今日の常念岳

安曇野から見える代表的な山である常念岳を中心に、安曇野の自然、日常の風景など、画像で綴っていきます。

果物屋

2009-06-12 22:26:53 | 台湾2009
(画像は全て2009年03月19日撮影)


果物屋は非常にカラフルである。これは台南公園の向かいにあった店で、信号待ちの間のぞいてみた。台湾は気候的にリンゴの収穫は困難だと思うのだが、台湾の人たちはリンゴが好きなのか、結構あちこちでリンゴを売っているのを見かけた。ここにも「ふじ」が山になっているのだが、産地はどこだろう? 1個10元(≒30円)ということは、リンゴの収穫期に直売所で買う値段の安い方に近い。隣を見るとメロン。メロンって夏の果物のイメージがあり、リンゴとメロンが同居というのは何だか違和感がある。手前の「葡萄柚」はグレープフルーツ。要するに、もろ直訳。「打果汁」という看板があり、多分その場で果汁を絞ってくれそうな感じ。試してみれば良かったかも。


店の中にもいろいろな果物がある。贈答用か、きれいにパックされたのもあった。

台南公園

2009-06-11 23:01:21 | 台湾2009
(画像は全て2009年03月19日撮影)

台南車站から歩いて10分くらいの所にある公園。どうも本当の名前は中山公園らしい。非常に木が多く、池があったり時々遊具もあったり、一角には図書館まである広い公園である。平日夕方でも結構人がいて、思い思いに過ごしている雰囲気があるので、台南市民の憩いの場なのかも知れない。ただ、この池の所為なのか、蚊のような血を吸う虫がいて、刺されると忘れた頃に非常にかゆくなり、そのかゆさが長続きするのはいただけない。

池の端で貸しボート屋が営業していたのだが、私が聞きに行ったら既に営業終了の時間間近で断られてしまった。前に来たときはボートはなかったような気がするのだが、いつから現れたのだろうか?


鷺の類だろうか? 池に佇んでいた。

福隆宮

2009-06-11 22:49:04 | 台湾2009

台湾では至る所にこのような派手な「宮」のつくものがある。雰囲気的に日本のお寺か神社に近いもののような感じはするが、そのどちらからも遠いような感じもする。台湾古来からの信仰対象だと思うのだが、何者なのかはわからない。台湾でメジャーな信仰(?)は何だろう?


食事その1

2009-06-05 01:01:09 | 台湾2009
(画像は全て2009年03月19日撮影)

苗栗車站近くというか苗栗巴士站横にあった食堂で食べた昼飯。苗栗鐵道博物館に行くときに見たら閑散としていたのだが、昼近くに戻ってきたら客が一杯いた。まあ、平日だし、昼休み以外の時間帯に昼食を食べることができる人はそうはいないわな。とはいえ、ここで次の自強號に乗り遅れると時間的に彰化機務段扇形車庫を見に行けなくなるので、すぐ出てきそうなものを選んで注文する。


魯肉飯。台湾では非常にポピュラーな肉そぼろぶっかけご飯で、何が乗っているかと味付けは店(屋台)によって千差万別。とはいえ、私が食べたところではほとんど外れはなく、麺類と組み合わせてボリュームアップを図ったり、ちょっと小腹が空いたときに最適な食べ物だ。肉そぼろでご飯の上を覆うタイプが多いのだが、ここのは肉以外に乗っているものが多いのが特徴的。


水晶餃。浮き粉で作ったような、透明感のあるもちもちとした皮の水餃子。皮も具も非常においしい。スープも美味なのだが、やや胡椒が効いているのとなかなか冷めなくて子供は食べるのに苦労していた。


酸辣湯麺。これも胡椒が効いていた。子供には無理だったようだが、私が結構食べられたくらいだから、それほど「酸」は強くなかったのだろう。とはいえ、あんかけのようなスープは非常に美味。これもなかなか冷めず、食べるのに時間がかかった。

すぐに出てきそうなものを選んだ割には食べるのに時間がかかってたような気がする。でも、発車10分前くらいには駅に戻れた。それから自強號の切符を買うという何とも泥縄的な行動だったのだが、「無座」にはならずにすんだ。乗った自強號の席はほぼ埋まっていたから、危なかったかも知れないなあ。

彰化車站

2009-06-04 01:54:57 | 台湾2009
(画像は全て2009年03月19日撮影)

