茂木って以前行ったことがあるような、という気がしたので、記録と記憶をひもといてみたら、まだ国鉄真岡線だった昭和60年10月31日に茂木-下館間を乗車していることがわかりました。そのときは宇都宮から烏山線で烏山まで行き、国鉄バスで茂木、そのあと真岡線→水戸線→筑波鉄道→常磐線経由で東京に戻ったということになっています。何故このようなことをしたのかは不明ですが、東京に住んでいるときに所用で宇都宮まで行き、単純往復ではつまらないからと思って復路のルートを変えたとしか思えません。
そのとき国鉄真岡線だった路線は、今は第3セクターの真岡鐵道です。そして、真岡鐵道では土日休日を中心に蒸気機関車を走らせている、折角茂木まで行くんだから、タイミングが合って見れたらいいかも、と思っていたのですが、ツインリンクもてぎでの5時間エンデューロが終わって、帰りの食料補給の為に道の駅もてぎまで来たら14時過ぎ。煙は茂木発14時28分ということで、非常にいいタイミングです。早速線路の見えるところに行きました。
汽笛が聞こえてしばらくすると、カーブを曲がって列車がやってきました。ここまでが登り勾配だったのか、盛大に煙を上げています。意外に速いです。晴れていれば、というところですが、雨が降らなかったのと、何よりたまたまきた茂木で、見ることができるタイミングにここにいることができただけでも幸運というところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/73/44062017865f3d973e7f9b9e531603a6.jpg)
2011.10.30 6002レ SLもおか号 茂木-天矢場
牽引する蒸気機関車はC12 66で、1933年日立製作所笠戸工場製、新製配置は鹿児島機関区で、その後小牛田→宮古→釜石→弘前→上諏訪→会津若松と渡り歩いて1972年除籍されましたが、その後復元工事がされ、1994年から真岡鐵道で走っているということです。実質的な最後の働き場所となった上諏訪機関区に在籍していたときは辰野、岡谷、上諏訪駅構内の入換を主にしていたようなので、もしかしたら辰野駅ホームから入換をしているところを見たことがあった機関車かも知れないです。
5時間エンデューロでかなり疲れてへろへろだったのですが、26年ぶりの再訪となった茂木で、40年ほど前に見たことがあるかも知れない機関車が走っているのを見るという、妙な再会が待っていたのでした。
そのとき国鉄真岡線だった路線は、今は第3セクターの真岡鐵道です。そして、真岡鐵道では土日休日を中心に蒸気機関車を走らせている、折角茂木まで行くんだから、タイミングが合って見れたらいいかも、と思っていたのですが、ツインリンクもてぎでの5時間エンデューロが終わって、帰りの食料補給の為に道の駅もてぎまで来たら14時過ぎ。煙は茂木発14時28分ということで、非常にいいタイミングです。早速線路の見えるところに行きました。
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2011.10.30 6002レ SLもおか号 茂木-天矢場
牽引する蒸気機関車はC12 66で、1933年日立製作所笠戸工場製、新製配置は鹿児島機関区で、その後小牛田→宮古→釜石→弘前→上諏訪→会津若松と渡り歩いて1972年除籍されましたが、その後復元工事がされ、1994年から真岡鐵道で走っているということです。実質的な最後の働き場所となった上諏訪機関区に在籍していたときは辰野、岡谷、上諏訪駅構内の入換を主にしていたようなので、もしかしたら辰野駅ホームから入換をしているところを見たことがあった機関車かも知れないです。
5時間エンデューロでかなり疲れてへろへろだったのですが、26年ぶりの再訪となった茂木で、40年ほど前に見たことがあるかも知れない機関車が走っているのを見るという、妙な再会が待っていたのでした。