山麓線を走っていたら、安曇野ちひろ美術館の北方に電車が2両置いてあるのを発見。そういえば、1ヶ月ちょっと前に通った時に何かブルーシートで覆ったものがあるのを見つけてはいたのだが、どうやらこの電車だった模様。とりあえず見に行ってみる。
正体は、長野電鉄で走っていたデハニ201とモハ604の2両。確か、かつて小布施駅構内の「ながでん電車の広場」に展示してあった電車ではなかったかな。2000系に追い出された後どこに行くのだろうと思っていたのだが、ここに来た訳ね。しかし、何で縁もゆかりもない松川村に来ることになったんだろう? |
デハニ201。 大正15年4月 汽車会社製。長野電鉄が権堂-須坂間開業のために発注した電車で、製造当初のデハニ201→モハニ201(昭和4年6月)→モハニ111(昭和28年5月)→モハニ131(昭和42年)と改番され続け、地下線の基準に適合していなかったため、昭和55年4月廃車。開業当初からの電車だったら、長野電鉄が記念車として保存したっていいのに。 |
車内の様子。吊革や網棚のステー、灯具など形状が非常に優雅。今の電車の無機質な車内に比べて、非常に暖かみがある。シートの劣化が激しいのが残念だ。 |
運転席。スイッチ類やメーター類が少なく、非常にシンプル。しかし、狭い。手ブレーキハンドルがかなり目立っている。 |
モハ604の車内の。表記は上田交通時代のクハ271となっていた。こちらもシートの劣化が激しい。デハニ201と同じく、窓の日よけが鎧戸だ。 |
運転席。こちらもシンプルだが狭い。今の電車と違って、運転席が中央にある。 |
屋代駅で見かけたモハ604の画像があった。1986年11月1日という記録があるので、上田交通を廃車になった直後の姿だ。
長野電鉄の初期の電車が何故ここにあるのかわからないけれど、貴重な車輌だけに、妙な装飾などせずに極力原型のまま保存して欲しいと思う。あと、長く保存するためには上屋は絶対必要だ。
ところで、「ながでん電車の広場」にこれらの電車と一緒に展示してあって、一緒に2000系に追い出されたED5002はどこへ行ったのかな? こちらも国産初期の電気機関車として貴重な存在だと思うが。(画像は僚機ED5001。1986年11月1日、須坂にて撮影)