ミューズの日記(3ページ目)
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今日は28回目のワンコインコンサートでした。
バロック・リュートソロ、ギターソロ、ギターデュオ、テルミンとギターと言う演奏形態とバロック音楽、古典、近代スペインもの、チックコリア、カンツォーネ、そしてアニメのテーマと幅広いジャンルの音楽が演奏されました。

先ず、私が感動したのは2番目に演奏された方でした。演奏曲目はソルの月光とエチュード作品60-18(セゴビア編ソル20のエチュード第4番)です。椅子に座られてから、ワンコイン初参加の緊張が伝わってきます。弾き始める前に精神統一をされて、さあ、弾き始めようかと思った瞬間右手が大きく震え始めました。そこで息をのんで手の震えを抑えます。震えが止まったところで、弾き始めますが、また震えが始まり、3つくらい音を出して止まります。もう一度精神統一をし直します。張りつめた空気が流れました。ところが次の瞬間、美しい音が流れ始めました。しかも、震えもなく、安定した演奏で、音楽的にも素晴らしい月光が流れてきました。これには聴衆全員が息を呑んで聞き入りました。感動の瞬間でした。そして、最後まで見事に弾き切りました。おめでとう!是非また出演してくださいね。

以前も手の震えで演奏が出来なくなり、何度も弾きなおすのですが震えが止まらず、結局その日は途中でギブアップされた方がいました。「とっても悔しい!また次回チャレンジします。」と言って悔しい思いで帰られた方がいました。そして、次のワンコインに再度挑戦して、見事に手の震えもなく最後まで完奏されました。「うれしい!!これで自信がつきました!」ととても喜んで帰られました。それから人前で何度も弾くようになられて、ギターライフを楽しんでいらっしゃいます。これがワンコインコンサートの良いところですよね。だから、まだ出演されたことがない方は是非挑戦してみてください。誰にもはじめの一歩はあります。

ところで、今日の聴衆賞は高校生の紀藤(きとう)君が獲得されました。彼は今度のアマチュアギターコンクールにも出場するようで、課題曲のアレグロ・ヴィヴァーチェと自由曲のバリオスの大聖堂第2、第3楽章を演奏されました。歌心もあり、指も良く回っていて、気持ちの良い演奏をしたのが得票につながったのだと思います。今後が楽しみな高校生ですが、一番の課題は左手の奏法です。頑張ってください。

<プログラム>
1.三浦 章   ロジー伯の死に捧げるトンボー/S.L.ヴァイス
2.小原竹千代  月光(Op35-22)
         作品.6-1/F.ソル
3.辻内 陽子&佐々木響士朗 
         紫陽花/莉 燦馮
4.平田 晃三  作品60番-18/M.カルカッシ
5.熊谷江利子  アレグロ・ヴィヴァーチェ/M.ジュリアーニ
         ファンタジー/S.L.ヴァイス
6.荒木 勇二  南米風前奏曲第3番(田園)/A.カルレバーロ           
         リリウム/小西香葉・近藤由紀夫
7.村上 弘明  月光/F.ソル
         練習曲第1番/G.レゴンディ
8.布目 知弘  トリーハ/M.トローバ
         朱色の塔/I.アルベニス
9.紀藤 聡礼  アレグロ・ヴィヴァーチェ/M.ジュリアーニ
         大聖堂第2・第3楽章/A.バリオス
10. 金田 弘幸  盗賊の歌/M.リョベート
         ワルツ・ショーロ/H.ヴィラ=ロボス
11. 磯村 幸平  スペイン/チックコリア(磯村編)
          きせきを/磯村幸平
12. 野呂正夫&野口千恵
         帰れソレントへ/E.デ・クルティス
         アルハンブラの思い出/F.タレガ

