テデスコのギター室内楽(Ⅱ) - ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> テデスコのギター室内楽(Ⅱ)

 前回はスイスのギタリスト“シュテファン・シュミット”の演奏によるテデスコの室内楽だったが、今回はイタリアのギタリスト“アルトゥーロ・タッリーニ”による同じくテデスコのギターを含む室内楽のCDをご紹介。
中に収録された作品は前回のシュミットさんの演奏した4曲に加えてさらに「ソロ・ギターと合唱のためのロマンセロ・ヒターノ」全7曲が含まれているという超お買い得CD。
しかしそのせいかどうかは不明だが、ギタリストはともかくその他の演奏者がもうひとつなのは惜しいといわざるを得ない。

ギタリストのタッリーニさんは、1987年の第20回ミケーレ・ピッタルーガ国際クラシック・ギター・コンクールで優勝、第1位に輝いているくらいだから、演奏はなかなかのものだ。しかし残念ながら弦楽四重奏にいまひとつの余裕がなく、特にヴァイオリンパートがなんだかひーこらとヒステリックなところが見えるし、録音のせいかギターと弦楽のバランスもいまいち。またリズムもせせこましくてなんだか音楽的な余裕に欠けるようだ。最後の四楽章フィナーレもアンサンブルがピッタリとはいっておらず、その上最適な速度というわけにはいかず緊張感にも欠ける。やはり一発勝負的に録音したというところが散見されて惜しい。(はっきりいって弦楽四重奏団の練習不足はありありと解る)前回のシュテファン・シュミットがソロをした名演奏があるだけに少なからず残念でならない。ギタリストが達者なだけになんとも惜しい限りである。(弦楽のチーム名は“I SOLISTI ROMA”)

次の“フルート、コールアングレ、ギターのための牧歌”や“ギターとピアノのためのファンタシア”そして“フルートとギターのためのソナチネ”などはなかなかの好演をしている。悪くはない。しかしシュテファン・シュミットの演奏に比べるとなんとも相手がもうひとつのような気がしてならない。しかしそれでも最後の“ロマンセロ・ヒターノ”に比べれば随分ましだ。残念ながらこれは難しい。合唱がいけない。合唱が何とも素人合唱団のようでなんとも痛々しい。歌い手にとって作品自体がかなりの難曲であるせいか、一人ひとりの実力不足は否めず、アマチュア合唱団の演奏のようでまるで音楽になっていない。楽譜どおりに歌うのが精一杯といった趣がある。既に亡くなったが昔ドイツのギタリスト、ジークフリート・ベーレントの演奏でもレコーディングされたものがあったが、やはり合唱団はひどいものであった。そもそもこの曲はアマチュア合唱団なんぞの手に負えるようなしろものではない。むしろ超一流のソリストほどの実力を必要とする。当時そのレコードを喜び勇んで聴いたものだったが、聴いたあとの落胆はひどいものであった。リズムから声量のコントロールから、そして肝心な歌いまわしからなっていなかった。今回のこのCDの演奏もその演奏と殆んど同じ程度といったらいいか、とても芸術作品とは言い難いものがある。とにかく表現が全てに渡って難ありといったところ。

今まで聴いたこの曲の演奏で最も優れたものは一昨年の11月、村治佳織さんが日本の合唱団“ボクスマーナ”とやったものが最高の出来であったと感じている。それまで私はこの“ロマンセロ・ヒターノ”という曲の真価を理解していなかったといってよかったが、その時初めて目を見開かれたような気がしたものだ。その時の演奏は全曲を通してのものではなかったが、ぜひともいつかは同じメンバーで全曲を通して聴いてみたいと思ったものだった。その時私は楽屋裏にいたが、終焉後ボクスマーナの皆さんも感動のあまり、「いつか全曲を通してやりたい!」と言っておられたのを覚えている。
紹介しておきながらこのCDに対して随分ひどいことを書いてしまったが、これくらいの曲になると録音されたものも少なく、恐らく今まで一度も聴いたことのない人も沢山おられることと思う。そうしてみるとこのCDもひとつの貴重な記録であろう。世に沢山ある組み合わせの作品ではないので、ぜひとも一度は味わってみられたらよかろうと思う。このCD、ギターの演奏に関しては充分聴き応えのある内容になっていることは確かである。
内生蔵 幹(うちうぞう みき)

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