海線と山線とのジャンクションになる為、縦貫線としては要点になるのだと思うが、駅としてはこぢんまりとした駅。駅舎は1958年建築の鉄筋コンクリート製で、特に歴史的建造物でもないのだが、正面の電光掲示板に表示された温度が私にとっては思いっきり暑さを感じさせていたので、思わず撮ってしまった。



台湾のそこそこの規模の駅では普通に見られる駐輪場。圧倒的にスクーターが多く、それもずらっときれいに整列しているので、その様子は壮観だ。自転車もあるがここで見た限りでは少数派。


改札口。線路の絵で案内をしているところが台鐵のセンスか。まっすぐに進んでいる線は「磁卡定期券、背磁式車票専用入口」即ち自動改札である。どうも台鐵では自動改札は普及途上のようだ。自動改札を通れない切符は左斜めに延びる線「剪票口」即ち有人改札に向かうことになる。


第一月台の端に、古いサボで作られたモニュメント(?)があった。


2009.03.19 1019次自強號 彰化

彰化から台南まで自強號で移動。ここで来たのも推拉式自強號だった。この日乗った3本の自強號は全てほぼ席が埋まっていた。バスや高鐵との乗客争奪戦があるとはいえ、台鐵もまだまだ利用が多いということか。

彰化機務段扇形車庫(2)

2009-05-29 22:22:19 | 台湾2009
(画像は全て2009年03月19日撮影)


構内の一角に展望台が作ってあった。その展望台から見るとこんな感じ。展望台までは転車台か扇形庫に沿ってほぼ半周することになる為、入換中で機関車が動いていたからちょっと緊張した。


扇形庫も現役なら、転車台も現役である。私にとっては2004年3月の梅小路以来、5年ぶりの生きている転車台だ。


S318號が転車台の上に乗っている。S300形柴電機車は、美國GM-EMD製の入換用機関車で、軸配置B-B、出力890HP。現役はS316, S318の2両で、2両とも彰化機務段に配置されている。


転車台が回って、S318が転線してきた。


庫内のCK124に連結し、引き出してきた。


CK124は鐵路節に向けて整備中か、非常にきれいな状態だ。


2両まとめて転車台で回す。


CK124を別の線に移して庫内に押し込んだ。


今度は側線からCK101を引っ張ってきた。


こちらも2両まとめて転車台へ。


庫内に押し込んだ。


扇形庫の外にはE300, R20, R50が休んでいる。R20とR50はエンジンなど一部を除いてほぼ同型で、1960年導入の30両(R21~R50)がR20形であり、1966年導入の22両(R51~R72)がR50形である。即ち、R50形はR20形の増備形と言えるだろう。両形式とも、軸配置A1A-A1A、出力1425HPの本線客貨用機関車である。エンジンが珍しく2サイクルらしい。


R49號とS316號。S316號は、S300形の現存する2両の内の1両である(もう1両は入れ換え中のS318號)

偶然なのか、ちょうどその時間だったのか、たまたま訪れたときに保存蒸気機関車の入換を見ることができ、短時間だったが満足できた時間となった。

彰化機務段扇形車庫(1)

2009-05-27 02:22:19 | 台湾2009
彰化車站のやや北方にある。前回西部幹線の自強號に高雄まで乗ったとき、扇形庫らしいものがちょっと見えて、気になってはいた。それが見学できるという情報も伝わってきたので、今回できれば行ってみようと思っていた。苗栗でまったりしすぎて彰化で使えそうな時間は1時間くらい。列車から見る限りでは駅から歩いて10~15分はかかりそうであり、あまりゆっくりしてはいられないのだが、それでも折角来たんだから10分でも15分でも見ていこうと思う、と、上の子と大急ぎでそれらしい方向に向けて歩いた。

(画像は全て2009年03月19日撮影)


入り口。左の建物が警備所? 入って行くとそこにいた人が「參觀?」と聞いてきたので「參觀、參觀」と言うと、壁に貼ってある注意事項を指さして一項目ずつ「これわかるか?」と確認し始めた。車両に登らない、とか、電柱に登らない、とか、作業区域に入らない、といったことが書いてあったと思う。子供に書いてあることを読んで聞かせる。5、6項目確認したところでOKで、住所と名前と身分証明書(パスポート)番号を書いて、中に入ることが許された。