次回のワンコインは8月14日(日)です。
皆さんのエントリーをお待ちしています。
山下高博

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先週の土曜日(5/28)は「國松竜次プレイズピアソラ」でした。今回でミューズサロンでの演奏は4回目になり、少しずつファンも増えてきています。兎に角、彼の演奏には人を引き付けるものがあります。もともとギターは音が小さな楽器ですので、一般的には大きな音で演奏することに神経が行きがちですが、彼は逆なんですね。ギターの持っている小さな音を武器にしていると言うか、小さな音で美しく歌い上げて人を引き付ける、そんなタイプの演奏なんです。小さな音で、しかも美しい音で、音を繋いで歌い上げるためには相当指のコントロールが出来ていないと出来ません。彼はそのコントロールを身に付けているんですね。こんなにピアニッシモで上手に歌えるギタリストは居ないでしょう。ピアニッシモが上手だからフォルテが引き立ちます。ダイナミックレンジが広がるんですね。

しかも今回はオールピアソラのプログラムでしたが、これがまた彼には合っているんでしょうね。今まででの4回の中で一番素晴らしいコンサートでした。彼自身も毎回その成長ぶりを見せてくれていて、今回のコンサートは最高でした。また、彼はコンサートのあり方や方法についていろいろと考えています。新しい試みを常に模索されています。今回のコンサートも「プログラムをすべてピアソラにする」ことや、プログラムを作らないで、お話をしながら曲目を紹介していく事で、その場の聴衆との一体感や、次は何を演奏するのだろうと言う聴衆の期待、全容を見せないことによる即興的楽しみなどを醸し出そうとしました。これは大きなホールではやり難いかも知れませんが、ミューズの様なサロンコンサートでは面白い趣向だと思いました。

また来年も来て頂くことになると思いますので、一度國松さんの演奏を聴いてみてください。きっと「良かった!」と思っていただけると思います。
山下高博

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<あれも聴きたい、これも聴きたい> アンドレス・セゴヴィアのLP

 アンドレス・セゴヴィアは晩年多くの録音をデッカで行い、私たちが若かった頃はセゴヴィアのレコードといえば、十数枚あったはずのこれらのシリーズのことを指していた。最晩年にはMCAレコードへわずかに残した録音(トローバの連作、スペインの城など)もあるが、ほとんどはイギリスに本拠地を置くデッカへのものであった。最近ではいろいろなレコード会社がこぞってセゴヴィアの録音を復刻させていて、私たちも知らないような若い時代の演奏が聴けるようになってきたが、私としてはできれば当時のジャケットをそのままに再現して販売してもらえないかと切に願っている。
それらは当然だがナイロン弦が登場する前のものがほとんどで、中にはスチール弦の音ではないかと思えるものもあって、聴いていてなかなか興味はつきないとともに、先人達の苦労が偲ばれて感慨無量である。

若い頃のセゴヴィアの演奏はとにかくすさまじく、猛烈なテクニックを誇っており、わずかに残る他のギタリスト達の演奏が足元にも及んでいないことがよく分かる。おそらく当時の他の同業者達には恐怖に近いものを抱かせたであろうし、それ以外の人たちに対しても、ギターの表現力に無限の可能性を感じさせたであろうことは容易に想像がつく。作曲家にしても、あるとき突然、創造力を刺激するまったく新しい素材が目の前に現れてきたわけだ。黙って見過ごすわけはない。
それらの作曲家や音楽関係者の中では当時こんな会話が広まっていったのではないだろうか。
A:「おい、最近ギターですごい演奏をするセゴヴィアとかいうヤツが出てきったってぇ話だが、おめぇ聞いたことあるかい?なんでもできねぇこたぁねぇって話だぜ。とにかくそいつの手にかかった日にゃおめぇ、あのバッハのシャコンヌだってギターで弾きこなしちまうっていうじゃあねぇか」。
B:「そりゃほんとかい?おめぇまた狸にでも化かされてんじゃねぇだろうなぁ。こちとらギターなんてものぁ、スペインの片田舎でフラメンコをチャラチャラかき鳴らすしか能のねぇ低俗な民族楽器くれぇにしか思っちゃいなかったのによぉ。そいつがいっぱしにあのバッハを弾いちまうなんざぁ、よっぽどの天才か間抜けな世間知らじゃねぇのかい?」。
A:「しかしよぉ、これだけ世間さまが騒いでるんだ。話のネタにいっけぇぐれぇ(一回ぐらい)聴いてみたらどうでぇ。ひょっとしたらこりゃ、えれぇ拾いもんかもしれねぇぜ」。
B:「そうさなぁ、あちこちでいろんなもんを聴きに行ってるおめぇの言うこった。騙されたと思っていっけぇ(一回)行ってみるとするかぃ。ところでそのセゴなんたらいうやつぁ、舞台の上で裸でギター弾くのかい?」
A:「それほどヤツもバカじゃねぇだろうヨ。何でだい?」
B:「だっておめぇ、チラシにゃぁ「アン・ドレス(服を着ていない)」ってけえて(書いて)あるじゃねぇか」
A:「ちげぇねぇ!間抜けなやつだったらそれぐれぇやっちまうかもしれねぇなぁ」。
B:「そうだなぁ、こりゃあおもしれぇことになってきやがった」。
とまあ落語に出てくる江戸の町人が、初めて吉原へ繰り出す前のような会話があったのではなかったかと想像する。それにしても当時セゴヴィアの演奏を目の当たりにした聴衆は、プロもアマも、ギターに関係するしないに関わらず、皆一様に度肝を抜かれたのではないだろうか。

