることには意味があります。たとえば日本の各地には「○○時間」が存在します。会合が必ず30分とか1時間とか開始が遅れるときに「○○」にそこの地名を入れて言われることばです。それは、日本では「時間」がまだ「個人のもの」ではなくて「共同体のもの」であることを示しているのではないか、と著者は述べています。鉄道ダイヤの強迫的なまでの正確さと「○○時間」との両立を許す日本社会。自分が住んでいる社会ではありますが、なかなか面白いものです。