日本の事業所や車庫などでもよくある「連続無災害」の表示板


1922年建造の扇形庫。12線ある堂々とした建物で、台湾では唯一残った扇形庫らしい。「國寶級」という記述も見られる。電車基地建設の為取り壊しが決まってから保存運動により残されたという経緯がある。展示物として残されたのではなく、現役の車庫として使われているところは素晴らしいと思う。


側線にいるCK101。1917年日本車輌製の蒸気機関車。1978年に引退後1997年-1998年にかけて松山機廠で動態復元され、台鐵の動態保存蒸気機関車第一号になった車両である。現在は動いてはいないようだが、非常にきれいな状態だった。
その横に「蒸汽機車復駛計畫工作室」という札が見える。蒸気機関車の動態復元を担当しているところか。


庫内には3両の蒸気機関車がいた。上述のCK101の他に、CK101の次に動態復元され、現役のCK124と過去に動態復元の計画が伝えられたDT668がいる。
CK124は1936年日本車輌製で、国鉄C12と同型機である。DT668は1941年川崎車輌製で、国鉄D51と同型機。私の知る動態復元計画では今年の鐵道節で復活になっていて、「京都の梅小路へD51200を見に行かなくても、JR東日本にD51498を見に行かなくても、台湾でD51が走るのを見れる!」とファンを湧かせたらしいが、どうも今年復活にはならないようだ。




E101 : 南アフリカUCW製造(英国GEC設計)の電気機関車。現存はこの1両のみで、動態保存機らしい。軸配置B-B、出力2000kW。冷房電源用MGを持たない為、普通列車或いは貨物列車の牽引に用いられたらしい。 E311 : 美國GE製の電気機関車。西部幹線でよく見たので、電気機関車の中では主力機なのだろう。軸配置C-C、最大出力2800kW。車体にチョークで何か書いてあるのだが、修理中だろうか?



R55 : 美國GM-EMD製の電気式ディーゼル機関車(柴電機車)。全検出場直後みたいな感じで、塗装もきれいでぴかぴかである。軸配置A1A-A1A、最大出力1650HP。



1017次自強號

2009-05-25 22:23:00 | 台湾2009

2009.03.18 1017次自強號 苗栗

苗栗站で待つことしばし、推拉式自強號が来た。これに乗って彰化まで移動する。この推拉式(Push-Pull式=PP式)自強號は両端の動力車が南アフリカ製、中間の客車が韓国製(現代精工→現代ロテム)なのだが、電装品に故障が多発したり、構造上の問題があったり、現代ロテムがメンテナンスを放棄したりとなかなか問題が多い車両のようである。しかし、西部幹線では自強號の主力である。まあ、乗ってみると乗り心地は結構良く、問題視されているという発車時のショックや高速走行中の振動は気にならなかった。

台鐵の列車の車内放送はいたってシンプルである。駅のかなり近くで(構内に入ってからの時もあった)例えば「各位旅客、台中站到了」「下一站 彰化」と言うくらい、後は信号停車の際に「臨時停車しますが降りることはできません」というのは聞いた。しかし、これで十分足りる。台鐵アナウンスを聞くと、日本の車内放送は余計なことまで喋りすぎに思えてしまう。ところで、台鐵アナウンスはまず北京語で言い、その後違う発音で2回繰り返す。一つは広東語に近い発音なので閔南語と思うのだが、もう一つは何語なのか全く見当がつかない。謎だ。




苗栗鐵道博物館(3)

2009-05-15 22:46:41 | 台湾2009
(画像は全て2009年03月19日撮影)


出迎えてくれているのか、それとも見張っているのか、「機器人」が二体、立っている。台北車站のコンコースに一つあり、私は勝手に「台鐵マン」と呼んでいたのだが、ここのについていた名札を見たら「勇者」と書いてあったので、それが名前らしい。彰化機務段にも同様のがあったので聞いてみたら、台北機廠の柴電機車整備担当の職員が、不要になったディーゼルエンジンの部品から創り上げたものらしい。そういわれてみれば、各所が機械の部品な形をしている。

時々スローガンのようなものが掲げてある建物を見かけるが、苗栗機務段の建物にもあった。ここのは台鐵ゆかりの言葉を組み合わせてある。「騰雲御風」は、台鐵開業時期に、ドイツから輸入された(1887年Hohenzollern製)蒸気機関車「騰雲一號」「御風二號」から来ていると思われ、「莒光自強」は台鐵を代表する優等列車「莒光號」「自強號」からきている言葉である。