そんな時代からずっと下って、そのセゴヴィアが晩年、前にもいったデッカに素晴らしい遺産を沢山、しかもステレオで残していってくれたことには我々は感謝しなければいけない。今回はその中の1枚で、A面が(懐かしいなぁこの言葉)なんとあのアグアドの超簡単な練習曲が8曲とソルの練習曲が4曲。これはセゴヴィアが自ら編纂した20の練習曲から抜粋したもの。セゴヴィアはこのようにソルの練習曲の中から特に有益と思える作品をわざわざ20曲選びだして校訂・運指を行っており、今でもギターにおけるバイブル的な存在となっているんだが、ご本人はそれらをまとめて演奏することなんぞにはまったく興味がなかったと見える。とにかく好きなときに好きな曲だけ演奏する。そこがまたセゴヴィアらしいといえばセゴヴィアらしいのかもしれない。
そしてB面はポンセの3つのメキシコ民謡から第2曲目の「歌」、同じくポンセの南のソナチネの第1楽章で、セゴヴィアが勝手につけたと解説にある「歌と風景」。(これも大変セゴヴィアらしいことで、ソナタの中のある楽章だけ取り上げて演奏するなどということは他の世界ではあまりないはずだが、この人くらいになると許されっちまうんだねぇ)。そしてアルベニスの有名なグラナダに続き、タンスマンのマズルカ、グラナドスのこれまた名曲、スペイン舞曲第5番「アンダルーサ」となっている。これらの曲はそれまでにセゴヴィアは何回となく録音しているが、このレコードにある録音が本当に最後の録音ではないだろうか。とにかくギターによる「うた」が素晴らしい。ギターという楽器をこれほど歌わせることが本当に可能なんだろうかと思えるほど歌心に溢れている。普通初心者がまず手がけるアグアドの練習曲も、ほんの数章節で終わってしまうのがもったいないほど美しい作品に聞えるし、ソルの練習曲のアルペジオもこれほどレガートに弾かれたことを私は知らない。まさに珠玉の名曲になっている。3つのメキシコ民謡はポンセがギターのために書いた作品の中でもほとんど初期の作品なので、手法としてあまりこなれているとはいえず、誰が弾いてもあまり様になっていることはないのだが、ここでのセゴヴィアの手からはさすがといわせる表現が聞かれ、これも小さな名曲として楽しむことができる。グラナダやスペイン舞曲といった自国の作品は当然ながら、タンスマンのような東欧ポーランドの作曲家の作品を聴いても、その音の繋がり、絶妙のグリッサンド、消え入るような弱音と輝かしい弦の響など、到底なまじっかな才能ではマネのできない個性と歌心が光を放っている。

