<あれも聴きたい、これも聴きたい> 残り5万個、脳細胞 編
このブログを書かせていただいて、どうも最近なんだかミスが目立つようだ。
コメントでご指摘を受ける直前、七戸さんのご自宅へ伺った時、CDのジャケットが違うと言われ「えー?」と思ったのですが、帰って確認してみるとその通り。
LP1枚とCDが3枚あり、私が所有しているものとしては、七戸さん生前のものではLP1枚とCD1枚。そのCDを七戸さんが亡くなってからのものとどこかで勘違いして覚えていた。
次も「プラテロと私」の稿で、山下和仁さんのギターで朗読しているのが、メゾ・ソプラノのテレサ・ベルガンサと書いてしまい、読者の方に「それは違います」とご指摘を受けたのですが、よくよく解説を見返してみると、テレサ・ベルガンサの姪御さんとある。するとだんだん思い出してきた。CDを購入して最初に解説を読んだ時、「へえー、やっぱり血筋なんだねえ。テレサ・ベルガンサの親戚だけあって、やっぱりこういう才能があるんだあ」と感心した覚えがある。それがいつのまにか自分の記憶では、テレサ・ベルガンサ本人にすり替わってしまっていたことになる。
こりゃあ大変だ。そんなことが他にもいっぱいあるんでねえべが、と心配になってきた。
そういえば先日、30年以上前、私の教えていたギター教室に長年通って来てくれていた生徒さんがわざわざ尋ねてきてくれた時、そのころ熱中していた酒井康雄君との二重奏でやったリサイタルが現代ギターに写真入りで大きく取り上げられたことがあったが、その時のことを尋ねてきてくれた生徒さんが覚えてくれていて「ああ、あのホールでやったリサイタルね」とホールの名前を具体的に言ってくれた時、私は一瞬「え?そんなホールでやった覚えないぞ」と思っちまった。しかしその後よーく考えてみて少しづつ記憶がよみがえってくると、確かに彼の覚えていたホールで二重奏でリサイタルをやっていたのだ。
なんというあいまいな記憶であろう。
遠い昔のこととはいえ、こともあろうに自分がやったリサイタルの会場を忘れてしまっているとは。しかし昔のことはまだ覚えている方だと思う。困ったのは直近のことがあとからあとから消えていくことだ。あとからあとから消えていくのか、最早メモリーが足らなくなっていて、メモリーに書き込みができなくなっているのか定かではないが。世のパソコンのハードディスクやメモリーはどんどん大きくなっていくというのに(ちなみに今私の使っているパソコンも大して高価なものではないが、去年の夏購入したもので、HDDが300G、メインメモリーが1Gある)、私の脳のメモリー容量はどんどん減っているようだ。
20歳を過ぎると脳細胞が毎日10万個づつ死んでいくと何かで読んだ記憶がある。「毎日10万個!?」とびっくり仰天、おろおろ、よれよれ、目がかすむ。
「毎日10万個も無くなってみろ。そんなもん、1週間で脳の中がからっぽになっちまうでねえか」という気がするが、「それじゃああんたの脳みそは70万個しか細胞がないの?」と言われても返答に困る。「何かで読んだ記憶がある」と言っているうちは、少なくとも脳細胞はまだ少しは残って頑張ってくれているようだ。それにしても何年か前のことを考えると、やはり記憶力が衰えていることは間違いない。
自分にとって都合の悪いことを忘れていくうちはまだいい。(これは会社の人や、かみさんに聞いてみるとはっきりする)、覚えておかなければならないこともどんどん忘れていく。
人と話している時、「これは忘れないように後で手帳に書いとこう」と思って、話が終わった後さあ手帳に書こうと思った瞬間、「なんだった?」ともう忘れておる。
底の抜けた樽みたいなもんで、いくら水を入れても溜まりゃしない。
そろそろ自分がなんでこのミューズのブログに原稿を書くことになったのか、おぼろげになってきたかもしれないような気がしないでもないような気がする。
ゆうべお風呂に入ったんだっけ?
そういえば今日お昼何食った?
そもそもお昼食べたんかなあ?えー?今日の晩御飯まだ食ってねえんじゃねえかあ?
今履いてるパンツ、いつ替えたんだっけ?
ひょっとしたら僕の脳細胞、あと5万個くらいしか残ってないかもしれないような気がしてきた。大切に使わなくっちゃ。 内生蔵 幹
因みに写真は内生蔵さん20歳の時のものでまだ脳細胞がぎっしり詰まっていた頃の写真です。 山下 高博
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