保線用の車両や貨車もあるのだが、このあと軌道検測車がここを走ってきたので(下の記述参照)、これらは展示品ではなくて全て現役かもしれない。


投煤練習場。要するに投炭練習場である。車両展示スペースから線路2本くらい隔てたところにある。入り口を見たら中に入れそうだったので、入ってみた。のだが、照明がついていないので中は薄暗い。それに、ボタン操作で動くようになっている(と思われる)模型の類も何も動かない。どこかで電源を入れればいいのかも知れないが、勝手に入れるのも良くないと思って薄暗いところを一通り回って、と思っていたら、外から鍵をかけられてしまった。慌てて中から鍵を開けて外に出たら、外でLDT101のメンテナンス作業中だった人が何か言っている。どうやら昼休みでその時間は閉めているらしい。車両展示スペースのベンチにもどこからか人がやってきて弁当を食べている。何とも間延びした雰囲気だが、この脱力感は悪くない。


これが投炭練習に使われたもの。石炭とスコップもあるので、自由に投炭練習することができる。実際投げてみると結構難しい。


模型や写真の展示もある。



外に出たら、本線上に妙な車両がやってきた。側面にでかでかと書いてあるのを読むと、軌道検測車のようである。


ぼーっと歩いていたら警笛が聞こえた。展示用のレールだと思っていたところへさっきの軌道検測車がやってきた。そして、そのまま車庫に入っていった。

さっき鍵を閉めて私を閉じこめた人の話によると(私の中国語能力は聞く方も話す方も乏しいので、双方コミュニケーションになかなか苦労して、この内容が本当にこの通りなのかはあまり自信がないが、私が解釈した内容では)、このスペースはかつての苗栗機務段で、山線用の機関車(勾配線用の機関車なのか、それとも補機なのかは不明)の基地だったということである。しかし、今は車両配置はなくて乗務員だけ配置されているらしい。



苗栗站構内の側線にはE300形のラストナンバーE339號が休んでいた。美國GE製の電気機関車で、軸配置は日本では珍しいC-C。交流25kVで最大出力2800kWである。冷房電源用の発電機を装備していない為、主に貨物列車用らしい。


1013次自強號(左)と區間車2448次(右)。発車する自強號が見えたので狙っていたら、見事に被られてしまった。

苗栗鐵道博物館(2)

2009-04-28 01:49:12 | 台湾2009
(画像は全て2009年03月19日撮影)


台湾糖業鐵路331號蒸汽機車。1935年日本車輌製の762mmゲージのCタンクで、ボイラー上のドームに日本車輌の社紋が見える。虎尾糖廠で使用ということなので、サトウキビ運搬にも使われた機関車か? なお、台湾の鉄道雑誌「鐵道情報」によれば、2008/2009年の製糖期にも、ディーゼル機関車牽引であるが、虎尾糖廠のサトウキビ運搬列車は運転されたということである。台湾糖業鐵路の蒸気機関車は、烏樹林糖廠跡にできた烏樹林休閒園區にSU- 370號、渓湖糖廠に346號が動態保存されており、週末を中心に運転されている。


台湾糖業鐵路巡道、公務車254號。これも虎尾糖廠で使用されていた車両で、1962年虎尾糖廠製の762mmゲージのガソリンカー。王滝森林鉄道の巡視車によく似ているがこっちの方が2周りくらい大型か。これら762mm軌間の車両は、台湾では「五分車」というらしい。即ち、軌間が標準軌(1435mm=十分)の半分だからということで、台鐵の1067mmは「七分」になる。


阿里山鐵路蒸汽機車28號。1913年美國拉伊馬公司(アメリカLyma社)製のシェイ式蒸気機関車。有名な阿里山のシェイギアード・ロコである。側面の緑色の箱は「郵便箱」とのこと。阿里山線の主力機であった28t3シリンダー機で、この28號は1973年引退だが、同時期に入線した25號と26號は動態保存機で阿里山鐵路に健在。29號が奮起湖車庫で保管中らしい。シェイ式機関車は急勾配、急曲線に適した機関車だったらしいが、日本では魚梁瀬森林鉄道や津軽森林鉄道で使用の記録はあるものの、目立った活躍をせずに消えていったようである。一説によると、線路構造の割に力が強すぎて、運転すると軌道を壊してしまったということがあったようである。