当時私はあまりセゴヴィアのLPを購入できず、現在CDで復刻されたものは別として、いまだに数枚しか持っていないが、このボブリの手になる美しい装丁のLPは、ポンセの作品を聴いてみたくて購入したものと記憶している。しかし今ここに聴くそれ以外の演奏にも心癒され、あのころ多少の無理をしてでももっと手に入れておくべきだったと後悔しきりの思いがしてならない。
内生蔵幹

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<あれも聴きたい、これも聴きたい> ギターのアンサンブル

 先日大阪のいずみホールで行われた村治佳織さんと弟の奏一君の弾く二重奏を聴いて思ったことがある。勿論この日の演奏は大そう素晴しく、久しぶりに本物のギターデュオを聴かせてもらうことができた。
お2人それぞれの独奏は今まで何回となく聴いているのだが、二重奏となるとさすがに私としても今回初めての経験。年齢も近く、なによりも兄弟が演奏するわけだから、当たり前といえばあまりにも当たり前なのかもしれないが、普段我々が耳にすることができるギターの二重奏とは段違いに息が合っていただけでなく、驚くほど撥弦のタイミングが合っていて、それはもうゾクゾクするほどスリリングで気持ちの良いコンサートだった。
私も若い頃はギターの二重奏に随分打ち込んでいたことがあり、それなりに難しさは理解しているつもりだけれど、ギターの場合この撥弦のタイミングをぴったりと合わせることがとにかく難しい。
 そもそもギターの場合複数の演奏者のリズムを合わせることが難しい。これはヴァイオリンのように擦弦楽器のそれとは大違いだ。とにかく音そのものがパルスで出るわけだから、リズムにおける出だしの音だけではなく、全てに渡って2人の出す2つ以上の音を揃えて出すようにしなければならない。ヴァイオリンにしたところで全ての音をピツィカートで演奏してみればその難しさがわかるだろう。なかなかぴったりとは合わせ続けられないはずである。ギターの場合、最初から最後までそれを要求されるわけであるから、友人同士お手軽に楽しめる演奏形態の割には、コンサートのステージに乗せようというようなレベルを要求すると途端にそうはいかなくなる。2人が1st.2nd.に分かれて単に一緒に弾いているだけになってしまい、下手をすれば合わせるだけで精一杯というところが聴く側からも見えてしまうということになり勝ちである。これではお金を払って聴かされる方はたまったものではない。なにしろ音楽を聴きに来たつもりが、とてもじゃないが楽しむどころではなくなってしまうわけだから。聴きながら「何とか合わせろよ!」、「無事終わりまで行ってくれ!」と祈るような気持ちで聴き続けなくてはならないはめになる。何が悲しくて演奏会へ来て、演奏が無事に終わるよう祈らなくちゃいけないんだ?とおかしな気持ちになり、ちょっとオーバーかもしれないが、こんな演奏会へ来てしまったことに対し自己嫌悪にも陥りかねない。

 こんなことは意外とレコードやCDになっているほどの合奏団にもあって、現在世界中で発売されているレコードやCDの中には、よくもまあこの程度でCDなんか入れさせてもらえたもんだと感心するようなものにも結構出くわすことがある。それはそれで珍品レコード・CD収集として面白いんだが、いつもこんな調子ではそうも言っておれなくなる。やはり昔のプレスティとラゴヤのように得もいわれぬ魅力をかもし出すような演奏をしてほしいし(そう簡単に出来りゃ苦労しないって!)、昔瞬間的に存在した「アブリュー兄弟」や最近の「アサド兄弟」のように丁々発止、火花を散らすようなというか鬼気迫るというか、とにかく聴いていて胸のすくようなアンサンブルを聴かせてもらいたいと願うばかりである。(自分が弾くんじゃないと思ってむちゃくちゃ言うなぁ!)
 以上のようにたかだか2人で弾く二重奏ですら簡単にはいかないのに、3人、4人となるとますます難しくなることは当然だし、果たして「同じ音域のギターを2台以上並べてどうするだぁ!」という意見ももっともな気がするので、ここではギターの場合、せいぜい二重奏までということにしたいと思うが、いずれにしてもギターのように音がパルスでしか出せない撥弦楽器のアンサンブルというのは難しいものなのである。

