machaの浅学妄想

今、感じたことや想うことを書いておく。

北朝鮮

2006-12-23 | Weblog
北朝鮮の外務次官がなかなかかっこいい。
大国を相手に余裕をもって渡り合ってる。
ヤクザのかっこよさだ。

核兵器を持っている大国が、自分たち以外は持ってはならない。なんて勝手なことを言っている。腰抜け日本外交はへいへい言っているが、北朝鮮は筋の通ったことを言う。男らしい。

金正日の元料理人の日本人調理師は、なぜ金正日がサングラスをかけているかについて、こう答えている。自分のためにマスゲームや行進を一生懸命やっている北朝鮮の国民の姿を見て泣いてしまうそうだ。だから涙を隠す為にサングラスをしている。

南北会談が板門店であったとき、南の若い外交官が北側の外交官に向かっていった言葉について、北朝鮮の同席者が「年長者に向かってその言葉遣いはなんだ」と怒ったそうだ。外交というより、家族のけんかだ。これを見ると北には儒教精神が深く残っていると言える。

私が着ているジャンパーは「しまむら」で買った北朝鮮製。中国製とは比較にならないほど仕事が良い。

北朝鮮、今は世界一貧しいが、先進国になる素養を持っていると思う。
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「嫌われ松子」最終回

2006-12-22 | Weblog
テレビ版は小説とは変えてあり、そこがいままでは良かったが、
最終回はちょっとインパクトが弱かった。

ハッピーエンド的に終わるより、無常感をもって終わったほうが良かったなと思う。

それにしても久々にいいドラマをみた。
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クリスマス会

2006-12-17 | Weblog
今日は100人ほど集るクリスマス会のスタッフとして働いた。
午前が講演会、午後がアトラクション。東京から来る講演者が列車のトラブルで遅れ、午前と午後のスケジュールが急遽逆になってしまった。
あわてたが、騒がず文句も言わず皆で協力して楽しい集まりにすることができた。

去年12月にボリビアで買った50ドルのギターで4曲ほどアトラクションの歌の伴奏をした。ベニヤ板で出来た薄っぺらな乾いた音のギターだがマイクで拾うと良い音がする。ヤマハのギターの湿った音より私は良いと思っている。音の軽さが良い。

ギターは高校のときから自己流でやってはやめ、やってはやめを繰り返している。でも趣味なんてそれで良いと思う。自分は才能がないからやらないと言う人が多いが、自分に見切りをつけてしまうのは、もったいないと思う。ポロポロと爪弾くだけで慰められる。趣味は無理をしないで、やりたいときにやり、またいつか、やりたくなったらやれば良い。仕事じゃないんだから。
人前でやって、褒められるような腕ではないが、多少でも役に立てればうれしい。

いままで買ったギター:
高校のときの質流れのギター。
就職してから買った3万円のヤマハ、引越しのとき人にやった。
数年前に妻がフリーマーケットで買ってきた500円のモーリスのフォーク、20年ぶりに持つギター。
それからボリビアで買った50ドル。




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中学時代

2006-12-10 | Weblog
中学校時代は悩みもなく楽しかった。
家で勉強をするってことを知らなかった私は、中学二年の終わりころには勉強が授業中だけでは理解できず休み時間も今習ったことを理解しようとノートを読み返していた。授業が終わって直ぐに校庭に遊びに出る同級生を見てみんな頭が良いなと思っていた。

ある日、高校受験を控えた一年上の友人の友人の家に行った時、家で勉強している姿を見てビックリした。家でも勉強するのか。なら出来るはずだ。その縁側の突き当たりの机の緑のフェルトとガラスが目に焼きついた。家に帰ってすぐ父親の事務机をもらって勉強を始めた。

子供は一つのことに集中するから周りが見えない。
感受性が鋭いから、人を見る目が大人よりある。
40年も前だが、土建屋の社長だった親父のところにセールスマンが新しい計算機を売りにきた。丁度そこにいた私はその若くて溌剌として自信に溢れた姿に魅了された。あなたはすごい、出世すると私は言った。彼は坊主頭の小柄な中学生の私に名刺を差し出した。生まれて初めてもらった名刺。この名前を絶対に忘れないようにしようと思った。樫尾製作所 樫尾勝雄と記憶している。兄が社長だと彼は言っていた。後に新聞か雑誌で兄が作って私が売り歩いていたと若い頃を振り返っていたカシオの現社長の記事を見た。樫尾和雄氏である。

中学三年の時の担任の先生は良い人だった。私はしょっちゅう学校に遅刻した。朝から人に指図されるのは嫌だったので母親には絶対起させなかった。一時間目の国語が始まっていて教室に入らないで、担任の先生のいる理科準備室で先生とコーヒーを飲んで話して過ごしたことがある。
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鈴木秀夫監督

2006-12-06 | Weblog
先週、土佐礼子が東京国際女子マラソンに優勝した。
渋井陽子も育てた三井住友海上の鈴木監督は小学中学の同窓生。

小学校の時から彼は秀でていた。炎天下のトラックを100m15秒位で走り続けていた。私は木陰で理科で習った振り子で彼のラップタイムを測っていた。
25cmの振り子の周期はほぼ1秒。

鈴木は中学校の陸上部のキャプテンのとき、小児麻痺の下級生も受け入れていた。その下級生は運動会で軽快な陸上の短パン姿なのに首や手足をクタクタさせながら、普通の生徒に大きく離されても一生懸命走っている。ビリでも陸上部。鈴木は度量が大きいと思った。彼は子供の頃から穏やかな性格。女性的母性的でさえある。

昔の運動会は出店もたくさん出て、おとなも子供も集まって祭りのようだった。部落対抗リレーなんてのもあって懐かしい。

その後、彼は小出監督のいる高校に引っ張られていった。大学は私の大学と同じ駅だったので電車で話すこともあった。当時、マラソンで2時間20分程度と言っていた。選手としては超一流まではいかなかった。

その後のことは知らなかったが、5年くらい前に写真週刊誌で偶然見てびっくり。
今では小出監督を抜いて日本一の指導者だろう。

ところで、陸上部の副キャプテンは今はどうしているだろうか。中学三年のとき高校はどこに行くのと聞いてきた。彼女は鈴木の高校に行くのかと思っていたが、私の高校に来た。彼女はスポーツ万能、成績は学年でトップ、それでいて静かで優しい。私は正反対で劣等感のかたまり。高校の図書館でたまに会うと話しかけてくれた。眩しくて恥ずかしくて口も利けなかった。彼女は国立大学の教育学部を出て学校の先生になった。今はどうしているだろうか。孫がいても可笑しくない歳になった。

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