阿里山鐵路内燃機車11403-1號。1953年新三菱重工三原製作所製で、阿里山鐵路のディーゼル機関車第一号だそうである。引退は1982年。3軸ロッド式の液体式機関車で、小型の機関車なのに何故か先輪と従輪が1軸ずつある。190馬力のエンジンではシェイ式機関車よりも非力だったようで、山に登る前の平坦区間で用いられたということである。


阿里山鐵路内燃機車11403-5號。1955年新三菱重工三原製作所製で、1982年引退。11403-1號よりもやや大型の液体式ディーゼル機関車だが、これも平坦線用だったらしい。


阿里山鐵路高級客車SPC2號。1971年日本車輌製で、「光復號に用いられた最高級客車で、内部設備が豪華」ということであるが、何故か僅か11年の使用で1982年に引退している。推進運転をする為なのか、両妻面にヘッドライトがついている。

(その3に続く)

苗栗鐵道博物館(1)

2009-04-26 02:11:16 | 台湾2009
しばらく間が開いたが、台湾の画像を載せる(画像は全て2009年03月19日撮影)。

前回台湾に行ったとき、高雄行きの自強號が苗栗站を出てすぐ、車窓右手に機関車や客車が数両置いてあるのが見え、どう見ても車両基地ではなく展示してあるような置き方だったので、もしかしたら鉄道博物館みたいなのがあるのではないかと思った記憶がある。頭の端にそれがあったものだから、今回苗栗站で降りて、記憶を頼りにそれらしいところを見に行ってみた。


苗栗站を出て、巴士站の前を通って高雄方向に歩いていき、縦貫線をアンダークロスする道を通って線路の反対側に出て、更に高雄側に歩いていくとそれはあった。苗栗站から10分か15分くらいではないかと思われる。とりあえず柵はあるのだが、だらけたように開いていてどう見ても入場無料。諸注意を書いた看板はあるが、注意事項以外何も書いてないので開館日も開館時間も不明。ただ、柵が開いているので開館していると判断できるので入る。前回見たときは露天だったと思うのだが、展示区域に屋根がついていた。看板を見ると「交通部台灣鐵路管理局 苗栗鐵道文物展示館」と書いてあるので、それが正式名称のようだ。


CT152號蒸汽機車。1918年汽車會社製で、日本の鉄道省(→国鉄)8620と同型で、軸配置1C。台湾総督府鉄道E500形E500-E542として納入された内の一両で、納入時はE501號。台灣鐵路管理局となってCT150形CT152號に改番。西部幹線の旅客列車や山線の補機として使用されたということで、1978年引退。


DT561號蒸汽機車。1920年American Locomotive(ALCO)製。軸配置1D。基本設計は日本の9600形と同じらしく、確かにそれらしくも見えるのだが、かなりアメリカナイズされている印象。台湾総督府鉄道E600形(E600-E613)E600號→台灣鐵路管理局DT561號で、貨物列車用として使用され、1979年引退。


R6號柴電機車。1959年日立製作所(水戸)製。軸配置C-C。台灣鐵路管理局初のディーゼル機関車として10両(12両?)導入されたR0形の内の1両で、同型のR1號は、当時の日本国鉄でDF911として1ヶ月間だけ試用された後台湾に渡っている。国鉄時代はナンバープレートすらなくて形式称号はペンキ書きだったらしい。M.A.N.社設計V6V22/30(製造は日立か)1420HPのディーゼルエンジンを搭載した電気式ディーゼル機関車だが、エンジン不調で故障が多く、後に7両がGM製(645E-12)1650HPのエンジンに換装された。R6もエンジンを換装された内の1両で、最後は入換用として使用され、1996年廃車。同時期に導入されたEMD製のR20形の性能が良好だった為、以後台鐵のディーゼル機関車はEMDやGM製が主力になったということだ。


S405號柴電機車。1970年GM製の電気式ディーゼル機関車で、GM製645E-8(1100HP)エンジン搭載。軸配置B-B。S401~S405の5両が導入され、入換用として使用。説明プレートには「七堵駝峰調車場での入換及び区間列車に使用」とある。見たところ太平洋石炭販売輸送のDE601によく似ていると思ったのだが、DE601は日本車輌製だがGMとの技術提携によりGMの技術で作られた電気式ディーゼル機関車ということ。要するに、出自は全く同じ。S405號は、1997年廃車、1999年修復ということだが、同型機が1両(S402)七堵機務段で現役の模様。