 とにかくただでも難しいギターの二重奏で何が難しいかというと、2人が出すパルスとしての音の、出るタイミングそのものをぴったりと合わせることほど難しいことはないのではなかろうか。独奏の時はあまり分からないが、普通指が弦に触れたのち、爪が弦から離れる瞬間(これが音の出る瞬間なんだが)までの時間が人それぞれ微妙に異なる。これは癖といってしまえばそれまでだが、とにかく人さまざまだからいたしかたがない。(それだけでなく、そもそも右指と左指のタイミングがしっかりと合っていない人が多いので、まずはそこから訓練する必要があるが)
しかしこれが揃わないと音楽のリズムとしては合っていても、なんとなく音楽がなくきたなく聞えてしまって、二重奏の魅力を損ねてしまう大きな原因となる。これは一言では片付けられない困難さを伴うものなんだが、しかしこれを克服しないことには良いギターのアンサンブルは望めないので、目指しておられる方達はそのあたりに充分気をつけて練習に励んでもらいたい。
 またこれも重要なことであるが、アンサンブルで音楽を作っていくときに、誰がその音楽の主導権を握って引っ張っていくかということである。通常そこそこの腕前の演奏者がアンサンブルを行う場合は、お互いを尊重し合ってどうしても中間的な音楽作りになってしまうことが多い。結果それぞれの腕前の割にはただ楽譜通りに弾いただけになり勝ちなので、やはりここはどちらかが主導権をもって音楽作りをしていくとよい。当然のことだがオーケストラのように人数が多くなった場合も音楽作りを多数決でとはならず、指揮者がいてオーケストラを自分の楽器のように扱うわけだし、そのときはいかに優れたソリストが中に混じっていようと、「それはちょっとおかしいんでないかぃ?」とはなかなか言わないだろう。とにかくうまくやろうとすればそこは「お代官様」である指揮者に任せるしかないわけだ。
アンサンブルというのは、確かに独奏をすることからみればテクニック的にもそこまでは要求されないことが多く、しかも手軽に友人同士楽しめるものなので、皆さん大いに挑戦してもらいたいのだが、譲り合ってもだめ、我を張り合ってもだめ、かといって中間をとってもだめと、それなりになかなか難しいものなのである。そのあたり村治姉弟のデュオは近年稀なと思えるほど見事で、これからも末永く我々にアンサンブルの魅力を披露してもらいたいと願っている。
内生蔵幹

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先週の土曜日(5/14)から店内で「邦人製作家フェア」を開催していますが、今日も加納先生が追加で4本のギターを持って来てくださり、合計で加納ギターが16本揃いました。こんなに加納ギターが揃ったのは初めてで、加納木魂フェアと銘打っても良かったぐらいです。
皆さんご存知の通り、加納さんはショートスケールの名人で、今回揃っているギターも号数別、スケール別に次の様になります。
<40号>
650㎜  1本
630㎜  1本
610㎜  1本
<60号>
650㎜  1本
630㎜杉 1本
610㎜  2本
<80号>
640㎜  1本
630㎜  1本
<100号>
650㎜  2本
640㎜  1本
630㎜  2本
<120号>
650㎜  2本
合計  16本

凄いでしょ!如何にショートスケール作りの名人とはいえ、こんなにたくさんのショートスケールが揃うと驚きではないでしょうか?
しかも、加納さんのお話しでは、最近ショートスケールの高額モデルが良く出るそうです。今月は180万円の610㎜が2本売れたそうです。えっ!180万円!と驚かれるでしょうが、私も加納さんの180万円の630㎜を個人の楽器として所有しています。今回も40号から610㎜が入っていますが、これが610㎜?!!と言う出来栄えです。是非一度610㎜の世界をご確認ください。一両日中に100万円の610㎜も入ってくる予定です。
こんなに揃うことはありません。この機会に是非ご覧あれ!
山下高博

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