machaの浅学妄想

今、感じたことや想うことを書いておく。

鈴木秀夫監督

2006-12-06 | Weblog
先週、土佐礼子が東京国際女子マラソンに優勝した。
渋井陽子も育てた三井住友海上の鈴木監督は小学中学の同窓生。

小学校の時から彼は秀でていた。炎天下のトラックを100m15秒位で走り続けていた。私は木陰で理科で習った振り子で彼のラップタイムを測っていた。
25cmの振り子の周期はほぼ1秒。

鈴木は中学校の陸上部のキャプテンのとき、小児麻痺の下級生も受け入れていた。その下級生は運動会で軽快な陸上の短パン姿なのに首や手足をクタクタさせながら、普通の生徒に大きく離されても一生懸命走っている。ビリでも陸上部。鈴木は度量が大きいと思った。彼は子供の頃から穏やかな性格。女性的母性的でさえある。

昔の運動会は出店もたくさん出て、おとなも子供も集まって祭りのようだった。部落対抗リレーなんてのもあって懐かしい。

その後、彼は小出監督のいる高校に引っ張られていった。大学は私の大学と同じ駅だったので電車で話すこともあった。当時、マラソンで2時間20分程度と言っていた。選手としては超一流まではいかなかった。

その後のことは知らなかったが、5年くらい前に写真週刊誌で偶然見てびっくり。
今では小出監督を抜いて日本一の指導者だろう。

ところで、陸上部の副キャプテンは今はどうしているだろうか。中学三年のとき高校はどこに行くのと聞いてきた。彼女は鈴木の高校に行くのかと思っていたが、私の高校に来た。彼女はスポーツ万能、成績は学年でトップ、それでいて静かで優しい。私は正反対で劣等感のかたまり。高校の図書館でたまに会うと話しかけてくれた。眩しくて恥ずかしくて口も利けなかった。彼女は国立大学の教育学部を出て学校の先生になった。今はどうしているだろうか。孫がいても可笑しくない歳になった。

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