LDH101號柴液機車。1970年台鐵花蓮修理廠(現在は台鐵花蓮機廠)製造の762mm軌間用液体式ディーゼル機関車。軸配置はB-B。軌間762mmだった臺東線で、特に製糖時期に機関車が不足した為1両だけ製造された機関車。臺東線改軌(762mm→1067mm)完成とともに引退。その後澎湖島で展示(放置?)された後、台鐵台北機廠で修理してここに展示されているということ。私が行ったときはちょうどお色直し中といったところだった。


柴油客車LTPB1813號+LDR2201號。762mm軌間用気動車で、LDR2201は1957年台鐵花蓮修理廠製、LTPB1813は1960年代台鐵台北機廠製。1982年の臺東線改軌完成まで使用されて引退し、1985年からLDH101とともに澎湖島馬公市文化中心に展示されたが、潮風による浸食で損傷が激しくなった為、1999年に台鐵台北機廠で修理してここに展示。こちらもお色直し中だった。

(その2へ)

台北車站(2)

2009-04-02 02:02:45 | 台湾2009

台北車站は、改札が地下1階でホームが地下2階である。これは改札を入ってホームに降りるところ。日本では線路ごとに1番線、2番線、... となるが、台湾式では、プラットホームごとに1、2、... と番号を振って、1面のホームの両側に線路があるときには3A、3BのようにABで区別している。列車の座席の席番といい、ホームのナンバリングといい、日式と微妙に違うところだ。


台北車站は、台鐵と台湾高鐵の線路が並んでいる。改札は違うので一旦改札を入ると相互に行き来はできないのだが、線路の向こうに台湾高鐵の列車が見えた。


新竹行きの3053次區間快車。この車EMU700系は、今回台湾各地で数多く見かけた電車だ。台鐵のサイトで導入の記事を見たのが2年ほど前だったと思うので、一気に大量増備されたみたいだ。導入時は確か日本車輌製と書いてあったと思うのだが、ここで見たら台湾車輌だったか唐栄の銘板が見えたので、その後内製化された模様だ。


東部幹線の花蓮以南は非電化の為、東部幹線から来る列車の中にはディーゼルカーも含まれる。それが地下ホームに発着するので、時折ディーゼルエンジンの排気ガスがホームに漂う。この列車はおそらく花蓮発樹林行きの1062次自強號と思われる。意外に加速が良くて、思いっきりぶれた。


私達が乗る1011次自強號。高雄行きだが、まずこれで苗栗まで行く。車両は南アフリカ製EMU200系を改造したEMU1200系。前回の台湾の旅でEMU200系の自強號に乗ったのだが、老朽化だけが目立ってあまりいい印象はなかった。しかし、リニューアルの甲斐あってか、このEMU1200系はそこそこ快適だった。ただ、(香港や台湾などではありがちなのだが)私にとっては冷房が効きすぎていて寒く、これには閉口した。

(2009年03月19日撮影)

璽愛旅店

2009-03-31 02:04:09 | 台湾2009
台北に夜着いてそれから宿を探すのも、ということで、初日の宿は事前に予約していった。とはいえ、何故か3月第3週は妙に台北の宿が混んでおり、中級クラスのホテルで加床を使ってもいいので3人(~4人)が泊まれそうな部屋は軒並み満室。一体何があるんだ? と思いつつ、中国語のサイトも片っ端から調べて見つけたのがこのホテル。漢字で書くと「璽愛旅店」なのだが、英語名は"SAY LOVE HOTEL"。「愛を叫ぶ」か? 思わず名前のインパクトに負けて予約してしまった。名前からしてラブホだなと思ったのだが、予約した部屋は「商務三人套房」即ちビジネストリプル。一大床+一小床ということなので、大人2人+小学生+幼児なら何とか収まるだろう。予約の際に電話番号の欄に携帯の番号を書いておいたら、数日していきなり中国語の電話がかかってきて焦った。どうもチェックイン予定時間を聞いているようで、余裕を見て「下午十點左右」と言っておく。しかし、これがそのあと若干の問題の元になるとは思わなかった。


璽愛旅店は、この画像中央奥のPanasonicの看板のある雑居ビルの3階にある。ホテルのサイトには「台北車站から50m」と書いてあるのだが、台北車站自体がでかいのでどこから50mなのか? 大有巴士の巴士站は駅のやや東寄りだったのだが、ホテルは駅の西寄りにあったので、ちょっと歩く。といっても近いことには変わりない。着いてみたら道を挟んだ反対側が國光客運の台北車站だったので、桃園機場からのバスも國光客運にしておけば楽だったというのは結果論。


21時頃着いたら、「まだ部屋が開いてないから待て」と言われる。台湾の中級以下のビジネスホテルは時間貸ししているところが多いというのはわかっていたのだが、チェックイン予定22時といったらその時間ぎりぎりまで使おうとしているとは思わなかった。とりあえず21時半に空けて貰うことにして、食事に出る。
部屋はコンパクトにまとまっていて、こざっぱりとしたなかなかいい印象。設備も過不足無く、快適に過ごせる。シャワーの水圧も湯温も十分。ただ、シャワーとトイレ/洗面台との仕切りが透明なガラスだったり、ベッドルームと洗面台/トイレ/シャワーとの仕切りが磨りガラスだったりと、そのあたりの構造は思い切りラブホ。まあ、気にしなければ全然問題ないのだが。まあ、台北はホテルの値段レベルが高いので、これで中西式自助餐の朝食付2400元ならまあいいところか。朝食はおまけみたいなのかと思ったら、おかゆとトーストとおかずが数品で以外といい内容。何となく家庭的な味で、好感が持てる。周囲にも食べ物や多数あるので食べるには全く困らない。また使ってもいい。


朝食を食べた餐廳に、角質を食べるというドクターフィッシュ(中文では醫生魚というらしいが、ここには親親魚(即ちキスする魚ということか)と書いてあった)がいる。朝食時間帯だけ開放されていて、宿泊者は無料で魚と戯れることができる(角質を食べて貰うことができる)らしいので、足を突っ込んでみた。

足を水に入れた途端に魚が群がってきて↓↓こんな状況に

くすぐったいというか、何というか、妙な感覚。20分つけていると効果があると書いてあるので、とりあえずそれくらいの時間魚に食わせてみた。果たしてどんな効果があったかはわからないが。宿泊者無料のサービスは、今年3月31日までの期限付きということだ。

(2009年03月19日撮影)

台北車站

2009-03-27 01:48:31 | 台湾2009

(2009年03月18日撮影)

台湾で撮った画像もぼちぼち載せていこうと思うが、多分かなり時間がかかると思う。今回からカメラがD300に変わったのだが、私のPhotoshopは古すぎてD300に対応していない。Adobe Lightroomの試用期限が切れる前に、全部 raw→dng に変換しておきたいが。

私は台湾はそれほど興味関心レベルが高いところではなくて、梁靜茹のコンサートのとき以外は行かないと決めていたところ。しかし、かみさんは何故か台湾大好きで今回も台湾以外ならNGという強硬な態度を取ってきた。ここで私も強行手段に出れば私の休み中ずっと家に引きこもって下の子の相手ということになることが十分に予想された為、次回の行き先の決定権は私にあるという、明日には反故にされてしまいそうな条件付で14万8千光年程譲った。とはいえ、絶対台湾を主張していたかみさんなのだが、行き先を主張しただけで残りは私に丸投げ。なので、全くの低モチベーションのまま出発した今回の旅であった。

往路は中部空港16:50発の台北経由香港行きCX531。本当は13日に香港に行って梁靜茹のコンサートを見てから台湾入りしたかったのだが、飛行機は必ず墜落するものと信じているかみさんは私が単独で行くことを拒否し、あえなく却下。しかし、何故自分が乗るときはOKになるのか、意味不明。

CX531の台北着は19:20。今回は10分程遅れたが、入境審査が意外にもスムーズに通れ、預託の荷物もあっという間に出てきて、おまけに前回は今にも止まりそうな感じで高速道路を走っていた大有巴士の機場巴士が、今回は非常に快調に走って21時前に台北車站に着いた。これは台湾に着き、中正機場から台北行きのバスに乗って、台北車站で降りてホテルまで歩く途中で撮ったもの。現在の駅舎は民國78年というから1989年から使われている建物なので、特に古い建物ではないものの、地上6階(地下2階)の建物はなかなか堂々としたもの。ライトアップされた駅舎はきれいだ。インドシナ半島程の蒸し暑さは感じないものの、私にとってはかなり暑い夜だった。

3月18日の台北の最低気温17.6℃、最高気温28.7℃